第4話 魔力強化体(前編)
魔力強化体
彼等は兵器だ。同時に人間とほぼ同じ姿と生態を持つ。
しかし魔力と身体能力は人間を遥かに上回る。
彼等は人間のために戦うため造られた生体兵器、人間とは認められていない。
どんな兵器にも新旧があるように、彼等にもまた新旧の区分として、三世代に分けられる。
まず第一世代型
最初期に生産された個体で、全ての世代の中で頭一つほど抜けた最高性能を持つ。
この世代の総合戦闘力は極めて高く、撃破に2個小隊が必要な大形異形体を単体で撃破可能で、完全武装兵力なら一個師団に匹敵すると言われている。
これほどまで強力な第一世代型だが、製造素材の都合から僅か5体しか製造されていない。
この世代は魔力強化体部隊の大隊長に配置され、魔力強化体第二大隊では大隊長ディーファがこの世代になる。
次に第二世代型
この世代は主に副官、伝令、分隊長以上の指揮官色が割り当てられている。
大隊長副官のシェイドと大隊長伝令のクリスは、この第二世代型に該当する。
この世代は、第一世代の製造に必要な特殊素材が尽きたため、その素材抜きで製造された簡易生産型だった。
そのため総合戦闘能力は、第一世代型に比べて大幅に低下した。
それでも人間と比べれば遥かに強力で、単体の全力はは人間の完全武装の兵士一個小隊30人分に匹敵した。
この第二世代型は約150体が製造されたが、経済事情の悪化により製造が打ち切られた。
現在生産されているのが第三世代になる。
一部の分隊長及び部隊員の役職が多く、イリス、イデアはこれに該当する。
この世代は、製造過程の大幅短縮で製造費用が低くなり、第二世代型の約4分の1にまで抑えられている。
このような費用削減の場合、かなりの性能低下が伴う。
しかし製造技術の向上と教育過程の効率化により、懸念された性能低下は最低限に抑えられた。
結果、第三世代型は単体で完全武装の人間3個分隊約20人の兵士の戦力に匹敵し、その費用対効果の優秀さから現在まで製造され続けている。
魔力強化体さ味方となればこの上もなく優秀な兵器だ。しかし敵となれば厄介どころではない脅威になる。
それが今のアレフの敵だった。
数は第一世代型が1名、第二世代型が2名、概算すれば完全武装の兵士約260名分の戦力に匹敵する。
時間がないアレフにとっては、かなり頭の痛い話だった。
・
そんな状況下、ディーファの眼前では排除対象のアレフが、構えもせずだらりと肩を下げていた。
あまりの隙の多さに、ディーファは逆に罠を疑った程だ。
だから選択したのは圧倒的火力での蹂躙、罠が有ろうが無かろうが、焼き尽くせばそれで良い。
ディーファは圧倒的な魔力で術式を発動させる。
間も無くして、上空から数多の光弾が降り注いだ。
光の光弾を満遍なく注ぐ絨毯爆撃、それが彼女の初手だった。
当然その程度で倒せるとは微塵も思ってはいない。
だが戦い方の傾向と強さの程度の多少は掴めるだろう。僅かだが期待はあった。
灼熱の光弾が雪原に着弾し、水蒸気爆発を併せた大爆発が、雪原を土壌ごと吹き飛ばす。
そんな強力な威力を喰らえば、直撃は当然、余波だけでも命を失いかねない。
爆風で味方も巻き添いを喰らう危険もあったが、シェイド達がいれば心配ない。
事実、懸念だった怪我人達も、シェイド達が障壁の魔法術式で守っている。
一陣の風が舞い、一帯を覆う白い湯気を一掃する。
視界が晴れた先、そこには無傷のアレフが立っていた。
その光景にディーファは軽い目眩を覚えた。
敵の戦力を測るという目論見は外れた。これでは殆ど何もわからない。
分かるのは強さの底が見えない事だけ。
「化け物が」
ディーファは思わず毒づいた。
青白い額からは冷や汗が伝い落ちていた。
・
ディーファに続いたのはシェイドだった
彼は無傷なアレフを見るなり、圧縮詠唱で背後に無数の光球を出現させた。
発動させたのは『光爆』の魔法術式だった。
構えていた長銃は背中に納めていた。使い勝手は良いが、威力が弱く命中制度も低い。使い慣れた魔法術式の方が遥かに信頼性が高い。
この魔法術式は、同時展開可能な数こそ少ないが、一発の威力は先程ディーファが放った光弾よりも高い。
一発でも直撃すれば人間など簡単に蒸発して消える。
そんな光球がおよそ10発、全てが一斉にアレフ目掛けて撃ち出された。
それをアレフは難なくかわした。
放った当の本人のシェイドが呆気に取られる程、簡単そうにだ。
「嘘だろ?」
シェイドは思わず感嘆の息を漏らした。
この術式はたとえ掠っただけでも、肉がえぐられ焼け焦げる。
そんな攻撃が掠りもしない。
しかも最短距離、最低限の無駄のない動きで回避した。
その動きはため息が出る程に洗練され美しい。
シェイドは戦いを忘れ、呆然と立ち尽くしていた。
・
攻撃の手を止めたシェイドに代わり、次はクリスが動いた。
既に彼女は、肉体を魔法術式で大幅に強化していた。
強化された脚力で瞬時にアレフの懐に飛び込むと、顔面目掛けて炎の鉄拳を打ち込んだ。
彼女の拳には、特殊金属製の鉄甲がはめられている。
その鉄甲の強度なら、通常装甲程度を容易に粉砕する。
その上鉄甲の表面には、鉄すら溶かす『暴炎』の魔法術式を纏わせてあった。
彼女の繰り出す炎の鉄拳は、当たれば必殺、掠っても拳風が肉を薙ぎ、よけても爆風が肌を焼く。
そんな炎の拳が、凄まじい速度で雨あられと打ち込まれる。
しかし拳は空を切った。
当たるどころか掠りもしない。それどころか、炎の爆風が肌を焼くことすらない。
躱されたのが一発だけなら偶然かもしれない。しかし二十を超える拳が全て躱されては、必然としか言いようがない。
クリスはその場から飛び退きアレフから距離を取った。反撃を恐れたのと、体勢を立て直したかったからだ。
何故かアレフからの反撃はない。
クリスは安堵しつつもアレフを見つめた。
拳を打ち出す瞬間から、違和感を覚えていた。敵の避ける動きがあまりに早すぎからだ。
単純な肉体的速さでは説明がつかない。まるで、始めから何処に打つか知っているとしか思えない動きだった。
拳を打つ瞬間に、敵は移動した。これでは当たらない、拳は虚しく空を切る。打つ瞬間に当たらない事が確定していた。
次の一撃も同様だ、次も、その次もまた同様で、結局全て当たらない。
拳を打ち前に相手が動いたなら、拳の軌道を変られる。しかし直前では軌道を変えらない。
それは一瞬の間しかない。しかし相手は一瞬を的確につき動く、しかも何処に打つかを正確に読む。
これでは当てられるはずがない。これ以上は無意味がないどころか、危険でしかない。
クリスがそう考えた矢先、アレフの人差し指が軽くクリスの額に触れた。
「えっ?」
驚いたクリスは反射的に飛び退くと、自身の額に触れた。
傷も痛みもない。敵は触れただけだった。敢えて何もせず触れただけで見逃した・・・
「本気なら死んでた・・・」
クリスは深呼吸をした。どうにかして乱れた呼吸を整え、正確な思考を取り戻さなくてはならない。出来ない。
対して、アレフは息一つ切らしていない。平然としたままだ。
「無理・・・」
耳朶を打つ激しい心音に、クリスは自身の焦りを知る。
「大隊長、こいつヤバいです。出来るだけ情報を稼ぎますので、後はお願いします」
蒼ざめたクリスが小声でディーファに通信した。
見つめる先では、アレフは足下の短剣を拾うと、大きく後方へと跳躍していた。
・
「逃がすかよ!」
跳躍したアレフの落下点を狙い、シェイドが再び光弾を撃ち込んだ。
計算された正確な射撃は、しかし容易く躱された。
アレフは着地の瞬間、『突風』の魔法術式を発動させていた。
足元に巻き起こした突風で身体がフワリと浮かび、落下場所と時間をずらす。
身体の下を光弾が通過した後、アレフはゆっくりと着地した。
「シェイド、併せろ!」
そこにクリスが炎の拳を何度も叩き込む。しかし先程と同様、拳は打つ前に躱される。
そこにシェイドが駆けつける。
彼はアレフの背後に飛び込むと、後頭部目掛け上段蹴りを打ち込んだ。
不意を付く死角からの一撃、しかし次の瞬間倒れたのは仕掛けたシェイドの方だった。
アレフは僅かに屈んで蹴りを躱すと、そのままシェイドの軸足を軽く引っ掛ける。
シェイドは不意打ちに対応できず、そのまま背中から倒れた。
倒れたシェイドへのアレフからの追撃はない。彼は動かなかった。
一瞬呆気に取られるシェイド達
しかし直ぐに気を取り直したクリスが、アレフへと光弾を打ち込んだ。
後方に跳躍しその場から離れるアレフ
クリスが倒れるシェイドに駆け寄り、彼を庇う様に立ちはだかった。
「クリス、すまない」
「いいから立って!私だけじゃ無理!」
「何とかなる相手か?」
「それ以前よ、私達は見逃されているだけの論外。でもディーファ大隊長なら!」
悲鳴に近い声で叫ぶとクリスの背後で、シェイドが即座に立ち上がった。
そのままシェイド達は動かない。
気が付けば、戦いは当初から場からかなり離れていた。
・
一方アレフは落胆していた。
彼は殺しを嫌うが、強者との戦いは好ましく思う。
フィロは『馬鹿ですか?厄介な性格ですね』と愚痴るが、生まれが剣奴だから仕方がない。
そんな性分なものだから、アレフはこの戦いに少なからず期待していた。
自身と同等以上の者達と戦えるなど滅多にない機会だからだ。それだけで心躍る。
それなのに・・・
「悪くはないが、何だこのチグハグな戦い方は?」
期待は軽い疑念と失望、それから怒りへと変わっていた。
まずディーファの放った光弾での絨毯爆撃の時点で、彼は軽い目眩を感じた。
まず絨毯爆撃の意味が不明だった。
絨毯爆撃は広範囲の、かつ多数の敵への有効策だ。
単体の敵に対して使うのは、酷く効率が悪い。魔力の無駄だ。
威力はそこそこで多少なら防ぐのは難しくもない、数こそ多いが当たるのは二発か三発、それだけ防げば事足りる。下手に動けば逆に喰らう、だからで動かず受ける。
この場で魔法術式の障壁を張り、三発の弾を防ぎ終わる。これは楽だ。
普通ならここで追撃だが、予想通りない、そもそも不可能だ。
爆撃が生んだ視界不良のせいで、同士討ちになりかねない。
逆にこちらは、この視界不良を逆手に奇襲も出来る。当然しない、下手に傷付ければ和解が困難になる。それは勘弁だ。
続いてのシェイドの光弾攻撃で、アレフの目眩は諦めへの頭痛に変わった。
個々の力量は素晴らしいが、求める強さの領域には至らない。単なる徒労だ。
彼等は一対一の対人戦に慣れてない。恵まれた力だけで圧倒し、技術に頼らない。つまり大雑把だ。
銃を使わず、魔法術式での遠距離射撃に固執した。
遠距離射撃は妥当だが、工夫がなければ相手に避けられる。射線上になければ当たらのだから。
例えば、弾の速度の緩急をつけるなり、軌道を変えるなりすれば良い。それだけで対処に困難になる。銃を併用すれば、当たらなくとも牽制や足止めになる。
しかし今回はあまりに単純だ。
単純な等速直線軌道、少し動けば当たらない。
次はクリスの近接攻撃
これでアレフは軽い怒りを覚えた 。
動きにキレがあり型も綺麗、拳速も速く素晴らしい。素質もある。
しかし戦い方が拙い。型の繰り返し、いわゆる教科書通りで工夫がない。
戦いには欺きが必要だ。相手の目を欺くための緩急運動、狙いをそらす視線誘導等々、相手を欺く事で隙をつくりそこに勝機を見出す。基本の次に覚えるべき初歩の技術だ。
それがない。
打ちたいところを見て、型通りに打つ。これでは当たるわけがない。
そもそも何故近距離に詰めたのか?遠距離の有利があるなら、それを捨てる必要はない。
勿体ない。本当に勿体なかった。
彼等には素晴らしい力と才能がある。これでは宝の持ち腐れだ。努力を積み重ねてきた者にとっては、妬ましくて怒りすら覚える。
機会があれば説教でもしたかったが、そんな義理も時間もない。
時間が過ぎれば怪我人が死んでしまう。
これで二人は無力化し、残りは一人
しかしこれが大問題、恐らく彼女は人ではない。
意を決したアレフは後方へと跳躍すると、ディーファ達から大きく距離を取った。
この先の戦いは被害が大きなものになだろう。彼としては、間違っても怪我人を巻き込む訳にはいかなかった。
着地したアレフが向ける視線の先には、凄まじい魔力の放出する者ディーファが鬼の形相で立っていた。
・
アレフがディーファと睨み合い僅かに膠着する中、フィロから通信が入った。
『理解不能です。魔力はほぼ五分、筋力も少し劣る程度、なのに二人を同時相手に圧倒です。どうしてこうなったのですか?』
フィロの声は困惑していた。
「戦闘中は口出し無用が約束だ。後にしろ」
『今は中断してます、問題ありません』
「そう見えるか?まあ良い、要は二人が浅かった。それだけの話だ」
『浅い?浅いってなんですか?』
「経験の事だ。細かいことは後で話す。通信を切るぞ」
『ちょっ!あっ!』
慌てて話を繋げようとするフィロだが、無情にも通信機の電源が落とされた。
戦闘経験が殆どないフィロでは、この戦いが理解できない。
単純な魔力の計算では、アレフは相手の合計は三分の一にも満たない。それなのに圧倒している。
訳がわからない。
フィロが相手の戦力分析を行う場合、魔力や筋力等の数値を元に算出する。
しかしアレフは数値に頼らない。それどころか邪魔と否定する。
「強さとは単純なものではない。経験、装備、周囲の状況、戦術、戦略これらが全て複雑に絡む。それとて運次第でひっくり返る。数値など参考にすらならない、邪魔なだけだ」
それが彼の言葉だった。
否定はしない。
実際、フィロが計測した数値からの勝敗予測確率は、アレフの予測と比べ大きく下回る。
彼は、立ち居振る舞いからその戦い方がある程度分かってしまう。それだ大体の強さと勝敗が予想できるという。
信じ難いが、彼の方が的中率が高い。フィロの立場では否定できない。
こと対人戦闘の分野では、アレフに全く及ばない。
それはそうとこの戦い、残りは一人だ。しかしその一人はアレフすら遥かに凌ぐ魔力を持つ。
明らかに人外だ。
もうどうなるか予測はできない。
『信じてますよ。必ず帰ってきて下さいね』
届かないと分かりながらも、フィロは寂しそうに通信を送った。
・
戦いの中ディーファはアレフに対し不気味さを感じていた。
あの男は部下達の猛攻を余裕で避け切った。
魔力の差は感じない。あるのは技量の差だ。
これでは勝てない。事実シェイド達は勝てないと悟り戦意を失った。
後は託された、戦うしかない。
ディーファは上位魔法術式の通常詠唱を始める。
まともな戦い方では勝てない。だからまともでない方法で戦う。
普通ならあり得ない程の圧倒的な力でねじ伏せる。自分ならそれが出来る。
強大な力で全て吹き飛ばせばそれで終わる。
間も無く詠唱が終わろうとしていた。
・
そんなディーファの手の内をアレフはおおむね読んでいた。
「選択肢は潰した。遠距離か中距離からの最大火力の擦り潰しだろうな」
一人呟くアレフの視線の先では、ディーファが強大な魔力を放ちながら長い詠唱を行っている。
ただ一つ誤算があったのは、最大火力が予想より上になりそうな事だった。
この詠唱時間が長さと魔力なら、視界一面程度なら簡単に破壊するだろう。
彼が苦労して距離を取った怪我人もろともに・・・
「血迷ったな、やり過ぎだ」
愚痴るアレフが、詠唱を阻止すべくディーファ目掛けて走り出した。
しかし届かない。ほんの僅かな時間差で詠唱が終わり、ディーファの魔法術式が発動した。
ディーファの魔法術式は、両腕から生える大量の巨大な光のムチだった。
「死ねよ!」
ディーファが怒りの声で叫んだ。
20を超える巨大なムチは、振り下ろされたディーファの腕に呼応し、生き物の様な変則的な動きで襲い始めた。
長さ15ミーン(約22メートル)程はの巨大なムチが20本以上
その全てが前後左右から一斉に襲いかかる。
まともに当たれば彼の身体は引き裂され、生命もろとも肉片と化すだろう。
その瞬間、閃光が3回瞬いた。僅かに遅れ風切り音が響く。
ムチは当たることはなかった。
瞬くように繰り出されたアレフの短剣により、ムチは全て斬り飛ばされていた。
「はっ?」
ディーファが呆気に取られた。彼女は事態を把握できなかった。
見えたのは光だけ、何が起きた全く分からない。
おそらく剣でムチを切ったのだけは分かった。しかしそれが理解できない。
本来、魔法術式を物理的に切るなどあり得ないのだから。
「怪我人を逃がせ!巻き込まれるぞ」
ディーファが呆気に取られる間、敵のはずの男がシェイド達に呼び掛けていた。
「しまった!」
「斬り飛ばさなければ死んでたぞ!仲間を殺す気か!」
「違う!そんな事・・・」
アレフに怒鳴られたディーファは、戸惑いを隠せず立ち尽くしていた。
・
アレフの呼びかけに、シェイド達の反応は早かった。
シェイドとクリスは互いに目を合わせると、直ぐにイデアの側へと駆けつけると、抱き抱えてその場から離脱した。
その間、アレフに睨まれたディーファは動けなかった。
「もう良いだろ。時間がない、さっさと来い」
「うるさい!」
アレフの挑発に近い物言いに、ディーファが激昂した。
「死ねよ!」
顔を紅潮させたディーファが怒りの叫びと共に再びムチを振り下ろした。
そこにはまともに喰らえば、肉どころか骨すら蒸発するだろう熱量が秘められている。
それをアレフは左後方へ跳躍し、紙一重で回避した。
躱されたムチが、空しく雪原に叩きつけられる。
瞬時に蒸発した雪が莫大な量の水蒸気へと変わり、周囲を白一色に染め上げる。
充満する蒸せるような水蒸気が視界を塞ぎを、互いの姿を完全に隠す。
続いて繰り出された赤光の横一線が、水蒸気の世界を真一文字に切り裂いた。
視界を覆われた場所での見えない攻撃を、しかしアレフはその場に伏せ咄嗟に躱す。
僅かに掠るムチに髪を焼かれながら、アレフは前に屈んで駆け抜けた。
続くは頭上からの縦の一撃、今度は右足を引き、体の軸をずらして躱した。
次も、その次の一撃も躱す。
縦と横からの複数同時攻撃は、地面に滑り込んで躱した。
左右斜めの切り落としの交差攻撃に対しては、足を動かさず、上半身だけを後ろに捻って躱した。
前後左右そして後方の五方向からの同時は、前に転がって躱した。
躱し、躱し、躱し続ける。どうやっても躱してしまう。
「何なんだよお前は!」
いつしかディーファの表情には、激しい焦燥が浮んでいた。
・
ディーファは焦っていたが、同時に得心もしていた。
これが教本に載っていた達人か。
魔力や筋力を覆す遥か高みの技
これでは勝てない。
そこからディーファは、とある考えに至る。
勝てなくても、負けはない。
結局は力だ。
技など圧倒する程の絶対的な力でねじ伏せる。
ディーファは肉食獣の様に唇を吊り上げた。
・
「笑いとは機、悪手だ」
笑うディーファを見てアレフは呟いた。ここまではほぼ狙い通りだった。
上手く誘導はした。次は耐えきれず暴発し、それで終わる。
ディーファとは違い、アレフは無表情のままだった。
戦いの熟練者は、戦いの中で相手の『機』を読む。
それは決して特殊な技能ではない。訓練すれば誰でも出来る技能に過ぎない。
アレフは『機』を読む事が抜群に長けていた。
『機』とは何か?それは攻撃の予兆を示す何かしらの合図だ。
人は攻撃する際、視線の移り、手足や筋肉の硬直、呼吸の停止の動きなど様々な予兆を見せる。それが『機』だ。
相手の諸々の動きから予兆、つまり『機』を正確に見抜くことで先手を取る。
それがつまり機先を制す事になる。
熟練者同士では、『機』の読み合いとなり、これを隠す事が重要になる。
様々な欺瞞行動で相手を欺き、自身の『機』を隠す。先に見抜けば勝利に、見抜かれれば敗北に直結する。
アレフがシェイド達を評した『浅い』とは、この『機』を隠す未熟さ、対人戦闘での経験と知識の浅さを意味した。
これはディーファも同様だ。隠さないから、何もかも丸分かりで素人に等しい。戦うところか、同じ土俵にすら立てていない。
戦い以前の話で、勝敗など問題にすらならない。
問題は怪我人に残された時間だった。
・
笑いながら攻撃を続けるディーファだが、その攻撃は単調になっていた。
次の一手に意識を取られ過ぎ、今の攻撃の組み立てが疎かになったのだろう。
これもまた次の攻撃を示す『機』であり、アレフには完全に読まれていた。
分かっている以上、これに対する策を当然立てている。
アレフは単調な攻撃を悠々と躱しつつ、右手にはめた腕輪の操作を始めた。
右腕につけた腕輪は、フィロの創造主、三賢者達からの貰った魔道具だ。
中には、3つまでの上位の魔法術式を封じることが可能で、一度封じれば、いつでも一回だけ発動できる。
3つのうち1つ『穿光』は、先ほど大型異形体の頭を粉砕する際に使った。残りは2つ
「おそらく拮抗は一瞬」
アレフは腕輪の刻印を指でなぞり、いつでも発動できるよう準備した。
ディーファが後ろに大きく跳び、アレフとの距離を取る。
それでアレフは安堵のため息をついた。
これで終わると確信していた。
・
ディーファが両腕を頭上へと掲げた。
すると両手のムチが全て重なりと、一本の巨大な大剣へと変化する。
その大きさは凄まじい。
大剣の先端は雲を突き抜け雲間を作り、隙間から星々を覗かせる。
雪原の下、ディーファに星々の光が降り注ぎ、彼女を照らし出す。
「これで終わりだ!」
「また避けるだけだ」
「抜かせよ!」
無表情なアレフの態度に、ディーファは更に顔を紅潮させ叫んだ。
この時、ディーファは追い詰められ、完全に判断力は失っていた。
脳裏にあるのは叩き潰すという事だけ。誘われた事など気が付くはずもない。
「だったらこれを避けてみろよ!」
ディーファの叫びと共に、空を貫く光の大剣が輝きながら変化し、空一面へと広がっていく。
巨大な剣は巨大な光壁へと変わり、赤い光となって空一面を覆い壁に覆い尽くしていた。
「食らえ!」
ディーファの叫び声と共に、巨大な壁をアレフへ落下した。
・
見上げれば全て壁、アレフに逃げ道などない。
否、元より逃げるつもりなどない。
「第二封印解除、『光壁』発動を命ずる」
腕輪の刻印が輝き、封印された魔法術式が発動した。
発動した魔法術式は『光壁』
強大な光の障壁を作り出し、術者の身を守る上位の魔法術式
青い光の壁が、アレフの守るように頭上に展開した。
落下する赤い光壁が青い光壁へと激突した。
二つの光が反発し、互いに相手を滅さんと、激しい粒子を散らして削り合う。
一瞬だけ拮抗が生まれ、二つの光壁が空中に停止した。
アレフが動いたのはその瞬間だった。
その動きを捉えた者はいない。それは神速の疾走だった。
拮抗が崩れ青い光壁が砕けた時、アレフはもうディーファの前にいた。
「え?」
「悪いな」
ディーファが反応した時には遅かった。
アレフは右手でディーファの喉を押し込むと、併せて右脚で彼女の右脚を後ろから跳ね上げる。
変形大外刈り、と呼ばれる技がディーファの身体を綺麗な弧を描くように背中から押し倒した。
「がはっ!」
背中から地面に叩きつけられた衝撃衝撃に、ディーファの呼吸が一瞬止まった。
痛みと混乱で動けないディーファ
そこにアレフが短剣を彼女の眼前に突き出した。
「終わりだ」
アレフの静かな声が雪原に響いた。
・
「殺せ、捕虜にはならん」
「殺しは嫌いだし、捕虜は面倒だ」
倒れながら睨み付けるディーファに対し、アレフは困ったように苦笑した。
「ふざけるな!さっさと殺せ!」
「それは嫌だと言ったが?」
「だったらどうする!」
「こうしよう、降伏する」
そう言うと、アレフは短剣を後ろに投げ捨てた。
「命でも何でも差し出すから、負傷者を治療してくれ」
そう言うと、ゆっくりと両手を上げた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
ディーファの間の抜けた声と共に、雪原は異様な沈黙に包まれた。
少し長く感じましたので、前後編に分けてみました。