七章一話 『アサツキの館にて』
「――――準備はいいか?」
静かな、少し緊張も見える声色だ。洞窟の中だった。
人魂達の明かりの下で、その声は続く。
「出たらすぐに戦闘だ。素早く戦い、素早く切り上げ、素早く戻ってくる。
俺達は場作りに専念するから、基本はお前達二人が一対一で戦うことになる」
話し手は探検家アシタバだ。
そして彼以上の緊張と集中をして聞く若手の戦闘部隊隊員が二人。
燃えるような赤髪、大柄な体、背中の両手斧……アシタバ班所属オオバコ。
そしてもう一人。
さらさらの黒髪を馬の尻尾のように後ろでまとめている。
線が細いが、頼りないというよりは育ちの良さを感じさせる、アシタバやオオバコと同年代ほどの好青年。
タマモ班所属、名はズミ。
彼らの後ろでは六人が様子を見守っている。
アシタバ班、元殺し屋キリと団長ローレンティア。
タマモ班、【狐目】のタマモと【狸腹】のモロコシ、魔道士グロリオーサ。
そして何故だかアシタバの妹、【解体少女】アセロラ。
「さぁ………いくぞ!!」
アシタバが叫び振り返り、背後の岩壁にあった糸くずを掴んだ。否、それは蓋だ。
勢いよくそれを引き、現れた穴をアセロラ以外の八人が潜る。
地下二階、迷宮蜘蛛達の草原だ。
見回り役なのか、近場にいた二匹の蜘蛛を標的に定めると、オオバコとズミはその正面へと立つ。
アシタバ班、タマモ班共同による迷宮蜘蛛を相手とした戦闘訓練だった。
彼らを見据えた迷宮蜘蛛は威嚇のポーズを取る。
前脚を高く掲げ、石壁の下の蜘蛛の姿を晒すその様に、気持ち悪さにズミは躊躇する。
オオバコは一度戦っているからか、幾分か慣れた様子だ。
「ズミ、狙うのは関節だぜ!」
叫びながら斧を振るい迷宮蜘蛛の右脚を一本折ると、石壁の重さに体勢が崩れる。
ズミの方はそうはいかない。
剣を構えながら、高く掲げられた前脚にたじろき切り込めないでいた。
蜘蛛はじりじりと距離を詰め、ズミは後退をする。
「ズミ!」
ズミとオオバコの戦いを守るように扇形に展開する布陣の一端、【狐目】のタマモが声を張り上げた。
彼らの構えの先には、異変を嗅ぎつけた蜘蛛達が集まってきている。
蜘蛛の集団に囲まれる前に撤退しなければならない。
時間制限の決まった戦闘訓練だった。
「行きます!」
決意をしたのか、ズミが前へと強く踏みだす。直線的だ。
見守っていたタマモやアシタバはマズいと感じ―――。
ズミの頬すれすれを、迷宮蜘蛛の脚が掠める。
まさに紙一重で攻撃をかわしたズミは、その魔物の下腹部へ剣を刺し込んだ。
吹き出る黒い血、蠢く毛深い腹肉、キィィイイイイと金切り声を上げる蜘蛛に、攻撃を果たしたはずのズミは硬直し剣を離してしまう。
「――――よし、時間だ」
アシタバがそう呟くのと同時に、ズミが向き合う蜘蛛の背中にキリが降り立った。
無感情で冷静。蜘蛛が動くより早く両手のナイフを躍らせると、八本の脚の膝を尽く切り裂き、最後は頭に刃を突き刺す。
呆気にとられるズミを置いて、迷宮蜘蛛は力を失った。
「撤退だ!死体持って帰るぞ!
ズミ、オオバコ、引っ張れ。俺とモロコシで押す!」
【狐目】のタマモの指示に従い、その目を向けるのも憚られる大蜘蛛の脚をズミとオオバコが嫌々掴み、ズルズルと出てきた穴へ向かって引き摺っていく。
「……………重量軽減Ⅰ、“重軽石”」
どんよりと陰鬱な雰囲気の、隈の深い魔道士グロリオーサが小さく掲げた杖から黒い蝶のような塊が放たれ、蜘蛛に到達すると、オオバコ達の引っ張りが急に勢いを増した。
「うぉ!?軽く………!?」
「ふふふふ、軽くしておいたわ」
謎のピースサインにオオバコ達は戸惑いつつ、とにかく蜘蛛を引っ張ることに専念する。
アシタバ、キリ、ローレンティアが、迫りくる蜘蛛達から彼らの背中を守った。
ウォーウルフ達の迂回路から素早く展開、素早く蜘蛛と交戦し、素早く撤退、可能であれば倒した蜘蛛を回収する。
これが戦闘部隊が行っていた、迷宮蜘蛛を対象とした戦闘訓練だ。
「うひー、うひー、何度やっても慣れないぜ」
ウォーウルフの迂回路に戻ってきたオオバコは汗を拭う。
最後にアシタバが入り再び蓋をして、ディフェンバキア達の取りつけた閂を2つかけた。
慌ただしい訓練は一段落、一同は少し落ち着く。
「いやいや、慣れてきたじゃねぇかオオバコ。余裕だな?
ズミの方はまだまだ訓練が必要みてぇだが」
【狐目】のタマモがいっぱいいっぱい、といった様子のズミに話しかけた。
「す、すいません………」
戦闘の緊張が引いた後だからか、ズミは改めて自分が引っ張っていた迷宮蜘蛛の姿を見て顔を青くする。
「しっかし攻撃を受けそうになった時は正直焦ったぜ。よく当たらなかったな」
「…………当たらないと思えたもので。可動域が………」
「可動域ぃ?」
「蜘蛛の腿と脛の石壁が干渉をしていたので、脚を動かせない範囲があると思ったんです。
後ろ足で旋回をするのでなかなか切り込めませんでしたが、何とかその範囲に入り込むことができました」
「…………………」
タマモとモロコシだけでなく、アシタバも少し面喰う。
「………いやぁ、モロコシよ、意外と我らが班は優秀な人材が揃ったみたいだな」
「だね。グーちゃんの肝っ玉は期待通りだったし」
「グーちゃん?」
グロリオーサがじとっとした目をモロコシに向ける。
「はいはい、お疲れ様~。ちょっとどいて、どいて」
会話の一段落を見届けたのか、ノコギリを担いだ【解体少女】アセロラが割って入ると、蜘蛛の脚を整え、そのうちの一本に迷わずノコギリを振り下ろした。
「いや~白銀祭の発表以来、職人さん達の魔物素材要望が多くてさ~。私も大忙しだよ~」
ぎこぎこ、ぐちゅぐちゅと脚の付け根を切り刻んでいく。
そのグロテスクさに流石のタマモも顔を歪めるが、アセロラはなんのそのだ。
服に、頬に黒い魔物の返り血が跳ねても、構わずノコギリを振り続ける。
跳ねる血と音を立てる肉片。脚を切る本人は至って平常運転だ。
「体液は薬屋さんが欲しいって言ってたしー。
石壁も、防具屋さんたち結構欲しがってたなー。
お尻開いて糸も出さなきゃ!織り子班の人達に頼まれてたっけ!」
その、金髪の美少女が大きな黒い蜘蛛に片足を乗せ、毛深い脚にノコギリを振るう様は何ともアンバランスだった。
「う…………ぷ………」
耐えられる訳もなく、ズミは吐いてしまう。
「あーあー、しょうがない、こりゃあしょうがないよ。
探検家長い奴でも吐いちゃうさ、これは」
モロコシがズミの背中を擦りながら離れたところへ誘導する。
タマモもその解体作業を見ながらため息をついた。
「相変わらずアシタバ、お前の妹はぶっ飛んでんなぁ。一般人には刺激が強すぎる。
それに比べての、キリやグロリオーサの反応は期待通りだが、オオバコ、お前もななかなか耐えるようになったな?」
「まぁおかげさまで。猪の肉捌いたりはしていたんで」
少し顔色が悪いながらも、オオバコは何とか耐えていた。
「お前の班もなかなかじゃねぇか、アシタバ。
団長さんも、想像以上に果敢なみてぇだしな―――」
声をかけたその直後。ローレンティアが少し離れたところで嘔吐する。
「ご、ごめんなさ―――うっぷ。耐えられると思ったんだけれど―――」
再び、嘔吐。
「…………まぁ、慣れと経験だ。
大蜘蛛の解体に慣れりゃ、この先これ以上はねぇよ。
とにかくお疲れさんだな。今日の訓練は終わりだ」
なんとか訓練を終えた一同は、迂回路の整備に励むディフェンバキア班の脇を通り、地上へと帰還していく。
魔王城周辺のことを改めてまとめておこう。
魔王城南側は、一般に正面玄関と呼ばれている。
巨大な一階への入口と、戦闘部隊が班分けの際に集まった広場。
その更に南には、現在は放棄された農耕部隊の畑が存在し、勇者リンゴがだらだらと時間を潰す様がよく目撃されている。
魔王城東側。
かつては団員用の宿舎が建てられていたが、ハルピュイア迎撃戦の際に瓦解。現在は更地に近い状態だ。
南東部には魔王城の一階を改築された形で銭湯「三日月の湯」がある。
魔王城西側。
東側と違いこちらは現在も栄えている。
工匠部隊の職人達が各自の工房を構え、それらが二列となった「工房街」が広がっている。
そして魔王城北側。
ローレンティアを始めとする、円卓会議に参加する貴族達が生活する九軒の館が建つここは貴族区と呼ばれる。
ローレンティアの見送り以外で、アシタバは初めてここに足を運んだ。
九軒の館、その一つ。アシタバが訪れたのは橋の国代表、アサツキの館だ。
「ようやく来たか…………というか遅くない?
兄貴なんだから毎日来てもいいぐらいじゃない?」
「用が済んだら早く帰ろうと思う」
「話聞いてる?」
アシタバの兄弟子、アサツキはソファにゆったりと構えていた。
応接室は最低限の調度品で飾り立てられており、質素と思われない程度にシンプル。アサツキらしいと思う。
「どうぞ」
と、紅茶を差し出したのは清楚ながらも高級な服に身を包んだ女性……。
おそらく彼女がアサツキと結婚し、彼に爵位を与えた橋の国貴族。
「スノーフレークと申します。アサツキさんの弟弟子さんなのですってね。
今後ともよろしくお願いします」
「ど、どうも」
ふわふわと喋る女性だ、とアシタバは思った。
名前に含まれる雪のような白い肌に、さらさらの金の髪。
しかし、そもそも令嬢であるはずの彼女が配膳をしていることがおかしい。
少し怪しむような目つきで、壁際に立つ使用人の女性を見てしまう。
「…………なんですか?
そもそも、私のお茶は人様にお出しできるものではないので」
確か、ハルピュイア迎撃戦の際に共に鳥王ジズに立ち向かった……。
ナタネ。そう、彼女が悪びれず堂々と言ってみせる。
深い紫の髪を項の部分で団子状にしており、何故か男性用の使用人服を着ている。
「そうですねぇ、ナタネさんのは独特というか、渋いというか……」
「はは、スノーフレークの紅茶にかなうものなどないさ」
「あらやだ、アサツキさんったら♪」
「………使用人、もう一人いなかったか?ほら、ジズと一緒に戦った………」
独特の雰囲気を展開する二人に、アシタバは押され気味だ。
「ジャコウのことか?庭で筋トレしてるよ。いつものことだ」
果たしてそれは使用人として正しいのか。
橋の国代表アサツキの館は、彼を見習って型のない自由奔放な場所だった。
「まぁなんだ、世間話をしにきたのならたっぷりと付き合うぞ。
どうなんだ、戦闘部隊は。剣はちゃんと手入れしているか?」
「世間話をしにきたんじゃない。ツワブキに言われたんだ。
お前はカードの切り方を知らないと。集団での、意見の通し方を知らないと」
「……………ふむ?」
「教えを乞うなら、ツワブキ以外じゃあんたが適任だと思ったんだ」
「ふむ、ふむ」
おちゃらけた雰囲気を少し引っ込め、口元に手を当てる。
「………それは照り月の、ローレンティア様が提示した迷宮蜘蛛の件と関係あるのか?」
「俺も同じことを考えていた。俺もティアも力及ばずだったが。
アサツキ、お前だったらどうしてた?」
まず知っておきたかった。
集団での意見の通し方という点では、アシタバは彼を認めている。
その彼ならどう動いていたのかを。
「…………見捨てるのはなしでか?」
「できれば」
「ふむ……………そうだな。
どうしても迷宮蜘蛛を生き残らせたいのなら、軍事転用としての面を推すのが限度だろうか」
「軍事転用」
「普通のクモの、益虫としての面を補強する。蠅など害虫を捕えるあれだ。
迷宮蜘蛛を、魔物を狩る兵士に仕立て上げる」
それは、アシタバの中にはない発想だった。
「理想でいえば、戦闘部隊の最前線の門番として起用できるのがいいな。
地下から這い上がってくる魔物をせき止める防波堤だ。
それがあれば、ハルピュイア迎撃戦時のウォーウルフも難なく対処できていた。
この案において何より大事な点は、最大のデメリットである迷宮蜘蛛の敵としての厄介さも、味方故の頼もしさに転換できるということだ。
生理的にキモチ悪い、という問題も、日常から遠い戦場であれば軽減される」
「………だが、それはどうやって?蜘蛛を訓練するのか?馬みたいに?」
「知らんよ」
あっけらかんというアサツキに、アシタバは少し面喰う。
「子細を考えるのは俺の仕事ではない。
俺はただ、条件をクリアする方向性を考えただけだ」
「だが、それだけで円卓会議を乗り切れるとは思えない。
信用できない魔物より人間の兵士に門番をさせるべき、あたりに落ち着くだろう?」
「いや、七割方通るよ。賛成派は日の国ゼブラグラス、砂の国シャルルアルバネル、鉄の国グリーンピース、河の国ワトソニア、波の国ウォーターコイン、それから私と、ローレンティア様だ」
そのアサツキの余裕がどこからくるのか。アシタバはそれが知りたい。
「お前は視野が狭い。話が銀の団内で完結している。
魔物を兵士に転用しようという案が出た時、何が起こると思う」
考える。それは新たな兵士の、兵力の誕生だ。
そしてアシタバはそれに思い至った。
「…………まさか、軍拡競争のことを言っているのか?」
険しい顔をするアシタバに、アサツキはにこりと頷く。
「ゴブリンはハルピュイアを空飛ぶ騎馬として使っていたのだ、魔物が絶対に軍事利用できないということはない。
この案の素晴らしいところは、魔物兵士化によってもたらされる兵力は既存の兵力ではなく国内のダンジョン数――魔物の数に比例するという点だ。
小国は現状を覆すチャンス。大国は抑え込むべく開発が急がれる。
戦争が変わる。戦場に魔物の居場所ができる。
軍事大国の日の国、傭兵国家の砂の国は積極的にならざるを得ない。
内乱の多い鉄の国も、グリーンピースは消極的だろうが本国の方をつつけばすぐだ」
「………あんた、自分が何言っているのか分かっているのか?」
「お前こそだアシタバ。
平穏な状態の平常な貴族達が、あの化け物の飼育を許可したりはしない。
お前が成したいと思うのなら、それほどの大きなうねりが必要になる。
既存の世が瓦解するほどの」
「………沢山の命がそれに巻き込まれる。魔物も兵器としてしか価値を持てない。
兵器化した魔物に襲われる人も出てくる」
「必要な犠牲だと言っている。アシタバ、お前が望んでいることのな」
アサツキは睨み、アシタバが黙る。破滅的な計算をさも当然のように弾く。
これが、アサツキという人物。
「………分かった。これはあんたを見習おうとした俺のミスだ。
どうもツワブキの言っていることとは真逆な気がする」
アシタバは諦めたように溜息をつき、立ち上がる。
兄弟子アサツキは引きとめるでもなく、観察するような目つきでアシタバを眺めていた。
七章一話 『アサツキの館にて』




