六章五話 『その男、臆病につき』
騎士レネゲードの昔の話になる。
現在はあの【凱旋】のツワブキ率いる班のメンバーである彼は、魔王城に来る前、河の国の貴族騎士団に属していた。
ひどく凡庸な男だった。
武術に長けるわけでもなく、政治的な知見に長けるわけでもなく、話が面白いわけでもない。
ただいつも背を丸め、人の話に愛想笑いをし、武器の手入れだけは入念に行っていた。
騎士としての経験は長かったが、重要な役職についているわけでも一目置かれているわけでもない。
窓際族、とでも言い表せばいいのだろうか。
その騎士団は勇者が魔王を討伐する八年前、魔王城へと派遣されることになる。
名誉に目が眩み、兵力差の理解もできない貴族の、ひどく愚鈍な思いつきによるものだったが。
魔王軍との戦線とは離れた地で育った騎士団長は、それを了承し。
彼らは死地へと追いやられることとなる。
二十三歳のレネゲードも、その特攻団の末席を飾っていた。
現在、魔王城地下二階。
「マリーゴールドの陣解除まであと少しらしい!全員準備は怠るなよ!
ローレンティア、解除直後のマリーゴールドのフォローを頼む!」
「はい、分かりました!」
武器防具の手入れ、体の休息、ストレッチ………。
思い思いのスタイルで時間を消費していた面々は、立ち上がって開幕の準備をし始める。
待っていれば蜘蛛達は諦めて撤収するんじゃないか、と一同は淡い期待をしていたが、彼らは変わらず草原を歩き回っている。
レネゲードは依然、膝を抱えて震えていた。
貴族上がりのマリーゴールドや幼いピコティも覚悟を決める中、彼だけは顔を青くして怯え続け。
その脇にツワブキがしゃがみ込む。
「よぉレネゲード。準備はいいのか?」
「い、いい、いいわけなんかあるか………。
やっぱり俺は、ここになんか来るべきじゃなかった……。
ダンジョンにも魔王城にも………田舎で畑でも耕していればよかった。
どうして……どうしてあんたは俺を誘ったんだ!!」
涙目で訴えかけるようにツワブキに食ってかかる。
ひどく、無様にさえ見えるその姿を、ツワブキは真剣な表情で受け止めた。
「俺が、あんたを、尊敬しているからだ。
あんたは俺達が驚き羨むことをやったんだぜ。
俺はどうしても、あんたに自分の班に入ってもらいたかった。
だから銀の団に参加してもらったんだ」
「あーーーー!!!」
地下二階で決戦の時を迎えようとしてるなど全く知らず、平和な魔王城一階、食堂で【狐目】のタマモは突然大声を上げた。
「ど、どうしたのタマモ……」
側にいたコンビのモロコシも流石に面喰う。
「そーか!そーか!!あいつかぁ!!道理で聞いたことあるわけだぜ!」
納得したようにうんうんと頷くタマモに、モロコシは心配そうな顔をする。
「だ、だから何が……?」
「【狼騎士】レネゲード、だぜモロコシ。ツワブキ班の、四人目のやつ」
どうだ、と言わんばかりの顔のタマモに、モロコシも顔色を変えていく。
「狼………あぁ!!あの!!あの【狼騎士】レネゲード!!?あの人が!?」
「あぁ間違いねぇ!道理でツワブキが引き入れるわけだ。あいつファンだもんなぁ」
それは勇者が魔王を討伐した一年ほど後、英雄達の武勇伝に埋もれ、ささやかに流れた報せだった。
魔王城で、生き残りの騎士が一人発見されたのだ。
魔王城周辺を制圧し、彼を発見した先遣隊はそのひどく醜い姿に顔を歪めたという。
泥まみれ、返り血まみれ、髪と髭は伸び放題で、いつ風呂に入ったとも分からない体。
汚物が鎧を着て歩いているようだった、と先遣隊の隊長は評したという。
そうして発見されたのが、【狼騎士】レネゲード………。
魔王城周辺で一人、八年間を生き残った男の名だ。
「戦い、終わってたんですか?」
先遣隊に発見され、ぽかんとしながらの彼の第一声はそれだった。
その報せは、戦いもせず逃げ回った無様な騎士が運よく生き残ったと方々で失笑を買い。
戻った彼には誰にも名誉を与えず、属していた騎士団もつく席を設けなかった。
【狼騎士】レネゲードは路頭に迷う。
彼は知らない。
魔王城周辺の環境下を八年間生き延びた男の報せについて、探検家達が熱心に語り合っていたことを。
彼を嗤った人々は知らない。
路頭に迷った彼を、あの英雄【凱旋】のツワブキが銀の団へとスカウトしたことを。
「もう一度言う。俺はあんたを尊敬しているんだぜ」
信じられないという目を向けるレネゲードに、ツワブキが繰り返す。
「生き残りという点において、あんたほどの武勇を持つ人間を俺は知らねぇ。
人類が百年以上苦しんだ悪の陣営、その中であんたは、たった一人で八年間を生き抜いた。
生き残ったんだ。俺ぁあんたのノウハウが欲しい。
どうやって生き残った?どうやって危険を回避した?
どうやって食糧を確保した?どうやって身を隠した?
知りてぇし共に戦いてぇし、あんたの今の境遇には納得がいかねぇ。
なぁ、あんたの目から見て今の状況はどうなんだ」
「…………絶望的だ。どんな魔物であれ、その巣に入り込むのはあり得ない。
やつらの領域はやつらに都合のいいようにできている。
だから俺なら、そもそも踏み入ったりしない」
「あんたを気絶させたまま迷宮入りしたのは悪かったが、入りたくて入ったわけじゃねぇぜ。
奴らがうまく擬態していたんだ」
「それを見抜けなかったことが落ち度だった………俺なら入りはしなかった」
「………まさかあんた、分かるのか?」
「分かるかだって?」
青白い顔から、自嘲気味の顔へと移っていく。
「分かるようにならなきゃいけなかったんだ」
魔王城に着いてすぐ、同胞たちは死んだ。
策もなく、己の力と由緒ある騎士団の経験を誇り、それが未知なる魔物と魔王城に通じると信じての特攻だ。
その時にレネゲードが生き残ったのは非常に運が良かった。
騎士団を蹴散らしたトロル達に、レネゲードは死んだふりをして対応した。
できるだけ仲間の死体を被り、できるだけ血の臭いを纏った。
幸運だったのは、トロル達の腹がそれほど空いていなかったこと。
念のため、とトロル達が死体の山に振り下ろした棍棒が、レネゲードに当たらなかったこと。
トロル達が撤収してから掃除係の魔物がくるまで間があったこと。
そのおかげでレネゲードは彼らの死体を離れ、身を隠すことに成功した。
彼は最初に、自らの体を泥に浸した。
狼然り、血の臭いを追って自分を見つける魔物がいるとも限らない。
泥の臭いを身にまとって木陰に身を隠し、息を殺して初めての晩を乗り越える。
仲間の死。孤独。人外の領域。時折聞こえる魔物の鳴き声。
今まで過ごした日常は遠く、遠く。彼の人生で最も長い夜だった。
退却するか?
いや、人と魔物の交錯地点でこそ、殺気だった魔物と血、争いが色濃くなる。
魔王城付近にいる今、国へ戻ろうとするほど戦場に、凶暴な魔物達に近づくことになってしまう。
彼はどこまでも臆病だった。
それがツワブキが彼を尊敬する所以、探検家としての天性の才能で、彼を生存させる所以になるのだが………。
その臆病さが、彼に魔王城周辺で隠れ生き残れと決断させた。
生命に敬意を払い魔物を食すアシタバとは程遠い。
彼は今日の食糧を確保するため、魔物を殺し食さなければならなかった。
早い段階で討ち取りやすいスライムから真水が取れると気付けたのも幸運の1つだったろう。
臭いを取るため泥につかり、魔物の遺物を身にまとい、時には見るのも躊躇う魔物を解体して食べた。
仲間が消えても気にかけないような、原始的な生物を集中して狙い、自分という存在を気取られないことに専念する。
人としての尊厳は捨てるだけ捨てた。
楽しみも喜びもない、孤独と恐怖ばかりの日々。
それでも彼は生きた。生きて、生きて、生きて。
「なぁ、あんたはどうして生き残ろうと思ったんだ」
現在、ツワブキがレネゲードに問う。
「八年間。いっそ死んだ方がと思い至るには十分な時間だ。
自決に思い切ったりはしなかったのか」
それは。
そこだけは、レネゲードという男が怯えずに決断した部分だった。
ようやく彼は、ツワブキが尊敬するに相応しい一人の男の顔つきになる。
「………どうしてだって?死んでたまるかと思ったからだよ。
こんな、クソみたいなダンジョンの中で。
俺は、帰らなきゃいけないと思ったんだ」
帰還した彼を、誰も迎えはせず。
人々は生きるため奔走し続けた彼を、逃げ回ったと嘲笑した。
彼が守る戦士、騎士に志願した理由である故郷は既に、魔王軍の侵攻を受け滅ぼされていて。
八年間、彼が帰らなければと思い続けた場所は、既になくなっていたのだ。
もう、諦めようと思った。
八年間彼を囲い続けた魔物にもう一生関わる気はなかったし、このままどこかの田舎で地主に頭を下げて、畑を貸してもらおうと思った。
それを。
それを、この男が割って入って滅茶苦茶にしたのだ。
「俺もおんなじだよ」
ツワブキは悪びれず言う。
「こんなところで死ぬわけにはいかねぇのさ。
だから力を貸してくれ、レネゲード。
あんたの八年間、その経験が必要なんだ」
自分をスカウトした時と同じセリフを言う。
血を吐き、駆け回り、必死に繋ぎ止めた八年間を。
それでも嗤われ、意味もなかった八年間をまっすぐ見据えた、その姿が。
彼に、再び魔王城へ来るという決断をさせた。
「………そこの蜘蛛には気付いているのか」
レネゲードは陣より三歩先ほどの、草原の床を指した。
「………あれもなのか?」
「蜘蛛だ。背中の岩盤を土の塊にして、草を植えているんだろう。
周りの草むらとは少しパターンが違う。他にも幾つかいるぞ。
穴を隠しているというわけじゃなく、これはトラップに近い配置なんだろうな。
踏んだ瞬間襲いかかってくる」
「………………」
ツワブキはようやくその男の才能を見た。【狼騎士】レネゲード。
魔王城周辺で八年間のサバイバルを成し遂げた彼は、地下二階の攻略に携わった他の十五人誰もが気付かなかった、魔物の気配を感じ取る感覚を持っている。
銀の団で一番の、感知者だった。
「…………頼むぜ、レネゲード。
それが必要だと思って俺は、あんたをスカウトしたんだ。
あんたが頼りだ。迂回路を塞ぐ蜘蛛を見つけてくれ」
「守らなきゃいけねぇんだ」
と、レネゲードをスカウトした時のツワブキは言った。
「勇者のやつに何度も頭を下げたんだが、魔王城の内部に関して何も喋りやがらねぇ。
銀の団は全く未知のダンジョンへ踏み入ることになる。
俺はその中で、手前の命と仲間を守らなきゃいけねぇ」
土下座、だった。
英雄と称賛されたかの人物は、額を地面にこすりつけ、抵抗を見せるレネゲードに向き合う。
「少しでも才能が要る。
………穏やかな余生を過ごしたかったか?それなら申し訳ねぇ。
だが、危険が伴っても愉快な日常を約束する。
俺の名にかけて、もう誰にもあんたを嗤わせねぇ。
だから頼む。俺に、力を貸してくれ」
それが願いというものだ。
泥まみれになって、血まみれになって、尊厳を捨てて、プライドを捨てても。
成し遂げたいと、思うもの。
銀の団戦闘部隊、十六人が一列に並ぶ。
全員が、草原のフロアの1つの隅にあった洞窟を見ていた。
あれが、おそらく地下三階へと続く道だ。
「全員、準備はいいかぁ?作戦は頭に叩き込んだな?
マリーゴールド、俺が合図したら陣を解除しろ」
ツワブキの声を、レネゲードは澄んだ顔つきで聞いていた。
彼は思い出したのだ。騎士と呼ばれる者達が持つべきものを。
それは決して、称賛によって形成されるものではない。
礼節や気品、ましてや血筋が必要なわけではない。
正義でも、義勇でも忠義でも、何かを守りたいと思う気持ちでも構わない。
自らの行いに芯を通す。それは誇りと呼ばれるものだ。
「5、4、3、2、1―――――」
レネゲードはツワブキという男の、力になりたいと思ったのだ。
「行くぜ!走れぇ!!」
陣が解かれる。
十六人が一斉に、蜘蛛の海へと駆け出した。
六章五話 『その男、臆病につき』




