二十四章九話 『私を選んでくれたから』
「君の父君は、私が殺した」
そうスノーフレークに告げたのは、ジャコウと対峙してから……クランプール卿が亡くなってから三日後のことだ。
その間私は葬儀の準備を含め、クランプール家に出入りし彼女を支えるふりをし続けた。
けれど彼女はどこかで勘づいていたのだろう、父の仇が自白しても大して驚かなかった。
「……そうではないかと思っていました。父はきっと貴方を狙っていましたから……」
「私を恨むか?」
「………いえ。貴方も命が脅かされたと思います。父がやり返されるのは仕方がないでしょう」
表情は沈んだまま。そう簡単に言い切れる類の話ではないだろう。
「そうか……ではもう一つ、酷な話をしよう」
未だ父の死を消化しきれていない彼女へ、私はまた言葉を投げかける。
「クランプール家の当主が死んだ。河の国王家は今、どう動くべきか迷っているはずだ。
君がどこぞの誰かと結婚すれば、情報漏洩リスクは一気に高まる。
早く君の夫を用意しなければならない……だが、不自然に婚姻を進めれば逆に目立つ。
君の父上の役目を受け継ぐ人材の準備。
君との婚姻が不自然では無くなるまでの、外部への印象を醸成する期間。
それらを得て君の婚姻を成立させなければ……君の監査役を新たに配置しなければ、河の国王家は心が休まらないだろう」
スノーフレークは僅かに顔を曇らせた。
父が死んだからといって、道具として生まれた彼女の道が変わるわけではない。
「それが始まれば、君の人生の死ぬまでの全ては決まってしまうだろう。
逆に言えば……君の選択を差し込むなら今しかない」
スノーフレークが顔を上げる。
それは、彼女の人生に初めて現れた選択で、自由だったはずだ。
「河の国に服従を誓う者が新たに現れれば、王家も妥協点を模索するかもしれない。
私ならその役を演じられる。
そして……河の国が寄越す監視役よりは、君の夫を真摯に務めて見せよう。
教えてはくれないか。
このまま河の国王家に従い、彼らが用意する人生を受け入れるのか。
それとも、親の仇と夫婦になってでも自由の可能性に賭けてみるのか。
君は、どちら側の人間だ?」
私の提案は、自分は従順な貴方の犬ですよと、河の国王家に売り込むということだ。
彼らの靴を舐めにいくような真似は、以前の私なら絶対に選ばなかっただろう。
誰かの配下に下りに行く。上昇志向の価値観とは真逆。
けれど、こうするしかないと私は思ってしまったのだ。
ここでこのまま、尻尾を巻いて彼女から逃げ去るというのなら……見捨てるというのなら。
それこそ、私のプライドが損なわれてしまうと、そう思ったのだ。
「…………」
しばらく真顔で私を見つめた、あの時のスノーフレークの表情はよく覚えている。
結果的に、彼女は私と夫婦になる決断したが……その時の本音を、私は知らない。
「俺、アサツキのこと何も知らなかったんだな」
円卓会議の帰り道。
アシタバとローレンティアは、アサツキと帰路を共にした。
一番上の兄が、あまり自分を語らない性分なのは知っている。
けれど。仇花。河の国との関係………今日明かされたことは、想像の遥か上だった。
「アスナロのことも………俺はよく分かっていないみたいだ」
「あの愚弟のことはあまり勘定に入れるな。正直、私でも読めなかった」
アシタバが森の国で見た、兄アスナロの裏切りはアサツキにも伝わっていた。
「だがなアシタバ、私もお前が、サキュバスの子供を妹として匿ってるなんて思わなかったぞ」
「それは………」
アセロラのことだ。申し開きのしようもない。
「責めているわけではない。ただ、そういうものだ。
我々は別々の人生を生き、価値観を育み……そして全てが折り合うというわけではない」
「………俺は、アサツキの味方でいたいと思っているよ」
「阿呆、それはこちらも当然だ」
弟アスナロの裏切りを経てもなお、アサツキは長兄らしく笑う。
「ナタネさんは監視役なのか?出身、河の国だったよな?王家のスパイってことか?」
「あぁ、その通りだ。ナタネは河の国へ定期的に報告書を送っている」
「…………」
「ま、出会い方は、の話だがな。今はこっちに引き入れている。色々と報告内容を調整してもらってるよ」
「………なんかアンタと部下の関係は気持ち悪いなぁ」
「気持ち悪い?」
「なんつーか……敵なのか味方なのか、本音なのか建前なのか」
「ははっ、やり方が河の国に染まったのかもな」
アサツキは自嘲するように空を見上げる。
その道のりがなだらかでなかったことは、容易に想像できた。
「弟よ、私のことが信用できないか?」
「いや」
アシタバは、すぐに断言する。
「俺もアセロラの面倒を見たから分かるよ。
誰かから兵器と呼ばれる人を、守って共に歩いてきた………。
それって適当にできることじゃないだろう。
兄貴も積み上げてきたんだ……俺は、信頼に足ると思うよ」
「…………そう言ってくれるか」
アシタバの言葉ほどに、私は私を正しい人間だとは自覚していない。
邪魔だと思えば、人を消すという発想が出てくる男だ。
スノーフレークとの婚姻も打算的……彼女に恋愛結婚を迫ったわけではない。
「ナタネ、少し手を緩めろ。死んでしまうぞ、そいつ」
過去の記憶。スノーフレークと婚姻を表明した二週間後のことだった。
クランブールの館の一室で、俺は壁に抑えつけられていた。
右手で喉仏を抑え、左手で持った小刀を首筋に当てる。
当時のナタネは今と違って、刹那の内に俺を殺してしまえるのだという気迫があった。
「…………分かりました、殿下」
彼女の顔の向こう、部屋の中央に佇んでいたのは、当時の河の国の王子、ラークスパーだった。
橋の国のしがない貴族の館に、他国の王子……異常事態だ。
お忍びの電撃訪問。スノーフレークは腰を抜かしたように床に倒れ、呆然と彼を見上げる。
ラークスパーの周囲を護衛のように、ナタネとは違う白装束の女どもが囲っていた。
いや……彼女たちもスノーフレークと同じ、”仇花”だったのだろう。
「さて………先代の急死には哀悼の意を表すとして………問題はその後だ。
勝手な婚姻と家の襲名。好き放題してくれたものだな」
ラークスパーの冷えた目が私を射抜いた。
人の館に土足で上がり、家の継承に口出しをする………。
通常ならばどの口が、と言いたいところだが、この家の事情が特殊。
目の前の男に全てを掌握されている。今は、この私の命でさえも。
「………大変な失礼をしたとは思っております」
目の前の男から発せられた第一声が、横暴に対する怒りでなかった事を見るに、ラークスパーは私を事情をある程度理解し、話せる人物だと認めたらしい。
「どこぞの馬の骨かは知らんが、深入りしすぎたな。貴様の命は今日までだぞ」
「貴方がそうご判断されるなら仕方のないことだと思っています」
演じたのは、従順。自らの命さえ、相手の決定の前では手放す。執着や野心は見せない。
「貴様………何故このようなことをした。この家への肩入れの話だ」
「理由で御座いますか」
演じたのは―――。
「私は、そこのスノーフレーク嬢に心を奪われてしまったのです」
場の空気が止まった。護衛の女たちが、ラークスパーが……スノーフレークでさえ、私に理解できないものを見る目を向ける。
「心を奪われた?」
「はい。ですから、この家に立ち入ってしまったのです。
お父上を亡くした彼女の姿を見て、その支えになりたいと決断しました。
婚姻をした後にクランプール家の秘密と、貴方方との関りを知って……それでも決意は揺らぎませんでした」
「逃げなかったんだ。私達が来るまでのこのこ待ってたと」
黒と黄の髪色の、護衛の女が呟いた。
「ま、父君を亡くした彼女にウチらの意向をくみ取って動くのは無理だったろうぜ、殿下。
クランプール卿は主体性を無くすように娘さんを育てただろうし」
「可憐なお嬢さんだからねぇ。子羊が野山を歩いていれば狼が黙っちゃいないよ」
隣にいた護衛の女が続く……短髪で演劇の男役のような麗人だ。
「その男が事情を知れたのがいつか、次第かな。
今回の婚姻が橋の国の貴族界に公になってしまっているけど……。
その後に事情に触れたのなら、取り返しのしようはもうない。
君にできるのはこの館で私達を待ち、下される裁定を受け入れる、というわけだ」
「………シロザ、お前はどう思う?」
ラークスパーに話を振られた、白装束の中の一人が顔を上げる。
「この男を信用するに足る材料は何一つありません………が。
今の状況から、代役への交代が困難であることも確かです。
使えるのであれば使うべき、と提言します」
「ふむ………ナタネ、こいつを跪かせろ。顔は上に、だ」
膝裏、他にも幾つか、体に痛みが走る。
気付けば私は床に正座し、両手と顎を背後から固定されていた。
あぁ、その光景は今でも忘れることができない。
ラークスパーと護衛の女達が、跪く私を見下す。
「我はお前の一切を信用しない。だが役者が必要なのも確かだ。
そこの女の夫となって、先代の役目を継ぐ監視役がな。
お前はそれに立候補した、ということでいいのだな?」
上に、上に登らなければ人生など意味がない。
俺は高きへと昇りたかったのだ。目の前の奴らが座っている、その椅子にだ。
だからこそ……あの日ほど、屈辱的な日はなかった。
「はい、私の誠心誠意を込めて、貴方方に尽くさせて頂きます。
お望みならば何でもやり遂げましょう。
その代わりに……どうかお願いです。彼女の傍にいさせてください」
私は貴方方にとって便利な存在ですと媚びる。
自分の尊厳も、人生も、意思決定も何もかも。差し出して相手からの慈悲を乞う。
奴隷のような、物乞いのような。相手の靴を舐めるような。
苦痛だった。可能ならば、俺を見下す目の前の奴らを殺してしまいたかった。
「ふむ………相変わらず胡散臭い男だが」
ラークスパーの漆黒の目が、私の瞳を覗き込む。
「驚いたな。恋心は本物のようだ」
何を言っているんだ、馬鹿め。騙されやがって。
などという本音は表情に出さず、私は真摯に相手の言葉を受け止める。
「いいだろう。追って沙汰を出す。貴様はひとまずこの館に留まり、悪目立ちせず過ごせ」
私は何とか、クランプール家の領主として認められることになった。
河の国王家から最低限の信頼を得るために私がした事を知れば、アシタバは軽蔑するだろう。
それでもラークスパーは結局、私を完全に信用しなかった。
目付け役として帯同させたナタネのことも、本当は疑っていただろう。
クランプール家から情報が流出したとしても、モントリオにやったようなとかげの尻尾切り。橋の国への責任転嫁。手段は幾つも用意していたはずだ。
しばらく経つと、河の国から魔王城行きの貴族として立候補しろと指示が来た。
河の国の密偵としての役目。率直に言って、王族会議直属の公的機関に仇花を送り込むなど、情報漏洩のリスクが高まるのではと思っていたが。
バノーヴェンの大災厄を経ると考えが変わった。
ラークスパーにとっては、仇花が露呈してもいいのかもしれない。
仇花に纏わる技術自体は、私たちからは流出しようもないし、何よりーーー。
その方が、魔王城に攻め込むいい口実ができる。
「………今日の王族会議で、お前のことを打ち明けた」
円卓会議の日の夜。アサツキの館の、夕食のテーブル。
アサツキの独白に、スノーフレークは僅かに目線を上げて答えた。
「仇花六花のことが議題に上がってな。仕方がなかった。
もしかするとどこかから情報が洩れて、お前の身に危険が及ぶかもしれない……すまないな」
「よしてください。私は構いませんよ」
「いずれにせよ……いよいよ、銀の団は河の国と戦うことになりそうだ」
「あらあら、じゃあナタネに伝えてあげないといけないですね。
あの子、きっと手を叩いて喜びますよ」
「王家嫌いに拍車がかかってるなぁ」
アサツキはため息をつき、窓の外を眺めてみる。
空に昇る月、所々で松明が揺らめき、魔王城が高々と聳え立つ。
思えば、長い旅路を経てここにきた。
「色々と、勝手に決めてしまってすまないと思っている」
夫からの珍しい謝罪に、スノーフレークはきょんとする。
「色々と?」
「お前の父のことも。結婚のことも。河の国とのことも。今回のことも。
私はいつも勝手に決めて、君を振り回してきた」
「ふふ、やめてください。感傷的になっているんですか?
あなたは本来、そういうことを考える人ではないでしょう」
妻は私のことをよく分かっている。その通りだ。
何にしても自分が一番に来て、他人のことは二の次だ。
「確かに色々と突然ではありましたけど……でも私、今は楽しいですよ」
「………楽しい?」
「えぇ」
「父親の仇なのに」
「それは事実です。それでもあなたは今日まで、私の手を引いてくれたでしょう?
どのような困難に見舞われても、見捨てないでいてくれた………」
それは、俺が見捨てられなかったから、というだけだ。
谷の国が滅んだあの日、俺がどうにかできていたらスイカを救えていたんだろうか、とよく考える。
滅びゆく国に縛られたスイカが、生まれた宿命に囚われた彼女と重なってしまった。
だから……手放せなかったのだ。
ラークスパー達に頭を垂れ、俺の尊厳を汚すとしても。どうしても。
「あなたは自分で決めたというけれど。
そういうあなたについていくんだと。あなたの妻になると決めたのは私の意志ですよ」
「………君が思っているほど私はいい人間ではない」
「そう?まぁ、頑固なあなたを説得できるとは思っていないけれど」
フォークを置き手を組むと、スノーフレークは年頃の娘の様にいたずらっぽく笑った。
「でもこれからも、私の夫は真摯に務めてくれるのでしょう?」
同刻。
「もうちょっとだよノースポール!!根性根性!!」
魔王城に続く坂道を、よろよろと昇っていく一同がいた。
【解体少女】アセロラ。【殲滅家】ストライガ。斑の一族、【死神】のナギと、ナラ、ヒバ。
探検家【灰狼】のキリンと【黒猫】チョロギ。彼らに見張られている森の国からの帯同者、騎士ノースポールと使用人カンパニュラ。
探検家【尾切り】のメントンと、【鷹狩り】のパキラ。そして、”白き呪い”のオリヴィエ。
「ほら、あとひと踏ん張りで魔王城だから!!」
仲間を鼓舞するのはアセロラだ。
森の国から脱出し、河の国でメントン達を回収しつつも敵の追手から逃れた一行は、長旅の疲れに見舞われ始めていた。
最も息が上がっているのはノースポール。騎士とは言え老体に長距離移動、もはや気を失ってもおかしくなさそうだ。
「はっ……はっ……なんだってこんな山の上に………」
「元は魔物達の都だからな~人間が来やすいようにはできていねぇわなぁ~」
【黒猫】のチョロギが呟く。
兄を探しに。アセロラを連れ戻すため。森の国から流れで。河の国で命を狙われたから。
個々の理由で合流を果たした奇妙な一団は、この夜魔王城入りすることとなる。
「はっ………くそ……どうせ意味ねぇよこんなもん………」
「意味ねぇってのは~?」
「お前も見ただろうが……あの河の国の、なんだかわかんねぇ化け物……。
森の国だって王宮は魔物に支配されてやがった。
日の国も開戦寸前の雰囲気だって聞くぜ。
王族会議がグシャグシャになって、様子のおかしい国が三つだ。
どこに逃げようが変わんねぇ……いや、むしろ中心地に来ちまった。
でっけぇ戦いが、すぐに俺達を飲み込んじまうんだ」
王城の仲間を賢人馬に皆殺しにされたノースポールは、諦観をよく吐露する。
「ここも壊滅するぜ………誰もいなくなっちまった……あの城のように、もうすぐな」
その泣き言のような呻きを、先頭に立つアセロラが静かに見つめていた。
丁度あの記憶も、国が壊滅した後だった。
大分後に、そこが谷の国近方の谷底だったと知る。
人気はなく。時折魔物の雄たけびがして。とても怖かったことを覚えている。
アシタバは足を引きずっていた。怪我は十分治っていない。
それでも幼い自分の手はちゃんと握って離さなかった。
「安心しろ、アセロラ」
痛みで朦朧としていたのだろう。うわ言のようにアシタバは呟く。
「きっと………楽しいところに辿り着く」
満身創痍で、ボロボロで。彼の言葉を信じられる根拠なんて、どこにもなかったけれど。
その言葉は幼いアセロラの中に、灯台のように灯った。
「大丈夫だよ、ノースポール」
魔王城が見えてきた。アセロラは目を細めて幼き記憶を、そして久々の帰郷を懐かしむ。
「悪い奴らがいて、世界がどうにかなっちゃいそうでも、きっと大丈夫だよ」
兄に手を引かれて、ここまで来た。
魔物の血が半分流れている自分がどこに行き着けるのか、不安だったけれど。
魔王城の日々は楽しくて。
そして自分を背負ってしまった、兄にかかっていたと思っていた呪いはもう解けていた。
森の国で会った時の、あの顔つきを見れば分かった。
すぐに橋の国へ、ローレンティアの下へ向かうと決断した、あの横顔を見れば分かった。
兄はもう、自分の仲間が誰なのかを間違うことはなく。
そして、優先順位をちゃんとつけ終わったのだ。
「呑気な奴だな。なんでぇそう言い切れる」
「分かるよ」
依存は、終わり。
「だってここには、お兄とローレンティアさんがいるから」
照り月、初旬。
探検家アシタバの二代目戦闘部隊隊長への就任と共に、二つの出来事が起こった。
一つ、円卓会議での、橋の国代表アサツキによる”仇花六花”の告発。
二つ、河の国で実際に襲われながらも逃走に成功した、探検家メントン、パキラ達の銀の団への合流――彼らの証言による、仇花六花の裏付け。
これらにより、満月文書の提言、河の国の裏切りは決定づけられた。
世界は戦争へ傾く。敵は決まった。それらへ、銀の団はどう立ち向かっていくのか。
率いるのは銀の団団長ローレンティアと、戦闘部隊隊長アシタバの役目だ。
二十四章九話 『私を選んでくれたから』
第二十四章 了