二十四章三話 『マンドレイク』
翌日、アサツキの館。
「久しぶりだな、アシタバ。ここに来るのはいつぶりだったかな」
対面に座るアサツキは、館の主らしくのびのびと寛いでいた。
相も変わらず、スノーフレークがお茶を差し出してきて、使用人の二人は庭をぶらぶらしているらしい……自由な館だ。
「体はもう大丈夫か?明日は送魂式だっただろう。あまり無理をするなよ」
「問題ない。それより………蝙蝠男の話、教えてくれ」
アサツキが蝙蝠男の一体を討伐したことは聞いていた。
けれどその討伐方法自体は、彼と王妃マーガレットの間での秘密とされ、橋の国でも、帰りの馬車でも聞くことはできなかった。
「戦いの後、他の戦歴も見返してみたけど……蝙蝠男にはみんな苦戦していた。
対してあんたは無傷だ。悪いが、実力を考えると違和感がある。納得できない」
「それは兄に対して酷い物言いだな。私には優秀な部下もいる。
闇討ちで一瞬で済ませた……という可能性は考えないのか?」
「悪いが、俺にはもう分かるんだ」
対面するアシタバの両眼からは、虹色の羽が浮き出ていた。
「前に会った時は気付かなかった………けどこの目ならよく見える。
背中から体中に流れるマナ……ズミの奥さんと同じ、”仇花”だ」
見た目に現れる異能と自信……アサツキは図星を隠せず沈黙した。
あらあらと、スノーフレークが困った顔をする。
「…………そのお前の目とやらの話はしてくれないのか?」
「興味があるなら教えるさ。あんたの話を聞いた後でな」
「ふーむ…………」
アサツキは言葉を止めて、窓の外を見た。
アシタバの時空の交差点の修行の成果は、アサツキから見たら唐突で奇妙に映っただろう。
けれどそれはアシタバも同じだ。自分の兄が、知らない間に仇花の女性と夫婦になっていた?
「今はまだ言わん。だが約束しよう。然るべき時には言う」
その答えは少しばかり、先送りになってしまったが。
「それほど遠い話ではないはずさ、これはお前たちの企みとも関わる話だ。
お前と、リンドウ陛下が水面下で推し進めていることが日の目を見る時に、私も説明に応じよう」
森の国では、もう一人の兄たるアスナロと対峙することになった。
正直、人格的な危うさではアサツキの方が心配だったぐらいだ。
でも、今目の前にいる兄は……なんとなくだが、味方だと確信ができた。
「分かった………それまで待つよ」
「ほほぉ、よく作ったじゃねぇか!」
同刻、地下八階。
マンドレイク畑の周りには、ちょっとした人だかりができていた。
状況の確認に来たのは十人。ローレンティアとキリ。
タマモ班、【狐目】のタマモ、【狸腹】のモロコシ、ズミ、魔道士グロリオーサ。
ベニシダ班、【荒波】のベニシダ、サンゴ、シンジュ、魔道士ニーレンべルギア。
迎え入れるのはゴーツルー、ガジュマル、ハイビスカスらディフェンバキア班だ。
完成した囲いに喜ぶタマモには、ゴーツルーが応じた。
「はは、まだまだ突貫工事よ。周辺はハイビスカスの常庭で覆ったから、周囲の柵は人間が間違って入らない用の軽~いやつだしな!
風通しとか日当たりの条件変えたくなかったから、しっかりした囲いといや天蓋にネット張ったくらいだ」
「上からなんか落ちてきたら怖えぇもんなぁ」
「んでどうするんだ、こいつら」
「霊薬にするのよ、ふふふふ…………」
ゴーツルーに答えたのは、魔道士グロリオーサの方だ。
「マンドレイクから作れると言われる幻の秘薬……ふふふ、こんなところで機会が巡ってくるなんて……」
「あぁ………エリクシル………」
悩むようなタマモに、サンゴは不思議そうな顔をする。
「なんすか?そのエリクシルって……いや、なんか名前は聞いたことあるかも!
ド級の値がついていた超絶レア物だったような………」
「霊薬は昔、河の国の地方で流行った薬だね。
ちょうどその地方都市の近くにマンドレイクの繁殖地が見つかって、利用研究も進んだんだ」
【狸腹】のモロコシが補足を入れる。
「霊薬に限らず、マンドレイクの利用価値はその時に発見されたものになる。
痛み止め、ボケ防止、増力剤に……媚薬ってのもあったね?
結局は、マンドレイクの枯渇に合わせてその市場も消滅して、今はどれも幻の秘薬扱い……」
「んで、グロリんの霊薬っていうのはなんの薬なの?」
「………霊薬の効果は、魔力の回復よ」
グロリんを無視して、グロリオーサはシンジュの質問に答えた。
手にした古めかしい本を愛おしそうに撫でる。古い魔道関連の書籍のようだが………。
「回復といっても即効性のあるものじゃないわ……正しくは回復速度の増進。
例えば魔力回復に三日かかるのを一日に短縮するとか……。
戦場で使えるものでも、窮地に役立つものでもなかったから需要は少なかったけれど……」
「ピーキーってやつ?」
モロコシの相槌に頷きを返す。
「でも魔法の歴史上、魔力の回復に関わる部分に干渉できたのはこれだけ。
それに使いようがないこともないわ……。
顕著なのは、数日おきに魔力を空っぽにするような魔法行使の予定がある場合。
つまり………究極魔法の修行よ」
グロリオーサがローレンティアの方を向き、にやりと笑った。
以前の霊薬の製造者は、グロリオーサの母親の知り合いで。
グロリオーサの持っている本は、彼女の手記らしい。
そこに載っている手順を辿れば、恐らく霊薬の製造は可能……なんだとか。
「恐らく、ねぇ………。ま、それに限らずマンドレイクは調薬での人気素材だ。
安全面は昔の河の国でも実証されている。
つまりカルプンコと同じで攻略しときたいとこ……あれだ、銀の団の主要産業ってやつ?」
タマモは改めてマンドレイク畑を見渡す。
霊薬云々は置いといて、ここの安定化は早めにしておきたい。
こほん、とモロコシが説明役を請け負う。
「じゃあ、魔法的、市場的な話の後は魔物的な話をしようか。
マンドレイク。見ての通り根菜に似た形をする。植物魔物になるね。
生息条件は分かっていないんだけど、たま~にダンジョンの奥地で出くわすこともあれば、意外と人里近いところに繁殖することもある。
この辺の種の散布は、妖精と祝福兎が手伝ってるんだろうね。
彼らは結構暗い土地でも繁殖する。この谷底もそうだ。だから日光で育つというよりは、地中、魔素を吸って育つんじゃないか、って推測されている。それで薬にも応用されるんだろうね。
そして最も注意するべきは、彼らの絶叫……これは一般層にも注意喚起が知れ渡っているから、みんなも聞いたことはあると思う」
「マンドレイクも魔物だけあって、防衛機構を備えてるってことだな」
タマモが説明役を交代した。
「奴らの持つ唯一動物的な習性……奴らは地面から引き抜かれようとすると藻掻き、完全に地上に出ると叫ぶんだ。
その声には、奴らが蓄積した魔素が乗る。魔法の一種だろうな。
効果は気絶。悪い場合……恐らく魔素が過分に蓄積されていた場合は、死に至ることもある。
それでなくとも、ダンジョンの奥地や獣の徘徊する森で無防備に気絶して、無事だった奴の方が少ないがな」
「要はどうやって抜くかが肝、ってことっすか」
ディフェンバキア班ガジュマルが熱心にメモを取っていた。
「以前は河の国でよく扱われていたんすよね?
ってことは、引き抜き方も確立されているんすか?」
「いや、その時は奴隷に引き抜かせてた。気分悪りぃ話だがな」
タマモがため息をついた。
「命がけのルーレットだ。気絶で済んだ奴は報奨金。死んだ奴はそれまで。
そうやって奴隷に引き抜かせて、肝心のブツは領主が総取り。
その後出回ったマンドレイクも、関わったのは悪どい探検家連中だ。
真っ当な手段で手に入れちゃいねぇ……ま、魔王城では真似できねぇなぁ」
うーん、と一同は考え込む。
「耳栓は意味ないんですか?」
「それぐらい試したさ。マンドレイクの叫びは物理的障害を飛び越えるらしい」
ズミの意見をタマモは却下する。
「犬とか、何かカラクリを使って安全圏から掘り起こせないのかい」
「言ったろ、マンドレイクはもがくんだ。人の手じゃなきゃ逃げられる」
【荒波】のベニシダの提案はボツ。
「周囲の土をくり抜いていって、引き抜かずに丸裸にしちゃう……とかは?」
「いっそのこと頭ちょん切っちゃえば、叫ばなくなるんじゃないっすかー!?」
「その辺も過去に実験例がある。
半身が出た時点で叫ぶし、葉っぱ切るとかでも過敏に反応するらしいぜ」
シンジュやサンゴの提案も駄目。
「ここに水流引いて土を押し流せば、藻掻いて逃げられることもなく、遠距離からマンドレイクを丸裸にできるんじゃないっすか?」
「お……おぉ………」
思わずタマモが感嘆の声を上げてしまったのは、ガジュマルの意見だ。
「お前……発想のスケールがディフェンバキアさんの弟子らしくなってきたな。
前提条件ごとぶっ壊す環境構築、いいセンスだ。
だが今回はマンドレイク達の繫殖した環境は保全したいから、ボツだな」
「ワタシ、うた、うたウ!!」
びしっと手を挙げたベニシダ班、魔道士ニーレンベルギアにタマモはにっと笑う。
「あぁーそうだ。音には音、絶叫には歌声だ。
そもそも嬢ちゃんの歌は味方強化の効果って聞いてるぜ。
どうなんだい大将、その辺見込みはあんのか?そこが今回、あんたらを呼んだ理由なんだが」
話を振られた【荒波】のベニシダがふむ、と考える。
「ま、元々人魚の歌声に対抗してたこともあった。
敵さんの限度は分からんところがあるが……。
理屈から言って、この子の加護下なら非接触で死に至るような影響はないはずさね」
「よし、じゃもう一つ。ハイビスカス、お前の魔法で遠隔でマンドレイク引き抜くのは?」
「勿論。ツルでぐいっと抜いちゃうよー」
満面の笑みの回答に、タマモはバシンと手を叩く。
「よっしゃ、じゃあ作戦は決まりだ。
まずマンドレイクの叫び声が聞こえないくらい十分距離を取る。
その上で、ニーレンベルギアに歌ってもらって俺達の身を守る。
そしたらハイビスカスの遠隔操作でマンドレイクを引き抜きだ!!」
結論から言うと、この作戦は失敗した。
ハイビスカスがマンドレイクを引き抜いた瞬間、タマモ達の下へマンドレイクの絶叫が響き渡った。
原因は推測でしかないが、マンドレイクの叫びは音波のみならず、魔法回路的に伝達をするものだった。
故に、彼らの絶叫はまるで糸電話のように、ハイビスカスの”常庭”の導線を伝って彼女たちの元に届いてしまったのだ。
「……………っ!!」
タマモが、ニーレンベルギアが、キリが、目の前にいた仲間が倒れている。
ローレンティアはそれを呆然と見つめていた。
絶叫が響き渡る寸前――黒き呪いが湧き出、彼女の両耳を塞いだ。
音が遮断され、その後バタバタと視界内の人たちが倒れていった。
いや、気絶を免れたのはもう一人。肩を叩かれて、ローレンティアは素早く振り向く。
「ベ、ベニシダさん!!」
「いやー、団長さんが無事でよかった。一人だけだとキツかったが、とりあえず気絶した奴らの身の安全は守れそうさね」
場にいた十三人の内、十一人は気絶。残ったのはローレンティアとベニシダの二人だけだ。
「保険の保険で耳栓しといてよかったよ。
あぁ、モノじゃなくて魔力を耳に集めるんだ。人魚対策でたまにやるのさ。
団長さんも反応できるとは、嬉しい誤算だったねぇ」
いえ、自動で反応してくれたんです。とは一旦言わないでおいた。
「とは言え、至近距離で聞いたらやばかったさね。
接触してたら猶更……引き抜き役に耐えうる耳栓とは言えなさそうだ。
まぁ今は、気絶した獲物を狩る漁夫の利狙いの魔物がいるとも限らない。
団長さんは周囲の警戒と防衛をしておくれ。あたいはこいつら揺すって早めに起こすよ」
「分かりました……私も、ベニシダさんが気絶せずにいて下さってとても安心しました」
「はは、そりゃあそうだろう。大事な仲間だ。二回も三回も同じ目に合うわけにはいかないさ。
できる備えはしておくよ」
笑っているけれど、笑っていない。と、ローレンティアは思った。
気絶するサンゴ達を見守るベニシダの目に映るのは、かつてのベニシダ海賊団の壊滅の時のこと。
クラーケンに海賊船を粉々にされ、海に消えていった多くの仲間たち。そして。
「早速作業に取り掛かろう。まずはハイビスカスかねぇ」
仲間を失ったのは、ヴァンパイア血戦でも。
戦いの後の、彼女の気の落ち込みようはローレンティアから見ても酷かった。
ある日は茫然と佇み、ある日は酒に溺れる。
魔王城に戻るまでに元に戻れたのは、部下に情けない姿を見せないため、という想いがあったからかもしれない。
あんたが死ぬなんて思ってもいなかった。とは、酒に酔っていた時に彼女が零した言葉だ。
【凱旋】のツワブキの死が、確かに彼女の中にも流れているのだろう。
「はぁーー……かつての慎重派の俺がどうしたことだぁ?
やっぱ似合わねぇ真似するもんじゃねぇのかなぁ」
その日の夜。先日と同じように、【狐目】のタマモが食堂で書類仕事と格闘していた。
対面には【狸腹】のモロコシが座り、仕事を手伝っている。
「とりあえずマンドレイクは様子見……もうちょっと慎重に動くべきだなぁ。
ベニシダのやつが気ぃ回してくれて助かった……」
「まぁまぁ、あれは一旦忘れようよ。不慮の事故ってやつさ」
「そうだな、見回りのシフト組まねぇと……ゴギョウとかメンタル心配な奴もいるし……。
誰と誰をセットにするか………あぁ、武具の調達リスト出さなきゃだったか?」
「それはユズリハさんが仕事ごと持って行ってくれたよ」
「あぁーありがてぇ!」
ここのとこの仕事ぶりも合わせて、タマモは少し疲れ気味だ。
気を紛らわすために、モロコシは雑談を振ってみる。
「戦闘部隊さ、ちょっとメンバーの整理が必要かもねぇ。
その……抜けちゃった人も多いし」
「まぁ……そうだな。正直、もう班として機能していないところもある」
タマモは書類の山から、戦闘部隊の人員リストを引っ張り出す。
ハルピュイア迎撃戦での八名の戦死。
メドゥーサ撤退戦での、【刻剣】のトウガの離脱。
アラクネ生存戦での、【隻眼】のディルの死亡。魔道士ハイビスカスの、帰還不能。
そしてヴァンパイア血戦。【凱旋】のツワブキ。【迷い家】のディフェンバキア。魔道士エーデルワイス。ライラック班、ブッドレア、ネジキ、ユッカ、パースニップ。
「ライラックも戦闘不能になった………加えて、ストライガの奴もまだ帰ってきてねぇのか」
「四名の班構成じゃなくなっちゃったのは………。
ツワブキ班。ツワブキとディルが離脱して、グラジオラスちゃんとレネゲードだけだ。
タチバナ班。エーデルワイスちゃんがいなくなっちゃって、タチバナさんとスズシロ君、スズナちゃんのみ。
ディフェンバキア班。班長の離脱……ハイビスカスちゃんのことも考えれば、この班は地下八階から動かせないよねぇ。
ストライガ班は、ストライガが帰ってこれば揃うかな……。
後はライラック班。元々十六人構成だったのに、ライラックの離脱も含めれば十一人になっちゃった。
問題ないのはタマモ班、アシタバ班、トウガ班、ラカンカ班、ベニシダ班の五班だけだね」
「工匠部隊の、エゴノキさんだったか?地下九階は攻略しないのかって小言も来てたなあ……。
はぁ……万全な班でやるしかねぇか………?二人とか三人のとこはどうすっかだなぁ」
「まぁその辺の話もあるけどさ。もっと重要なことを決めないといけないよねぇ」
「重要なことぉ?」
「次の戦闘部隊隊長」
タマモは固まってしまう。次の……次の?ツワブキの、次の?
モロコシは、こちらをじっと見てくる。
長年の相棒が何を考えているか分からない感覚は、久々だった。
「タマモはならないの?二代目戦闘部隊隊長にさ」
二十四章三話 『マンドレイク』




