二十三章三十八話 『悪の華』
門番が一体、吸血鬼――討伐。
勇者一行、大司祭オラージュ死亡。
五英雄の一人、【凱旋】のツワブキ死亡。
そして橋の国の王都にて、およそ六千人の戦死者発生。
そのあまりに衝撃的なニュースは、各国へすぐに共有がなされた。
一部の……日の国や森の国は独自のルートで情報を仕入れることとなるが。
全世界が、その惨劇に驚き……そして不安に顔を曇らせる。
「………とんでもない報せが来たものだな」
波の国、王城の中庭にて報告書を読んでいたのは、国王ガイラルディアだ。
英雄二人の戦死に、市街地を襲った虐殺……。
この報せを受け取った全員と同じように、ガイラルディアも悲しみに顔を歪める。
「橋の国の負った傷は深い……我が国からも何か支援ができないか、検討せねばな。
そして……この報せは君達も無縁ではないだろう。この場で共有ができてよかった」
ガイラルディアが座るテーブルには、他に四名が座っていた。
内二人は銀の団からの来客……波の国代表ウォーターコインと、河の国ワトソニアだ。
二人ともあまりの内容に、顔を青くしたまま絶句している。
「君達は早急に帰るべきじゃないか?
先行して馬車を用意させよう。できる限りサポートするよ」
「そう……ですね。魔王城の動揺も凄そうです……。
だからこそ……僕達がここにきた理由を、果たしてから帰らせて頂きます」
ウォーターコインとワトソニアが懐から王宮封書を取り出した。
ローレンティアがマーガレットに渡したものと同じ、日の国の封で綴じられた……"満月文書"だ。
封書は二つ。受け取るのは波の国国王ガイラルディアと、残る二人ーー。
濃紫のウェーブした髪と大人びたスタイル、片手の煙管。
ミステリアスでふわふわした佇まいは、ともすれば上級娼婦のよう。
五英雄、【豪鬼】のバルカロールに従う四将の一人……【氷華】のサラトガ。
「ふぅん……これをボスに持って帰ればいいわけね。封は開けちゃいけないんだっけ?
中身はバルカロールさんに届けるまでのお楽しみか……」
事態が事態なのに、彼女は退廃的で気怠そうに言葉を綴る。
不真面目というよりは、冷静で大人びた雰囲気が作り出す余裕のせいだろう。
「キオンー、あんたこれ持っててよ。私じゃ落としそうでさぁー」
テーブルに座る最後の一人が、その封書を受け取った。
【殲滅家】ストライガ。【紅兎】のプラム。【氷華】のサラトガ。彼らと肩を並べた四将の一人。
「サラトガちゃんさぁ、他人任せは良くないよぉ〜。
ま、こりゃオジサンが受け取っとくけど」
肩書きに反して、だいぶ口調は軽かった。
金の長い髪を頸でお団子にまとめている。
娘の反抗期に困り顔をするのが目に浮かぶ、彫の深い顔立ちの四十代の男。
そして腰には、二本の長剣が下げられていた。
この時代で”最強の剣士”の称号を受け継いだ……【剣聖】キオン。
魔王城の代表貴族。波の国の王家。そして剣の国の四将が二人。
集った面子からして、異様な会合だった事は確かだろう。
懐へ封書をしまうキオンが、改めて感心の溜め息を吐く。
「戦死した方々、被害に遭われた方々には心を痛めるばかりだけどさ……。
こういうの、前向きに捉えなきゃダメなんじゃない?
悪名高い門番の一体を落とせたのは大きいぞ、ってさぁ。
子供達が不安がっちまうよ」
「砂の国の、カプア湖の事件も聞いている。
それほどの事を起こせる魔物だったのだ、確かに民達に伝える時はもう少し肯定的な色を混ぜたいものだな」
ガイラルディアが顎をさすりながら言うと、サラトガがうーんと考え込む。
「門番は、既に銀の団が二体仕留めているのよねぇ?
蛇女神と蜘蛛女だったかしら……あと残っているのはー?」
「今回討伐された吸血鬼を除けば、残りは五体になります」
似顔絵を描いたことのあるウォーターコインが答えた。
「首無し卿。賢人馬。人魚妃。寄生獣。淫夢……。
また一体、仲間を失った彼らがどう動くのか……少し不安ですね」
「ザナドゥさんが討伐されたようですね。友愛さんから教えて頂きました」
「…………そうか」
森の国王城は夕食時だった。
世間話をするジーンバーナーは事態を楽しむような気配さえあった。
一方、テーブルを挟んでサラダをつつく賢人馬は、そっけない反応だ。
「ふふ、アシタバさんに逃げられたのがそんなにショックだったのですか?
しかしノースポールもカンパニュラもいなくなってしまったのは困りましたね……」
「ごめんよー、おいら達がしっかりしていれば〜………」
テーブルの下からひょこっと顔を出してきたのは、灯火賢人、雪山賢人、森林賢人ら三賢者だ。
ストライガらに捕虜として連行された三匹は、隙を見て何とか逃走だけは成功させていた。
「代わりに使用人さんのお仕事頑張るからさぁ……」
「アスナロと一緒に!」
ジーンバーナーは、部屋の隅で使用人として直立しているアスナロに目をやった。
弟分のアシタバにタイマンで負けたのは、そこそこ堪えたらしい……。
しょげたような顔に、思わず笑ってしまう。
「えぇ、よろしくお願いします、ですが……流石に城の運用には支障が出るでしょうね。
遠くないうちにボロが出て、この城の現状も国に知れ渡ってしまうかもしれません」
「構わん」
唸るように賢人馬が呟いた。
「時は近づいている。それまで保たせられれば……。
後はどうなろうが、どうでもよくなるさ」
「お〜〜、ひどいひどい!」
砂の国の、岩山の一角に寄生獣が座っていた。
黒髪と赤いマフラー、元斑の一族の”アヤメ”を素体とした人魔の融合体。
彼女は崖に放り出した足をぷらぷらさせ、望遠鏡を手にニヤニヤとある一方を見つめる……カプア湖の方角だ。
吸血鬼の齎した"カプア湖の虐殺“……その跡地だった。
黒死病による、鉄の国と砂の国の騎士達の大量死。
生き残った騎士達は、伝染病を有する彼らの死体には迂闊に近づかず、同じ被害を受けた橋の国と情報連携をしながら埋葬の準備をしているところだ。
「でも結局、燃やすしかないよね〜、ははっ!」
倫理観の欠けた彼女は、その地獄というべき光景をくすくすと笑う。
カプア湖の虐殺。二国の精鋭部隊をまとめて葬ったこの事件により、対日の国戦線の戦力の半分は削がれたと言ってもいいだろう。
「順調に進んでるってことだよね、マグ・メル!」
「お疲れ様、アヴァロン!」
橋の国の王都を後にし、河原を歩いていた首無し卿に声がかかる。
水面から朗らかな顔を覗かせたのは、人魚妃だ。
「……アルカディア」
「傷負っちゃってる?治してあげようか?って言っても痛み止めぐらいだけど!」
「いい……この痛みも戦いの結果だ」
「騎士だねぇ……!渋いねアヴァロン……!」
こいつと話していると調子が狂うな。と、首無し卿は困惑し始める。
「ザナドゥ、死んじゃったね」
「………………」
やはり、そうなのか。
首無し卿は人魚妃の言葉でようやく、吸血鬼の死を真に受け止められた気がする。
「でも大成功でしょー?そりゃ死んじゃったのは悲しいけどさ……。
橋の国に大打撃与えられたじゃん、あの国の戦力は半減以下って感じじゃない?」
首無し卿の、知っている限りの情報では。
彼は淫夢から依頼されて、今回の橋の国の襲撃に参加した。
役割は変化。吸血鬼らが決行したカプア湖の虐殺において、人類側の学習と対応が想定より早かった場合に用意された変化だ。
そして戦い全体の目的は、橋の国への広範囲被害。
出来れば、被害復旧とその後の戦略指揮能力に関わる指揮系統の破壊。つまり王族の殺害。
「……今回の成果はザナドゥのものだ。目的に対し……我は大して役目を果たせなかった」
「ん〜〜、ケンソンケンソン!しっかりやったでしょ、アヴァロンはさー!多分!」
どこか憂鬱な首無し卿。人魚妃は白いその目を空へと向けた。
「ザナドゥが死んじゃうとは思っていなかったけど……。
大局的には順調でしょ!絵図は思い通りに進んでるよー。
後は、エデンがどう事を起こすか……だよね!」
「カプア湖の虐殺……ひどぉい事件だったわね?
騎士がたくさんやられちゃって……ヤグルマ将軍もお亡くなりに……」
日の国の、王城の一室の光景だった。
部屋の中央に立つのは、この国の騎士達をまとめる中将ソテツだ。
その顔は、尊敬する上司の戦死に沈んでいる。
「暗い顔をしている場合ではないわ。貴方は立ち上がらなくては。
ヤグルマ将軍を無くしたこの国の軍は、貴方が率いなくてはいけないわ」
彼の周りをくるくると歩きながら囁く。長い黒髪の、どこかエルフのような女性。
戦争時代に亡くなった、ソテツの妻の姿だ。
「できない……私には………」
「やるのよ。やるしかないの。安心して……私がちゃぁんとサポートするから……」
そう……夢魔が一体、情愛が囁いた。
「うふふふはははははは!!!!!」
王宮の一室で、サキュバスが小躍りしていた。
スカートの裾をつまんでくるくると回る、回る。
楽しい。楽しい。楽しい。これまでは彼女の思い通りだ。
世界という盤面を俯瞰すれば。
対日の国に敷かれた二つの共同戦線……。
南方、砂の国と鉄の国による砂鉄同盟。
西方、月の国と橋の国による月橋同盟。
そのどちらをも、吸血鬼というカードを使って崩した。
カプア湖の虐殺とヴァンパイア血戦の二つにより、対日の国戦線は崩壊したといってもいいだろう。
加えて、ヤグルマ将軍を葬ることで国内の反戦勢力も削ぎ落とした。
「時は来たわ」
サキュバスは笑う、笑う。
偉大なる主が目をかけた人間たちが、自分の掌の上で無力に踊り狂うのが堪らなく楽しい。
吸血鬼を失ったのは計算外の痛手だったが……もう十分だ。
ワルツを踊り終えたように、サキュバスは部屋の中心でくるりと回ると、満足げな笑みを浮かべた。
彼女はもう、吸血鬼や賢人馬程に使命の答えを追い求めてはいなかった。
愛……そんなものがあるのか。あったとして、本当に人間の力足りえるのか。
だからこそ、彼女の目的は既に、それが違うという証明……人間社会の徹底破壊に切り替わっていた。
「いよいよね……答え合わせが楽しみだわ」
サキュバスが笑う。
日の国をきっかけとした大戦が、着々と近づいてきていた。
二十三章三十八話 『悪の華』