二十三章三十七話 『アシタバとツワブキ』
騒がしい王都から伸びる街道を辿り、離れていく人影が一つ。
全身甲冑、歩くたびに鎧の重低音が響く。
首無し卿だ。
「…………………」
【黒騎士】のライラックと対峙し。自らの答えを見出したと思った。
その後に吸血鬼の急襲。ライラックの全力が損なわれ。
それでも、決着はつけなくてはいけないと思った。
思ったのに……女が飛び出してきて、立ちはだかって。
「………何故我は剣を振れなかったのだ」
王都から蝙蝠がいなくなっていた。吸血鬼は……死んだのだろう。
これを敗走というべきか、首無し卿には分からなかったが。
それよりも彼の体内には、疑問が渦巻く。
「………分からなくなったのだ。誇りとは……何なのだ?
我は………どこへ行けばいい。教えてくれ……インゲン………スイカ………」
吸血鬼血戦が、その災厄が終結していく。
エーデルワイスの偉業により黒死病の感染者の多くは救われた。
だが一方で、直接蝙蝠に噛まれた者、吸血鬼や蝙蝠男との戦いに巻き込まれた者は命を落とした。
その数、およそ六千人……大災害と呼ぶには十分すぎる被害規模だ。
―――古典街、中央通り。
戦いが終わって、一日と半日が過ぎていた。
力を失い、動かなくなったエーデルワイス。に、クララが抱き着き泣き喚いている。
周囲には、先ほどまで黒死病に罹っていた者達がいた。
救護活動の終盤は、魔水晶を隅々まで届けるより、重傷者をエーデルワイスの下へ連れてくることが重視され……ほとんど直接、彼女から治療魔法を掛けられた。
エーデルワイス自身の命と引き換えに命を救われた者達は、笑顔のまま事切れた英雄に深々と頭を下げていた。
「ローレンティア様」
その光景に、呆然としていた。
友の最期を見届けたローレンティアに声をかけたのは、使用人のエリスだ。
元々、ローレンティアを探していた彼女がこの場所を見つけ、その後に出会えたローレンティアに状況を伝えた。
そして駆け付けたローレンティアが、最期に間に合ったのだ。
「お気持ちはわかりますが……戻りましょう」
「…………うん」
促されるまま、ローレンティアは王城の方角へ歩き始める。
王城の上空に、円を描くように飛んでいる天馬が見えた。
(アーベキーナ……無事だったんだ………)
どれだけのものが生き残れたのか。どれだけのものを失ったのか。
まだローレンティアは、全てを把握できていないが。
「………エリス」
「はい」
「私………あなたが無事で、本当に良かった………」
「………はい」
エリスは先導し、主人の顔を見ないようにする。
今にも崩れそうな涙声……この戦いで、ローレンティアがどれだけ傷を負ったのかは分かった。
そして向かうのは、元々彼女がいた場所………。
―――王城内、医務室。
そよ風が、カーテンを揺らしていた。懐かしい聞き慣れた音だ。
アシタバがゆっくりと瞼を開くと、見慣れない天井があった。
いつの間にか、自分はベッドに横たえられていた。
倒れて気絶したところまでは覚えている……病室に運んでもらえたということだろうか。
「目が覚めたか」
隣のベッドにはツワブキがいた。
目の端で、包帯でぐるぐる巻きにされていることは分かった。
けれどアシタバも、ツワブキも顔を動かせない。
二人ともそれなりに息が乱れており、体が熱い……発熱症状は続いている。
彼らが掛かったのは、蝙蝠が齎す黒死病ではなく蚊によって伝染された黄熱病……。
エーデルワイスの聖石とはまた違う話になる。
「………無事だったか」
「へ、お互い様だな。背中の傷もなかなか酷かったみてぇじゃねぇか」
ツワブキとベッドを並べて言葉を交わす。二人とも目線は天井。部屋には他に誰もいない。
いつも大勢がいる場で会うことが多かったから、そんな風に二人きりで話すのは初めてに思えた。
「ったく、本当によく駆けつけてくれたぜ。
アラクネ戦の後はどうなるかと思ったが……よく帰ってきた。
天馬乗ってド派手に登場してよぉ、なんだぁあれ」
「流れ上、仕方なくな……けど、間に合ってよかった」
「へ、ありがとな。敵サンをぶった切ったあの剣術、見違えたぜ~」
ツワブキは、子供が運動会で活躍したみたいにヘラヘラと笑う。
「………本当に強くなった。あの世でスイカも浮かばれてらぁ」
【自由騎士】スイカと谷の国の日々……そこへツワブキとディルがやってきたあの日を覚えている。
あの頃の自分はまだ人見知りだったが、その懐へ入り込む陽の気。
出会ったばかりなのに、ツワブキといると安心できた。
いや……そう自分が思えるように、大人を演じてくれていたのだろう。
「スイカとツワブキには本当に感謝している」
熱で弱っているからだろうか。
アシタバの口から、素直な言葉がするすると出ていく。
「俺は右も左も分からないガキだったんだ。
それが、知らない世界に放り込まれて……野垂れ死んだって不思議じゃなかっただろう。
スイカが俺を拾ってくれて、育ててくれた。寝床をくれて。ご飯をくれて。
スイカの思ういい事と悪い事を沢山伝えてくれた」
アシタバは少し、向こうの世界の記憶を思い出した。
自分の本当の父と母。彼らに対する感謝と愛情も勿論忘れていない。その上で。
「………俺は、スイカが母親みたいだって思っていた。
それでツワブキ………あんたは父親だった」
「は、俺が父親かよ」
「勝手に悪いな」
ツワブキとディルが、魔物のことを教えてくれた瞬間を覚えている。
断面が紫の植物……それも魔物だとツワブキは言って笑った。
「元々生き物が好きだったけど……探検家になったのはあんたの影響だったと思う。
面白そうだと思ったんだ。こっちにそういうのがあるんだって……分かった。
その後探検家になって……俺はまぁ、孤立気味だったと思うけど……。
あんたは気兼ねなく話しかけてくれて………」
最近調子はどうだとか。将来に向けた貯蓄の話だとか。
この前攻略したダンジョンの話だとか。好きな女でもできたかとか。
ツワブキはそんな、他愛ない話をよくしてくれて。
「あぁ………お前はいつもむすっとしてたなぁ」
「………でも、嬉しかったんだ」
意外な言葉だったのか。ツワブキは一瞬、言葉を止めた。
「照れ臭かったんだよ………俺は、スイカと別れて………。
あんたの他愛ない世間話が、数少ない世界の関わりになっていった。
でもそれが、眩しくて、温かくて。探検家の世界を見せてくれた時もそうだ。
あんたはいつも………俺を世界と繋げようとしてくれた」
父親がいたらこんな風なのかと、よくツワブキを通して想像をした。
間違いなく、アシタバの人生に影響を与え、導となった人だ。
人への接し方。物事の考え方。彼の背中から多くを学んだ。
「だから………本当に、ありがとう」
「へっ、明日は魚でも降んのかね………まぁ……息子ね………息子かぁ…………。
ま、急に実感は湧いてこねぇが……お前は後輩の中でも特別だったのは確かだなぁ」
今度はツワブキが、素直な言葉を綴る番だった。
「おめぇは意外と博識で、俺が知らねぇこともよく知ってるし……。
頭も回る。人が絡んだ事は想像力が足りないこともあったが……。
ま、スイカ直伝の剣技もあって腕が立ったし。
あいつにちゃんと育てられて、まぁ変なこともしねぇ………。
いや、スイカの忘れ形見って意味が最初は強かったろうな。
まぁ……お前の面倒は見なきゃ、ぐらいには思ってたよ。
じゃねぇとあいつが命を懸けた意味がなくなっちまうからよ」
は、とツワブキは笑ってみせる。
「でも魔王城に来てからは……なんだろうな。そういう義務じゃなくて……面白かったぜ。
お前とは考え方が違ったな。衝突することもあったけど……そういうのがいいのさ。
んで………お前が成長していくのが分かるのが、嬉しいと思うようになった。
ウォーウルフん時とか……クラーケンの時は特にだな」
「…………成長が嬉しいのはもう父親目線じゃないのか?」
「ははっ、そうかもなぁ………まぁとにかく。さっきの戦いで確信したぜ。
お前は立派に成長した。銀の団でもお友達もたくさんできたみてぇだし。
忘れんなよ、俺達は所詮人の中でしか生きらんねぇんだ。
ムカつく奴も、しょうもない奴もそりゃいるけどよ。
そういうつまんねぇ奴とつまんねぇ事にならないようスマートに渡り歩くのが俺の美学ってヤツ。
愛想と笑顔。関心と興味。社交性だ。これからは特に肝に銘じろよ」
「あぁ……その辺は、あんたをよく見習ってるよ」
「知ってる………んで、心配もしてねぇ。お前ならできるだろうぜ」
ツワブキに、関心を持たれていたことが。認められていたことが。
純粋に嬉しかった。
「はぁ……成程な。見習われるのも嬉しいもんだ。
これが父親の喜びってやつなんかね………。
まぁ……だったら、俺からも言っとくぜ。ありがとうな、アシタバ」
その時だけ首を傾けて、包帯の隙間からにぃっと、太陽のような笑顔を覗かせた。
あぁ、これだ。これが背中を追い続けた、父親の姿だった。
「…………目が覚めた?アシタバ」
瞬きをすれば、ローレンティアが顔を覗き込んでいた。
既に沢山泣き腫らしただろう赤い目……でも、無事だったのかと、アシタバに安堵が湧いた。
いつの間に部屋に入ってきたんだろうか………。
「あぁ……まだ熱が残ってるみたいだけど……何とかな」
「よかった……本当に………」
ローレンティアが布団をぎゅっと掴み、泣きだしそうになってしまう。
呪いが切れていた状態を見た。彼女にも珍しく包帯が巻かれている。
「もう大丈夫だ、心配をかけた。さっきもツワブキと話してたんだ。
二人とも、もう少し時間を貰えれば治る―――」
アシタバの口が止まる。気になったのはローレンティアの表情の変化だ。
泣きそうで目じりの下がっていた目が見開かれて。口が一文字に結ばれる。
不自然な硬直。その意識が流れた、隣のベッドへ視線を向け―――。
そこにあったのは、空のベッドだった。
「…………え?」
地平がひっくり返ったような。混乱が、体内を駆け巡る。
「昨日まで………そこにいたの………。
二人とも発熱が酷くて……ここに運んで……。
アシタバは……すぐに容体が落ち着いたけど……。
ツワブキさんは……回復の兆しが見えなくて……。
私……付きっきりでいて……。でも昨日………」
アシタバが目覚めたのは、ヴァンパイア討伐から二日後のことだった。
「そんな……そんな筈……だって……さっきまで話してて……」
呆然とするアシタバに、ローレンティアは涙を浮かべながら首を横に振った。
「ツワブキさんの……最期まで……私は見ていたから……。
その後も、そのアシタバの事は誰かに見て貰っていたから……。
多分……夢を見たんだと思う」
空が落ちてくるような。
地面が砕け散っていくような。そんな……。そんな。
「………間に合ったと思ったんだ」
「……アシタバは間に合ったよ。私達を助けてくれた」
「………守れたと……思ってたんだ……。
俺……ツワブキには……今までたくさん……助けられたから………」
溢れ出す涙が止められない。
ローレンティアは、アシタバの頭を優しく抱きしめた。
「うん……うん……」
「ありがとうって………言いたくて……。他にもたくさん……」
「……ツワブキさんは、きっと分かってたよ」
ローレンティアが泣いていて。
それよりもたくさんの涙が、アシタバの目から流れ出していた。
夢だったのだ。部屋にはアシタバとローレンティア二人だけ。
部屋にはしばらく、アシタバの嗚咽が響いていた。
何故アシタバが助かったのかは分からない。
異なる世界の予防接種が奇跡的に効いたのか………いや、致死率五割という数字が、彼らに平等に降りかかっただけかもしれない。
王城屋根上、対吸血鬼の最終決戦。
生存……。
銀の団団員、探検家【魔物喰い】のアシタバ。
死亡……。
銀の団団員、探検家【凱旋】のツワブキ。
二十三章三十七話 『アシタバとツワブキ』