二十三章三十二話 『森の国:誰が為に』
”時空の交差点”で同じ時を過ごしても、アシタバとローレンティアが帰った時間軸は僅かに異なった。
アシタバが森の国に帰ったのは、ヴァンパイア血戦から五日前になる。
アシタバは逃走計画を始動。
探検家【灰狼】のキリン及び【黒猫】チョロギ、居合わせた騎士ノースポールを巻き込み。
妹アセロラ、【殲滅家】ストライガ、斑の一族のナギ、ヒバ、ナラと合流。
雪山賢人、灯火賢人、森林賢人からなる三賢者と、使用人カンパネラを打破し拘束。兄アスナロも打ち破り……そして。
「なかなかの強敵だったな」
賢人馬の放った魔物、石像魔人は既に討伐され終わっていた。
森の中の、木々が薙ぎ倒された地帯の中央に、もう動かない遺骸が横たわる。
素早く、力強く、堅牢。ナギを含む斑の一族三人、ストライガとアシタバを揃えても苦戦してしまった。
結局は打撃を続け敵の動きを拘束した上で、アシタバとナギが手足の関節を穿っていき討伐し果せた。
【死神】ナギが珍しく、人間らしい伸びをする。
「ハルピュイアは騎士三人……だったか?もっと要るな、これは」
「……………」
賢人馬の傑作……には、アシタバにも思うところはあった。
これは恐らく試作機だ。だが今は時間がない。思考を切り替える。
「逃げるぞ。今にも賢人馬が来るかもしれない。
そっちに計画がないなら俺が仕切る。いいか?」
アシタバは一先ず、橋の国への逃亡を目指した。
気絶させたアスナロは放置を選択。三賢者は捕虜として、斑の一族のナラに任せた。
騎士ノースポールはストライガに背負ってもらい。
「アシタバー、本当にこいつ連れてくる必要あったか?」
【灰狼】のキリンが面倒そうな声を上げる。その肩には、両手を縛ったカンパニュラが担がれていた。
少し前までは敵……だが、今は反抗する素振りもなく項垂れたままだ。
石像魔人の素材は明らかにゴーレムだった。
賢人馬からの裏切りと彼女が捉えたなら、分からなくもない。
「………いい。そいつも連れていく」
斥候はナギとヒバ。殿は【黒猫】のチョロギ。
そして………アシタバに腕組をするように、アセロラがぎゅっと身を寄せる。
「アセロラ」
「…………心配したんだからね、お兄」
「すまない、悪かったな」
再会で感情が溢れてしまったのか、アセロラは目を腫らし顔を赤らめていた。
安堵と歓喜を経て、今は拗ねたような心情に移ったらしい。
「ダンジョンからは絶対帰ってくるって約束だったのに」
「何とか帰ってこれた」
「そういうことじゃなく!!」
アシタバは、堪えきれずに笑ってしまった。
時空の交差点では、実世界以上の精神時間を過ごした。
アセロラとの会話は久しぶりのはずなのに、全く変わらない。
「沢山心配をかけたって、分かってるよ。ごめんな。
それに、迎えにきてくれてありがとう」
素直に気持ちを伝えたはずだったが、アセロラにとっては予想外だったのだろうか。
一瞬固まると、彼女は顔をアシタバの二の腕に押し付け、そのまま走り続けるという芸当を開発した。
服が濡れている……ことは言わない。
「………戻ってきてくれて、本当に良かった」
アセロラがこの国まで助けに来るのは正直、完全な予想外だった。
そこまで想われていたことを改めて自覚し。
そして彼女を助けてくれただろうストライガに、目くばせで礼をした。
「止まれ」
斥候から静止がかかり、二列で進んでいた一同は制止する。
最前列のヒバとナギは戦闘態勢……その視線の先に、何かがいるのかが分かった。
そしてアシタバだけが、すぐに警戒を解いた。
木々の隙間から見える、白い大きな翼。子供の頃に何度も目にした。
「アーベキーナ!オリヴィエ!!」
その声で知り合いと分かったのだろう。一同は警戒を解き、アシタバとアセロラは姿を現した異邦人へと駆けよる。
「やぁやぁ、お急ぎのところ悪いね」
”白き呪い”のオリヴィエの目は相変わらず白く、にやにやとした笑みを浮かべていた。
「お急ぎのところも何も………なんでこんなところに……」
「アーベキーナくんがどうしても来たいって聞かなくてさ。
ま、アシタバ君が囚われのピンチって教えてたからそうなっちゃうのも仕方ないのかな。
もう協力しなかったら蹴り殺してやるぞぐらいの勢いで迫られてさ~参っちゃったよ」
「………アーベキーナ」
正直、アーベキーナには嫌われたと思っていた。
谷の国で助けに来てもらったのに、自分は勝手に飛び降りてしまって。
アシタバには一方的に、自分が裏切ってしまったという引け目があって。
けれどアーベキーナの純粋な目はアシタバに向けられ、ブルル、と鼻息を鳴らす。
「んで?あんたもこの大脱走団に加わって一緒に走ってくれるのか?」
【死神】ナギが面倒くさそうに問いかけた。
「それも一興だね!でもボクは助言に来たんだ」
「助言」
「アシタバ、君達このままじゃ殺されるよ。賢人馬からは逃げきれない」
一同は、突然現れた女が放つ不穏な言葉に息を呑んでしまう。
そして注目は自ずと、彼女という人物を知っているアシタバに集まった。
「お前が言うならそうなんだろうな」
世界を見渡す千里眼。彼女は嘘はつかない。
「で、どうすればいいかを助言しに来てくれたってわけか」
「話が早いね、助かるよ。結局のところ、君たちは囮を送り出す必要がある。
二手に分かれるのさ。大所帯のまま賢人馬に遭遇すれば終わりだ。
だから相手を別方向へ引き寄せ、最後には逃げられる役どころが要る。
重要なのは、ちゃんと賢人馬に追いかけさせるってところだ。
足止めや時間稼ぎは、あいつは構わず突っ切る選択をするだろう。
つまり……あいつにとっての重要人物が、その役目を負う他ない」
「駄目!!!!」
意図をいち早く理解したアセロラが叫ぶ。兄の腕を強く、強く抱きしめた。
「ようやく再会できたのに、ようやく脱出できたのに!
お兄にまた危ない役をやれって!?そんなの意味わかんない!!
全員で立ち向かっても勝てない相手に、お兄一人で戦えってことでしょ!?」
「戦いはその場凌ぎ、本質は逃げ切ることだ。
その為にアーベキーナも一緒に行くって言ってる。ま、貸してあげるよ」
アシタバは思わずアーベキーナを見た。伴う危険を分かっているのだろうか。
アーベキーナの目は、谷の国の空で見たように澄んでいて鋭い。
「でも………」
「やるよ。どの道この面子じゃ、空中から賢人馬に嬲られて終わりだ」
絶句する妹を置いて、アシタバは一歩前に出た。追われている。時間がない。
今は千里眼を持つオリヴィエが考え抜いた最適解を信じる。
「俺がアーベキーナに乗っていくのなら、オリヴィエは皆と逃げてくれるんだな?」
「うん、そうさ。賢人馬さえ来なければ、この目に誓って皆を無事に逃がすと約束しよう」
「なら良い。俺は南に逃げるから、皆は北、橋の国へ――」
「いや、君が北に逃げるんだ、アシタバ」
強い否定と提言。アシタバは口を止める。
「ボクはこれを言うためにわざわざ来たって言っても過言じゃない。
明確な干渉……主義に反するし迷ったけど、アーベキーナの気持ちもあったからしょうがない。
アシタバ、君が果たすべきはね、本当は逃走じゃなくて移動なんだ。
賢人馬から逃げながら、奴を何とか撒いて……。
そして君は、とにかく少しでも早く、橋の国の王都を目指しなよ」
王都。ローレンティアが行く場所のはずだ。
「………何かが起こるのか?」
「砂の国ではもう起こった。敵の部下が下見していた光景もボクは見てるんだ。
あまり猶予はない。正直、君が行ったところで何ができるかは分からないけど……。
でも、時空の交差点に行ってきたんだろう?」
そこで、ようやくアシタバは気付いた。
アシタバにとってはつい昨日まで、時空の交差点でずっと顔を合わせていた仲。
けれど向こうの彼女は幼い姿で。
彼女にとっては十年以上を経た再会、ということになるのだろうか。
「……お前、冬休みに魔王城に来た時は初対面じゃなかったのか」
やけに馴れ馴れしかったのはそのせいか。
時空を超越したあの場所は、お互いの初対面の順番さえ入れ替えてしまう。
幼い彼女は人の輪に馴染めないと言っていた。あれからどう過ごしてきたのか。
「ま、それはいいのさ。ボクが言いたいのはつまり、戦うだけの力をつけてきたんだろうってこと」
そして、アシタバの修行が終わるまで。時空の交差点の中で同じ時を過ごした。
人の輪に馴染めない彼女にとって、同じ呪いを宿した者達と過ごせたあの時間が大事だったろうことは想像がついた。
“私にはまだ、アシタバがどうしてそこまで頑張るのか、頑張れるのか分からない。
でもあそこまで頑張ったんだから……向こうでも頑張れ、アシタバ”
時空の交差点で、修行を見届けた幼いオリヴィエに、最後に贈られた言葉だ。
オリヴィエが、主義を曲げてまでここに来た理由がなんとなく分かった気がする。
彼女は、答え合わせがしたいのだ。アシタバが、”どう頑張れるのか”を。
「……分かった。あぁ、その通りだ」
アシタバはオリヴィエとの会話を止め、振り返る。
面々と目線を合わせ、異論がないことを確認し……唯一ぎらぎらと睨んでくるアセロラに向き直った。
「……本当にすまないと思っている」
「本当だよ!ありえないでしょ!折角会えたと思ったら、また送り出せって!?
しかも朱印付きに追われるって分かってるのに!?」
アセロラは、いつものようにやるなと詰め寄ってくることはしなかった。
彼女も理解しているのだろう。状況からいって誰かがやらなければならない役目ではある。
「………ティアが橋の国にいるはずなんだ。
俺はどうしてもいかなきゃいけない。絶対に帰ってくる。今度は本当に約束する」
「………うん」
最後にアセロラが抱きついてきた。胸に顔を埋め、表情は分からなかったが。
「お願い。絶対帰ってきてね」
ーーそれから一つ。お前らに頼んでおきたいことがある。
別れ際、アシタバは残った面子にそれを依頼して、アーベキーナと空へ飛び立った。
方角は北。谷の国以来の乗馬と飛行だ。でもあの時より、アーベキーナの背中は頼もしく感じた。
「悪いな、一緒に戦おう、アーベキーナ」
鼻を鳴らす。空を駆け、駆け。青々と茂る森の絨毯の上を飛ぶ。
森の国を一直線、駆けていく。
賢人馬には、すぐに見つかった。
と言うより、囮としてあえて見つかりやすい高度をアシタバが飛んでいた、というべきだが。
森の西側から木々を突き破るように空に飛び出た賢人馬は、アシタバを見つけると猛追を始める。
「待て、アシタバ!!!!」
ペガサスの登場は予想外だったろう。
けれどアシタバを城で自由にさせていたのは、どのような事態になっても自分が事を収められるという自信が賢人馬にあったからだ。
逃走も。三賢者や石像魔人の敗北も、賢人馬には想定の範囲内。
と、アシタバは理解していた。
「アーベキーナ!!」
賢人馬の手から魔法弾が放たれたのと、アシタバが叫んだのは同時だ。
流れ星のように軌道を残しながら迫りくる五発の弾丸。
アシタバは素早く手綱を引き、アーベキーナと呼吸を合わせて躱す。
「………?」
一つも命中ならず。その結果に、賢人馬は違和感を覚えた。
五つの弾は異なる角度から飛来させ、敵が回避不可能な交差起動を描かせた。
だが避けられた。僅かな、僅かな攻撃の死角を見抜かれたのだ。
「何をやっている………?」
賢人馬には遠すぎて観測できなかっただろう。
アシタバの目尻からこめかみ側へ、虹色の羽が流れている。
"流龍連理"。
マナの流れを読み取るその目は、賢人馬の攻撃のタイミングも、魔法弾の軌道も容易く見切る……が。
「避けるのか。ならば、密度を増やす他あるまい」
直後、賢人馬の手から十五の魔法弾が発射される。
発射前にマナの膨張を捉えていたアシタバは、アーベキーナと躱し、躱し、四発を剣で切り払い。
そして、溢した一発を肩に受けた。
「このままお前が落ちるか、私の魔力が尽きるまで続けるか?」
ナイフで刺されたような傷から血が滲む。
アシタバはアーベキーナを心配させないよう撫でた。
彼女には被弾させない。取り零してしまうのなら、自分が受ける。
「戻れ、アシタバ!そうすれば攻撃はやめる!其方は替えの効かない研究対象だ!
人間のこと、其方から見た魔物のこと!そして其方が何故あの言葉を言えたのか……。
知っていることをもっと、もっと教えろ!其方の知恵を、もっと私に寄越せ!!」
叫ぶ、叫ぶ、賢人馬のそれは紛うことなき本心だったのだろう。
アシタバは少し、敵へと振り返り。
その目に憐憫の情が混じっていることは、賢人馬にも読み取れた。
「賢人馬。お前は何の為に、そんなに知識を知ろうとするんだ?」
「何の為に……?」
賢人馬は一瞬、問いかけの意味が分からなかった。
「決まっているだろう!我らが主から賜った使命のためだ!
そして私の中にある知識欲のためだ!!」
また、十五発の魔法弾が放たれる。今度は、回避と迎撃で全弾を躱す。
囮としての役目はもう果たせただろう。
後は敵を撒き、一刻も早く橋の国の王都へと辿り着く。
アシタバ、お前は自分を知らないといけない。
出来るだけ早い方がいい。何がしたいかを見出せるぐらいに。
かつて、【自由騎士】スイカから言われた言葉を思い出した。
時空の交差点での長い時間の中……その意味を何度も、何度も考えた。
病院のベッドの上で、何冊も、何冊も本を読んだ。
それだけでは駄目だったんだ。
「分かったんだ、スイカ」
自分がしたいと思うこと。
アシタバはただ、ただ王都を目指して飛ぶ。
時間戻って、現在。
アシタバはまず、王都に着いて絶句してしまった。
城下町の惨憺たる状況。戦いの傷跡。
この国が既に、凶悪な災害に襲撃されたのは一目で分かった。
王都に行った方がいいと言った、オリヴィエの言葉の意味を痛感する。
そして、自然に目線は王城の屋根上へと向かう。
たった今、残っていた蝙蝠の群れが離れていった場所。
そして黒い呪いが見えたーー。
ローレンティアがいる。まだあそこで、戦いは続いているのだ。
屋根に着地する前から状況は視認できた。
右肘から先を無くしたツワブキ。片耳と指も何本か欠けて、血が止まらない。
ローレンティアは、それに比べれば無傷に近いが……屋根を転がって擦りむいた傷が至る所にある。
魔力切れだ、とすぐに分かった。
相手は朱印付き、吸血鬼。二人で死力を尽くして抑え込んでいたのだろう。
二人を痛めつけた敵への怒り。到着が遅すぎた自分への憤り。
を、屋根に着地するまでに静めた。
味方の死地より脅威の排除。探検家の鉄則だ。
「すまない、遅くなった。………後は任せてくれ」
ローレンティアは最初、その光景を現実と認識できなかった。
災厄、強敵、魔力切れ。ここで死ぬのかもしれないと思った。
アシタバ……アシタバだ。この異変の中で、いてくれたらと思う事は幾度とあった。
傷だらけの背中……が今はどこまでも頼もしかった。
「……遅かねぇよ、よく来た。悪い……頼むぜ、後のこと」
隣のツワブキが呟くと、ローレンティアはようやく喋ることを思い出す。
「アシタバ……アシタバ!!大変なの、街が、街が襲われてっ!
ネズミなの、アシタバが前に言っていた!吸血鬼は、蚊を操って病気を移してくるの!
ツワブキさんも、その、もう掛けられてしまって……!」
救援が来た安堵。街の惨状に痛む心。
再会の喜び。ツワブキの重傷を招いた自己嫌悪。
病への恐怖。アシタバへの心配……。
ローレンティアの感情は堰を切ったように溢れ、いつの間にか泣いてしまっていた。
自分が何を言うべきか、伝えられているのか、もう分からなかったが。
「あぁ」
ただ一言、アシタバが呟く。
体は吸血鬼との対峙に向き、首だけ捻って一瞬目が合っただけに過ぎなかったが。
「ありがとう」
それだけで、ローレンティアの心配は溶けていく。
後のことを任せ、祈りへと集中していく。
「大丈夫……俺には、お守りがあるんだ」
「………次はお前が相手をしてくれるわけか」
そうして、吸血鬼とアシタバが向かい合い立つ。
片足と目の欠損。吸血鬼はもはや逃げられない。新たに現れた敵と戦うしかない。
けれどそれは、消極的な選択ではなかった。アシタバの背中の怪我は軽いものではない。
それに自分には、先ほど掴んだ武器がある。
アドレナリンと極限集中……負傷を差し引いても、吸血鬼は150%の実力を叩き出す自信があった。
とはいえ、負傷は負傷。
アシタバも、吸血鬼も早期に自分の全力をぶつけ、目の前の敵を屠ることを選択する。
今から始まるのは、この災厄の最後の戦い。
門番が一体、吸血鬼……対、探検家【魔物喰い】アシタバ。
残る力全てを注ぎ切る、両者の総力がぶつかり合う超短期決戦。
橋の国王都を襲ったヴァンパイア血戦……その決着まで、あと僅か。
二十三章三十二話 『森の国:誰が為に』