二十三章二十六話 『王たる者よ』
なんでだ。
目の前に飛び込んできたブッドレアを見た時、ジンダイはそう呆気に取られてしまった。
矢を放てばこうなるだろうと分かっていたんだ。
誰かの援護のために矢を放って、吸血鬼に標的にされ、殺される。
そう予想できたから、彼らを逃がした。一階へ行くよう命じた。
なのに、なんでまだここにいる。
「行け!!ジンダイさんを守れ!!」
ブッドレア一人じゃない。ユッカが、ネジキが、パースニップが、ジンダイを守るべく敵へと向かっていく。
「待―――」
後ろに半ば突き飛ばされながらも、ジンダイには分かってしまった。
彼らと一年以上の時を過ごした。尊敬もされていたのだろう。
そして彼らの出自も聞いた。自分達黒砦組に憧れたブッドレア。
そしてネジキもユッカもパースニップも。故郷を魔物に滅ぼされた者達だ。
彼らは思いだした。予期したのだろう。
この魔物は、自分たちの故郷を焼き払ったあれを再び起こせる。
それは駄目だ。それは駄目だ!ならば、ならば。
少しでも、可能性を残す選択を。
「押し出せ!!」
若き騎士達が、猛る、猛る。けれど敵に容赦はない。
場を両断するような一閃が、パースニップの首を飛ばした。
「仲間はずれにはしない……ここで全員死ね」
「なんで庇った………!!」
橋の国、王城内。
蝙蝠男プライドを倒し、緊張が解けた場……だが、ツワブキは険しい顔をしていた。
彼が抱えているのは【荒波】のベニシダ……脇腹から血が滴り落ちている。
戦いの決着、プライドに致命傷を与えた後。
敵は死力を振り絞り、命が潰える寸前にツワブキへ最後の攻撃を放った。
急所への不可避の一撃――そこへベニシダが飛び込み、代わりに傷を負った。
「は……なんでか………?あたいが、アンタが傷つくのをぼうっと見てられるわけないだろ」
「……………」
周囲は未だ騒々しい。扉の前で蹲るタランテルへ必死に呼びかけるスプレイセン。
負傷した者へ手当に駆ける騎士達。更なる敵襲を警戒するコンフィダンスらとレネゲード。
「心配し過ぎんな……確かに歩くのはキツいが……治癒魔法は掛け続けてる。死にゃしないよ。
それより………アンタは行きなよ。まだ戦いは終わっていないんだ」
傷口に当てられた手が発光し続けている。確かに……信頼はしていいのだろう。
ツワブキはため息を吐くと、ベニシダを優しく床へ寝かせた。
「レネゲード!ここに残れ。ベニシダのこと任せる!
コンフィダンス達も、また敵が来るとも限らねぇ。負傷者救護とその扉の死守、頼んだぞ」
「ツワブキさんは?」
「俺は行く。ベニシダの言う通りだ。まだ終わってねぇ」
「正面に!」
踵を返しかけたツワブキを、アルストロメリアが呼び止めた。
究極魔法を使い切りやつれたように見えるが、表情は切実だった。
「正面に、ライラックが向かいました!まだ戻ってきていません、お願いです――」
「分かった。見てくる」
風のごとく、ツワブキは駆け出した。
両腕から出血。プライドから貰った傷は深すぎるという程ではない。継戦可能だ。
城内を進むと、吸血鬼に殺された避難民たちの死体があった。
痛ましい。けれど、ここにツワブキがやれることはない。
(くそ………こんなの………早く終わらせねぇと………!)
やがてツワブキは、正面玄関口から外に飛び出る。
太陽光が眩しい。近くで戦闘が続いていることはまず耳で分かった。
騎士達のどよめき。誰かが叫んでいる。悲鳴。
次にツワブキの目が捉えたのは、三つの光景だ。
一、首無し卿の姿。門番の登場に肝が冷える。
騎士達が周囲を囲み、対峙しているのはライラック……だが、多量の出血が見られる。
二、ローレンティア。黒き呪いを纏いながら、たった今地面に着地したところだ。
その目はまっすぐ、王城の上の方を睨んで―――何か叫んでいる。
三、ローレンティアの視線の先。バルコニーの前に何かがいる――吸血鬼だ。
そしてその向こうで、血飛沫が舞っていた―――誰かが殺されている。
門番が二人……そして今、命が奪われている。
ネジキが、胸を貫かれていた。
手刀を引き抜かれて崩れ落ちる。頸動脈を断たれたユッカ。
首を刎ねられたパースニップ。初撃で深手を負ったブッドレアも床に伏す。
バルコニーは既に、血に塗れていた。
その奥で、唯一無傷のジンダイは茫然としてしまう。
「………なんで、こんな…………」
自身が招いた惨劇。仲間が死んだ。黒砦の惨劇……の中で何もできない無力感。
「何故?数年前には当然だった景色だろう?」
頬に付いた血を拭い吸血鬼が笑う。
その通りだ。黒砦では日常だった。あの時と同じだ。
ジンダイは目線を上げて、吸血鬼の冷徹な表情を見る。
こいつらだ。こいつらがいつも、あの地獄をぶち撒けてきたんだ。
「残るはお前だけだな―――」
吸血鬼が最後の一撃のために手を振り上げ。
その胴体へブッドレアがしがみ付いた。
羽虫の戯れをあえて受けたような吸血鬼。
血塗れながらも最後の力を振り絞るブッドレア。
「なんで………」
呆然と呟くジンダイは、一瞬だけブッドレアと目が合った。
「―――あんたを死なせたくなかったんだ」
「………やめろ」
それは、自分がライラックに向けた理屈だ。
仲間を庇って死んでもいいと、思ったのは自分の方だ。
なのに、なのに。
ブッドレアが吸血鬼をバルコニーから突き落とそうとする。が力が足りない。
爪が振り上げられ。止めが刺される―――。
瞬間、吸血鬼の景色が一回転した。
次には、吸血鬼は黒い手に喉を掴まれ空へと突き上げられていた。
ジンダイが遠のいていく。そして自分と並走して空へ駆けあがるのはローレンティアと、黒き呪いに乗ったツワブキだ。
ツワブキが斧でバルコニーの床を破壊し、そこからローレンティアが黒き呪いで突き上げた。
「―――吸血鬼!!!」
黒き呪いで繋がった二人と一体は、そのまま城の頂上を目指す。
(とにかく今はこいつを、周りに巻き込まれる奴がいないとこへ連れてく――)
ツワブキの表情は険しい。何とか救援に入ったが、ライラック班のほとんどは戦死……だろう。
それにその前。首無し卿と吸血鬼が視界にいて、後者への助太刀を選択した。
首無し卿の場は……見過ごした。
(こっちのが急務だった……頼むライラック……なんとか………)
隣のローレンティアに目をやれば、顔面は蒼白。
目だけは鋭く吸血鬼を睨み続けるが、かなり消耗しているのは分かった。
空を陣取る蝙蝠。街から聞こえてくる悲鳴。負傷したライラック。
バルコニーの被害……は各地で起こっているのだろう。ローレンティアは恐らく限界が近い。
”ネズミ”の合言葉は聞いた。根源を早く絶たなければならないことも分かっている。
そして、異変の最初に見たオラージュの究極魔法。
オラージュが今この場にいないのならば、恐らくは。
「………俺がやる、しかねぇわなぁ」
二人と一体は、最終的に王城の屋根の上に着地した。
平坦で殺風景な景色、王都で最も高い場所は周囲を青空に囲まれる。
「全く……なんともしぶとい奴だ。はは、それに懐かしい顔も増えたな。
バノーヴェンでのお返しができるというわけだ」
「は、こっちゃ顔を見たくもなかったぜ」
受け答えしながら、ツワブキはローレンティアに目をやった。
影を差す双眸が黒い炎を灯す。
憎悪。怒りと、悲しみ。自責の念。痛々しくすらある。
思えばあの開幕からずっと、一人で朱紋付きを止めていたのだ。
その中で、さっきのバルコニーのように取り零したものもあるのだろう。
ツワブキから言えば十二分の成果だが、本人からすれば力不足を痛感するばかり。
肉体以上に、今にも心が崩れそうだ。
これで戦いに臨むのは、駄目だ。
「………お姫さん、落ち着け。少し気を静めろ」
「できません」
息が荒い。けれど目線は緩めない。
「オラージュ様が、あいつに殺された……それにエーデルワイスも、足を……!
それよりもっと、もっともっと多くの民達が傷ついて、亡くなって………。
昨日まであんなに平和だったのに………」
団長、に加えて王族。ローレンティアが背負った重責にツワブキは息を吐いた。
「あいつが……あいつが来なければ…………」
憎悪を込めた目は、対峙する吸血鬼へと向けられ――その頭をぽすんと、ツワブキが叩いた。
「だってよ、てめえ、なんか申し開きはあるか?」
この流れで会話を開くのか。吸血鬼は意外そうな顔をする。
ローレンティアのクールタイム稼ぎか……まぁいい。
どちらにせよ局面は王手、この二人を倒せばもう、この国に自分を止められる者はいない。
最後の目的、城内の政務関係者の殺戮は造作もなくなるだろう。
戦闘狂の吸血鬼が国を相手に初めて開いた大々的な殺戮……そのフィナーレに相応しい相手である事は認めよう。
自分の求める答えを、提示してくる可能性が最も高い相手なのも確かだ。
だから吸血鬼は一時、二人との対話を楽しむことにした。
「我が来なければ……まぁそうだろう。だが、それがどうした。
さっきも言ったのだ。数年前までは人間ら全員、これをやっていただろう。
無遠慮に無情に、命が踏み潰されていく……戦争、というものを」
戦争時代に生まれ、戦場を見続けたヴァンパイアには、こっちこそが日常だ。
平穏な暮らしなど彼方の対岸にあるもので。
今、ローレンティアの瞳に宿るものこそが、彼が見たいと欲するものだ。
良い………良い。
「我は貴様らを殺し続けるぞ。それが我の生まれた意味だ。生きる目的だ。
百年続いた人と魔物のあるべき姿だろう!!悔しいか?我が憎いか女!!
ならばぶつけてみろ、貴様が腹の底に抱く……その"憎悪"を!!」
目尻が歪む。口が裂ける。ヴァンパイアは興奮と共に煽る。
揺さぶりではない、とツワブキは観察する。
これまでの戦闘とこれからの期待による異常興奮。
そして門番たる彼が求める答え……憎悪の為か。
「………あいつが憎いか、お姫さん」
一方のローレンティアも興奮状態……というよりは執着に近い。
敵に剥き出しの殺意を向ける彼女は初めて見る。
「はい」
その目は黒く。言葉は硬く。
「私の大切な人達をぐちゃぐちゃにした……。あいつは私が絶対………」
言葉尻は、押し潰されるように消え入った。
無力感だろう。ヴァンパイアの暴虐を止められず、沢山の悲劇が生まれてしまった。
戦いの最中だというのに彼女は自己否定に貫かれ、復讐で、心を燃やして何とか立っている。
ツワブキは少し、昔のことを思い出してしまう。
あれはハルピュイア迎撃戦の時。鐘の上に立って敵に立ち向かう彼女の横顔を見た。
死に瀕して冷静。あれを見て思ったのだ。
アシタバにも言った……彼女には武王の才能があると。
どんなに絶望的でも。敵が強大でも。
あるいは、どんなに仲間の血が流れ、屍が折り重なっても。
冷静さを損なわず、全体を俯瞰し、まるで灯台のように戦場で輝き続けるーーそれがツワブキの思う武王だ。
(故郷がこれだけの目に逢った。
バノーヴェンを除きゃ、ここまでの大敗も大量死も初めてだろう。
戦時中引き篭もってたのを鑑みりゃ十分すぎるーー)
”あいつ、この状況で王女に、戦争を学んでもらおうとしてやがる”。
頭を過ぎったのは、過去の自分の台詞だ。
あれは白銀祭の時……鉄の国王子レッドモラートの侵略の折、月の国王女セレスティアルを前線に帯同させた大魔導師メローネに向けたものだった。
十分戦ったローレンティアに優しい言葉をかけるべきだっただろう。
けれどこの時のツワブキは、彼女の未来を考えた。
「あいつの言ってることは正しい。
これは戦争だ。ちょっと前まで俺たちがやっていた……な」
ローレンティアが疑うような目を向けてくるのにも構わず、ツワブキは言葉を続ける。
「ま、王都が惨事にあうのは流石になかったが……僻地の農村じゃ頻繁にあった。
俺も旅の道中でよく出くわしたぜ。抵抗虚しく皆殺しってやつ。
それにな、正直騎士団の中隊一つが全滅なんてのも珍しくなんかなかったぜ」
「……よくある事だから、今日のもなんて事はないと言いたいんですか?」
こちらにさえ殺意を向けかねない声色。
ローレンティアのその危うさは、やはりここで正さなければならない。
「違う。頭と心は分けろっつってんだ。
戦争時代、身内がやられて怒りのまま突っ走った奴は早死にしていったぜ。
隣の奴がそうなったのを見て、これは駄目だって俺たちは学んできたんだ。
味方の死地より脅威の排除……悲しむよりやるべきをやるんだ。
復讐に囚われたら何も見えなくなっちまう。
落ち着け。目を開け。俯瞰しろ。じゃねぇと本当にしたいこともできなくなるぞ」
”私はそんなの、戦争中に沢山味わったわよ”。
ローレンティアが思い出したのは、姉レスティカーナの言葉だった。
まだ橋の国に来る前の、魔王城でのお茶会。
引き篭もりの自分に代わって辛酸を舐めたといった。
あの時も今も、彼女を認めているとは言い難いが――それでも理解した。
この光景を彼女は見てきたのだ。そして、王族としての務めを果たしてきた。
「しっかりしろ、お姫さん。お前は王になるんだろう」
オラージュの死。エーデルワイスの痛み。この国の民達が負った傷。
ライラックへの急襲、ブッドレア達の虐殺……どれも到底許せるものではない。
瞼を閉じればすぐに、黒い炎が腹の底で燻る。
ローレンティアは深い息を吐き、目を開いた。
未だ街から上がる悲鳴――今、被害に逢っている人がいる。これから逢う人がいる。
この場で吸血鬼を仕留めなければ……王都の壊滅も非現実的ではないだろう。
自分はこの国の王族だ。今やるべきは―――。
「なんだ、つまらない目に戻ったな」
死に瀕して冷静。あの澄んだ目を取り戻したローレンティアを、吸血鬼は退屈そうに見た。
「立ち話など付き合うべきではなかったか……?
しかし今更落ち着いたところでどうだ。分かるぞ女、お前は消耗している。
ならば心を燃やして我に立ち向かう方が勝算があるのではないか?
そう……貴様らの強さ、復讐だ」
「復讐、ね」
人の強さを探る、という門番の目的は聞いている。
こいつはそれが復讐だと結論付けたのか。とツワブキは観察した。
「そりゃ見込み違いだぜ、大将。さっきの話聞いてなかったのか?」
「違う?」
そんなわけないだろう、と吸血鬼は顔をしかめた。
従者を殺され底力を引き出してきたデンドロビューム。
あれが、あれこそが人間の力だ。
「………では、お前は人の強さを何と定義する、男よ」
「ふむ………難しいな。ぴったり当てはまる単語を知らねぇ。
だが俺が思うに、復讐ってのはそれの一部だ。
死んだ奴の無念を、怒りを引き継いで戦う。それもあるがだけじゃねぇ。
人間の強さってのは、お前が言ってるよりもっと広いもんさ」
ツワブキの中にもある。
【万屋】ウドの背中を見て探検家の世界に飛び込んだ。
探検家の先輩から多くを学んで。旅先で見かけた、魔物に滅ぼされた村から想いを引き継いだ。
そして………つい先月の事だ。
”ツワブキ、行くぞ。なんたって俺達は、隊長と副隊長なんだからな”。
”帰れなくて………悪かった。後のことは……頼む”。
長年連れ添った相棒が残した言葉が、今もツワブキの中に流れている。
今隣にいる団長を補佐すること。そしてこの国を守る英雄であること。
そうでなければツワブキは、【隻眼】のディルに顔向けができない。
「…………分からん」
対する吸血鬼は、じっと考えこむ様子だ。
考えて、考えて、けれども彼には分からない。それを彼は、持って生まれなかった。
「まぁ……。違うというのなら、お前らに示してもらうまでだ。息は整ったか、女」
ヴァンパイア血戦を構成する、九つの戦い。
第一戦、城壁での吸血鬼戦……敗北。
第二戦、樹人畑での蝙蝠男スロウス戦……討伐完了。
第三戦、新興街での蝙蝠男エンヴィ戦……討伐完了。
第四戦、古典街での蝙蝠男ラース戦……討伐完了。
第五戦、王都上空での吸血鬼戦……敗北。
第六戦、王城前の首無し卿戦……未決着。
第七戦、王城内での蝙蝠男プライド戦……討伐完了。
第八戦、王城中庭での蝙蝠男ラスト戦……未決着。
「さぁ……やるぞお姫さん」
ツワブキが斧を構える。吸血鬼が嗤い立つ。
橋の国王都を襲ったヴァンパイア血戦も、多大な犠牲を出しながらも敵数を減らしてきた。
敵の残りは三体――ラスト、首無し卿、そして吸血鬼。
「―――はい」
どのような形になろうとも、終幕は近づいている。
ローレンティアもまた、黒き呪いを展開し直し敵に向き直る。
この戦いにおける最後の戦い……第九戦。
王城屋根上での、吸血鬼対、ツワブキ、ローレンティアの戦いが始まろうとしていた。
二十三章二十六話 『王たる者よ』




