二十三章十二話 『嫉妬』
私の故郷は山々の奥、渓谷の側にある秘境のようなところにあった。
巫女というのが、その村での私の役目だった。
巫女は神に祈り、村の平穏を守り、時に邪を払う者を指す。
俗に言う魔法の素質がある者が就き、私の家系は代々巫女を継いで来たらしい。
村の者は巫女を頼る代わりに神のように祀り、生活を支える。
だからまぁ、私は平均よりだらしなく育ったのだろう。
母は私が生まれたのと同時に他界し、父は私が七歳の時に兵役で戦場に行ったまま……だから、叱る人もなくのびのびと育ってしまった。
「グロリオーサちゃん、聞いてよー!昨晩また腰をやりそうになってねぇ……。
あぁやだやだ、歳はとりたくないわねぇ。」
両親と離れ離れになった私への配慮だったのだろうか。
それとも私が巫女だからだろうか。
村人は代わる代わる私の家に来て、食事や掃除をしてくれた。
そのついでとばかりに日々の世間話をする。
巫女という役目の振る舞い方は、母が手記にまとめてくれていた。
曰く、村人の悩みや不安を静かに聞いてあげること。
祭りの時には軽い魔法を使って超常を見せること。
「あぁ巫女様、お祈りします。
私の体が良くなりますように……そして戦争が、この村まで来ませんように」
「………聞き届けたわ。神へ上奏しておく」
最後には、彼らの願いがいつか叶うのだと振る舞う。
王族が宗教を使う日の国だ、こういった神事が根付きやすかったのかもしれない。
巫女が、お祭りに魔法を見せる以外で役立つことはない。
役割の本質は村人の心理的安寧……それが漠然とした保険だとしても、この戦争の時代では必要だったのだろう。
子供の泣き声が、どこから聞こえていた。
屋根の上に立ち、うねる黒い影を纏うグロリオーサは、マナの超常を秘めた目で敵を睨み。
数軒先の屋根の上で、にやにやと笑う蝙蝠男……エンヴィがそれを受ける。
屋根の下は、地獄絵図だった。
子供を探す母。母を探し泣き叫ぶ子供。怯え逃げ惑う者。避難で押し合う怒声。
蝙蝠に噛まれ絶叫する者。そして道端にぐったりと倒れ、体調不良を訴える者……。
鐘の音が伝えた伝染病は、街へ広がっていっている。
足元で命が潰れていく感触がゆらめき、足首へ纏わりつく。
「ははは!弱い者いじめばっかで退屈してたのよ!せいぜい食らいついてきなさい!」
エンヴィが指揮棒のように指を振るう。
上空の蝙蝠達が、雨のように急降下してくる。
「やっちゃえ、あんた達!!」
「ーー"朽ちる散る落ちる三千世界"」
その呟きは、氷の如く。
グロリオーサの影が生き物のように蠢き、彼女を中心とした円形に広がった。
「落とせ」
急降下してくる蝙蝠達が、グロリオーサから軌道をずらし沼のような影へと沈んでいく。
グロリオーサの究極魔法は、重力魔法。
自由に変形させる自らの影を重力の底として、対象を引き摺り込む。
対象を指定し重力の影響範囲を絞ることも可能。
そして影に引き込み切った対象を、影の裏側にある物体に埋没させるという効力を持ち合わせる。
影の沼に沈む蝙蝠達はその下側、屋根に生き埋めとなっていく。
翼などの一部がはみ出てはいるが、もはや行動不能だ。
鐘の音のメッセージは聞いた。蝙蝠は病原体だ。
敵を足止めしながら、同時に個体数を削いでいく………。
「で」
気を抜いたつもりはなかった。
けれどグロリオーサが目を上げれば、エンヴィが接近し回し蹴りの予備動作に入ったところだ。
人間離れした筋力による跳躍は、両者の距離を一瞬で詰め切る。
「私はどう楽しませてくれんのよ」
影がグロリオーサを覆った直後、重い、重い一撃が入る。
蹴り飛ばされた彼女が二軒先の煙突に激突すると、その家自体に亀裂が入った。
一方でエンヴィは、蹴り抜いたばかりの自分の足を不思議そうに見つめる。
「ふーん……小細工使うだけの雑魚と思ったけど……。磁石みたいな反発?……少しはやるじゃない」
反転回路、斥力。
それで蹴りの威力も、着弾時の衝撃も緩和した……とは言え。
攻撃は確かに受けた。ゼロ化とは程遠いダメージ。
猫でも見つけたみたいに笑うエンヴィの視線の先で、グロリオーサが立ち上がる。
「いつか村が窮地に陥った時は、貴女が救うのよ」
母が残した手記には、そんな一文が残っていた。
先代の巫女から新しい巫女へ向けた、“業務引継ぎ”の資料。
私はそれを読んで巫女の仕事、儀式の手順、魔法の修業の仕方を学び。
そして会ったことのない母という人格に触れることもできた。
真面目で、聡明で、優しい母だったのだろう。
真摯に巫女の責務を伝えてくる一方で、こちらの肩の力を抜く言葉も織り交ぜてくれた。
母曰く。
村は戦争による徴兵制で、どんどんと若者がいなくなっているらしい。
だから老人の多くなった村で、行儀良くしていれば私は安泰に生きられると言っていた。
巫女業は恙無く大人しくやり切ればいい。
その一方で、魔法は際限なく勉強をしなさいとも言っていた。
今は戦争の時代で、いつ戦火が降りかかるかも分からない。
自分の身を守るため。そして村を守るため。母が存命の時に、必死に情報を集めたのだろう。
手記には、究極魔法の修業方法まで残してくれていた。
継いだ役目だ。受け取れた想いだ。
だからグロリオーサは母の言葉に素直に従い、深く、深く魔法を理解していく。
特に、彼女の家系に根深く伝わる呪いのこと……。
良く理解をしていく。
本来魔法の才は血を問わず発芽する。
“魔道士の家系”なんてものは存在しえない。
でも確かに実在した彼女の家系が、どういう手段で成り立っていたのか。
「へぇ、意外。逃げないんだ」
立ち上がるグロリオーサの目は、戦意の光を失っていない。
その右手が、割れて家と分離した煙突を掴む。
無生物の重量を軽減する魔法、“重軽石”。
によって石程度の重さとなった、煙突の残骸をやり投げのように投げる。
「ははは!かかってきなさいよ!!」
エンヴィが腰をかがめる、煙突の投擲を交わし――そして、グロリオーサが消えていることに気付いた。
(―――瓦礫の裏)
強化された動体視力。一拍遅れてエンヴィは、投擲した瓦礫の裏にくっついているグロリオーサを看破した。
太陽光の向きに関わらず蠢く彼女の影が、瓦礫の表面を覆っている。
飛ばした瓦礫が自分の重力の底。
「このっ………!」
対応に動くエンヴィよりも一手早く。蛇のように動く影がアッパースイングを放つ。
打撃は軽度、けれど体重の軽い彼女は宙に浮いた。
アラクネ生存戦、ツワブキと寄生獣が交錯した瞬間をグロリオーサも見ていた。
筋力の高い相手は地面と放す。足も付かず、高速移動も繰り出せない中空へ。
「"朽ちる散る落ちる三千世界"!!!」
グロリオーサの影がうねる。敵の頭上で皿のように広がり重力の底となると、そのまま敵を宙に浮かせ続ける。
「なん………!!」
エンヴィが対応するより早く、鋭い一閃が場を過ぎった。
彼女の左肩に突き刺さった矢……彼女の虚を突いて初めて与えた損傷。
だが、矢を射た方からすれば“決定機で仕留め損ねた”結果だ。
「―――直前で感づかれた………ずらされた」
「しゃあねぇ!もう一発打て!!」
援護は五軒先の屋根の影から……狩人、スズナとスズシロ。
スズシロは剣を抜き、グロリオーサに助太刀するべく屋根を駆け。
スズナは二射目を装填する。
「はっ、生意気」
グロリオーサの空中捕縛。そこへスズナの二射目が届く直前。
エンヴィが眼前で起こした行動を、グロリオーサは見届けた。
一匹の蝙蝠が飛んできた。
空から急降下、エンヴィの足元に飛び込み。
そしてエンヴィがその蝙蝠を蹴ったーー否、空中で跳躍するための足場にした。
「こんなんで封じたつもり?」
スズナの二射目は空を切る。
二回、三回と寄ってきた蝙蝠を踏み台に跳躍すると、エンヴィは隣の屋根へと着地する。
(ヴァンパイアと同じ身体能力強化の癖に華奢な体……はその為なのね。
蝙蝠を足蹴にして空中移動するための、身軽さ……)
グロリオーサは知る由もないことだが。
エンヴィが使ったそれは、本来は大司祭オラージュとの戦いで戦死した蝙蝠男“グラトニー”が開発したオリジナルの戦闘技術。
名を“月蝕闊歩”という、その模造品に過ぎない。
彼ら七体の蝙蝠男は、進化を重ね殺意を高めていく過程で、其々が独自の戦闘技術を獲得するに至っている。
「はははははははッ!!!」
橋の国王都、古典街。
蝙蝠男が一体、ラースが嗤う、嗤う。
彼を取り囲むのは七人……ヤクモ、ヨウマ、サクラと、四人の騎士だ。
(他の騎士はやられちまった……コイツ………!!)
エンヴィとは異なり、成人男性の体躯から繰り出される相応の拳、斬撃。
生半可に剣を構えれば吹き飛ばされるか腕が折れるだろう。
周囲には、そうしてラースの斬撃を避けきれず血に沈んだ騎士たちが横たわっていた。
朱紋付きではない……と、戦い始めは思い上がっていた。
戦闘に特化し進化してきた知性魔物、敵は相当に強い。
「あんたも引き下がっていいんだぜ、命は大事だろ!!」
ヤクモがラースの爪を剣で弾きながら叫ぶ。
七人の剣と槍をラースは余裕でいなし、こちらに攻撃さえ加えてくる。
次の敵の斬撃を盾で受けたのは、昼間に街でヤクモ達と諍いを起こしていた騎士だ。
他の騎士からはグロゼイユと呼ばれていた。よく胸元を見れば、どうやら部隊長らしい。
「君たちこそ……命を懸けてもらう道理がない!」
「化け物退治に道理なんざいるか!!」
「………………」
ヤクモとグロゼイユの掛け合いを他所に、ヨウマは探検家総会で未解明のままだった謎……“なぜ吸血鬼の爪先が竜殺しレベルに硬いのか”の答えを見出しつつあった。
(補助武器なんだ………)
誤解をしていた。体術と爪の鋭さこそが吸血鬼の主たる武器かと思っていた。
違う。彼らが最も研ぎ澄ましてきた武器は“伝染病”だ。
(それを齎す手下の蝙蝠の牙こそが奴らの主武器……それを通すための補助武器。
理屈で言えば、全身甲冑で挑めば蝙蝠には襲われない……だからこそ。
相手の鎧を剝ぎ取るための爪……!!)
「ははっ、やるなぁお前達!!もっともそれぐらい骨のある敵じゃなくちゃ困るがなぁ!!」
強い跳躍とともに、ラースが七人から距離を取る。
ここまでの戦いで彼らには分かっていた。
それは逃走目的ではない……敵たるラースが取る、最も危険な行動だ。
近距離戦を磨き上げてきた蝙蝠男の戦法とは真逆――。
そして、ラースが創り上げた戦闘技術の得意距離。
「―――赫火道砲」
一羽の蝙蝠が空から急降下する。
真っすぐ、真っすぐ……膝の腰の高さまで来たそれを、ラースはボレーの形で蹴り抜く。
強靭な脚力によって放たれる、閃光の如き蝙蝠の弾丸。
ヤクモ達は、対応ができただろう。
だがその黒い砲撃は橋の国の騎士へと直撃し、鎧を粉々に砕く。
吹き飛び……隣の家の屋根へと叩きつけられた。
七人の包囲、から一人減って六人。
「………くそ、化け物が………!!」
同輩の脱落に悔しそうに吐き捨てる騎士。戦いに没入していくヤクモ達。
その視線の先で、ラースはにやりと笑った。
「い~い目だ……もっと、もっと闘り合おうじゃねぇか……!」
(取り逃がした……いえ、あの急降下は捕まえられない……)
六人になった包囲網から少し離れたところで、ユーフォルビアは戦況を俯瞰していた。
噴水から大きなクラゲのような水の塊を浮上させ、足のように伸びる水の鞭を振るい、空の蝙蝠を威嚇する。
狙いはラースと手下の蝙蝠の分離、単体の急降下は対応しきれないが、ラースと群れの合流だけは阻む。
(ただ、相手が合流を積極的にしようとはしていない……市民への感染拡大が優先)
近中距離ともに強力、気を抜けば即死の敵。
唯一の救いは、敵が好戦的な性格であることだ。
(逃走は考えなくていい……敵はヤクモ達に執着してくれている。後は……)
正面切っての斬り合いで倒す……と、決意を新たにした時。
ユーフォルビアの耳が微かな異音を聞き取った。
ヤクモ達の戦闘音、街を木霊する悲鳴、蝙蝠の雨のような羽音を潜り抜けてきたそれは、先と同じ鐘の音だった。
"ネズミ"に続いての灯火語り。
ディフェンバキアの戦いが終わり、状況を整理したシキミからのメッセージ……とは、ユーフォルビア達には見透かせるはずもなかったが。
(………"コウモリのちでもかんせん")
ヤクモもヨウマも、サクラもユーフォルビアも、そのメッセージを受け取れた。
誇張なく、彼らの生死を分かつ生命線。
伝染病を武器にした魔物との戦いで何よりも重要な、感染経路の情報。
忘れるわけがない記憶だ。
故郷の村が燃え盛る、赤い、赤い記憶。
ある日突然、魔物の群れが村を襲った。
騎士団のあるような街からは遠く離れた土地だ。
敵襲前に察知することはできず。
若者の離れ切った農村は抵抗する力もなく、一方的な蹂躙が展開された。
戦うべきだったんだ。
準備はしていた。魔法の修業に日々を捧げてきた。
母の手記にもそう記されていたはずだ。
超常を司り、邪を払う。この為に。この為に私は。
気付けば私は、崖の下に突き飛ばされていた。
泣いて叫ぶおばあちゃん達。その背後で燃え盛る村。
おじいちゃん達がそこで、魔物達に殺されている。
「ごめんねぇ、ごめんねぇ………!!」
「でも私ら、若い子を死なせてまで…………」
落下が始まり、全部は聞き取れなかった。でも後から推測はできた。
私は結局、巫女として頼りにされていたわけではなかったんだろう。
生ぬるい日々の中で、神頼みの象徴として頼られても。
凶暴な現実を突きつけられれば私は、“守るべき子供”としか見られなかった。
いや、そうじゃない。私にもっと覚悟があれば。
異変が起こってすぐに、最前線に飛んでいけるような覚悟があれば。
結局私は、土壇場でビビッて役目を果たせなかった巫女。
力を託されたのに守られるだけだった出来損ない。
無作為に芽を出す“魔法の才”が私の家系に脈々と受け継がれてきた意味を私は知っていた。
無作為な現象を作為的にする為の手段……“呪い”。
その実現の為に払われた代償は、「母が私の出産時に亡くなった」という話を聞けば、想像がついた。
「なになにー?まぁたお仲間から暗号通信でもあったわけー?」
新興街、対エンヴィ戦。
敵に対峙するグロリオーサ、スズナ、スズシロの三人も鐘の音のメッセージを受け取っていた。
“蝙蝠の血でも感染”。
噛まれれば感染と考えていた一向にとっては悪い情報だ。
偶然だが、グロリオーサが蝙蝠を沈めて処理した対応は彼女の命を繋ぎ止めた。
(それは、つまり)
スズシロに冷や汗が垂れる。
(蝙蝠の返り血を浴びても死ぬ、ってことか……?)
「ははっ!」
エンヴィが笑う。スズシロとグロリオーサが腰を落とす。
そして次には、敵の不可解な所作に目を見開く。
エンヴィが、自らの左右の手首を牙で噛みちぎったからだ。
けれど意図はすぐに分かった。
血で感染、という先ほどのメッセージが頭を過ぎる。
月天闊歩はエンヴィの同僚、グラトニーの開発した戦闘技術だ。
彼女のオリジナルは別……むしろ技術ではなく体質変化、進化に近い代物。
他の蝙蝠男にはない、自身の血液による感染能力。
感染能力特化の戦闘技術。
「“紅水羽衣”」
エンヴィが腕を振るうと、手首から流れ出る血はリボンのように弧を描いた。
それは美しい羽衣のようでいて……触れれば死に至る死神の鎌だ。
死の具現化……に、スズシロは思わず後退りし。
けれど隣のグロリオーサは、隈の深い目で敵を並んで見せる。
「だからなんだってのよ」
彼女の足元から影が沸き立つ。
赤いリボンをたなびかせるエンヴィとは対照的に、黒いマントを羽織るかのように対峙する。
蝙蝠の羽音は止まない。街からの悲鳴は止まない。
現在進行形で、沢山の人が死の病に沈んでいっているのだろう。
あの日、あの村を襲ったような災厄が。
そして、ローレンティアの顔を思い出した。彼女の故郷、久々の帰省だったのに。
村の滅亡から一人生存した、自身を裂き続けた悔恨が湧き上がる。
「あんたは、私がぶっ潰してやる」
グロリオーサの瞳が、黒く、黒く煌めいていく。
二十三章十二話 『嫉妬』




