二十三章二話 『勇者一行⑦』
たまに、リンゴの剣筋が鈍る時があった。
感知魔法で周囲を把握するオラージュには、勇者一行の旅路の中でその瞬間がよく見えた。
その僅かなぎこちなさは、上達するリンゴの剣技と反比例して、旅を進めるごとに増えていく。
事態の悪化、完全な硬直を目撃したのは、砂の国で砂漠ペンギンの群れに逢った時だ。
奴らへ振り上げた剣を、リンゴはしばらく振り下ろせないまま固まっていた。
奴らは、殺さなければならなかった。
砂を弾く体毛により、砂漠を腹で滑って移動する彼らの移動速度と行動範囲は、他の生物を凌駕する。
群れで方々を渡り歩いた彼らは、砂漠で希少な食料資源を食い尽くした。
時には馬やラクダさえ襲ったほどだ。
サボテンの群生地が消え、生態系が崩れ去った区画がある。
想定していた食料補給が行えず、餓死で全滅したキャラバンも出ていた。
その事情を知らないリンゴではなかったろう。
ましてや、外見の無害さに感化されるような奴でもない。
そもそもリンゴの躊躇は、ゴブリンのような魔物たちにこそ多く生じていた。
オラージュが何か、声をかけようとする前に剣は振り下ろされていた。
魔物の悲鳴。鮮血が散る。リンゴの横顔は既に、戦士のそれに戻っていた。
その躊躇が、リンゴの行動を変えたことはない。
勇者一行の物語で語られるわけもない……それはやがて勇者と呼ばれる者の微かな、微かな心の躓きだった。
火花が散る、散る。
現在、橋の国城壁の上――大司祭オラージュとヴァンパイアの間では、互いの両の掌が幾重にも衝突する。
片や加護魔法で強化された掌底、片や爪。
徒手空拳、同じ戦法の二人の戦闘は、拳を交える近接戦となった。
(こいつ―――)
強い。とは、両者が同時に思ったことだ。
近接戦に持ち込めばカタをつけられると思っていた二人は少なからず驚く。
ここまで肉薄してきた相手は久しい。
近距離の高密度の連打戦。それでも互いに防ぐ、いなす。
「流石は朱印付きか!!」
先に見切りをつけたのはオラージュ。彼女が床に手を当てると、ヴァンパイアを囲むように四枚の加護魔法が生え出る。
白銀祭で工匠部隊の職人達を閉じ込めるのに用いた透明な檻だ。
「はっ!こんなもの!!」
間髪入れず、ヴァンパイアは障壁へと斬撃を打ち込む。
これまで数多の魔物の攻撃を阻んだそれは、しかしガラスのように粉々に砕け散る。
ドラゴンキラーと打ち合う固く鋭利な爪……王族会議で分かっていたことだが、オラージュは再び目を見開いてしまう。
そしてそれは、ヴァンパイアも一緒だった。
加護魔法を放った後、オラージュは素早く距離を取り、コイントスの形で構える。
彼の知らない所作――オラージュの源流魔法にて中距離戦を得意とする彼女の戦法、“發道”。
直後放たれる二つの弾丸。鋭い金属音が響く。爪で弾くヴァンパイアは、不敵に笑う。
加護魔法を砕く両手の爪の破壊力。勇者一行オラージュと近接戦闘で渡り合う体術。
弾丸を弾く反射速度、そして――。
「ははっ、面白いな、人間!!」
ヴァンパイアが強く踏み込むと、直後の跳躍で二人の距離は近接戦闘のそれに戻る。人間離れした敏捷性。
再度、掌と爪の近接戦が展開される。
(爪、流し損ねたら掌ごと貫かれるな……)
自らの掌を武装し近接戦闘を強化する“白掌”。
鉄屑の弾丸のように打ち出す中距離戦法“發道”。
鼠以上の生物の動きを感知する“中虚”。
素早く近接戦も強いヴァンパイアにはどれもが通用しづらく、オラージュにとって相性の悪い敵と言っていいだろう。
そして、何より。
「いやぁ、こんなところなのにめちゃくちゃ飯美味かったなぁ。
布団もふかふかだったぜ、今日はゆっくりできそうだ」
それは「最後の宿屋」という、なんとも不謹慎な名前の宿屋だった。
一度魔王城に挑み、諦めた主人が営むそこは、鉄の国の鉄鋼山脈を抜けた先、魔王軍圏直前と言える場所に立っていた。
主人曰く、魔王城に挑む者達へ最後の憩いの場を提供したいんだとか。
【放浪公子】デンドロビューム。【虎使い】アサガオ。
魔王城が見つかり、僅かだが帰還者も出始めた。
この時代になると、魔王城への挑戦者だけでなく、それをサポートする体制が築かれていく。
魔王軍圏へ侵入するルート。そこから魔王城までの道のり。敵側の断片的な情報。
魔王城に挑み、帰ってきたアサガオが“あそこはずっとずっと地下に伸びている”という情報を広め。
今や挑戦者の間では、魔王城攻略は深淵へと潜る戦いだという認識が定着していた。
「ふふふ、洞窟攻略は長いこと掛かりましたし、今日はゆっくりできそうですね」
勇者一行の四人は一つの部屋に集まり、寝る前の時間を共有する。
野宿以外は、夜は男女別々の部屋で過ごすのが彼らの習慣だったが、この日だけは違った。
これより先は魔王軍の領域、恐らく夜も息を殺し警戒する日々だ。
だからこれが決戦前の、最後の安息の夜だった。
「ま、思い返すと案外長いようで短い旅だったな」
「うわ、そういう振り返り始めちゃうのか!?」
「うふふ、いいじゃないですか。私は楽しかったですよ、四人旅。ねぇオラージュ?」
「……ま、色んな意味で退屈しなかったよ」
幾多の夜を、幾多の死闘を四人で超えてきた。
最初は価値観の違いから衝突もあったが、今は互いに背中を預けられる仲間同士。
このまま、ずっとこのメンバーで旅を続けてもいいと思ってもいた。
だが、終わりは明確に近づいている。
「あぁ、なんか実感ねぇな。村出たのが昨日のことみてぇだ」
「うふふ、それは言い過ぎですよ。初めて会った時と比べれば、イチゴもリンゴもすごく強くなっています」
「そうだな、さっきの彷徨う鎧なんか――」
しばらく、これまでの旅の思い出を挙げてはそんなこともあったなぁと笑い合う時間が続いた。
彼らの旅物語にはまだ、勇者一行の装飾語はついていない。
けれど幾度とない死闘を潜り、人知れぬ絶景を目にし、窮地を何度も打破した旅路は既に、人生で最も輝かしい思い出になるだろうと確信ができるものだった。
「ところで、いいのか?オラージュ。
これより先は魔王軍の領域だ、追加料金を打診するなら今だぜ」
何の話の折りだったか、リンゴがにやりと悪ふざけを口にした。
オラージュはメローネに雇われる形で旅に参加した。
魔王討伐後の成功報酬も、三人と確約済みだ。
「ははっ、確かに、オラージュ様の本領発揮ってタイミングだな!
俺の取り分からもう一割持ってくか!」
イチゴも乗っかり、メローネは呆れ。
「……その話は一旦置いておこう。私からもこの先に進む前に聞いておきたいことがある」
オラージュは、真剣な目と声色を返す。
「リンゴ。お前、魔王を殺せるのか?」
柔和な場を断つ、刃のような問いかけ。
だがそれは、メローネもイチゴもオラージュとは違う方法で勘付き、黙っていたことだった。
四人はまだ、魔王がどういう存在なのか知らない。
けれどリンゴの聖剣であれば、いかなる状況に陥っても有効打としてあり続けるという確信があり、だからこそ対魔王戦の中核と見なされていた。
リンゴの硬直……魔物の戦いにおいて時折発露するそれが、魔王戦で妨げにならないのだろうか。
オラージュの予想では、その硬直は恐らく、魔物に対する同情によるものだった。
どういうきっかけでリンゴの中にそれが芽生えたのかは分からない。
けれど彼は、魔物を“生物”として見始めていた。
「は、何言ってんだよオラージュ」
オラージュのその心配を、リンゴは一笑に伏した。
「沢山の人に襲いくる魔物達を倒す。その根源の魔王を倒す。
旅の始まりから据えてきた、俺達の目的だろう。
何ら変わりねぇよ、俺がこの剣で、魔王をぶっ倒す」
オラージュに劣らない、鋭利な目線を返してくる。
確かに躊躇いはあっても、最後には魔物に剣を振り下ろしてきた。
言葉は真実だ。戦ってきた彼の姿も知っている。
「………分かった。ならば私もお前を信じるさ。そして、さっきの質問にも答えよう」
「さっきの?」
「追加料金」
あぁ、とリンゴは気の抜けた返事をするが、オラージュは真面目だった。
「そんなものは要らない。それにお前を信じて、命を預ける。仲間だからな」
旅仲間達は、数秒後にはにやにやし出して、珍しいことを言う自分の顔をじろじろと見てくるのだろう。
構わない。ここで言っておくべき、大事なことだ。
「だから、旅の最後まで共に行こう。私達なら辿り着けるさ、きっとな」
「いいぞ、人間!!もっと、もっとだ!俺に抗ってみせろ!!」
叫ぶ、ヴァンパイアの声は狂気と歓喜に満ちていた。
最初に拳を交わした時から分かった。相手は戦闘狂者だ。
人と変わらない高度な知性を有しながら人への殺意を抱き、戦闘と殺生に快楽を見出す類。
を、射殺すようにオラージュが睨んでいた。
「お前みたいのを見ていると」
あの、リンゴの躓きが。
馬鹿にされているような気がした。
「虫唾が走るんだよ」
オラージュが低く屈み、吸血鬼の下へと潜り込む。
反射的に鳩尾を庇った敵に構わず、オラージュは右腕を掴んだ。
拳法を習得した吸血鬼でも、それは知らない動きだった。
反転し、オラージュは背中を敵の腹に当てる……柔術、背負い投げだ。
「ははっ!」
逆の手で地面を穿ち、体を反転させて着地する吸血鬼の目は再度見開かれる。
オラージュが鉄屑を放り投げてきていた。太陽光を複雑に反射し虹色に煌めく……透明な結晶体が鉄屑を覆い、振動している。
「發道烈火」
直後、炸裂する鉄屑から加護魔法の刃が飛散する。
体勢を崩された吸血鬼は直撃を免れず、とっさに顔を腕で覆うが四肢に切り傷を負い。
そして盾とした腕が死角になった。
オラージュは吸血鬼の想定を上回る速度で接近、その掌底を叩きつけようとする直前だ。
そして背負い投げ、發道烈火に続く三度目の想定外が吸血鬼を襲う。
吸血鬼の生死を分けたのは、その動体視力の高さだろう。
その時のオラージュの手が、手の平を叩きつける形ではなく手刀の形だったことから、死力を振り絞って身を捩った。
「白掌朱刀」
次には、吸血鬼の胸元から鮮血が飛び散っていた。
掌の盾としていた加護魔法を、手刀を強化し刃として行使する。
勇者一行では後方援護、近距離戦は護衛術にしか使わなかったオラージュが、殺すべきと見定めた相手と一人で戦う際に持ち出す殺傷力特化の近接戦法。
「が……ぁ……!」
渾身の蹴りを繰り出す吸血鬼。
オラージュはあえて受けて距離を取り、胸を抑える吸血鬼を睨む。
「逃げてもいんだぞ。まだやるか?」
「はっ……逃げるわけがないだろう」
超然と振る舞い敵を見下すオラージュ。
深い損傷に息を荒げながら、敵を睨む吸血鬼。
「なら、ここできっちり殺してやる」
「ははは……それは我の台詞だ」
吸血鬼にとって、王都襲撃前にここまでの損傷を負うのは想定外だったろう。
だが人類屈指の英雄と魔王軍最高戦力の戦いにおいて、ここでどちらかの命が潰えてもなんらおかしくはない。
二十三章二話 『勇者一行⑦』




