二十二章十九話 『橋の国:謁見の間』
魔王城に来るまで、使用人としてのエリスにはいい思い出がなかった。
辺境の古城に引き籠る主君。誉れとはかけ離れた仕事。
買い出し先で後ろ指を指され、日常に楽しみはない。
たまに行くことがあった王城は、とても嫌いだった。
“呪われた王女”の後始末を自分に押し付けて、栄華な生活でも送っているように見えた。
それでいて自分には極力関わらないように、あるいは浮浪者でも見るような目を向けて来る。
元はと言えば、この城で生まれた歪じゃないか。
という、ぶつける当てもない苛立ちだけを抱え続けた。
自分には分からない。
家族なのに、国の端に追いやるほど憎む女王の心情も。
王族の一人に誰も味方しない国の騎士達も。
贅沢に暮らし、大きな城に住んで、周囲に沢山の従者がいても。
歪みは、治らなかったのか。そんなことを思った。
「だーかーらー、俺は銀の団の一員だって!
ローレンティア団長と一緒に来たの。不審者じゃねぇって」
橋の国、古典街。
ある通りで、目の前に立つ騎士三人にガンを飛ばしていたのは傭兵ヤクモだった。
側に立つサクラと、反抗的な態度を隠さず騎士達に接する。
「嘘をつけ、どう考えても使節団の一員の身なりには見えないぞ」
「戦闘従事者なんだ、護衛係!文官できる頭に見えるかぁ?」
「騎士なら使節団に相当数いただろう。彼らは団長殿に帯同し王城の中だ。
護衛係というなら、何故街をうろついている」
「だからよぉ、俺の担当はそういうお堅いところじゃねぇの!
旅の道中の傭兵と思ってくれよ!政治ごとがはじまりゃ手持無沙汰、街の観光でもしてるしかねぇの!」
「銀の団と装って不法に街に侵入したんじゃないのか?
それとも、ローレンティア王妹の従者だから胡散臭いのか?」
「あぁ?そりゃどういう意味だ……?」
疑いの目を向けて来る騎士と、苛立つヤクモ。場を静観するサクラ。
彼らの態度は高圧的、それに加え零れたローレンティアへの言葉に、一触即発の緊張感が漂う。
「とにかく、古典街は身分の不確かな者がうろつける場所じゃない。一緒に来てもらおう」
「ちょっと待……テメェら……!」
「ヤクモ、サクラ!!ストップ!!!」
実力行使に出ようとした騎士と反抗しかけたヤクモ達を鋭く制したのは、場に駆けつけたヨウマとユーフォルビアだった。
「はいはいはいすいません、こいつら俺たちの連れです!
ご迷惑をお掛けして申し訳ない!」
「これ、ディアスキア王妹から頂いた身分証明です。
私が四人分まとめて持っていて……。
まだ疑わしいのであれば、本格的に照会をかけて下さい。
ローレンティア様か、ディアスキア様なら分かるはずです」
先ほどまでの短気な二人とは打って変わり、手堅い方の二人に、思わず騎士達は顔を見合わせる。
「…………」
「あーちくしょう!なんだあいつら疑うだけ疑いやがって!
勘違いと分かりゃ“誤解を与えるような行為は慎め”だとぉ!?
まずは非を認めて謝れってんだ!」
騎士達の離れた後、面倒ごとから解放されたヤクモは、まず怒りを露わにする。
「古典街は外部からの客が来ない上級国民向けの街って聞いてただろう。
そんな傭兵の格好で彷徨いてたら、向こうが怪しむのも当然だ」
「百歩譲ってそこは良いとしてだ!
俺が気に食わねぇのはあいつら明らかに団長を下に見てたとこだ!
舐めやがって、自国の王族だろうが」
「落ち着け、染み付いた風土に苛立っても何も変わらないだろう」
怒るヤクモと諌めるヨウマ、サクラは不思議そうにユーフォルビアの服の裾を引っ張る。
「ローレンティア、舐められてるの?なんで?」
「……ティアは、ここにいる時はあまり王族の務めを果たせなかったって言ってた」
「昔がそうだから?でも今は立派じゃない」
「そう……でも、いくら魔王城で活躍しようとこの国の人達には関係ない。
この国を出て魔王城に行った途端活躍し出したのは、逆に面白くないんじゃないかな」
「面白くない……?」
はてなを浮かべるサクラに、へへ、とヤクモが腕組みをする。
「例えばだ、お前と仲のいい友達が別の友達と遊んでいる時、いつよりずっと楽しそうだったらなんかもやっとするだろう?」
「え……?分かんない」
「うーわ、友達少ないガールの弊害だぜ!
お前そういうの気をつけろよ、人間関係は繊細なんだぜ」
「ここの騎士達は、同期を戦争で失ったり、復興中に国の疲弊具合をよく見てきたのかもしれない」
逸れがちだった話を、ヨウマが戻す。
「団長が戦後の時代で活躍するほど、あの戦争中にいてくれたら、って思いもあるのかもなぁ」
「お家事情に知らんぷりしてた奴らに不平を言う資格はねぇよ」
「しがない騎士に、王族のお家事情に楯突けってか?無茶振りだろう」
「だとしても、申し訳なさそうにしろよ。偉そうにしてんの、気に食わねぇったらありゃしねぇ。
なんだなんだぁ、あれが本場の騎士様ってならがっかりだなぁ!」
人間関係。お家事情。国と騎士。
ヤクモとヨウマの言い合いは、どちらが正しいのかサクラにはよく分からなかった。
「難しいのね……国って」
「王城ってのは、堅っ苦しいなー」
と、ライラック班のアフロの大男、パースニップが呟いたのは橋の国王城の中でのことだった。
白く清潔で高い天井、建築国家の粋を集めたような廊下の壁に、騎士正装に身を包んだライラック班が立ち並ぶ。
キョロキョロと周りを見るパースニップ。緊張しいのユッカ。カチコチのネジキ。
他、騎士経験のあるコンフィダンス達の振る舞いは流石だったろう。
彼らの右後ろには大きな扉が控え、ローレンティアやツワブキ、ライラック、ジンダイらはその向こう、謁見の間へ進んで行った。
「パースニップ。真面目にやれ、見劣りしてんぞ」
小さな声で身内を叱ったのはブッドレアだ。
その目は睨むように扉を挟んだ反対側に揃い立つ、城内の近衛騎士達に向けられていた。
彼らは扉の左右に別れ同じ向きに立ち、主人達の用が終わるまで静かな時間を共有していた。
近衛騎士達はまるで芸術品のような鎧に、石像のような立ち。
唯一人間味を感じられたのは、時々横目でこちらに注がれる……棘のある目線だ。
「田舎騎士だってバカにしてんだ、ちくしょう……」
「そうかぁ?そりゃ自意識過剰じゃねぇの?」
ブッドレアの隣、コンフィダンスは余裕そうに諌める。
「まぁ友好的じゃねえが、侮蔑ってよりは嫌厭だなぁ。
団長さんと魔王城からやってきた奴らとは、不用意に仲良くする気はないって感じだなぁ」
コンフィダンスの哲学に則れば、悪くはない状態だ。
騎士は商人ではない。平和の時代では、適切な牽制と拮抗こそが最善の姿。
こちらの騎士とあちらの騎士の関係はこれで構わない。
問題はローレンティアが彼らの側を通った時に漂った緊張感。
そして………。
「おい、あれ……」
というあちらの騎士の小さな呟きが聞こえた。
こちらに勘付かれないようにしているのだろうが、先程から小さな興味がちらついている。
「あんたも大変みたいだなぁ、エリスさん」
コンフィダンスに声を掛けられても、エリスは眉一つ動かさず正面を見つめ続ける。
この場の誰よりも従者らしい、ぶれない待機の姿勢だった。
「……いえ、慣れておりますので」
「慣れてるってなぁ」
「今更付き合う必要はありません。私達の今のままでいれば、それだけで十分です」
ローレンティアへの過去の反感が、特にこの王城に根強く残っていることはエリスが一番承知をしていた。
暗い噂がローレンティアの足元に絡み続けるのなら、彼女の今をありのまま見せびらかすだけだ。
彼女はそれだけの風格を身につけた。
「エリスさんよ、お前はこの国の奴らを見返すために来たのか?」
「…………」
コンフィダンスのその問いに、エリスは明確に答えられなかった。
「自らの務めと、その誇りを忘れないようにするのですよ」
その言葉は、よく記憶に残っている。
王立学園の卒業式。エリスは使用人としての就学を終え、長年寮生活を過ごした学校を離れるところだった。
気分は最悪だった。
既に、“呪われた王女”ローレンティア王女への配属が告げられていた。
遠くからは、卒業の達成感と新たな配属先への期待を友と分かち合う、同級生たちの弾んだ声が聞こえていた。
エリスと同じく日陰にいたのは、王立学園の教師の一人だ。
この人が貴族なのではと勘ぐってしまうほどの気品を備えた老婦。
そう言えば、彼女の担当した調理科は唯一、スターアニスと同じ成績を取れたな、と思い出す。
「実務において、貴方のことはそう心配していません。一人でも役目を全うできるでしょう。
けれど心配なのは、境遇と理念………前者はこれから時間を掛けて向き合っていくしかないでしょう。
ただ後者は、貴方の在学中に伝えきれなかった我々の責でもあります」
「理念………」
「使用人の務めと、その誇りですよ。意義のない仕事ほど虚しいものはありません」
心配そうな相手の顔は、エリスの心には届かなかった。
今更何を言われても、自分の配属先と巻き込まれる境遇が全てだ。
不条理に沈められた自分に条理を説くなんて、馬鹿げたことだとは思わないのか。
「忘れてはなりません。貴方が為すことの先に何を据えるのか、その理念を心に灯し続けるのです」
懐かしい光景だった。
太陽光がステンドグラスを通り、柔らかな光となって降り注ぐ。
橋の国王城、謁見の間。ローレンティアが魔王城行きを言い渡された場だ。
謁見の間の壁際にはあの日と同じく、騎士達が揃い立つ。
だが前の時ほど刺々しい雰囲気はない。
それもそのはず、謁見する側に立つのはローレンティアだけでなく、ディアスキアとステファニア、レスティカーナら王家の姉達も一緒だった。
他には【凱旋】のツワブキ、【黒騎士】のライラック、秘書ユズリハらも並ぶ。
謁見される側、王座に座すのは新王セトクレアセア。
そして場の緊迫感をもたらしているのは、隣の王座に座るレインワルティアだった。
「久しいな、ローレンティアよ。よくぞ城へ舞い戻った。
視察の時のみならず、其方の魔王城での活躍は耳にしている。
今回の帰省では団長の責務は忘れ、ゆっくり羽を伸ばすがよい」
場を和らげるためのセトクレアセアの言葉は、あまり意味をなさなかった。
周りの騎士達も、レスティカーナ達もよく知っているからだ。
この場の支配者は、レインワルティア。
歳を重ねても未だ衰えないその美貌は、今は目の前に姿を現した娘に対する嫌悪と苛立ちに染まっていた。
「ご歓迎感謝致します、セトクレアセア陛下」
兄の言葉を受け、ローレンティアが王族じみた会釈をする。
「私も久しい故郷に舞い戻り、心が軽くなったようです。こうして兄上方とあい見えたのも――」
「なんであの子がここにいるの?」
形式ばった社交辞令は、無遠慮な一声で両断される。
レインワルティアの目は氷のように冷え、その問いかけさえもローレンティアに向けられたものではなかった。
「母う――」
「ディアスキア、ステファニア、これはどういうこと?」
暴走気味の母に先手を取られ口を紡ぐセトクレアセア。
珍しく、少し怯えたような表情を見せるレスティカーナ。
ディアスキアとステファニアは一瞬目を交わし、呆れたような微笑みでステファニアが口を開いた。
「状況から言って仕方のないことだったわ、お母様。
街は既に凱旋の噂で持ちきり、無視を通す方が不自然だったんだもの」
「私が頼んだこととは違うわ」
その言葉は、広い謁見の間を凍てつかせる程の強烈な拒絶を孕んでいた。
母の癇癪に慣れたステファニア達も、思わず固まってしまうほどだ。
ローレンティアは段上の母を見る。
魔王城に行く前にここで会話を交わして以来、擦れた目は鬱陶しそうに自分を見下ろしていた。
自分に向けられる嫌悪の元凶に、直接対面したのは初めてに思えた。
ここまでのものなのか。いや、そもそもはキリを暗殺者として向かわせた相手だ。
「……お母様。そのような物言いは棘が立ちますわ」
ステファニアがささやかに反論する。
「そんな話はしていないでしょう」
「いいえ、国の皇太后らしく振舞ってとお願いしているのよ」
ディアスキアも加勢すると、母娘三人の間に張った沈黙が訪れる。
普段は母寄りのディアスキア達の珍しい反論に、周りの騎士達も少なからず浮ついた。
「はーはっはぁ、いやぁ悪いことをしちまったなぁ、レインワルティア殿!
お二人の対応は仕方なかったってもんだぜ、なんせ俺が派手な凱旋やるって街でふかしまくったんだからなぁ」
一閃、よく通る声が謁見の間を駆ける。
この空間の雰囲気に支配されず、逆に自分の色に支配し返すことのできる稀有な人物……【凱旋】のツワブキだ。
「ご家族で喧嘩なさることはねぇ、文句ならこのツワブキが全て受けるぜ」
無遠慮な割り込みに、レインワルティアは苛立ちを隠さず睨んだが、ツワブキはにやりと笑みで答える。
懐柔ではない、どちらかといえば喧嘩を売っているのだ。
隣で見ていたライラックは、これまでの嫌がらせのような流れを経てツワブキの方も相当苛立っているな、と俯瞰する。
「………ふん」
怒りが爆発するのではないかという緊張さえ場に漂ったが、レインワルティアは不機嫌そうに目を逸らすだけだった。
英雄と皇太后の衝突に、場の騎士達は背筋を凍らせ。
「まぁまぁ、ツワブキ様があのパレードを企画して下さったのね!」
すぐに場を転換できたのは、皇太后と同じ格式を有する者しかいない。
臙脂色の長い髪をまっすぐに伸ばしたその女性は、セトクレアセア国王、レインワルティア皇太后と並ぶ三つ目の王位に就く。
現、橋の国王妃、マーガレット。
「とても盛大にしてくださったでしょう、王城からも様子が見えましたわ。
思わずセトとの結婚式を思い出してしまったぐらい、ふふふ!」
少女のような無邪気さと、淑女らしい気品。
兄の結婚相手、義姉にあたる人物はローレンティアにそう映った。
確か幼い頃、結婚式のお祝いで一度会ったっきりだ。
「それはそれは、喜んで頂いてこちらも催した甲斐があったってもんだ」
マーガレットの笑みに、本来の笑顔で答えるツワブキ。
「随分と意外な結果だったような口ぶりねぇ」
刺す言葉を投げるレインワルティアには、マーガレットが呆れ顔を向けた。
「お義母様、子供が寝付いた夜は鶏も鳴かないものですわ。
小言は抑えて下さい、騎士たちが動揺してしまいます」
彼女のことは、結婚式に参列したローレンティアにも朧気ながら知識があった。
幼い頃から許嫁としてセトクレアセアの側にいた人物。
王家ともつり合いの取れる大貴族の長女。あのセトクレアセアが妻に選んだ人物。
それが騎士達に言葉を行き渡らせ、皇太后をも制する人物だとは、ツワブキも知らなかったこと……嬉しい誤算だった。
「遠き旅路を経て、よくお越しくださいましたね、ローレンティアさん。
貴女と会えるのを楽しみにしてましたよ」
マーガレットの目が、ローレンティアへと真っ直ぐ向き、緩む。
二十二章十九話 『橋の国:謁見の間』




