二十二章十六話 『間話:ヤグルマ将軍』
ローレンティア、アシタバ達の話から、少しばかり時間は遡る。
銀の団が始動して二年目の流れ月。
この月には、歴史に残る出来事が二つ起こる。
砂の国、カプア湖。
「はーっはっはぁ!!議会のストック殿は予想していたが、まさか王家のシャルルアルバネル殿まで出迎えてくれるとはなぁ!!」
「元王族ね」
シャルルアルバネル、パッシフローラ達の前に、大きな熊のような男が仁王立ちしていた。
彫りが深く覇気の滲み出る顔立ち、太く筋肉質の四肢、王族ながら全身に刻まれた戦傷。
鉄の国国王、ブラックベリー。
「出迎えじゃないわ、たまたま居合わせただけよ。
それにこちらも、まさか最前線に国の王が出張ってくるなんて、この目で見るまで信じられなかったけど?」
「はははは!!前線で指揮してこそ鉄の国の王というものよ!」
「あらあら、私はてっきりこの機に、私たちの国の地理を知り尽くす魂胆なのだと思っていたけれど」
「ま、それはこの防衛線に加わる我らに相応しい報酬というやつだ」
打算を隠さず、ブラックベリーはニヤリと笑う。
「安心しろ、多少情報が増えようとも砂漠は砂漠だ。
我が国と日の国に挟まれながら長らく攻め落とされることのなかった、天然の要塞っぷりは変わらん」
「…………」
シャルルアルバネルはそれほど楽観的には考えなかった。
その天然の要塞が敵の手に落ちれば、鉄の国の眼前には攻め落とし難い敵の拠点が出来上がることとなる。
だから砂漠の入り口で堰き止めたい、その利害はわかる。
けれどその共同戦線の中で鉄の国が得るのは砂の国の地理と兵力情報、そして砂漠での戦い方だ。
シャルルアルバネルが目配せをすれば、ストックは肩をすくめて見せた。
(ま、遠い未来のリスクをうだうだ言ってる場合じゃないのは分かるけど……)
ブラックベリーの背後では、長旅を終えた鉄の国の兵士達が荷解きに勤しむ。
カプア湖の北端が、戦争向けに変えられていく。
「ま、仲良くしようぞ、砂の民達よ。それより敵国の様子はどうなんだ?」
日の国の方を睨むブラックベリーへ、今度はストックが応える。
「我々の動きを受けて、敵方も南端へと兵を集め始めたようです。
国境警備強化という名目でね。率いるのはヤグルマ将軍」
「あぁ?ヤグルマぁ?大物も大物じゃねえか」
その者については、パッシフローラ以外の全員がよく知っていた。
銀の団で言えばツワブキ、王族付きの近衞騎士を除けば、日の国の全ての騎士の長であり頂点。
日の国の戦線はトウガ傭兵団の死闘に守られたところが大きいが、大国日の国の他の国境線を守り切ったのは彼と、彼が育てた騎士達の功績であり、国内に絞れば五英雄と同等の尊敬を集める人物だ。
「なんでえそんな奴が……」
「単純に、我ら国二つが足並みを揃えるこの地に、女王ゲッカビジンが一番強い手札を切ったのか……。
あるいは彼女と、この戦線の国家レベルの緊迫感を鎮めるために、彼自身が出てきたのか……」
ストックの呟きに、一同はあてもなく日の国の方角を眺める。
全員が後者……女王ゲッカビジンの対立候補の登場を、どこかで願っていた。
「ヤグルマが南に?」
一方、同じ情報を日の国内で受け取ったのは、【用心棒】エンドウ、円卓会議書記ゼフィランサス、元日の国代表ゼブラグラスの内部潜入組だ。
竹藪の中、エンドウと背中合わせに岩に座っていた情報屋【枯野】のリヘイは目を閉じたまま頷いた。
「あいつぁ王家の"神の子"宗教に従順なとこがあったが、それ以外は全体を見て芯の通った考え方ができる奴だ。
南への移動が奴か女王かどちらの意向にせよ、それで砂の国との国境が一触即発、てことにはならねぇだろうな」
「反乱側に引き入れられそうか?」
「いや、さっきも言ったが信心深くはある。
リンドウ王子に加えて説得材料を揃えりゃだが、余程じゃない限り中立が関の山だろうな」
ふむ、とゼフィランサスが情報を咀嚼する。
「王座を奪ったサキュバスが何をしでかすか分からないこの状況で、軍のトップが中立寄りなのはありがたいですな」
「だが持ち込めるのはいいとこ膠着状態までだ。
先日のレッドモラートの婿入りもある、敵の手は未知だ。呑気にはいられんぜ。
貴族どもの説得は進んでいるんだろうなぁ?」
リヘイの質問には、ゼブラグラスが答える。
「……確実に信頼のおける十二の家には協力の確証を取った。
いずれも親リンドウ派、あるいは正しい情報が広まった土地だ。
リンドウ様の御旗の下に、然るべき時には挙兵頂けることになっている。
そしてこれからは……信頼度が少し下がる、グレーな家々に話を広げていく」
「おいおい、大丈夫か?欲張って情報が漏れたら向こうも放っときゃしねぇぜ?」
「勿論承知している……が今の限りでは兵力が足りない。
せめて一段下の十一貴族にも話を通さねば、反乱の絵図は成立し得ない」
「ま、まずはシャクヤク家をあたってみるつもりだ」
「ふむ」
今まで懐疑的だったリヘイも、その人選には納得したのだろう、言葉を納めた。
日の国でも指折りの大貴族かつ他貴族にも強い繋がりを持つ。
気性も中立的。彼らを抑えれば、芋蔓式に協力者は得られるだろう。
「……文句はねぇ。が、気ぃつけろよ」
「あぁ」
二人が立つと、情報屋とエンドウ達はそれぞれ、別方向の竹藪へと消えていった。
「ヤグルマ将軍!ヤグルマ将軍!!」
日の国の騎士達の大将、ヤグルマは、日の国首都圏の騎士団関所でうたた寝から覚めたところだった。
この頃寝付きが悪い。伸びをすると全盛期を過ぎた体の節々がわずかに痛む。
寝ぼけ眼を擦ると、目の前には部下、中将ソテツが心配そうにこちらを見ていた。
「ようソテっちゃん、どうしたそんなに慌てて」
「どうしたじゃないですよ……最近眠れていないのでは?
こんなところで仮眠など……」
「はーっはっはぁ!おっさんのうたた寝にそう慌てなさんな!千人長だろうがお前は!」
少し頬のこけた顔は陽気さに欠けるが、槍を持てば戦いは流麗で力強い。
新人時代から見守り育て、共に出世街道を歩いてきたヤグルマの右腕だ。
「やはり、砂の国戦線の準備で忙しいので?
ヤグルマさんの将級で戦線の長を務めるなど、やはり過労の元ですよ」
「ばぁか、俺の心配なんざ十年早ぇ!」
昔から、腕は確かだが騎士にしては繊細すぎるきらいがあった。
「他の者には任せられないのですか?」
「……無理だ。砂の国と鉄の国と、一触即発の戦線だぞ?
一分の隙も許さない駒運びが要る。敵に見せる隙じゃねぇ、ボヤを起こさない隙だ。
間違えれば国が滅んでもおかしくない。だから俺が出なければならん」
「しかし……」
ソテツの言葉を、わっという歓声が遮った。
彼らの部下、若い兵達の興奮じみた会話が聞こえてくる。
「なんだ……また来ているのか、婿殿は」
彼らのいた場所から近くに、兵達の修練場があった。
だだっ広い広場だが、今は騎士達が大きな円を為している。
その中央には尻餅をついた男と、それに手を差し出す男、今やこの国の国王、レッドモラートの姿があった。
「カキさんに勝つとは……」
と、囲んだ騎士達のどこかから呟きが漏れ聞こえてきた。
レッドモラートに起こされた男はカキという、この詰め所の中でも五指には入る実力者だ。
(カキに……鉄の国の王族は将軍と同義と聞いたが、本当のようだな)
彼がゲッカビジンと再婚し、この国の王となると告げられたのは一週間前……。
情報開示は首都の公務者に限ってだったが、それでも衝撃は相当なものだった。
開示当初、騎士達には困惑が漂い、レッドモラートには漠然とした近づき難さを抱くばかりだったが……、
「これはこれは!ヤグルマ将軍ではないか!ずっと会いたいと思っていたが、こんなところであい見えるとは!」
こちらを見つけ歩み寄ってくるレッドモラートは、槍試合を終えた後の清々しい笑顔だ。
鉄の国らしく、武においては裏表なく真摯。
「ずっと貴殿の噂を耳にしていたぞ!一度手合わせしたいと思っていた!今暇か!?一戦やろうではないか!」
「ちょっと……」
と言いかけたソテツを目で制した。
前評判はともかく、ヤグルマはこの場を騎士として対応する。
「……承知しました。不肖、このヤグルマがお相手させて頂きます」
日の国に馴染むという点では、レッドモラートのやり方は最適解に思えた。
元々戦場叩き上げの鉄の国の王族だ。まずは軍部から支持層を獲得するのは理に適っている。
本人の性格も爽やかで実直。武に携わる者なら、槍を交わせば親近感を覚える者も多いだろう。
それがどれだけ打算の入った行動なのか……あるいは、女王ゲッカビジンが整えた絵なのか。
「騎士の長として、守るべきお方に負けるわけには参りませんなぁ」
レッドモラートの槍が、宙を待っていた。
試合の結果は向こうにとって意外だったようだ。
前線を退いた老兵なら勝てると思ったのか。
あるいは鉄の国でもこれほど武に長けた者が珍しいのか。
周囲はどよめき、あるいは上司の勝利に満足げに頷く。
レッドモラートはしばらくぽかんとしていたが、やがてにかっと顔を綻ばせた。
「噂に違わぬ豪傑だ!戦場叩き上げの武将という噂は真だったか!素晴らしい、素晴らしいぞ!」
「陛下こそ、あー……しばらく槍から離れていらしたのに、鍛錬は欠かさなかったとお見受けします」
「投獄中の鍛錬と言えばよい!はは、私が敵わぬ騎士がいるとは、面白くなってきたな!貴殿は忙しいだろうが、暇ができたらまた一戦交えようぞ!!」
「はっ。私も楽しみにしております」
レッドモラートが差し出した手を取り、会釈する。周囲の騎士達からは自然と拍手が起こった。
鮮烈だ。この国の王家は神性による宗教統治、肩を並べ槍を交え、親しみやすい国王は史上初かもしれない。
「お疲れ様です、ヤグルマさん。武術は健在なようで」
「ばっかやろう、あれで負けてたら俺は武者修行にも出てらぁ」
一試合終えた帰り道、ソテツに渡された布で汗を拭いながら、ヤグルマは思案する。
このところ、国の外交は悪くなる一方だ。それでも正しい情報が分からず、選択ができなかった。
ゲッカビジンが各国の王を殺し国を乗っ取ったという噂も、リンドウ王子が諸国と組んで謀反を仕掛けているという噂も、ヤグルマからすれば等しく信じ難いことだった。
彼は元々は王家へ信心深い人種であったから、王家が二つに割れるこの状況は混乱しっぱなしだ。
レッドモラートを迎え入れた女王側が、少しきな臭くはなったが……。
(行動を起こすには確証不足……つーか女王陛下はなんで疑わしい人選をした……?真偽も意図も見えん……)
ヤグルマが取れる選択は現状維持。
こちらからの侵攻もしないし、向こうからの侵攻もさせない。
そのためには何よりも、前線での諍いを起こさせないこと。
「ソテっちゃん。俺が前線行ってる間は王都を頼んだぜ?」
「ヤ、ヤグルマさんの代わりですか?そんなの無理ですよう!」
「無理なもんか、お前が一番上手くできらぁ。代役は他にいねぇ。やるしかねぇよ」
不確かな情報と漠然とした不安。
この現状維持の先に、偽物がボロを出すか、本物が何かを立証してくれれば。
「……面倒な戦になりそうだ。だが俺たちは、国を守らねばならん」
ヤグルマは、遠い雲をあてもなく睨んだ。
二十二章十六話 『間話:ヤグルマ将軍』




