二十一章十一話 『元傭兵は仲間の弔い方を知らない』
「明日の夜だぜ、ディルさんの送魂式!
今頃ヤクモとヨウマは頑張って設営してんだろうな~~」
ガジュマルがネギ、レタスと向き合っていた夜、スズシロは呑気にそんなことを呟いていた。
彼は慣れた手つきで林檎の皮をしゃりしゃりと剥いていき、ストライガのベッドの傍らにある皿へと置いていく。
「お前は手伝わなくていいのか?」
「俺?さっきまでズミと見張りだったしなぁ。一応声は掛けたけど、二人でできるってさー」
すっかりストライガの部屋に馴染んだスズシロだった。
「お前も出るか?行きたきゃ車椅子でも借りてきてやるぜ。オオバコが使ってるやつ」
「いや、そういう墓参りだのは肌に合わなくてな。お前達に任せる。
それより……その催しの参加者は結構な人数になるのか?」
「人数?まぁー、用事がある奴ら以外は全員参加するんじゃないか?」
「そうか………」
ストライガは突然押し黙り、何かを考え始める。
その横顔を、スズシロは不思議そうに眺めていた。
「皆さん、この度はお手伝い頂き、ありがとうござっした!!」
魔王城の屋上ではヨウマとヤクモが頭を下げていた。
相手はシラヒゲ率いる銀の団の大工班。
明日に開催を迎えた“送魂式”、その設営を終えたばかりだった。
「がはは、これくらいどうってことねぇよ!
近頃は建築も少なかったし、良い肩慣らしになったぐらいだ」
たっぷりと髭を蓄えた大男は陽気に笑った。
屋上の中心には篝火を灯す大きな木の骨組みが建てられ、それを囲むようにすり鉢状に、段々の木材が並べられていた。
「明日は俺達も顔出させてもらうぜ。ディルとは酒ぐらい飲んだことある。
ツワブキの要望の細部詰めるのもあいつだったしな」
「ディルさんがそんなことを?」
「あぁ、“迷いの森”攻略の後の、銀の団初めての飲み会の時の設営とかな。
具体案に落とし込むのが上手いから俺達も楽だったぜ」
その姿は想像できた。班長会議でもよくサポートを務めていたと聞く。
「お前らの今回の仕事も良かったぜ。こっちがやりやすいってのは事前によく練ってきた証拠だ。
ディルの奴は残念だったが……お前らみたいな後輩がいたらあいつも安心かもな」
「何とか形になりそうだな」
シラヒゲが屋上を離れた後、ヤクモとヨウマは二人で会場に佇む。
開催をすると決めてから、それを形にするために色々な人に頭を下げて来た。
それも明日で一区切りだ。
「しっかし、お前が送魂式をやるって言い出した時は驚いたぜ」
「ハルピュイアの時にはやっただろ。開催しない方がおかしいだけだ」
「でもよ、文句ってわけじゃないけど、俺達が主催なんてな」
「…………」
ヨウマは澄んだ顔で夜空を見上げる。
ヤクモにとっては珍しい、彼の思考を読めない横顔だった。
「俺達は、あの戦場で多くの死を見届けて来ただろ。
今思うとあれは、見逃してきたって言った方がよかったかもしれない。
俺達はどうも、死に慣れ過ぎているみたいだ」
今回の件を振り返って、ヨウマが思ったのはそれだ。
どこか麻痺をしていたんだろう。
「忘れないことと、死別した痛みから離れることってちょっと違うんだな。
俺達は後者はあまり知らないんだ。だから区切りには形が必要だと思った。
前はツワブキさんがやったろ。でも今回はできない。
俺達が立ち直るのを求めるんなら、その場を設ける責任がある……ような気がしたんだよな」
傭兵以外に何かになる、と【刻剣】のトウガは言っていた。
あの言葉を、自分は今どれくらい叶えられているのだろうか。
「今、門番とか日の国とか、戦争の気配はあるし、ツワブキさんはまぁ大先輩だけどさ。
俺達のいた戦場は、色々と急かされ過ぎた。
俺は、仲間の心の整理を待てるぐらいのやつになりたいって思ったよ。
その穴を埋めれるぐらい頼れるっていうか……。
だから前回ツワブキさんが主催した送魂式を、今度は俺達がやろうって思った」
ヤクモは、ヨウマの横顔を改めて眺めてみる。
明らかに効率と士気と勇猛を重んじる傭兵時代からは変わった。
そして、その想いをちゃんと理解できる自分もいる。
「……今まではどっちかっていうと、俺がやろうって言ってお前がサポートしてくれることが多かったな。
だから今回の、お前からやろうって言い出したのはちょっと嬉しいんだ。
俺は、相棒のしたいことを完璧にサポートしてやれる男になりたい」
顔を合わせ、にっと笑う。
戦闘部隊の副隊長ディルには、お世話になっていないわけがない二人だ。
「やってやろうぜ、ヨウマ。ディルさんをちゃんと送り出そう」
ヤクモ達が屋上で話している夜。
地下二階のサマーキャンドルは少し空き気味だった。
明日送魂式があるとくれば、終わった後に酒を飲むこともあるだろう。
だからほとんどが今日の飲酒は控えた……一人を除いては。
「今日は大分飲んでるようだねぇ、ツワブキ」
にやにやとしながら椅子に付く、珍しく酔っていない【荒波】のベニシダ。
片や完全に酔っ払い、珍しく不機嫌そうな顔を向けてくるツワブキ。
「なんだ、ようやくうるせぇクロサンドラを諦めさせたってのに、次はお前か?」
深夜も超えた酒場のテーブル、場は彼ら二人だけのものだった。
「知ってるぜ、送魂式だろ。ヨウマ達からも言われたし、他の奴らも散々言ってきたぜ。
出てくれ、出るべきだ、聞き飽きたぜ」
「あんたが取りつく島もないって話ならあたいも聞いたさ。
やれやれ、酷い顔だ。そこまで飲んだら体に悪いさねぇ」
「うるせぇ。酒ぐらい好きに飲ませろってんだ」
「ははっ、そりゃごもっともだ」
飲酒を咎めるとかと思いきや、自分の酒をトクトクと注ぎ始めるものだから、ツワブキも思わず眉をひそめてしまう。
「ほれほれ大将、かんぱ~~い」
静かな酒場に、グラスのぶつかる音が響いた。
しかめっ面のツワブキとどこか上機嫌なベニシダが杯を傾ける。
「情けねぇと思うだろ、俺のこと」
その呟きは独り言のようだった。ベニシダは、目線を他所へ放ったまま言葉を受け取る。
「職務も責任も放棄して、引っ張るべきわ若けぇ奴らにせっつかれてよ。
ディルは俺が人生で一番多くの時間を共有した相棒だ。
でも、あいつを見送る場に行こうって気が起きねぇんだ」
ツワブキも、頭では分かっているのだろう。
ヤクモ達が送魂式を執り行おうとする想いも、自分が行うべきことも。
それでも。
「今はなにもかも、やる気が起きなくなっちまった」
喪失感と自己否定。その姿を見てため息をつくベニシダの顔は、呆れではなく笑っていた。
「はっ、それで情けない?あたいはそうは思わないけどねぇ」
「よせよ、気休めなんか」
「気休めなもんか。なんだい、もしかしてあんた忘れちまったのかい。
あんたとあたいが初めて会った時……あたいがいかに最悪だったのかをさ」
クラーケン討伐作戦時のリグリア第一刑務所、そこに投獄されていた頃のことは、今や遠い記憶だ。
あの時のベニシダは仲間を失ったばかりで、誰にでも噛みつかんとするぐらいに不安定だった。
復讐のために心身を燃やし、生きる理由として掲げた。
クラーケンを倒せるのなら、仲間の無念を晴らせるなら、自分は死んでもいいと思っていた。
「仲間を守れなかった自己嫌悪。敵への憎悪と振り降ろす先のない拳。
あいつらはもういなくて、それで世界はいつも通りに回っていて。
それでもやっぱりあの日々はもう戻らない。無力感と喪失感が体を蝕んでいく。
あたいは復讐を使ったけどね、そうでなけりゃあんたみたいに無気力になるのもよぉくわかるさ。
クラーケンとの戦いの最中、あんたはあたいを馬鹿って言ってくれただろう。
だから今回はあたいの番ってわけだ」
「今度はお前が俺の尻を叩いてくれるってワケか?」
「それだけのつもりじゃない。
ディルと一番親しかったのはあんたで、一番時間がかかるのもあんただ。
それを外野が、かみ砕き方や期限を指定するのはちょっとおかしい。
やる気が出ないときに無理に仕事しようとしても仕方がないだろ。
そういう時ゃ代わりの人に任せてゆっくり休めばいいのさ。
哀悼より職務が優先される感覚は、あたいにはよく分からない。
つまるところあたいは、休暇と復帰のどっちを選んでも正しいって思ってる。
あんたの選択を助けてやりたいのさ」
率直に言えば、ツワブキには呑気な意見に感じた。
戦場では通用しない理屈……海上で暮らしてきた彼女だからこそだろう。
だけどそのマイペースが、今はありがたく感じた。
「……クラーケンの時は悪かったな。
仲間を失うっての、俺は経験してきたつもりだったが……。
今はこの様だ。思い返すと無神経だったな、ありゃ」
「いーや、あんたは正しかったさ。あれは今回の件とは違う。
あたいは死に急いでいたからね、あそこで止められなけりゃ死んでただろう。
だから貸しイチ、今回が返済の時だ」
「………」
ツワブキが黙ってグラスの酒を眺めている間に、ベニシダは残りの酒を飲み干した。
「ツワブキ。歳を重ねるってのは厄介だね。
責任を当たり前に求められて、死別の整理をとっととつけろと急かされる。
でも幾ら老いたって慣れないものは慣れないのさ。
時間を積んだ分、もっと辛くなることもある。
あんたとディルの一つの区切りには、周りから言われることじゃない、あんただけの正解を出しなよ。
それにまだ文句言う奴がいたら、あたいが一緒にぶっ飛ばしにいってやる」
にっと笑うその顔が、松明の橙色に照らされる。
もはや自分より若い世代を相手することが多い彼にとって久しい、対等の立場で話すーー。
「……お前、いい女だなぁ」
ぽつりと口から出た言葉に、若干慌てたのはベニシダの方だった。
「……何言ってんだい酔っ払いが。
そろそろあたいは寝るから、あんたも酒はその辺にしときな!」
明日から立ち上がり、机から離れていく後ろ姿を、ツワブキはぼうっと見ていた。
「俺は………」
翌日の、夜。
魔王城の屋上には、見張りや重病者を除くほとんどの者が集まり篝火を囲っていた。
【隻眼】のディル。その送魂式。
ハルピュイア迎撃戦とは違い、一人だけの式にはあまり人が集まらないかと思っていたが、どうやら杞憂だったようだ。
「ツワブキさんの姿は見えず……やれやれ、心配なことですねぇ」
すり鉢状の客席の上側にいた“でかリボン”のナナミノキが呟くと、隣のナズナもうんうんと頷いた。
「本当だぜ、ローレンティア様は落ち着いたからよかったものの……」
「はいはい、ご心配をおかけしました!」
二人の横でローレンティアが困ったように笑い、その姿をエリスが後方から見守っていた。
確かに、少し前には気が沈んでいたローレンティアも、最近は元の調子を取り戻しつつある。
この場でディルのことを思い出して、自分の力不足、自己嫌悪がぶり返すと思ったが……現状は大丈夫そうだ。
これなら明日の円卓会議も一安心。
「しかし……アセロラは来てないんですか。私たちの中では一番お世話になったでしょうに」
「……本当だ。しまった、昨日は普通に行くって言ってたのに。迎えにいっとくんだったなぁ~」
「……………」
そのローレンティアの澄んだ横顔を、エリスは知っている。
固い意志を持って、何かを為そうとしている時の顔だ。
人々の腰かける木材の周囲には、色とりどりの花が植えられていた。
今回参加できないハイビスカスが地下八階で生やし、ガジュマルに持ってきて貰ったものだ。
どこか寂しい気持ちに囚われそうな雰囲気も、花の景色が幾らか心を癒してくれた。
「……めっちゃ人集まったなぁ、ヤクモ」
「ディルさん口数少ないし、もうちょい交友関係狭いと思ってたんだが……」
すり鉢状の客席の、最前列。
ヤクモとヨウマは屋上に集まった人の多さに、若干尻込みしていた。
戦場で数多の魔物と相対した彼らだが、大人数の注目を浴びる場には正直慣れていない。
「なんだ、お前ら緊張してんのか?」
後ろにいた【狐目】のタマモがにやにやと笑いながらからかってくる。
「う……や、タマモさん、開幕の挨拶変わってもらったりは……」
「馬鹿言え、お前達が企画して形にしたんだろ。
俺がやったら意味ねぇよ、あとちょっとだ、頑張れ」
「ぐぬ……こういう緊張は慣れないっすねぇ」
「ヤクモ、ヨウマ」
二人の強張りを解すような、柔らかな声が届いた。
振り向けば車椅子のトウガを押して、レウイシアとユーフォルビアが近づいてくる。
「レウイシアさん!トウガさんも!」
「どうやって屋上に………」
「ライラック班の人達に手伝って貰っちゃった。
二人の主催なんですもの、この人もみたいって」
「……トウガさんが?」
二人は思わず、車椅子の上で項垂れるトウガに目を落とす。
前よりは口を閉じている時間が長くなって、呻き声も減ったと聞いている。
ただ、意思疎通が図れるとは到底言えない……。
「えぇ、そう言っているわ」
でもレウイシアが自信たっぷりにいうものだから、二人は納得をしてしまう。
トウガが、かつての恩師が自分達を見ている。
「……行くか、ヤクモ」
「そうだな」
それだけで、二人に勇気が湧いてくる。情けない姿は見せられない。
「まだツワブキさんは来てないらしい。
やれやれ、あの人の調子を取り戻すって目的が………」
「まぁいいだろ。逆に参加すりゃよかったって悔しくなるくらいの場にしてやろうぜ」
敵への対策や、責任や、戦いの準備よりも仲間への哀悼を。
戦う為に勝つ為に、縛られていた価値観から脱却していく。
ヤクモとヨウマは大きく踏み出して、篝火の前に立った。
屋上にいる全員の注目が集まる。
「えー、みなさん、本日はよく集まって下さいました!
これよりディルさんの送魂式を始めたいと思います!!」
二十一章十一話 『元傭兵は仲間の弔い方を知らない』