二十章七十五話 『Day7 戦いの果てに(前)』
「銀の団戦闘部隊 地下八階より帰還」
「バノーヴェン城を襲った朱紋付きが一体、蜘蛛女討伐」
「【凱旋】のツワブキの相棒、探検家【隻眼】のディル死亡」
これらのニュースは、まず魔王城を駆け巡り、そして各国へ伝書鳩で報告がなされると、世界中を駆け巡ることになる。
八国の王を屠った七体の巨悪、その一角を落とした実績は高く評価された。
だがその一方で、ツワブキの相棒として高い知名度を誇っていたディルの死亡………。
【刻剣】のトウガに続く離脱者に、世界は少しざわめくことになる。
「はぁ…………」
サバイバルの終戦から二日後。
珍しく、秘書ユズリハから長い溜息が出た。
情報収集と各国への情報共有。今後の対応の検討………彼女の仕事は尽きない。
ただ仕事が多いだけであれば、いいのだが。
魔王城への朱紋付きの出現。
戦闘部隊の隊員不在という異常事態。
淫夢や白龍の出現もある。
異常に次ぐ異常事態…………そして一番の問題は。
(………三名の未帰還者)
アシタバ、ハイビスカス、ディル。
彼らと、彼らに近しかった者達の心境は、ユズリハでも多少推し量れる。
そして、ユズリハを悩ませる問題がもう一つ―――。
「大司祭オラージュ、及び教会所属の修道女十二人!
銀の団の要請に応じ馳せ参じた。怪我人はどこだ?」
サバイバル五日目の夕方、そう言ってオラージュが魔王城に現れたのを見て、ユズリハは目が飛び出るかと思った。
「よ、要請…………?」
「?……なんだ、要領を得ないな。ローレンティア王女はどこにいる。
ツワブキ殿でもいい、話の分かる奴を寄越してくれ」
「話ですか………その………」
「大司祭オラージュか。よくぞこの魔王城まで来てくれた。ご苦労だったな」
唐突に背後から話に入ってきたのは、使用人を携えたリンドウだ。
それだけでユズリハは納得してしまった。
あぁ、また勝手にこいつが何かやったのか。
「リンドウ王子………いや、陛下なのか?
まぁいい、とにかく大規模戦闘により大量発生した怪我人ってのに早く案内してくれ」
「大規模戦闘なら、今も地下で発生中だ」
リンドウは平然と言ってのける。
「怪我人はこれから戻って来る。いつでも治療に入れるよう準備しておいてくれ。
必要なものがあれば団側に準備させる」
結果から言えば、正しい手配だったろう。
魔道士も巻き込まれた戦闘、彼女達が究極魔法を放ち魔力なしで帰って来ると仮定すれば、終戦後は医師ナツメしか怪我の治療に当たれない。
人出も魔力も足りない……そこに教会所属の修道女を招聘するのは確かにいい手だ。
(私が納得できないのは、もっと事前に相談して欲しいってことです………!)
現在、ユズリハは若干怒りを覚えながら報告書に向き直る。
教会側の人員収集と旅支度の手間から逆算すれば、レスティカーナ王女へと同じタイミングで手紙を送ったのだろう。
そして教会へは相応の報酬を払うと約束してるらしいが、現時点でその当ては全くない。
(後で考えればいいと思ってるのか………)
再び、ユズリハはため息を吐いた。とにかく今は自分の仕事を片付けること。
八国分の報告書に彼女は、今回の戦闘の詳細及び戦果を書き連ねていく。
“勇者リンゴ”
戦闘部隊が地下八階で戦闘を繰り広げる中、地上の警戒を担当。
特に、兵に化けて内部に潜り込んでいた淫夢を割り出し交戦、敵の尾の一本を断ち、撤退させることに成功する。
地下八階の戦況に加わることはなかったが、それでも戦闘部隊不在という事態に対し、必要な業務を請け負い、完遂した。
「今回は流石に失望したよ」
魔王城、南西。
枯れ木林を超えた平原に胡坐を掻いて座り込む男に、大司祭オラージュが声を掛けた。
「オラージュ!なんでお前ここに」
「要請を受けたんだ。どうもややこしい流れだったみたいだが………。
私としちゃ金がもらえりゃ問題ない」
「魔王城の方は?戦闘部隊の奴らは無事だったのか?」
「全員応急処置は終えた。重体のやつはベッドでしばらくおねんねだ。
私の部下が定期的に治癒魔法をかけているから、普通より治りは早いだろうがね。
それより何が無事だよ。私が来てみたら【隻眼】のディルが戦死したっていうじゃないか。
手紙じゃそんな大事だとは思わなかった………あんた、何をやってたんだ」
「………決まってんだろ。見張りだよ。
戦闘部隊の奴らがいねぇんだ、魔王城の地上は俺が守らねぇと」
「本気じゃないだろうな。見張りなんか他の奴で十分だ。
あんたが地下に切り込んでいた方が、よっぽど助かる可能性があっただろう」
そこまで言われて、しばらくリンゴは黙った。
やがて立ち上がると、ズボンに付いた土を払う。
「オラージュ、しばらく魔王城にはいるのか?」
「ん……怪我人が全快するまではいるつもりだけど………その後は金次第だな」
「そうか、良かった」
リンゴは、遠くの丘を見る。その横顔は臨戦態勢の集中を伴っているとオラージュには分かった。
「何度か、知性魔物が偵察に来てた。
ありゃ何て言ったか、銀の団が前出くわした淫夢の手下の………」
「夢魔?」
「それだ」
オラージュは少し黙る。戦闘部隊が地下にいた以上、魔物にとって地上を攻める絶好機だったろう。
事実、淫夢は侵入してきた。
「あの犬っころも協力してくれたからやりやすかったぜ。
これからはお前の感知魔法があるからもっと安心できるな。
あぁ、今の話、あんま銀の団の奴らには言うなよ」
「………なんで?」
「戦いが終わったばっかなんだろ。戦死者もいる。
今は余計な心労を増やす時じゃねぇ。
念のための警戒は、俺とお前であたりゃいいんだからな」
時に物をよく見ているし、彼なりの道理が通っているから怒れない。
オラージュはため息をつくと、リンゴと共に魔王城へ引き上げることにした。
“タチバナ班”
元より探検家技術の高くないメンバーで構成された班だったが、銀の団で身に着けた知識を標に、地下八階というダンジョンを堅実に生き抜いた。
大きな負傷は、不意に修羅王と接敵した際のタチバナの負傷のみ。
谷に適応した大蟻地獄の群れを駆除、また二体の鬼蜻蛉を討伐。谷の上層部の危険排除に大きく貢献した。
愚臣四王が一体、妖精王の討伐に加わり、谷脱出の突破口を開いた。
「エーちゃぁぁん~~!
魔力も戻ったみたいでよかった〜〜!
本当に心配したんだよ!!」
椅子に腰かけるエーデルワイスに治癒魔法をかけるのは、彼女の古馴染み、教会所属のクララだ。
「ちょっと怖かったけど、志願して魔王城に来て良かった~~~。
エーちゃんがみんなと仲良く暮らせてるのも安心したぁ~~~!」
「だ、だから恥ずかしいってばクララちゃん……!」
「ははっ、なんかエーデルワイスの教会仲間って新鮮だな」
二人の後ろでスズシロが笑う。その隣にはスズナ。
そして三人の前のベッドには、タチバナが傷ついた体を預けていた。
「改めて、礼を言うよクララさん。あなた達教会の方々のおかげで、大分我々は助かった。
治癒魔法があるのとないのでは、傷の治りも傷の痛みも全然違う」
「いえいえ、これも私たちの仕事です!それに修道女の本分ですので!」
クララ他、今回の魔王城への修道女達の来訪は、エーデルワイスの影響が大きい。
彼女が頑張っているこの地の窮地、その助けになればと十二人の立候補者が集まった。
部屋の手配、受け入れ処理、ユズリハの仕事は増えるばかりだが………。
今回の戦いの負傷者が回復するまで、大司祭オラージュと彼女達は魔王城に在籍することとなる。
“ストライガ班”
討伐した魔物の個体数で言えば、この班がダントツのトップとなるだろう。
下層の平原で連日戦闘を繰り広げ、多くの巨大蟲を屠った。
終盤は白兵王戦に参加、敵の実態考察、戦術立案をこなし、大群を引き連れる敵に、捕らわれた【隻眼】のディルを救出するため果敢に立ち向かった。
班長【殲滅家】ストライガは団長ローレンティアと共に賢人馬と交戦。班員アシタバを連れ去られる結果となるも、三人で朱紋付きの一体を退却させた戦果は大きい。
「…………賢人馬に、ねぇ」
入院対象者の一人、ストライガの病室は特別に個室が設けられていた。
彼の体を見たエリス、ユズリハから便宜が図られたからだ。
けれどここに来るまでに、少なくはない者達に体を見られた。
驚いたような………人を見るものではない目。
「こうなった以上隠し通しはしない。いつかはこうなると思っていた。
こんな体のやつがお前らの班長、上司ってわけだ」
「開き直るところっすかぁ?」
見舞いに来ていたシキミ、レオノティス。
パッシフローラは異形の体に驚くというより、拗ねた子供の扱いに面倒臭がっている雰囲気だ。
「そう軽口も言ってられなくなるぞ。噂は広まる。
どういう扱いを受けるのか……お前達にも影響するかも」
「んなのはどーだっていいっす」
本当にそう思っているのだろう、素の顔でパッシフローラは見つめ返してくる。
「普通じゃなくても、毛むくじゃらの体でも。
涎垂れ流して、もうまともに喋れなくなったって。
生きてて欲しいって、俺はきっとそう思いますよ。
ねぇシキミん、解剖なんかしないよね?」
「………どういう印象なのよあんたの中の私は」
学者シキミは呆れるが、萎んだようなストライガを見て、真面目に言葉を選び始めた。
「あんたらの中でサイエンティストがどう思われているか知らないけどね。
私がこの道を志したのは、研究結果が誰かを救ったり幸せにすると信じたからよ。
誰かを不幸にして進める何かを、私は研究だとは認めない」
「まぁ、そう警戒をするな」
【竜殺し】レオノティスが穏やかな声をかける。
「今日まで一緒にいたんだ、易々とお前を嫌ったりはしない。
だが正直、教えて欲しいとは思うよ。
お前がどうしてそうなったのか、これまでのことを。
お前が俺達の事を、少しでも大事に思ってくれるのならな」
「………………」
しばらく、ストライガは押し黙り窓の外を眺めていたが。
やがてゆっくりと、これまでの道のりを彼の仲間に打ち明け始めた。
“ラカンカ班”
罠特化のコンセプトで結成されたこの班は他より戦闘能力が低いが、今回の実績は全班の中でも決して見劣りしないものになっている。
大蟻と戦闘、風来王戦にも参加し討伐に貢献しただけでなく、四日目夜には日に一度と言われる蜘蛛女との戦闘を捌き切った。
この戦いで初となる蜘蛛女への有効打、そしてそれ以上に敵の索敵能力、“生体電流の感知”という解を掴み取ったことは、五日目の蜘蛛女攻略の大きな、大きな一歩となった。
最終戦では【月落し】のエミリアの火矢が勝負を決める決定打を引き寄せるなど、各所で最重要とも言える仕事を務め上げている。
「まっさかこの俺が、修道女様に怪我をお世話してもらえるなんてなぁ」
と、【月夜】のラカンカは呑気に呟いた。
蜘蛛女戦での負傷に包帯を巻かれた彼は、入院組の一人だ。
ベッドの脇にはピコティとマリーゴールド、林檎の皮を剥くエミリアの姿があった。
「卑下をしない」
「へいへーい」
サバイバルでの仕事っぷりには、ラカンカにも自覚はあった。
貰ってる飯に見合う働きはした。当分はゆっくりしよう……なんて伸びをした彼の目が、窓の外をぼうっと眺めるマリーゴールドを目に留める。
「…………ハイビスカスはどうなんだ、マリーゴールド」
悩んでいるのはそれだろう。
マリーゴールドは小さなため息をつくと、憂いを帯びた目をラカンカに向ける。
「彼女の事は、わたくしの力では治せません………いえ、治す方法はないでしょう。
割れた陶器を元に戻せないのと同じ………。
彼女という存在の境界が崩れ、あの谷の森と、マナと融和した。
人間より、魔に寄った存在になってしまっている…………」
「………そうか」
短い言葉しか返せなかった。
ラカンカは魔法を知っているわけではないが、深淵に潜るほど理から外れていくものだという理解はあった。
魔力暴走………限界を通り過ぎて行使すれば、本来はそういう副作用が出てしまう代物なのだろう。
“トウガ班”
メンバー全員が高い戦闘経験を有することもあり、二日目の夜に蜘蛛女の襲撃を受けるという境遇だったにも関わらず、比較的軽傷の部類で戦闘を終える。
有効打を入れるには至らなかったが、情報の少ない時期に蜘蛛女の2日目分の戦闘を四人だけで切り抜けたのは、長期化した戦い全体で見れば大きかっただろう。
最終日は妖精王戦に参加。大蛇を討伐し、また最終戦ではオオバコらの支援に向かうなど、その剣技は仲間を守る面でも発揮された。
「あれ、ライラックさんは?」
「帰ってもらった。あの人もいい加減限界だったから」
地下八階、洞窟入り口。
戦いを終えたばかりのフロアにも見張りは必要だ。
万に一つ、門番のおかわりが来るとも分からない。
だから戦闘部隊の中で負傷者がほとんどいないライラック班がその責務を負い、中でも【黒騎士】のライラックは、終戦後から今に至るまで、ずっと入り口を守り続けていた。
その他の班の内、比較的軽傷で済んだ班が手伝いに来るようになってようやく休めたといった頃合いだ。
ヤクモ、ヨウマ、サクラ、ユーフォルビアは洞窟の入り口で、思い思いに腰かけながら五日間を過ごした霧の谷を眺めてみる。
「………いいベンチがあったもんだな」
「ディフェンバキアさん製よ」
「あぁ、今どこに?」
「ちょっと下。ハイビスカスと大樹の成型をやってる」
ハイビスカス。その名前にヤクモの言葉が少し止まる。
静寂を和らげたのは、ユーフォルビアの方からだ。
「………あれは治せない。もう変わってしまってる。
でも、どうなったかより………彼女がこれから何をしていくかがきっと大事なんだと思う」
“ディフェンバキア班”
墜落当初からベテラン二人の負傷、悪いスタートを切ったのにも関わらず、大きな窮地に陥ることなく最終日まで行けたのは熟練の経験値が故だろう。
殺人蜂の駆除、そして白兵王戦では大蟻香水を精製し大蟻の大群に対する有効策を確立、敵が最後に持ち出した戦術兵器を崩壊させるなど、敵の戦術を潰し勝利に貢献した。
そして、蜘蛛女との最終戦で見せたハイビスカスの究極魔法。
配下を使った戦場作り等、場の支配で大きく強化される蜘蛛女に対し、天敵とも言える領域魔法の展開は、最終決戦の情勢をひっくり返した切り札となった。
間違いなく、蜘蛛女討伐の功労者の一人と言える。
「すごいのう」
感心するディフェンバキアの目の前で、樹がうねうねと成長し手すりを象っていく。
蜘蛛女との最終戦で谷底から生やした大樹は、終戦後団員達の撤退路となり、今はハイビスカスによって螺旋階段へと組み替えられつつある。
ハイビスカスの究極魔法、“常世乃箱庭”は彼女に、強固で広大な魔法領域を齎した。
そしてそれは、今なお保持されたままだ。
領域の中で彼女は自由で無敵。植物を意のままに操り、些細な情報をも逃さず聞き取り、そして魔物に感知されない区分けを作り出せる。
「みんな見張りに来てくれてるけど、このフロアの魔物は私が見るよ。
上には行かせない。それに、みんなが攻略しやすいよう整備もしておくよ」
大樹から橋のような枝が生え、伸び、離れた岸への懸け橋となっていく。
「ふむ…………」
ハイビスカスがもう、地上に戻れないことは聞いた。
治療で抜けた時間はあったが、終戦してからずっと、ハイビスカスは悲しそうな表情を全く見せない。
無理に引き出すものではないだろう、というのがディフェンバキアの結論だった。
今はまだ、彼女もこちらも理解が追いついていないだろう。現実が腹に落ちていないだろう。
必要なのは心配よりも時間だ。そしてその時が来るまで、側にいること。
「いい日曜大工の能力を得たではないか。だが美的感覚がイマイチじゃ。
ハイビスカスには建築の美学をあまり教えてやれてなかったのう。
いい機会じゃ。これからたっぷりと教えてしんぜよう」
それが気遣いだと分かったのだろう。
ハイビスカスは久しぶりに、本当だろう笑顔を見せた。
「…………うん。よろしくお願いします」
二十章七十五話 『Day7 戦いの果てに(前)』




