四章六話 『雷鳴』
「なんだぁ?何が起こっている。アシタバ、これお前のか?」
魔王城二階。窓の外、燃えるハルピュイアを目にし、事態を飲み込めないラカンカがアシタバに問いかける。
「アサツキに頼んでハルピュイアの巣を燃やしてもらった」
アシタバは目線をウォーウルフ達に固定していた。
「巣に向かうハルピュイアへの攻撃も1つ。
この迎撃戦が何かの形で終わった後、奴らが燃えた巣を捨てて、別の場所に巣を作ってくれないかという期待が1つ。
だけど本当のターゲットはウォーウルフ達だ。こいつらに撤退を促す」
「……………………」
キリは黙ってアシタバの話を聞く。
「こいつらは計算のできる魔物だ。
ハルピュイアの卵や雛、というリターンがあるから、こいつらは下層から遥々やってきて、トラップの海やキリとの戦闘も見合うリスクだと思っている。
だからリスクを上げてリターンを削ってやる。
今、魔王城の外壁は燃えている。石壁越しとはいえ火の中を進むのは嫌だろう。
そしてそこを潜り抜けたとしても、目当てのハルピュイアの巣は燃えている。
卵や雛というリターンに陰りが見えた」
アシタバがゆっくりと剣を抜く。戦闘態勢を取るのではない。
それはウォーウルフ達への威嚇の所作だった。
「そういうことかよ」
ラカンカが少し疲れた顔で石を地面に落した。ウォーウルフ達は瞬時に身構える。
これまで何度か石でトラップを起動してきた結果、パブロフの犬ならぬ狼というわけだ。
「…………………」
キリは喋らずナイフを構えた。それが最も敵を威圧する。
ウォーウルフ達は動かず。
しばらくの、間。
屋上の喧騒と、外壁からの巣の燃えるパチパチという音。
無音の牽制の後、ウォーウルフ達は踵を返す。
背後、アシタバ達を警戒しながら、廊下の奥へと消えていった。
「………………終わった、のか………?」
ラカンカはまだ実感が湧かない様子だ。
「リターンよりリスクが上回ればウォーウルフは撤退する魔物だ。
それを示せたってことだろう」
流石のアシタバも少し疲れた声色だ。
「………ラカンカ、一人でここの見張りできる?
四階から何人か男の人達にも来てもらう」
珍しくキリが積極的な提案を始める。
ラカンカとアシタバは面喰い、しばらく反応できなかった。
「あー?いや、また引き返してくるとも限らねぇし、できれば二人ともここにいて欲しいんだが」
「それはできない。私達は屋上へ行く。
悪いけど何とかして。アシタバ、ついてきて」
ああ?と呆れるラカンカを置いて、キリは息を整えながら三階へ続く階段へと急ぐ。
「おいキリ、どうしたんだ。何かあったのか?」と、アシタバ。
「………さっきの、対峙している時のウォーウルフ達、見た?」
「………?ああ、こっち見ていたけど………」
「それは直近の警戒よ。意識は上に向いていた。
私、あいつらが撤退した直接の要因は、それだと思う」
意識?とアシタバは首を捻る。
キリの暗殺家としての繊細な感覚が、何かを掴んでいることは確かなようだ。
「上…………屋上よ。あいつらは、その脅威を感じ取って撤退した。
ハルピュイアの群れだけなら、あいつらは特攻を続けた。
その新たな脅威があったから、あいつらは撤退した」
理解が、じわじわと足元から這い上がってくる。言葉を失う。
新たな脅威?可能性を探っても思い当たるものはない。
とにかく状況を理解したアシタバはキリと、屋上へ向け駆けだした。
それはある夕焼けの、畑でのことだった。
「俺、この村を出ていこうと思う」
最初は、兄が何を言っているのか分からなかった。
「………………どうしてだよ」
疲れたのだろうか。
滅私奉公、という言葉が兄には似合う。
自分も含めた、多すぎる弟や妹を相手するのに疲れたのだろうか。
それとも嫌いになったのだろうか。
毎日毎日、大して考えもせず我が儘を言い散らかして、兄に負担をかける家族のことを。
そうはならないよう努めてきたつもりだったが、それを果たせていた自信はなかった。
「魔物の噂さ、よく聞くだろう。
この村は、魔王城との間に深い森があるから安全だろうが……。
情勢で言えば、人間は魔王軍に負けているらしい。
世界では沢山の人が痛い目にあって、悲しんで……悪い時には命を落としている」
夕焼けを背に、兄はどこか遠くへ目を向ける。
その先には魔物に襲われる人たちがいるんだろうか。彼には分からなかった。
「俺はさ、力になりたいんだ。誰かが泣いているなら俺が行って助けてあげたい。
それは、誰かがやらなきゃいけないことだと思うんだ。
誰かが手を差し伸べてあげなきゃいけない人たちが、この世界には沢山いる」
「…………家族はどうするんだよ。兄貴がいなくなったら悲しむだろうが」
「死別とは違うだろ。それにお前がいる。立派な兄貴がさ」
そう言って笑う兄に、彼は怒鳴った。
「馬鹿か、お前は!!こんな辺境の村で畑耕していただけの奴が、村出ていって何ができるっていうんだよ!!」
弟の叫びを、兄は真剣な顔で受け止める。
「殺されるだけだ!何も変わらない!!兄貴はさ、余計なことを考えすぎなんだよ!
王国の騎士とか、誰かがやってくれるんだから任せとけばいいんだよ!
何で兄貴がやんなきゃいけないんだ!!」
彼にはもう分かっていた。
あの兄が話を切り出したということは、もうこれは変える気のない話なのだろう。
どれだけ叫んでも。どれだけ訴えても。
「なんで見ず知らずの誰かのために死にに行くんだ。
どうして、どうしてもっと………自分のことを優先しないんだよ!!」
その言葉に、兄は少し呆気にとられた後、笑う。
「なぁんだ、お前そんな風に思っていたのか。
違うよ、これは俺のわがままなんだ。
俺が、これがしたいって我慢できないから村を出ていくんだ」
その数日後、泣きじゃくる弟、妹に別れを告げ、兄は村を出ていくことになる。
二度と会うことはない、それが今生の別れだった。
「ありがとな、心配してくれて」
笑う。弟は泣いていた。
夕焼けが辺りを、彼の燃えるような赤髪のように染め上げる。
彼の、オオバコの中に、兄のその顔はいつまでも残り続けた。
「聞いたか?なんか下でハルピュイアが燃えているらしいぜ」
「燃えている?なんでです?」
「大方、アシタバか誰かが上手いことやったんだろう。
どうやら俺達が押しているのは確かみてぇだ」
屋上、戦場の中で、タマモとオオバコは背中合わせに言葉を交わす。
押しているのか、とぼんやりオオバコは認識する。
戦いに次ぐ戦いで、戦況など感じ取る暇もなかった。
「英雄達が予想外に頑張っている。団長さんの判断も良かった。
魔道士達の砲撃もかなり役に立ったし、燃えて更に数が減っただろう。
牛舎に釣られたのも結構いたな。そして意外に頑張る新人も計算外だ」
タマモはオオバコに笑う。現在、討伐数4。新人としては突出した数だった。
「引き際は弁えろよ、無理すんな!それまでは頑張れ!!」
「了解!!」
会話を終えると二人は、それぞれの戦いへと戻る。
オオバコは戦場というものが嫌いだ。兄が死んだ場所。
やらなきゃいけないこと、がそこら中に転がる場所。
ただやっぱり。
この三カ月、共に過ごした者達のことを。
守りたいと、思ったんだ。
タマモ、オオバコが別れたのと、それは同時だった。
「――――あ?」
最初に気付いたのはジンダイだ。
鐘の上に立つローレンティア、その付近を周回するハルピュイアを狙っていた彼の目に、その影が映る。
屋上の遥か上空。雲間に、何やら黒い影がある。
一瞬、見間違いか何かかと思った。
だがその影はふわりと少し浮きあがった後、体を細め、矢のようにして―――そして急降下を始めた。
「………………おいライラック!!!!!」
叫びは意味をなさなかった。
まるで稲妻のように空から落ちてきたそれは、轟音と衝撃を伴って屋上に着弾する。
雷鳴。魔王城全体が揺れる。
「――――な!?」
「なんだぁ!!?」
場所にして東側の中央寄り。さっきまでオオバコが戦っていた場所だった。
「オオバコ!!?」
タマモが叫ぶ。叫びながら、屋上に降り立ったそれを観察する。
ハルピュイアに近い鳥類の魔物だ。
体毛は鮮やかな金、その体長は5メートル弱、ハルピュイアより一回り大きい。
彼らとの大きな違いはその金色の体毛と、尾だ。
筋肉質、大蛇のような尻尾は先端が剣のように尖っている。
人の胴体ほどの大きさを持つ鉤爪は、一人の戦士を下敷きにしていた。
「オオバコ!!!」
タマモが、血とめくれ上がった瓦礫に沈む男の名を叫んだ。
「…………………おい」
南側。ツワブキは戦闘の手を止め、突然の来訪者を見ていた。
タマモがオオバコの名前を叫んでいる。
そして降り立った怪物の背中に刻まれた、朱色の紋章。
下弦の月と流れ星、弓矢、半円の刃を持つ斧……。
人によって解釈が違うその紋章は、魔王軍と戦った者なら必ず目にしたことがある。
魔王軍の紋章だ。
ゴブリンを始めとする知性魔物はその紋章を旗に示し、人類との戦場へ持ち込んだ。
だが彼らは決して自らの体にそれを刻むことはしなかった。紋章の位置は鎧や旗。
何故なら、体に魔王軍の象徴を刻むという行為は、魔王と選ばれた魔物の間でしか許されないものだからだ。
「―――――まだ残っていたのか、朱紋付きが!!!」
その身に刻まれる魔王軍の朱紋は、魔王に選ばれた直属の将であることを示す。
かつて人類に多大な被害を及ぼし。軍隊という軍隊を、壊滅に追い込み。
多大な犠牲を払って、ようやく全て討伐されたと思われていた―――。
朱紋付き。
魔王軍、最高戦力の一匹が、銀の団の前に姿を現した。
四章六話 『雷鳴』




