二十章五十三話 『Day5 霧の谷の決戦③ vsキメラ』
メローネが魔王討伐の為に森を出ると、グラジオラスは月の国の王都に戻って騎士になった。
その時の、入隊式のことはよく憶えている。王都の騎士隊は名家の集まりだ。
彼女も同期もまだ騎士見習いだったが、整列は一糸乱れることもなく、広場に揃った新兵達の構えは熟練兵にも劣らないと言えた。
いや、森で魔法の修行をしていたグラジオラスは一歩出遅れていたとは言えよう。
その緊張を感じ取ったのか、髭をたっぷりと蓄えた部隊長は彼女の前に立ち個別に言葉を投げかける。
「君がグラジオラスか。ご両親から話は聞いている。本当に騎士の道を目指すのだな?」
「はっ。この身全て、我らが王国に捧げる覚悟です」
「ふむ。森の奥で療養をしていたと聞いてはいたが………。
礼節はご両親の指導の賜物かな。そして体の鍛錬具合は君の勤勉さが故か。
けれど解せないのは心の持ちようだ」
「……………持ちよう、ですか」
既にかなり悪目立ちをしていることは自覚していた。
同世代の騎士志願者が従騎士訓練で経験を積む時期に、彼女は森の賢者に弟子入りし湖の湖畔で魔法の修行をしていたのだ。
もっと言えば同期で女性は彼女だけ。師と親からの期待に応えたいという重圧はあった。
「もっと胸を張りなさい。君は我らが国の国章を掲げる騎士となるのだ。
自身のない振る舞いで甘く見られてはいけない。
不安な顔つきでは民を安心させられまい。
君のことはご両親から聞いている。だから私は知っているよ。
でもそればかりを気にすることはない」
顔を上げるグラジオラスの目に、相手の真っ直ぐな表情が映る。
これから彼女の上司となる男だ。
「我らが騎士団の責務と誇りを君も持つ覚悟があると言うのなら………。
過去の事は何ら関係ない。私は君を、仲間として迎え入れよう」
「――――さっきの言葉は本当だぞ」
マフラーを両腕に巻いた寄生獣を前に、グラジオラスが呟く。
嵐の前のような静けさがあった。
「さっきの?」
「たとえ人殺しでも、お前を仲間と思うことに変わりはないということだ」
剣を構えるグラジオラスの顔に怯えはなかった。
キリも、そしてオオバコも前を向く。朱紋付きたる敵の本領が来る。
黒い殺気と、刹那の静寂が場を飲み込んだ。
嵐が、来る。
それからの戦いは一瞬だった。
寄生獣が伏せ右手を地面に突き刺す。
次の瞬間には、辺り一帯の岩盤が捲れ上がって三人に降り注いでいた。
「―――――ッ!!」
目の前に立ち塞がる壁のような岩に、即断で全力を叩きこんだのはオオバコだった。
自分が一番不得手、だからこそ敵の飛び道具の盾となる好判断。
だが、自らが割った岩盤の先に寄生獣の姿がないことに硬直してしまう。
グラジオラスは予想をしていたが捉えきれなかった。
キリだけが敵の動きを掴めていた―――三歩で自分達の背後に回り、右斜め後ろからの奇襲。
「あははっ!」
目にも止まらぬ移動速度、数歩で人の視界から消える俊敏性。
寄生獣本体が強化に加わった超高速も、何とか対応できる。
グラジオラスの背中を狙った一撃を、キリの刃が受ける――――。
腕が吹き飛んだのかと思った。
寄生獣との鍔迫り合いに臨んだキリの右腕は、強い衝撃と共に遥か後方へと吹き飛ばされた。
大丈夫だ。千切れてはいない。けれどそう錯覚するほどの、先とは段違いの敵の怪力。
「やば」
と呟いたのは寄生獣の方だ。
千切れるほど後方に吹き飛ばされた腕を、キリはそのまま回転運動に持ち込んで相手へぶつける。
衝撃で崩れた態勢で、片足でその回転を成立させる体幹。
遠心力はキリの右肩を壊し……そして、敵を穿つ破壊力と成る。
「やっぱりキリは凄かったよ」
キリの渾身の反撃を、敵は左腕で軽く受け止めた。
反射神経と強化された腕力による絶対防御。絶望と死兆。
無防備を晒し、数瞬後には殺される―――と思ったキリを、寄生獣ごとカマイタチが切り裂いた。
グラジオラスの“蒼嵐”……窮地に巻き添え上等で放った一撃が、キリの命を繋ぎ止めた。
「ナイスだ、グラ――――」
叫びかけたオオバコの口が止まる。
グラジオラスの右腿に深々と投擲されたナイフが刺さっていたからだ。
呆然とするオオバコ。痛みに歯を食い縛るグラジオラス。右肩の故障に顔を歪めるキリ。
「あぁぁぁぁぁあああ!!マグ・メルがちょっと切れちゃったじゃない!!」
攻撃を受け一旦距離を置いた寄生獣は狂ったように叫ぶ。
見れば、カマイタチを受けた赤いマフラーにはところどころ切り傷が見えた。
「許さない………許さない許さない許さない!!!」
閃光。寄生獣が三人を囲うように駆け出す。稲妻が周囲に連続して炸裂するような踏み込みの衝撃と瞬足。
キリ達は身を寄せ合い、必死に敵の攻撃に対応しようとする。
敵の攻撃力とスピードは圧倒的。そして二度目をより改善してくる知性魔物だ。
恐らく次の交錯で敵に致命傷を与えなければ三人とも殺される。
唯一の勝ち筋が、グラジオラスの蒼嵐を敵の攻撃に合わせることだとは三人ともが分かった。
だから敵も彼女を攻撃したのだろう。警戒はされている。ならばどう当てるか―――。
先陣を切ったのはまたしてもオオバコだった。敵に届くはずもないのに斧を振りかぶる。
そして渾身の一振りを、地面を削るように半円状に放った。
どこまで意図していたのかは分からない。
オオバコの一閃は、最初に寄生獣が投げた岩盤の破片を幾つか巻き込み、弾き飛ばして弾丸へと変える。
砂煙から射出される複数の石の弾―――を、寄生獣は見切って躱す。
その数瞬の間に、砂煙を潜ってキリが寄生獣へと奇襲を仕掛けた。
それで目眩ましをしたつもりか。というのがアヤメの率直な感想だ。
強化された反射神経を持つ彼女には、石の弾丸もキリの突進も何ら驚くに値しない。
全て見えている。全て躱せる。
その寄生獣の余裕を、キリ達も分かっていた。
さっきの交錯で確信した。寄生獣の反射速度は脅威だ。
だがそれは結局、見えなければ活かされることはない。
防御の弱い彼女の隙、意識の穴を突く奇襲。
キリの突撃は、相手の視界を覆う遮蔽だ。
寄生獣へ駆けるキリが突然しゃがむ。
そこに飛んできていたのは、オオバコの投擲した斧だった。
やはり、それで裏をかいたつもりか、というのが寄生獣の感想だった。
回転して飛んでくる斧を、彼女は何でもないように手で掴んで受け止める。
彼女の反射神経は後の先を極め、敵の手を全て潰していく。
オオバコとキリにも戦略はあった。
敵に長物を掴ませることで、一時的に接近戦を弱体化させる。
昨晩、武器を捨てて寄生獣に挑んだツワブキと真逆の発想だ。
屈んだ状態で疾走するキリは、両手のナイフで敵への一撃を狙う。
けれど寄生獣の対応は、二人の一手先を行った。
斧を掴んだ手は、次の瞬間に柄から離れている。
独立し滞空する斧。その刃先は、迫るキリの方へと向けられていた。
「まず一人」
キリの右肩に、深々と斧が突き刺さっていた。
刃の反対側に打ち込まれた寄生獣の掌底によって、斧はキリへのギロチンと変わる。
細い刃の重心を穿った精巧な一撃……いかに竜殺しの斧と言えど、僅かでも角度がずれていれば黒龍の鎧に刃は通らなかったろう。
肩から血が吹き出る。右手のナイフを落とした。
完全な迎撃で入った一撃は、キリの体勢を完全に崩す。
視界に稲妻が奔った。
敵の脇差しの一閃を、何とか左腕の鎧で受けられた。
深い切り傷、受け流せない衝撃がキリを吹き飛ばし、頭が地面に叩きつけられる。
「かっ………!」
左腕への致命傷にも、頭からの流血にも構っている暇はない。
必死にキリは、眼だけでも敵に向けようとする。
来る追撃は不可避で致死。けれど抗う、抗う――――。
しかし寄生獣は、床に伏すキリに目もくれず残りの敵へ駆け出した。
混乱、そして遅れて理解をする。
敵の本命はグラジオラスだ。彼女がこちらの切り札ということは向こうも理解している。
キリを蹴落とし、オオバコが武器を失った今、彼女は完全な無防備。
一対一のこの状況で彼女を殺れれば、この場に残るのは虐殺の消化試合だけになる。
「グラジオラス!!」
瞬時に殺気を察し、カマイタチを纏う剣を振る動作に入ったグラジオラスは、流石の騎士ではあった。
けれど寄生獣の瞬足は彼女の想定を凌駕する。
グラジオラスの意識を潜り、左脚に着弾する投げナイフ。機動力、逃げの手は先に削がれた。
寄生獣は強く踏み込み、直後には稲妻のような特攻で相手から三歩までの距離に詰め寄った。
間に合わない。
キリも、オオバコも終わりを予感した。グラジオラスの剣は腿を通過したあたり。
寄生獣のナイフはそれより先に、彼女の首を引き裂く。
破滅以外の手を尽くせ、ということです。
師であるメローネにはそう教えられた。
けれど白銀祭で彼女は降りかかる困難に、魔力暴走という破滅を用いて対処した。
反省はしている。あれで師匠にも、両親にも、銀の団の仲間達にも心配をかけた。
メドゥーサ撤退戦では、何一つ役割を果たせなかった。
トウガが人魚妃に連れ去られた時に、魔道士たる自分は敵の歌声に気付けさえしなかった。
バノーヴェンの大災厄では、淫夢をフロアに通してしまった。
その結果、主たるセレスティアルに殺意が向けられ、ミナヅキが片腕を失うこととなった。
どうしたら自分の理想を手繰り寄せられるのだろう。
「それはの、十分な想像と十分な準備じゃ」
咲き月に月の国代表ブーゲンビレアに相談すると、そんな言葉を返された。
「想像と準備ですか?」
「如何にも。儂の主戦場は戦術戦じゃったが、武道でも同じと心得ておる。
敵の裏をかく強き一手、敵を一刀両断する必殺の一撃は突然には生まれない。
下準備、鍛錬により高めた己自身、そしてそれまでの流れによって生じるものじゃ。
それは駆け引きとも言えるじゃろう。
戦術、戦闘どちらでも、実力差をひっくり返すのは駆け引き、“流れ”じゃ。
勝負、コインの表と裏はその時々の影響で変わる。
いかに流れを自分に持ってくるか。それを運任せではなく己の力で呼び込む。
必要なのは布石と準備。その結実を見出す想像力」
流石、若き時代に幾多の武勇を打ち立てたブーゲンビレア卿だ。
騎士や魔道士と異なる、戦術家たる価値観にグラジオラスは面食ってしまう。
「………なんというか、難しいような………」
「そうかの?それでは簡単な教えを授けて進ぜよう。
原理は至ってシンプル、“いかに相手の動きを誘導するか”それだけじゃ」
手を尽くした。
その思いを、言葉にする間もない程の刹那の交錯だった。
グラジオラスの首目掛けて脇差しを振りかぶる寄生獣。
の、瞳孔が違和感で開く。
グラジオラスが、剣を手放した。
斬り上げの動作の途中だった剣は、遠心力によりグラジオラスと寄生獣の場から離れていく。
どうして武器を?諦めたのか?
追いつかない思考が、卓越した反射神経を持つ寄生獣に隙を生んだ。
“我が剣は、お前を切り裂く刃と成ったぞ”。
そう寄生獣に言った。布石は打った。敵の意識は剣に向いた。
剣を捨てたのは接近戦への対応が故。昨晩のツワブキと同じ理屈だ。
剣を放り重さを手放し、短い半径で繰り出される昇拳は、寄生獣の攻撃より速く。
その殺意を察した彼女の脚は地面から離れていた。防御姿勢を取った時にはもう遅い。
引っ掻きのように放ったグラシオラスの昇拳が“蒼嵐”、カマイタチの竜巻を生み、寄生獣の体を切り裂いた。
(腕からでも…………!)
寄生獣に初めて入る会心の一撃。素早く後方へ飛び、距離を取る。
敵の殺意を切り払う値千金の攻撃だ。
「グラジオ――――」
歓喜の声を上げかけたオオバコの口が止まる。
斬撃を放ったグラジオラスの右腕が、敵と同じようにズタズタに切り裂かれていたからだ。
発現したばかり、不完全な魔法を体に密着させて放った代償。
そして、寄生獣もただでやられたわけではなかった。
“蒼嵐”に巻き込まれる前に投げたナイフは、グラジオラスの片目に深々と突き刺さっていた。
二度目の魔力暴走で蒼く濁っていた目が、今は流血で赤く染まっている。
心配の声より、自分達の置かれている窮地を理解した。
オオバコは素早くグラジオラスの投げ捨てた剣を拾い、満身創痍の二人を守るべく立つ。
「あぁぁぁぁああああああああ!!!!!」
その場に、寄生獣の絶叫が聞こえた。
受けた傷は浅くない。ぱっくりと割れた両脚、腕と肩からの流血、顔にも幾つかの切り傷がついていた。
十分に重症の部類、それでも尚、寄生獣の……アヤメの関心は自分には向けられていなかった。
「マグ・メルが!!マグ・メルが切られちゃった!!!
ごめん、ごめんごめんごめん大丈夫!!?
痛かったよね、こんなことになるなんて……油断した!!」
傷だらけ、血だらけの彼女が心配するのは自分のマフラーだ。
彼女と同じく斬撃を受け、切り刻まれた寄生獣本体の姿があった。
「うん、うん………よかった。ごめんね、ごめんなさい………。
うん、安全なところへ帰ろう?もう帰るから。
傷をゆっくり癒して。嫌いにならないで…………」
親に見捨てられそうになって泣く子供の様に、アヤメの言葉に切羽詰まった懇願があった。
泣き慌てる表情は、その独り言の会話が終わると冷淡な顔つきへと変わる。
「…………お前、名前は?」
呆気に取られるオオバコ。その後ろでふらふらと立つグラジオラスは、片目にナイフが刺さったまま敵を睨んでいた。
「………グラジオラス」
「そう。憶えておくわ。それにキリ。そこのノッポの人も。
あなた達、絶対に許さないから。マグ・メルに乱暴なことをして………。
次は絶対に殺してやる。殺す、殺す殺す殺す………!!
…………あぁ、くそ」
怨嗟の言葉を発していた寄生獣が立ち眩みをした。
オオバコがふと見れば、彼女の脚が震えている。
「今日は帰る。ふふ、でもそんな様でこの谷を抜けられるのかな?
……………じゃあね、キリ」
こちらの想定より、アヤメの中で寄生獣の優先順位がかなり高いのだろう。
アヤメは憐れむような視線を地面に伏すキリに送り、キリはその目を受ける。
幼馴染の思い出は遥か遠く、かつての上下関係は完全にひっくり返っていた。
マフラーの損傷を見て即撤退を決めたアヤメは、それを服の中へ大事にしまい、森の向こうへと消えていく。
敵が去っても、しばらく剣を構えるばかりのオオバコの姿があった。
乱れた息が落ち着かない。キリとグラジオラスの手当てをしなければ。
けれど警戒が解けない。
場に色濃く残った殺意に、警戒態勢を解けない。
中層で起こったこの戦闘を、キリ、グラジオラス、オオバコの三人は何とか切り抜けることができた。
寄生獣は体の傷と、マグ・メル本体の損傷を見て地下八階から撤退する。
一方のキリ達の被害は甚大だ。軽傷はオオバコのみ。
キリ。
脇腹に脇差しによる深い刺し傷。右肩に、斧による裂傷。
寄生獣の最後の攻撃を受けた左腕はぱっくりと割れており、敵との交戦で両手先には無数の切り傷がついていた。
頭からの流血、血を流し過ぎて意識が朦朧としている。
グラジオラス。
両脚の腿に投げナイフによる刺し傷を受け、また自身の最後の一撃で右腕全体に夥しい切り傷を負っていた。
そして何より右目が敵のナイフによって抉られていた。
出血箇所はキリより少なく、治癒魔法を発する余力はぎりぎりあったが、満身創痍には変わりない。
オオバコはようやく動き出し、二人を安全な場所へ運んで応急処置を始める。
彼らの死闘は、総力戦の五日目の一戦目に過ぎない。
この瞬間、谷の各地で巻き起こっている戦闘を、彼らはまだ知る由もない。
二十章五十三話 『Day5 霧の谷の決戦③ vsキメラ』




