二十章四十四話 『Day4 夜の計略戦(前)』
自分はどこかで、隙を見て逃げ出すんだと思っていた。
タルマの悲劇……あの貧困街で起こった暴動は、ラカンカの身に深く刻まれていた。
自分たちを見捨てた騎士たちの冷たい視線。
魔物の恐怖に駆られて内輪の奪い合いを始めた貧困街の民たち。
あの悲劇を招いた貴族は大嫌いだ。
でもそれ以上に、人間という生き物の腹の底に何があるかを知ってしまった。
闇夜に紛れる大泥棒。誰も彼の素顔を知らない。
だから誰とも交わることはない。誰も信じなくていい。
銀の団。王族会議の下部組織なんて、自分の柄じゃない。
牢屋から引き出してくれた縁だ、まぁ飽きないところまでは付き合ってやろう。
要求された仕事は果たす。でもきっと、どこかで反りが合わなくなる。
今まで根無し草でやってきた。だからいつかはここからも去るのだろう。
大泥棒【月夜】のラカンカはずっと、どこかでそう思っていた。
輪廻炎天。
“輪廻”を冠する輪廻の流派の基礎にして王道、六流派それぞれに存在する真道魔法と呼ばれる魔法の一つ。
単純に言えばそれは、軌道を設計する魔法だ。
輪廻の真骨頂、幾何学・座標計算により描いた空間軌道に、魔力で創った攻撃体を滑らせる。
効率的な魔力運用を是とする輪廻は専ら円環の軌道、術者を中心とした公転軌道となる。
輪廻の魔導士が序盤に習う基礎的な魔道にして、同流派の奥義。
「高速巡転」
マリーゴールドが指を鳴らすと、公転する火球の速度と半径が上がっていく。
彼女は指揮者のようでいて、炎と踊る舞踏家のようでもあった。
十六の火球は大キノコの周りを回転し大蜘蛛達を退ける壁となり、その中の一つがマリーゴールドの指揮に従ってブーメランのように撃ち放たれては、蜘蛛の巣を焼き払っていく。
「ピコティ!エミリア!そっちはちゃんと見てろよ!!」
彼女が蜘蛛達を相手取る間、他三人は闇の向こうの敵を見据える。
高確率で蜘蛛女。そう思い込んで事にあたらなければ、必ず足元を掬われる。
(こっちは見られて、向こうは闇の中…………。
奇襲の一撃の利はずっと向こうにある。だからこそ俺がすべきは――――)
(――――キノコの傘の上にトラバサミ。傘の周りにはワイヤーのトラップ。
周囲の地面には、人間達が“爆弾岩”と呼ぶ植物……。
そういう条件のキノコを籠城地に選んだのかしら)
蜘蛛女はラカンカ達から離れた地点より、戦場を俯瞰していた。
(敵はよく籠城地を武装化している………下手に姿を晒すのは危険ね。
昨晩、敵の魔導士に急襲されたばかりだし………ここは私本来のスタイルに立ち返る)
口を結ぶ。目から光が薄れる。彼女の生物としての空気が、夜霧へと溶けていく。
植物の様に存在感を霧散させていく。
それが自然界での、蜘蛛女の本来の在り方だ。静寂と暗闇に潜み敵を狩る。
己が姿は見せず、配下の蜘蛛と糸を駆使して敵を追い込み。
そして最後の、決定的瞬間に自分が出て敵を喰らう。
(さて、どういう風に追い詰めるか……………)
トウガ班と、お互い向かい合って白兵戦を交わした二日目の夜。
出口を守るライラック班を攻めに行った侵略戦の三日目の夜。
この四日目の夜に起こった戦闘は初日、蜘蛛女が戦闘部隊全員を急襲した時と似ている。
姿を見せず隙を伺い、一瞬で全てを持っていく奇襲戦。
(それをどう躱すかが今晩の肝…………俺達の命の分水嶺ってとこか)
狩る側の蜘蛛女と、狩られる側のラカンカ。
だがかつて大泥棒と呼ばれた男、標的にされるのは慣れている。
状況を整理する…………。
ラカンカ班が今日一日取り組んでいたのは、このキノコ帯の把握と籠城地の武装化だ。
迂闊に敵が踏み込んでくれば、狩るトラップを沢山仕込んだ。
ぶっちゃけて言えば、蜘蛛女が近接戦を仕掛けてくればラカンカ達は呆気なく敗北するだろう。
けれどそうはして来ない。罠を看破された?あるいは警戒している?
(………この夜の谷で俺達を見つけた索敵能力は本物。
だが全てをお見通しってわけじゃない。その範囲はどこまでだ)
敵の両眼はバノーヴェン城で【隻眼】のディルが潰した。
目は使えないはず、ならばこちらのトラップをどうやって看破したのか。
ラカンカの見立てでは、蜘蛛女攻略の肝はその目だ。
(その目を掻い潜る術があるなら、俺達の生存確率も跳ね上がる。
というかこの接触で掴めなきゃ谷を抜ける前にまた襲撃されて死ぬ…………。
敵の索敵能力を暴かねぇと………!)
次の瞬間、思考に浸るラカンカの右腕に、赤い雫が着弾した。
「――――なっ!!?」
射撃され矢のように飛んできた敵の魔力体。
即座に立方体化し、右腕に荷重を掛けて来る。
一目で分かった。金の鳥のメッセージで言っていた、蜘蛛女の魔法だ。
霧の向こうからの射撃。重りと化す変質。そしてラカンカの驚きはまだ続く。
【月落し】のエミリアが、敵の射撃方向へと即座に矢を放っていたのだ。
「おま………」
驚き、けれども意図は分かった。
姿の見えない敵が攻撃を放ってきたのなら、その方向に即座に反撃する。
速射を得意とするエミリアの得意戦術でもあるのだろう。
残り三本だった矢の一本を、使うに値するという判断。
「………仕留めそこなったな」
心底悔しそうに呟く。手応えなし。手応えなし?エミリアの反射速度は見事だった。
あれを避けたのか?流石は蜘蛛女、なのだろうか………。
(糸を伝うって話じゃねぇのか。射出しても来るのか……?)
己が右腕についた魔力体を、ラカンカは繁々と観察する。
体に付着し重りとなる攻撃、喰らい続ければ動きを取れなくなっていって死ぬ。
(……………………………)
考える。どうして重りなんだ?
銀の団が始動し、戦闘部隊が班分けされてしばらく経った、時期としては白銀祭直後の頃。
“最も探検家の才能がある者は誰か”という議論が、団内の探検家の間で持ち上がったことがある。
各人複数票を投じれるような集計をツワブキが行った結果、名前がよく上がったのは高い能力を見せたキリや魔物と暮らした経験があるガジュマル。高いサバイバル経験を持つ【狼騎士】レネゲードは二番人気だ。
そして一番、九人の探検家全員が“才能がある”としたのが【月夜】のラカンカだった。
アシタバは、彼やツワブキが騙された迷宮蜘蛛の擬態をラカンカが最初に看破した点を上げた。
ディルの高評価も地下一階、地下二階探索時の高い対応能力が故だ。
ディフェンバキアは魔王城、一階より上のトラップ全てを安定的に解除した実績を褒めたし、タマモは見張り時の集中力、緊張感をよく見ていた。
ツワブキ曰く、ラカンカには探検家としての天賦の才がある。
彼は大泥棒だ。かつて警備を厳重に固められ、罠を仕掛けられた館に幾度となく忍び込んだ。
それでも盗みを必ず成功させ、敵に掴まることなく毎回逃げ果せた。
事前の情報収集はできる。けれど館に入った後は、全てが即興だ。
数えきれない想定外や突発的に発生した障害に見舞われる。
そして【月夜】のラカンカは、それら全てを捌いてきた。
対人観察能力の高さ。罠を看破する観察眼。優れた目に基づく豊富な情報量だけではない。
不慮の事態に見せる安定した対応力は、目前の事態と切り離して冷静に思考を進められる並列処理に裏打ちされる。
初見の綱渡りを何十と成功させてきた彼の天賦の才。
観察眼と思考力が結実する、未知の相手に対する瞬発的発想力。
(―――なんで重りの魔法なんか開発したんだ?)
蛇女神の石化の魔眼はサンプル確保の為と聞いている。
でも、それとは別に致死級の魔法も開発してもよかったのではないか。
いや、探検家総会でストライガが言っていた。魔法魔物には二種類いる。
蛇女神も蜘蛛女も、きっと進化と共に固定の魔法を高めていくタイプだ。
それには労力が多く割かれる……だから取捨選択が必要になってくる。
致死級の魔力体を開発して、飛ばしてこればよかった。
あるいは蛇女神と同じ、即刻体の自由を奪う魔法。
でもそうではなく、蜘蛛女は重りの魔法を選び、長い時間と進化を重ねて開発してきた。
(メリットが上回ったってことだ)
任意のタイミングで重り化できる魔力体。それが何だ?
射出されてきた……金の鳥のメッセージと合わせれば、恐らくスリングショットの形。
つまり弾力性のある糸もまた、蜘蛛女の武器の一つだ。
エミリアの即座の反撃は敵に当たらなかった。
「――――全員」
瞬間、ラカンカの中で思考が弾ける。
「マントを四方に展開しろ!盾にするんだ!!今のがたくさん飛んでくる!!」
疑うより、考える先に、同班の三人は言われた通りに動いた。
直後、それぞれのマントに放たれた赤い雫が着弾する。
方向はバラバラ、弾数にして九が、同時に放たれてきた。
「どういうことだ!?配下のクモが撃ってきているのか!?」
いや、それであればエミリアの矢は当たっていたはずだ。
ラカンカは理解する。粘着性の糸、弾力性の糸、後は重り化する魔力体があれば可能だ。
「敵は射手台を作ってきてる!!
新たに発現する重量によって作動するカラクリだ!!
飛んでくる方角に蜘蛛女はいねぇ、赤い雫は布で払え!!」
理解する。蜘蛛女が重りの魔法に見出したのはその応用力だ。
敵の拘束。トラップの仕掛け。そして恐らくは、攻撃力の強化。
(最初は確実に一発、二手目で四方から同時攻撃。
俺達を混乱させて、周囲警戒させての三手目は…………)
ラカンカは素早く上を見上げた。
射手台が作れるなら、投石器も作れる。
後は投石する石を、密集させた赤い魔力体に置き換えれば………。
それは空中で超重量となり、垂直に敵を叩きつける砲撃となる。
「全員、飛べ!!!」
四人が大キノコから飛び降り、直後に赤い立方体の塊が一帯を圧し潰した。
砕けるキノコ。割れる地面。大蜘蛛達は一旦後ろへ退避し、ラカンカ達は彼らと同じ地面へと振り落とされた。
籠城地が罠で固められているなら城ごとブチ壊す。出来るなら確かに最適解だ。
樹々を駆け抜け追加の射手台を作りながら、蜘蛛女は自身の策の手ごたえを感じる。
敵を牙城から引きずり落した。もう向こうに盾はない。
あとは大蜘蛛をけしかけて、白兵戦で削り取れば詰み………。
「……………………?」
消化試合を確信した蜘蛛女の手が止まる。
ラカンカ達は、今日一日大キノコの地帯を調べ尽くした。
そして一帯に自生するキノコの生態についても、既に検討をつけていた。
群れを成し谷を闊歩する巨大蟲達が全くこの地帯に足を踏み入れないのは、キノコ達が危険な防御機構を有しているからだ。
恐らく実態は寄生獣に近い。
つまりアリなどに寄生し、その動きを操る“ゾンビキノコ”。
ラカンカ達が見つけたのは、降り積もったキノコの胞子に埋もれ、けれど生きていた大蟻の個体だ。
背中から生えているキノコが、その根を四肢に伸ばし、関節に侵食している。
生きながらに体の自由を奪われた大蟻。
キノコ達はどうしてこれを生かしているのだろう。
ラカンカ達は幾つか検証を重ね―――そして答えに辿り着いた。
「さぁ、でてこいよ」
大キノコの崩落に躊躇していた大蜘蛛の後ろで、地面が弾けた。
否、地中から何かが飛び出してきたのだ。
一つではない。別の地面から、降り積もった胞子の下から、一斉に魔物達が這い出て来る。
大蟻。大団子虫。熊甲虫。大蟷螂。
その種類は多岐に渡るが、彼らは総じて背中からキノコを生やし、目が白く濁っていた。
彼らは崩れたキノコへと行進し………大蜘蛛とぶつかると、彼らを攻撃し始める。
大キノコの侵食は、兵隊の確保だ。
彼らは縄張りに踏み入った生物に寄生し、衰弱させ体の自由を奪うと、キノコの守衛として生きながらに待機させる。
そして一度キノコが攻撃されれば、待機させた兵たちを総動員し外敵を撃退するのだ。
この件の後に名付けられる新種の悪魔植物、“軍隊大茸”。
何度かの綱渡りを成功させて、この状況を展開できた。
敵の敵は味方。ラカンカ達は大蜘蛛の群れに対抗する味方を得た。
蜘蛛女が見なければいけない個体数は増える。
その様子を観察し、敵の索敵能力を掴むことができれば。
(敵の次の手は………………)
かつて大泥棒として、数々の館を駆け抜けた日々と同じ。
【月夜】のラカンカの目が、鋭く研ぎ澄まされていく。
二十章四十四話 『Day4 夜の計略戦(前)』