二十章三十三話 『Day4 愚臣四王⑤ - タチバナ班』
花の国は魔王城の西側……深き森と高き山々を越えた先にある。
間に森の国があり、天然の要塞に阻まれていることから、まだ魔物の被害を受けていない土地だ。
タチバナ班班長、タチバナはその国で生まれ育った。
彼の所属する騎士団の仕事は、魔物ではなく隣国との小競り合い。
とはいっても年々何人かの死者を出し、タチバナも妻子を失っていた。
「東の方じゃ魔王軍だ魔物だと大変だってのに、全くこの国は」
呆れたようにため息をついたのは、花の国の副騎士団長。
武芸に優れ、頭も回る。戦術も政治も出来る、部下からの信頼も厚い人物だ。
タチバナとは入団同期の腐れ縁というやつ……こうして平穏な夜に、二人酒を飲んで愚痴を語り合うことがあった。
「不満なのか?」
「そういうお前にはないのか。タチバナ騎士団長殿」
話を振られるタチバナは彼と肩を並べる団長―――銀の団でいうツワブキの立場。
尤も、花の国の騎士は四十歳で騎士を引退し政界入りする習わしで、タチバナも先代が引退したから役を引き継いだに過ぎないが。
「そうだな、まぁ同意だ。魔王軍や魔物がいつまで対岸の火事でいられるか知らないが………。
次は我々の番かもしれないのに、人同士の争いで戦力を摩耗している場合か?
それとも、魔物が来る前に隣国の戦力を取り込みたいと画策しているのか………」
「はっ、そりゃあ皮算用ってやつだ。
仮に勝てたとして向こうの兵がすんなり従うわけもない」
「いっそのこと同盟でも組めたらいいのだがな。そのための武力アピールなのか………。
私は、両国協力して森の国に兵士団でも送ればいいと思うんだがなぁ」
「おいおい、それこそ皮算用だろう!」
「そうか?森の国が魔王軍に対する強固な砦になれば、我らが国も隣国も安泰だ。
森の国に恩を売れて、魔物対処のノウハウも得られる。
森の国と魔物、二つの潜在的な敵を対処できると言ってもいい」
タチバナのその、変に現状とは離れた場所にピントを合わせる癖は、副団長も理解していた。
鳥の目と虫の目。分業してきたからこそ二人は安定してここまで来れたと言える。
「魔物も潜在的な敵か」
「対岸の火事で慢心する気は私にはないさ。
どこから、どう発生したかは未だ不透明と聞く。
明日にも我らが領土から新たに芽吹いても不思議ではないのかもしれない。
森の国を始めとする各国との戦い、その経験値のままに、だ。
万一そうなれば我々は蹂躙されるのだろうな」
「限りなく無い方の話をしていても仕方がなかろう」
「そうだな。でも私は―――――」
「……………………?」
グラスを持ったまま、月夜を見上げたまま、タチバナは押し黙ってしまう。
何か、面倒なことを考えている時の顔だ。
と、付き合いの長い副団長は思ったが、思案に耽るタチバナを見守ることにした。
「我は花の国の騎士にして銀の団の探検家。名をタチバナと申す」
地下八階、上層。
四人の前に降り立った修羅王に騎士なりの名乗りをしてみるが、相手はきょとんとするだけだった。
タチバナは相手の様子を観察していく。
(騎士に似た恰好、というだけで騎士ではないのか………。
王族会議で目撃された首無し卿と形は似ているが、恐らく性質は異なる。
ゴブリン達も鎧を纏っていたというから、そこを真似たと見るべきか………?)
「今のはなんだ」
思考するタチバナに平静に言葉を返してくる。
頭から足先までが全身甲冑のような、人型の魔物……会話が成立するのがなんとも不気味だった。
「名乗りだよ。騎士が戦う前の儀式のようなものだ」
意思疎通は良好。敵はふむ、と考える素振りを見せると、三角の兜の目線をこちらに向けてきた。
「では我も名乗っておこう。我の名はキース。この谷で修羅王と呼ばれる王が一体だ」
王…………ボスか。
タチバナが剣を構える。修羅王が両手を構えた。
ファイティングポーズが敵の臨戦態勢なのだろう。
カマキリとは違い、手の甲から肘の方へ伸びた鎌が鈍い光を放つ。
攻撃に転じたのは、一瞬だった。
「――――ッ!!」
すんでで避ける、タチバナの頬のすぐ隣で風が鳴る。
右ストレート………タチバナの右頬を切った右拳が、ぐるりと回る――――。
(……………やばいッ!!)
鎌は、刈るからこそ鎌だ。
次に修羅王が繰り出したのは、手から伸びる鎌による斬撃………タチバナはそれを、なんとか剣で受け流した。
「くっ!!」
そのまま剣を振るうが、敵は軽やかにバックステップしタチバナの剣撃を躱す。
当たっていたとしても敵には鎧がある。ダメージとはいかなかっただろう。
(慣れるのに時間がかかるな………やりづらい………)
修羅王のスタイルは一見すると徒手空拳。
実際には手から伸びる鎌によって、突きと払いの2アクションで仕掛けて来る。
人の武術ではあまり見ない形だ。タチバナの眉間に冷や汗が垂れる。
修羅王は大蟷螂の中から新たに生まれた、“女王カマキリ”だ。
そもそものカマキリは社会性を持つ生物ではなかったが、この谷の群れを正義とする土壌が彼らに変化を齎した。
カマキリ。
彼らはスズメバチやバッタ、オニヤンマ、クモやカエル、果てはヘビまで捕食する、虫界屈指のハンターだ。
更にカマキリのメスは、交尾の後、オスを共食いすることもある。
伴侶すら獲物とする生粋の狩人。
獲物を捕らえる時に用いる両手の鎌は、もはや説明するまでもないだろう。
修羅王はそれを、より人型向けに進化させた。
通常折り畳むようについていた鎌は、手の甲から伸びて外側に刃を有する。
獲物を捕まえて、逃さないようにすることに特化した刃ではない。
敵を切りつけ、あるいは攻撃を受ける、近接戦を想定した刃。
(トンファー使いといったところか……!)
人間離れした膂力から来る剣速が、何よりタチバナの肝を冷やす。
強く剣を弾いたかと思うと、独楽の様に回転し斬撃を繰り出してくる。
タチバナの腕にいくらか切り傷がついた。
場は全体的にタチバナがやや劣勢。
竜殺しの剣も思うように相手の鎧に当てられず、一方的な防戦が続いている―――。
いや、一人でこれだけ抑えられている。
「…………不規則で素早い攻撃、想定外からの剣筋………なんでタチバナさんは、あれを受けれているんだ………」
その疑問は戦いを見守っていたスズナに湧いた。
自分は当然だが、オオバコやアシタバでも苦戦する姿が目に浮かぶ。
はっきり言って、タチバナが突破されれば四人全員が死ぬだろう。
けれどタチバナは折れない。強かに刃を受け、そして観察を続ける。
「私は魔王城に行く」
魔王が倒されたという知らせが届いてから、一年。
タチバナがそう言い出すのを、長年の付き合いの副団長はとっくに察していた。
「この頃思い詰めていたから、そうだとは思ったよ」
「…………そうか?」
「ぼーっと遠くに焦点当てて、上の空っていうのかなぁ。
引退にも放浪にも早いぜお前は、騎士団長様だろうが」
「なに、優秀な副団長がいるからな。先輩方も政界で地盤を固めていて下さる。
私の見立てでは、隣国との関係は次第に改善していくさ」
「明日明後日に改善される話じゃねぇだろう。その間の兵士は誰が守るんだ」
「それは私以外でも出来る。私は、もっと未来のために動きたい」
「未来のぉ?」
頓珍漢なことを言うが、馬鹿ではないのは知っていた。
澄んだ目はもう、彼の決めた道が変わらないのを示唆している。
「銀の団、という組織の団員募集の話があるらしい。
森の国を含む、魔王城近辺の八国共同で結成する越境組織。
魔王城を改修して、難民が住める居住区にするんだそうだ」
「はっ、体のいい厄介払いじゃないか、下らない。戦災難民施策だろう?」
「だが腐っても八国の鶴の一声、だ。専門家はやってくる。
魔物に精通した学者や、戦士たちがな」
魔王城自体にタチバナが心惹かれてるわけではないのは分かる。
彼が見るのは魔物関連の人材……そのノウハウだ。
「前も森の国に派遣してノウハウを、だの言ってたな。
なんでお前はそう魔物のお勉強をしたがるんだ。
魔王は死んだんだろ?魔王軍にはもう怯えなくていい。
後は消化試合……お前の言ってた新しく出現、ってのもぶっちゃけない話だろ」
「自然発生はな」
は?、という言葉は、副団長の口から自然に出た。
タチバナの目がどんどんと、騎士団長らしく据わっていく。
「例えば我らが国土に、翼の生えた馬の群れがいたとしたらどうする。
他国にはいない。騎士は彼らにまたがり空を飛べる。
谷や川を越えた奇襲。伝令兵の強化。空からの偵察。
騎士団の戦略幅は四倍にも五倍にも膨らむだろうな。
昔はペガサスという魔物がいたらしいし、ハルピュイアという大鳥の魔物もいる。
ゴブリンなんかは、彼らに乗って空飛ぶ騎兵と化すらしい」
「…………お前、魔物の軍事転用の可能性を見ているのか?」
タチバナは無言で肯定した。
鳥の目………遠くを見れるからこそ男は、彼を騎士団長に推してきたのだ。
「魔王軍は敗れた。魔物は数を減らし、厄介な種は滅ぼされ………。
危険性が薄まったところで、残ったものをどう使うかという議論が必ず起きるはずだ。
我々が馬を使って移動し、鳩を使って手紙を届けるのとなんら変わりない。
問題は………魔物という生物たちの潜在価値が、思いの外大きいという事だ」
それは副団長も感じていた。
東から流れて来る商隊の中には、魔物素材を扱う者もいる。
カルブンコの研石。大蜘蛛の強靭な糸。カーバンクルの宝玉。竜の鱗の盾。そして話にしか聞かない、この世の最上の刀剣、竜殺し。
どれも既存の素材を上回るものばかりだ。
「私には二つの未来しか見えない。
魔物という新たな兵器を使いこなした東側諸国に、為す術もなく侵略されるか……。
あるいは、魔物達の素材という金脈を山分けした東側諸国に、技術開発、経済発展で置き去りにされる未来だ」
魔王軍という脅威が去ったからこその、新たな脅威。
八つの王国を苦しめた魔王軍の力を、人間が使って攻めて来るとなればそれは最悪のシナリオと言える。
「………………だから行くってわけか」
「あぁ、まずは魔物というものを学びに行く。
彼らの対処法を、有益な素材部位を、それによる技術進歩を。
八国が共同で設立する銀の団内ならば時流も読みやすいだろう。
魔物を兵器化する動きがあればすぐに知らせるさ」
成程。
この馬鹿真面目が、国を放って他国に渡る理由にようやく納得がいった。
結局この男はどこまでも、自分と亡き妻と、そして後輩たちが生まれたこの国を守る為に動くのだ。
「で、機会があれば止めようってか?」
「止められやしない。誰かが考え付いて、いつかは実行に移される。
出来たらベストなのは、価値観の醸成だ」
「価値観の醸成?」
「愛護だよ、愛護。八国に魔物を保護させるんだ」
はぁ?と言いかけた口を、副団長は何とか飲み込んだ。
鳥の目……たまに鳥過ぎて、正気を疑う時があるのは昔からのご愛敬だ。
ともかくこの男の視点は、一つの国を離れて世情を見るようになった。
とくれば国を守るのは、虫の目たる自分の役目だ。
「…………分かったよ。この国の留守は預かってやる。
政界の先輩方にも発破かけとかないとなぁ。
お前は、お前の正しいと思うことをやってみろ。タチバナ」
残念ながら、敵は保護などという生温い対応をできる相手ではないようだ。
そして、ここで死ぬわけにはいかない。
魔王城で学んだノウハウを国へ持って帰る。それこそがタチバナの至上目的。
その上で、かつて魔王軍の主力を誇り、今や絶滅した知性魔物と戦う機会に恵まれたことは、タチバナにとっては大きな意味があった。
(アシタバ君が言っていた………知性魔物には“戦略”がある………!
魔物の犇めく深い谷……そこのボス、甲冑の姿………!
未知の魔物だ、真実を見逃すな………!)
「―――成程」
対する修羅王は、どこまでも冷静だった。
対照的に、二人の間で衝突する剣と刃の火花は白熱してく。
「ここまでとは思わなかったぞ。思いの外、人間というのはやるものなのだな」
「…………人間というものは」
やはり。
やはり、この知性魔物はそれほど人間と接してこなかった種だ。
ならばどうして甲冑姿に進化をした。
「タチバナさん!」
背後からのスズナの声に呼応して、タチバナは横に跳んだ。
直後、放たれた矢が修羅王の眉間に跳び、そして鎌で弾かれる。
「つまらん攻撃だ」
そう言う資格は確かにあった。
矢と息を合わせたタチバナの剣撃も難なく鎌で受け止めると、二人は少し距離を取る。
こんなものかというのが、タチバナの正直な感想だった。
タチバナ一人で抑えられる……この谷の頂点は、黒龍に匹敵するような強大な魔物と思っていた。
この程度であれば、真に脅威なのは蜘蛛女だけと言っていいだろう。
出口への道のりが、大分開けてくる。
一方で、想像より下だったとしても、自分を上回る敵の強さをタチバナはよく理解していた。
タチバナの体には既に多くの切り傷が出来ている一方で、修羅王は一太刀として受けてはいない。
さっき矢を躱した時に見せた反射神経。こちらの攻撃を遮断する固い守り。
「先の名乗りとは、何のためにするのだ」
タチバナの思考に、相手は平気で言葉を投げかけて来る。
幾多刃を交えても、話しかけられる気味悪さは健在だ。
タチバナはハンドサインでスズナを制すると、会話に応じる。
「理由か?決闘前に行う騎士の作法だよ。礼節だ」
「礼節」
「お互いに命のやり取りをするんだ。
殺す相手を自分が憶えているため………そして、死ぬ自分を相手に憶えてもらうため、だ」
それは、人と人とで呑気に争ってる花の国でこその文化なのかもいれない。
けれど戦場で出会った敵兵から、タチバナは多くの名前を貰った。
相手に名前を覚えてもらうのは勇敢な男の証。彼の国の騎士たちの誉れ――――。
「理解できんな」
断つ言葉は冷たく、剣の向こうの敵は遠い。
意思疎通が出来る相手と価値観の共有ができないのは重たく感じる。
「所詮この世は殺し合いだ。憶えてもらうだの、そんな自己満足は死んだ瞬間に消し飛ぶ。
敵との悠長な時間を設ける……情報交換をする……貴様らを知ろうと習ってみたが、やはり無駄にしか思えんな。
真理は至極単純だ。強き者が生き残り、死にゆく弱き者は何も残せない。
敵を目の前にしたらどちらが先に死ぬかのみ。
敵に牙を打ち込まれる前に、己が牙を突き立てる。
少なくとも私はこの谷で、そうやって勝ち残ってきた」
来る、と悪寒がタチバナの肌を伝った。刹那膨張する敵の殺意、死との肉薄。
一歩一歩、ゆっくりと近づいてくる敵の構えに隙が無い。
愚臣四王が一体、修羅王。
他三体のような、配下の魔物を使った集団戦をせず、対面特化の進化をした珍しいボスだ。
伸びた鎌の射程、それを振り回す膂力、敵の攻撃を叩き落す反射神経。
あらゆる攻撃を一切通さず、剣撃で敵を屠る“近接戦最強の愚臣四王”。
「タチバナさん、退がって!」
後衛のスズナが放った矢を、またしても修羅王が弾く。
優れた反射神経……相手はこの谷の王だ。鬼ごっこをして逃げられるわけがない。
何より出口付近のこのエリアにいる知性魔物が自分一人で抑え得るなら、蜘蛛女と合流される前に、他の班が接敵する前に倒さない手はない。
「―――お前」
それが、出来るのならば。
「なんでわざわざ、矢を弾くんだ?」
言葉の後は一瞬だった。
三歩、素早く近寄った相手は烈火の如き剣撃を繰り出してくる。
さっきよりもギアを二段階も上げたような剣速………だが対応できる。
若き頃から兵士として戦場に出向き、幾多の死線を潜って来た。
雨を打ち払うような剣捌きも、騎士団長にまで登り詰めたタチバナならば――――。
「見事だ。だが、足りない」
自分の胸を横一閃、切り払う剣撃を、タチバナは盾で受け止め。
そして、切り裂かれた胸から血が噴き出していた。
「――――タチバナさん!!!」
血飛沫、遠くで叫ぶスズシロとエーデルワイスの悲鳴。
三度目のスズナの矢を修羅王が弾いた。
何故だ………何故だ。
確かに敵の剣筋は捉えた。受けられた……確かに受けた。なのにどうして。
防御を擦り抜けたかのように、認識外の斬撃がタチバナの胸を抉った。
「其方たちの礼節だったな。最期に教えてやろう。
“不可視の刃”………我の刃は誰にも捉えられない。
そして我の真理を今一度告げよう。強き者が勝ち。
貴様はここで死んでいくだけだ、タチバナ」
単調な魔物が、魔王城の一フロアで頂点を取れるわけはない。
そして、一つの読み違えが死に直結するのは探検家の常だ。
流血、タチバナが膝をつき。
愚臣四王が一体、修羅王が、その様を冷たく見下ろしていた。
二十章三十三話 『Day4 愚臣四王⑤ - タチバナ班』