四章二話 『鐘が鳴る』
しばらく銀の団は、慌ただしく重苦しい日々を過ごした。
明日にもハルピュイアの大群がやってくるかもしれない、という重圧が日常を這いうねる。
夜寝付けない子供も増えた。
戦闘部隊の者たちはいつか分からない襲撃に備え、四六時中気を張り続ける。
待機だけで気を消耗してしまう者もいた。
その中で彼女はある種、隔絶された場所から事態を見ていた。
銀の団最高責任者、団長ローレンティア・ベルサール・フォレノワール。
日中、魔王城の屋上にて、彼女は南方を眺めている。
たった数ヶ月前、国を追われた時の暗い雰囲気は見る影もない。
今や、彼女は1つの白銀細工のようだった。
威厳と呼べそうな風格、風に流れる銀色の髪、白百合を思わせる静謐な華やかさ。
眼がどこまでも研ぎ澄まされている。深く。鋭く。澱みなく。澄み渡る。
それはキリとの対峙の中で見せた、あの異常性だ。
死に直面してこそ彼女は聡明で冷静になる。
銀の団全体が危機に瀕している今、彼女は何か、神聖な雰囲気さえ纏っていた。
「見張りなんか買って出る団長がどこにいるんだよ」
隣で胡坐をかくアシタバは呆れながらも笑う。
それを受けてローレンティアも口元を緩ませた。
「生憎、皆様が忙しい中仕事が見つからないもので。
こうして見張りの方々を手伝いつつ、労おうというわけです」
「いいんじゃないか?ティアは人気者だからな」
「いやいや」
「いやいやいや」
否定と、否定の否定がしばらく続いた後、二人は南方へ目を凝らす作業に戻る。
目線は同じく地平線へと向いていた。
「ツワブキさんから聞きましたよ。今回は何やら別行動とか」
「ああ。あんまり皆に不安を与えたくなくて、詳しいことは言っていないんだが……」
「いえ、いいと思います。
アシタバにはスライムの件でも樹人の件でもお世話になりっぱなしで。
なんだか私が手柄を取ったみたいになっているし」
「それは気にしなくていい」
「そう、とにかく信頼しているの。今でも思い出せる。
魔王城に来た初日、ウォーウルフの縄張りに落ちたこと」
もはや遠い昔にさえ感じられた。たった三カ月前の出来事だ。
「その時に生きる勇気をもらった。
咲き月、スライムの時には皆のために何かを成せた。
澄み月、樹人の時には誰かに期待をされているってことを知った。
何かをなすために何をすべきかを考えるようになった。
そしてきっと、キリを救えたんじゃないかって思う。
泣き月には、私が皆に受け入れられているってことを知った。
私の呪いを受け入れてくれる人もいるって知った。
皆の期待に応えたいと思った。
私は、失いたくないよ。世界がね、広がっていくんだ。
今までは怯えて足元ばかり見ていたから。
こんな世界を、私を見てくれる人の顔を知らなかった。
私はまだまだここで、銀の団で生きたい。銀の団を失いたくないんだ」
ローレンティアの独白の傍らで、見張りをしていた一人の青年が立つ。
ギョロっとしたその眼は地平線に向け見開かれていた。
「あの…………あれ、なんです?」
静かに、しかし鉛のような重い吐息が屋上の床を伝ったようだった。
見張りに徹していた十余名が立ち上がり、柵にしがみつき、彼の指す方向に目を凝らす。
「なんだ、どれのことを言っている?」
「何も見えねぇぞ?」
「え?いやいや、あの高い山のちょっと左っすよ?黒い粒粒が………」
言われて気付くほどの、微細な点は。
揺らいでいる。幾つかある。近づいていくる。
とうとう、彼らがやってきた。
ガラン、ガラン、と魔王城に、屋上の鐘の音が響いた。
「敵襲ーーーーーーー!!!!」
その叫びが、木霊のように各所から響く。
来た。来た。彼らが、来た。
――――地上で弓の訓練を見ていたのは、エミリアとラカンカ、タマモ達だ。
「…………とうとう来やがったか」
臆病と揶揄されるほどに危険を回避してダンジョン攻略を行う探検家、【狐目】のタマモは冷や汗を流す。
「やるしかないよ。ましてや僕らは、他の人たちよりも目いっぱい」
その隣でタマモの相棒、同じく探検家【狸腹】のモロコシが呟いた。
「各自、撃ち方やめ!!矢を回収し、弓も全部持って屋上へゆけ!!!」
大泥棒を打ち取った狩人【月落し】のエミリアは、訓練を受けていた戦闘部隊の男たちに指示を出す。
「………………………」
その横でかの大泥棒【月夜】のラカンカは黙り、空を見据える。
―――――魔王城二階の、オオバコの個室が勢いよく開かれた。
「オオバコ!!敵襲だ!!戦うんだよ!!起きろ、起きろ!!」
前日夜間の見張りを担当し、仮眠を取っていたオオバコを叩き起こしたのは、少々気弱な若手の探検家見習い、カシューだ。
「……………来たか」
不機嫌そうに頭を抱えながら、燃えるような赤髪、同じく若手探検家見習い、オオバコが応じる。
「いくぞ。屋上だな?」
―――――魔王城三階。そこでは銀の団の女性、子供が避難をしていた。
「ユズリハ、医療品持ってこさせて。それと私にできる限りの助手をつけろ」
医師ナツメはこの異常事態でも冷静だ。
その眼は、殺意とさえ呼べそうなほどに鋭く尖っていた。
「薬、包帯等医療品は北側の空き部屋にまとめてあります。
どなたか階段脇まで運搬をお願いします!!」
銀の団秘書、ユズリハは矢継ぎ早に指示を行う。
その隣で、主婦会代表トレニアも声を張り上げた。
「私らだって協力するんだ!!
傷の手当て、武器防具の手渡し、やれることはやりきるよ!!」
地上から屋上へと駆け上がっていく男達には、酒場サマーキャンドル女主人、料理人クロサンドラが声をかける。
「戦前の腹ごしらえ、持っていくなら持っていきなぁ!!
量ならたっぷり用意しといたさ!!」
「オニギリ、あるよ!!ありったけあるよ!!」
「お好きな味をお伝えくだせぇ!!」
酒場の看板娘、双子のプルメラ、プルネラも陽気さを振り絞る。
泣きじゃくる子供たちには、ローレンティアの使用人エリスが付き添っていた。
屋上へ駆け上がる男たちを、彼女はただ見守る。
階段前、戦闘準備に勤しむ男達の中で、工匠部隊の長老、砥ぎ師ウルシはナイフの束を取りだした。
「砥ぎが間に合ってよかった。持っていけ。
…………死ぬんじゃないぞ」
受け取るのは、かつてローレンティアの命を狙った暗殺家。
そして今は彼女の護衛と、アシタバの助手を務める少女、キリだ。
「…………うん。いってきます」
―――――魔王城四階には、戦闘部隊以外の男達が集結していた。
筒抜けになっていた四方には、橋の国建築家シラヒゲ率いる大工班が設置した防護柵がとりつけられている。
柵の側には、長い槍を持った男達。そこには農耕部隊隊長クレソンの姿もあった。
「貴族やのにえらい様になっとりますなぁ。ああ、褒めとるんですよ」
工匠部隊隊長エゴノキはそう言い、戦支度を済ませ、唯一剣を持つその男―――橋の国代表アサツキに話しかけた。
「これでも昔は探検家の修業をしていたことがありましてね。
半端者ですが経験はあります」
戦前の会話を澄ますと、彼らは緊張した面持ちで南の空を見る。
――――屋上には、戦闘部隊の者たちが集結していた。
両端には暗黒時代の五英雄が二人、【黒騎士】のライラックと傭兵【刻剣】のトウガが構える。
北側、2つの魔道砲門の側には魔道士の少女達。
そして南の最前線には、探検家【凱旋】のツワブキ、【隻眼】のディル、【迷い家】ディフェンバキア。
アシタバとローレンティアは屋上の真ん中ほどで、飛来する彼らを見ていた。
「………俺はそろそろ行く。ティアは下にはいかないのか?」
「私も少し考えがあるの」
「そうか、じゃあ俺も同じだ。信頼している」
南の空から目線を降ろし、二人はお互いの顔を見合う。
「武運を。初日のティアの演説に対しての答えっていうのが、これか分からないけど………」
恐怖がないわけではない。でも、生きることを諦めたわけでもなく。
意味や理由がないと、自棄になったわけでもなく。
「生きよう。生きるんだ、俺達は」
アシタバは、北にある三階への階段へと歩みだし。
ローレンティアは、彼らのやってくる南の空へと視線を戻した。
銀の団が魔王城に移住した一年目の、流れ月のこと。
ハルピュイアの大群が魔王城を襲撃する。
後に『ハルピュイア戦役』と呼ばれる、その戦争が今、始まった。
四章二話 『鐘が鳴る』




