二十章九話 『Day2 魔物たちの領域④ - アシタバ班』
故郷がどんどん離れていく、あの感覚は今でも思い出せる。
両親と、ツクシと、弟達と話をつけて村を出て、銀の団参加者用の馬車に飛び乗ったのはもう一年以上も前の話だ。
魔王城で命を落とした兄を追うように、オオバコは銀の団へ志願した。
でも、故郷から魔王城までの一週間ほどの旅の中で、自分の行動が本当に合っているのか不安にならなかったと言えば嘘になる。
「坊主、見えて来たぜ。あれが魔王城だ」
揺れる馬車から初めて見た魔王城は、黒く大きく、まるで兄の墓標に見えた。
兄が何に挑んだのだろう。どういう場所で命を落としたのだろう。
どう戦い遂げたのだろう。そして。
例えば自分は、兄のような人間になれるのだろうか。
現在、地下八階下層辺り。
オオバコとキリは上の草原から落下して、そのまま大蜘蛛の巣にかかった。
谷間で宙づりのまま半日が経過し、そろそろ干からびるかなと思った頃。
「………………来たな」
この巣の主だろう、一体の大蜘蛛が這い寄っていた。
大きさは迷宮蜘蛛や上で見た白い大蜘蛛より一回り大きい。
「網で狩るからスピード不要………んで図体がデカくなったんだろうな」
「同意」
四肢を糸に拘束されながら、二人は大蜘蛛の様子を見守る。
粘着のない糸を伝い近寄ってくると、キリと大蜘蛛の距離は涎がかかるほどになった。
キシキシと動く鋏が、彼女の顔に近づき。
「―――今」
「了ォー解!!」
言葉と同時、オオバコがあらん限りの力を振るって身を捩ると、蜘蛛の巣が僅かに歪む。
バランスを崩す大蜘蛛、その鋏にキリが噛みついた。
驚き上体を反らす大蜘蛛、キリは歯を離さない。
オオバコが糸を引っ張り、キリ自身が大蜘蛛に引っ張られ、右手の拘束が緩んだ。
それからは一瞬だ。
糸を振りほどいた右手で素早く竜殺しを取り出すと、敵の首筋を正確に突き刺す。
黒龍の歯から造った刃は滑るように大蜘蛛の首を切断し、返し手で糸を切り裂いた。
「耐、衝撃」
オオバコとキリと大蜘蛛の死体を乗せた蜘蛛の巣は、支柱たる一本が斬られ、ターザンロープのようなスイングの後に崖の側壁に打ち付けられる。
大蜘蛛の死体をクッションにした二人が、糸の拘束から逃れようやく地面に降り立った。
「オオバコ、怪我は?」
「わ、立て直し早えぇな!?怪我は無し、敵の死亡も確認。キリは大丈夫か?」
「私は大丈夫」
キリは既に武器の状態を確認、収納し周囲の警戒に移っていた。
「本当に?その、なんつーか…………凄かったが」
「何が?」
メドゥーサ撤退戦では大蛇を屠り、バノーヴェンの大災厄では朱紋付き、寄生獣を相手取り、その他のダンジョンでも彼女の強さは多く目にしてきた。
斑の一族出身と知った時の驚きを上回ることはもうないが、それでも大蜘蛛とキスして平然としているのは、何とも言えない気持ちになってしまう。
「悪い、かなり頼っちまったな」
「適材適所。力のあるオオバコとの的確な役割分担でしょ?」
「そうだが………まぁいい。それより現状確認だ。とりあえず騒がしくしたし移動希望」
「同意」
「っても上向きの崖と下向きの崖に挟まれて進路は少ない……移動するには―――」
「左前方にある花畑を突っ切る必要あり」
「………他にルートは?」
「なし。崖をよじ登るか降りるか」
オオバコは思わず頭を掻いた。ダンジョンの花畑なんて正直入りたくない。
けれど、それしか道がないと来た。
「行くしかない、と私は思う。ティア達を助けに下には降りられない。
早く上へ行って救助を要請しないと。覚悟を決めて、オオバコ」
「………わかっ――――」
言葉は続かない。ズン、と二人を振動が襲った。
キリの素早い戦闘態勢、オオバコが振り返ればそこには、体長二メートル程の大きなカマキリがいた。数にして六体、崖の上から落ちてきたのだ。
大蟷螂。鎌で獲物を仕留める肉食蟲、巨大蟲が一体だ。
「…………待ってくれる気はねぇみたいだな」
オオバコも斧を手に取り、敵を睨む。
アシタバ達に言ったことはなかったが、オオバコの心の奥底には、微かだが着実に劣等感が根付き始めていた。
勇者一行、“大戦士”たる兄に追いつこうと村を出てきた。
けれど今、キリほどに上手く状況を捌けず頼っている有様だ。
斑の一族、という言い訳は彼にとって無価値、強さの差は歴然。それだけではない。
相棒、と嘯いていたアシタバは、クラーケン討伐作戦とバノーヴェンの大災厄を経て世界的な知名度を一気に押し上げた。
勿論それを鼻に掛けるアシタバではないが、肩を並べるにあたっての格というものはあるだろう。
そして元より持ち合わせる知識と対応能力は、もはや比べるまでもない。
ローレンティアは言わずもがな、王族の生まれ以上に、絶対防御の魔法が強力だ。
魔物に四方を囲まれるダンジョンにおいての強固な味方、彼女もまたバノーヴェンの大災厄で一皮むけ、オオバコは少し置いて行かれたように感じてしまう。
友達に格を感じたり、強さや身分や人間の出来で劣等感を勝手に抱く自分が一番しょうもない、という自覚はあったものの。
兄のことを知りたい。兄のようになりたい。
三人に置いていかれてる自分は、その夢にどれほど食らいつけているのだろうか。
なんてことを、よく考えるようになってしまった。
「キリ、下れ、攻め切れねぇ!!」
大蟷螂との戦いは、オオバコ達の劣勢。
というよりは、向こうの絶え間ない援軍に苦労する状態だ。
二人は既に十一体を討伐済み。だが目の前には、十六体の大蟷螂が立ちはだかり、二人をじりじりと後退させていた。
「コンビネーションが思ったよりやべぇ!深追いすると狩り取られるぞ!」
「分かってる。力も強くて一撃が受けれない………」
言うより早く、大蟷螂の一振りをナイフで受けたキリが吹っ飛んだ。
衝撃を受け流す制御された跳躍、キリは空中で身を翻し、花畑に着地し――――。
そして、花が脚に絡みついた。
「……………!」
日頃からアシタバに魔物について教わっている二人には、一瞬で分かった。
発見自体は今回が初めての新種。花そのものに擬態する、ハナカマキリを原型とした大蟷螂の派生種―――“大花蟷螂”。
仕掛けられているのは群れたる狩りだ。
獲物を追いこんで、待ち伏せしていた別班が確実に仕留める。
蟷螂達においては大花蟷螂が後者を担当する。
勿論一匹ではない。花畑の花全部が、擬態していた大花蟷螂だ。
「やっぱり入るべきじゃなかった………!」
花に擬態するために体格を膝下程度に落としている。
それ故の攻撃力の低さは救いだが、その分素早い。
キリが脚に絡みついた一体を処理する間に、大花蟷螂は素早くオオバコ達を包囲した。
オオバコは大蟷螂の鎌を払いながらキリの容態を確認する。
正直、黒龍の鎧を着ていなければキリの脚は持っていかれていただろう。
逆に言えば鎧があればそれほど恐れなくていい。
「オオバコ、じっとしてたら巻き付かれる!動き続けて!
花のは蹴り飛ばせば大丈夫、下半身で花のを、上半身でノッポを相手して!」
「むずくねぇか!?」
「出来なかったら死ぬ。私もカバーしきれないかもしれない」
「……………………」
キリの分析は正しい。魔物に囲まれた窮地、ここは敵の狩場だ。
地味に効くのが、二種の魔物の高低差。
二メートル級の大蟷螂は上半身を、膝丈の大花蟷螂は下半身を狙い、二種の魔物の剣筋は互いを邪魔することはない。
大花蟷螂が敵の脚を抉り、もしくは足に抱き着いて機動力を削ぎ、鈍った相手を大蟷螂が狩る。
速さを殺してくる相手もパワーファイターも、キリにとっては不得手な相手だろう。
(ここまで、敵の狩りは成功している…………!)
死地。走馬灯には早かったが、オオバコの脳裏には一瞬兄の姿が過ぎった。
兄もこの地でこんな風に魔物と戦ったのだろうか。
でも死ななかった。最下層まで兄達は踏破した。
「オオバコ、逃げよう!私が殿を務める、二人で距離を取って立て直しを………!」
「いや、しない」
正面からきっぱりと断るオオバコに、キリはきょとんとしてしまう。
「さっき大蟷螂を倒しても、おかわりが来ただろ。
敵の予備隊はまだいる、俺たちが逃げようとすればそこを狩り取られる!
待ち伏せしてきた群れに、スピードで千切ろうとすんな!」
キリは思わず黙ってしまう。
戦闘の俯瞰。瞬殺離脱こそ花形の暗殺者には確かに伸びにくいスキルだが、それを農村生まれのオオバコが上回るのは才能という他ない。
キリに言わせれば、上半身と下半身で別々の魔物を相手にするより難しいことを、オオバコはやってのけている。
「適材適所だ、キリ、大花蟷螂を狩ってってくれ!
俺が別動隊を警戒しながら大蟷螂も抑え込む!
二人だけの今、策略仕掛けてきた相手に策返そうとするのは悪手だ!
ゴリ押しでこっちが敵を削り切る!」
今の状況はさておき、オオバコが気に入らなかったのは、キリがカバーできないと言ったことだ。
「パワーファイターなら俺の方がまだ受けれる。文句は言わせねぇぞ、命預けろ!!」
「……………了解」
自分はリーダーには向いていない、というのがキリの自己評価だった。
息を潜め身を隠し、相手を仕留める一撃に全霊を掛ける暗殺者のスタイルは、刃と相手に意識を深く没入させる。
どんな乱入があるか分からないダンジョン探索とは相性が悪く、チームを率いる場合も同行者の安全に意識がいってしまう。
けれど、そうしなくていいのなら。
自分も含めて、味方の安全を確保し、周囲に的確な警戒を張れる味方がいるのなら、彼女のギアは上げられる。
彼女も、全力が出せる。
アシタバ班、キリ。
斑の一族出身のナイフ使い、幼少期から鍛え上げられた戦闘技術と身体能力は銀の団でも群を抜く。
悪環境でも生き抜くサバイバル能力と、卓越した体幹。
俊敏性に絞れば、間違いなく銀の団で一番。
弱点といえば非力さだが、総合的に見ても戦闘能力は五指に入ると言え、目の前の敵しか考えなくていい状況下なら更に戦闘力は上がる。
同じく、オオバコ。
勇者一行、大戦士イチゴの弟。
大柄な体に見合った怪力も、銀の団で一、二を争うレベルだろう。
その大振り感に似合わない視野の広さは、戦闘時に敵や周囲をよく把握する。
沢山の弟妹の面倒を見た経験故か、場を俯瞰した立ち回りが得意な点はキリと正反対。
波の国で学んだ、堅牢な剣の国の剣術とは非常に相性がいい。
そして、蛮勇過ぎず怖気づかない理想の精神性………これは兄譲りだろう。
独楽のように回転するキリが三匹の大花蟷螂の首を裂くと、バックステップでオオバコと背中合わせになった。
「命と、背中を預ける。そっちはよろしく」
「おう、望むところだ!」
同刻、最下層。
(―――このフロアの特徴が分かった)
谷底を掛けるアシタバの息は荒い。
ローレンティアを抱えて走るが、体の端々には切り傷が目立った。
体力も、見つかるリスクもかなぐり捨てて走るアシタバを追う影がある。
煌めく金属光沢……一見すればそれは横向きに放たれる矢の雨、鰯の大群に似ていた。
(来る!!)
アシタバが後ろを振り返るのと同時、身を捻った彼の鼻先を、矢のように突進してきた魔物が掠めていく。
バッタだ。
ナイフほどの大きさ、鼻先から背にかけて金属のような刃の形状を有していた。
体は黄色、通常のバッタでも見られる群生相と化している。
――――飛蝗現象だ、とアシタバは思う。
蝗害という言葉があるように、バッタはアシタバが元いた世界でも古くから人類に害意を為してきた虫だ。
彼らは単体では大人しいが、群れると群生相と呼ばれる形態に変化し、大群で移動して暴食の限りを尽くす。
通常の、孤独相では食べない植物を食らい、産卵サイクルが早まり、そして津波のように野山を飲み込んでいく。
時雨飛蝗と後日命名されるこの新種は、雑食性のバッタの魔物だ。
彼らは植物も食べるし、肉食でもある。そのために動物を仕留める手段を得た。
研ぎ澄まされた彼らの鼻先は、跳躍の勢いが加わってあらゆるものを貫く。
(まるで機関銃だ…………!!)
正しく矢の雨、何十ものバッタの追撃を避けるべくアシタバは木の根の隙間に倒れこんだ。
直後、黄色と金属光沢の津波が頭上を通り過ぎていく。
突進する虫の大群………暴食の習性の通り、何匹かはアシタバの隠れた木にぶつかって齧りつき。
そして、ぽとりと地に落ちた。
(………………黄泉樹………)
見ればその木の周囲には小型の魔物、火精霊や風精霊の死骸が落ちている。
普段は草食動物にとって良い食料となるが、決まった周期で毒性を持ち、仕留めた獲物の死骸から養分を得て育つ植物魔物だ。
棘に触れて命を落とす探検家も少なくない。
(全く、このフロアは油断ならない……………)
しばらく息を殺していると、バッタの大群は過ぎ去り静かな谷底に戻る。
アシタバは仰向けになり、天へと延びる崖の岩肌を眺めた。
妖精が育てた潤沢な植物資源と、峡谷、険しい立地がこのフロアだ。
魔導士を暴発させた妖精の手段。
疑似的な草原を作り出してアシタバ達を嵌めたあの植物。
群れを成す大蜘蛛達。さっきの新種のバッタ。黄泉樹。
霧も手伝って生態系が孤立しやすく、大型魔物も定住できないこの環境で、選ばれた魔物たちは上蓋もなく自由に成長を遂げる。
アシタバが上体を起こすと、遠く離れた谷底で煙が上がるのが目に映った。
通常であれば火を焚く仲間の生存確認。手を叩いて喜んだだろう。
でもアシタバの表情は変わらない。
やがて同じような煙が、九本、十本と別の場所から立ち昇る。
(悪魔植物………煙草か)
人を騙すことに特化した、悪意を持った植物魔物を悪魔植物と総称する。
その中でも煙草と呼ばれるそれは三年前、勇者が魔王を倒した後に魔王城近隣の調査の中で発見された、比較的新しい種だ。
まるで人の焚火のような煙を起こして人間を招き入れる、つまりは作為的なトラップ。
魔王城地下八階、このフロアで動物性の魔物は個体の強化に制約がある以上、群れで強みを出すべく繁殖数を増やし。
そして植物性の魔物は、養分の乏しい谷底でも生きられるよう戦略を尖らせる。
(悪魔植物と巨大蟲達の王国…………)
墜落者達という異常事態を消化すれば、様子見の終わりだ。
物怖じしない魔物から段々と牙を剥いてくるだろう。
アシタバ班、探検家【魔物喰い】のアシタバ。
【自由騎士】スイカの弟子の探検家。
この世で唯一無二のスイカ自作の剣術を使い、谷の国の騎士・軍師経験も有する。
探検家界でも戦闘力は高めだが、それよりも特筆すべきは豊富な知識量。
元いた世界の知識も併せ持つ彼にしか到達できない真理は多い。
そして軍師において発揮された全体を俯瞰する能力も、この戦局においては重要だ。
本来なら遭難したダンジョンでも十分生き延びられる優秀な探検家。
このフロアの、未知を考えないのなら。
ローレンティアは、まだ目覚めない。
魔物たちの領域で、アシタバ達のサバイバルは続いていく。
二十章九話 『Day2 魔物たちの領域④ - アシタバ班』




