十七章八話 『Day4 不可侵の魔物』
オリエンテーションの翌日。
魔王城一階の食堂では、アシタバ、オオバコ、キリの三人が朝食を共にしていた。
「アシタバ!アシタバ!知ってるかアシタバ!」
「何をだ?」
「銀の団の新規入団者!ベニシダさん達とサクラちゃん!
今月中に各部隊回って説明受けて、配属決めるんだってよ!
あぁ、戦闘部隊に来んのかな~わくわくするな!」
「………情報が古いな、オオバコ。
昨日俺が戦闘部隊のオリエンテーションをしたばかりだ」
「あり、そうなのか?」
「配属も、ベニシダ海賊団の四人はツワブキが頼み込んで入団した経緯だから決まってる。
四人は銀の団紹介のついで、本命はサクラの希望調査だ」
「あー、な~る。あの子はどうなんだろうなぁ。
キリ、何か希望とか聞いてないのかよ?」
「………………………」
同じ斑の一族の出自。
族長【死神】のナギから銀の団に預けられた少女サクラは、キリが後見人のような立場だ。
サラダに目を落とす彼女の横顔には、どこか憂鬱があった。
「……………分からない」
「分からない?」
「話しかけても返してくれない。会話が嫌みたいで……。
今日も朝食に誘ったんだけど、もう部屋を出てた」
「あー、俺の弟もよくあったぜ。思春期だな。反抗期か?
親に逆らってるのがカッコよく見える時期があるんだよなぁ。
アシタバのオリエンテーションの時もそうだったのか?」
「まぁ俺が言うのもだが、社交的とは言い辛かった。
正直、里の全滅と環境の変化だ。メンタル面は心配かもな。
キリは大丈夫なのか?」
「私は埋葬と、その後にも墓参りはしたから。
でもあの子は………墓参りに行った時は呆然としてた」
「まぁ、現実感や感情が追いついてないかもなぁ。
それで、サクラちゃんは今はどこに?」
「今日は体験入学。銀色学級に行ってるはず」
「あぁ、いいね。同世代の友達見つかりゃ心も上向くぜ」
「……………そうね」
サラダをフォークで突くキリをアシタバは見ていた。
何というか、これほど糸の緩んだ彼女を見るのは久しぶりだ。
元々が暗殺者気質で隙が無さすぎと思っていたから、いい傾向と言えばそうだが。
年下の子の面倒を見るということに戸惑っているのは言わずとも伝わってくる。
「お、エーデルワイス!」
「ひゃああぁぁああ!!何ですか!?」
丁度後ろを通りがかった、タチバナ班エーデルワイスに話しかけたオオバコは、相手が思いの外ビビリ散らかしたのできょとんとしてしまう。
「あー、いや、ナツメさんなんだけどさ、カウンセリングとかの経験あるのかなって。
ほら、新規入団者のサクラって子、相談に乗れる人がいると助かるんだが………」
治癒魔法が得意なエーデルワイスがよく通う、診療所の団唯一の医師、ナツメ。
オオバコのはいい案だが、彼女は戦場叩き上げの軍医、心理療法とは無縁だ。
「し、ししし、知りません!知りません知りません、私は何も知りません!!」
あわあわと口を震わせた後、ドタバタと走り去るエーデルワイスを、オオバコはしばらくぽかんと眺めていた。
「そう言えば、探検家組合の探検家達はどうしたの、アシタバ。
今日は姿を見ないけど、二日酔いってわけじゃないわよね?」
「ダンジョン抱えてる奴は元いた場所に戻った。
見物したりない奴とツワブキ・プロジェクトに興味ある奴はまだ残ってる。
みんな、ほとんど地下六階にいるな。今日は俺たちも行くぞ」
魔王城、地下六階。
天井の一点に集まった火精霊達がいっとう強い光を放ち、そしてその周囲に生い茂った水色の苔は、青空と錯覚するには十分すぎる程だった。
フロアにある幾つかの岩柱を見て、ようやく地下と思い出すぐらいだ。
先んじたツワブキ班の調査によれば、このフロアの何よりも目新しい要素は“広さ”だ。
少なくとも半径三キロ。延々と続く砂漠は、地下空間としては規格外の大きさと言える。
それがこのフロア特有なのか、それともこれより下はずっとそうなのか。
ともあれ、ここへ踏み込んだ者は少し高い気温と立ち昇る熱気に出迎えられる。
現在地下六階には、探検家組合の何人かの探検家と、ツワブキ班の四人が集まっていた。
【凱旋】のツワブキ率いる銀の団が手こずっている魔物を、俺こそが解き明かしてやろう。
そんな魂胆と集まった探検家達の視線は、幾つもの砂丘を超えた先、フロアの奥に佇む魔物に向けられる。
“包帯男”。
「しっかし、全く動かねェなァ………」
双眼鏡を手に、熟練の【用心棒】エンドウもしかめっ面をした。
数にして十体、ピクリとも動かず、砂風に包帯の端をはためかせる。
包帯男、砂漠の一角に不可侵の縄張りを創り出す最上級の賞金魔物。
その生態の全ては謎に包まれている。
分かっているのは、彼らに近づいた者は誰一人帰らなかったということだけ。
エンドウの横でツワブキが、やれやれとため息を吐いた。
「現状は奴らの射程範囲が分からねぇから、近づいてねぇんだ。
ただレネゲードの感知によると、奴らの足元、砂中に結構気配を感じるらしい。
包帯男と砂ン中の魔物、恐らくは共生の防衛圏が奴らの不可侵領域ってわけだろう」
慰め程度の情報を得て、探検家達は思考と唸る。
考察の一番槍を務めたのは【庭番】のビーンだ。
「やはり、サボテンの魔物じゃないかな。微動だにしないのにも説明がつく。
何かの栄養源を生み出して、根かなんかで砂中の魔物に与える。
共生関係のそいつらは外敵を排除する。典型的なパターンだ」
いや、と応じるのはミノタウロス専門、【山籠り】のクレオメだ。
「足元の魔物との関係はそれでいいだろう。護衛と報酬。
だが、サボテンの棘をなくす進化をするか……?
俺にはゴーレムみたいな番人型の魔物に見える。
どちらにせよ、二足の形になった理由は分からないが」
地質専門、【白山羊】のゴースティンが髭を撫でた。
「それはやはり、人を誘い込むためじゃないか?
もしくは人を狙う魔物を誘き寄せる、その為の人型だ」
へへ、と夜行型専門、【黒猫】のチョロギが笑う。
「人型、人型ね。へへ、教えてやれよキリン」
その隣で狩人出身、【灰狼】のキリンが、人差し指と包帯男の大きさを見比べていた。
「砂漠で遠近感が掴めないが………あいつら、かなり大きいぞ。人のサイズを逸脱している」
「メントン、パキラ、どうだ?」
地下六階へやってきたアシタバ達は、議論する探検家達から離れ、砂漠を見る【尾切り】のメントンと【鷹狩り】のパキラに話しかける。
「んー、何とも言えない。やっぱり近づかなきゃ何も分からないよねん」
肩の鷹と遊びながら、パキラが振り返る。
「ただどのくらい近づいていいか……情報のない魔物は怖いねぇ」
「んん、確かにな」
オオバコの焦点は彼女ではなく、アシタバの問いかけに応えず砂漠を凝視したままのメントンの横顔に向けられていた。
何と言うか、へらへらしていた今までの印象と違う。
冷静で、感情とは離れた、熟練の顔。
“いい探検家だからだよ”と、アシタバが言っていた言葉を思い出す。
「ま、ここでぼうっとしていてもしゃあねぇわな。
この面子が集まった今こそ、危ない橋を渡る時ってやつだ。
このフロアの前線を推し進める。奴らの射程範囲ぎりぎりまで」
ツワブキが一歩、砂漠へ足を踏み入れると、探検家達も、アシタバ達もそれに続いた。
彼らがいた砂丘より先は、まだ未踏の地だ。
いつ、包帯男の攻撃が来てもおかしくない。
「目星はつくのか?その、ぎりぎりだっていう」
一人完全な抜刀をして臨戦態勢の【蒼剣】のグラジオラスが、ツワブキに尋ねる。
「あぁ、探検家の基本にして奥義、観察眼ってやつだな。
ほれ、グラジオラス、あの辺を見てみろ。あの辺」
「ん………んん…………ん?」
「ずっと先んとこだ。砂丘が均されて平らになり始めているところがあるだろう。
つまり砂をかき混ぜるような何かがある、まぁ砂中の魔物の攻撃だろうな。
つまりあそこらへんからが、あいつらの攻撃範囲」
同行するアシタバも同意見だった。
観察眼。つまり違いを見抜き、危険を察知する。
視覚のみではなく、五感を研ぎ澄ませ微かな違和感を摘む。
探検家が始めに習うもので、そしてその経歴の最後まで彼らの命を繋ぐ生命線、最大の武器となるものだ。
「ちがうよ」
五英雄ツワブキの見立てに、【隻眼】のディルも、【狼騎士】レネゲードも、【魔物喰い】のアシタバも、他のどの探検家も異論はなかった。妥当だ。
けれど【尾切り】のメントンだけが、それに待ったをかけた。
「なんだ、メントン。意見は聞くぜ、俺はよ」
そしてツワブキは、反論を沈めるような場は作らない。
特に未知の魔物を目の前にして、世界的な魔物の第一人者は足を止め、若手の探検家の意見に耳を傾ける。
「罠、だと思う。敵は明らかなエリアを作って僕たちの見立てをごまかしている」
「ふむ、戦略としちゃある部類だな。
だがレネゲードの見立てじゃ砂中の奴らとも距離があるぜ。根拠は?」
「砂丘の形状が違う」
「形状ぉ?」
確信めいたメントンの言葉に、一同ははてなを浮かべるばかりだ。
波打つ砂丘をよく観察しても、彼らの目に差異は映らない。
「どこが?」
「ほら、あそこ、ノコギリみたいになってるとことか!」
「あぁ?どれだ?」
「どこが違うって?」
「ほら、砂丘のラインっていうか、向きっていうか………継ぎ目も変なところあるじゃん?」
継ぎ目?
「あー、んー?あー、言われればっていうか………。
いや違うのか?でも確かにぽいような……」
「てめぇは適当言ってるだけだろ、チョロギ」
「おいおいメントン、本当にあんのか?その違いってのは。
大体お前、砂漠の探検家ってわけじゃねぇだろう」
「いやいや、本当にありますって!
なんていうのかな?砂丘が出来た風向きが違って感じるって言うか………。
とにかく、これ以上は行ったら――――――――」
「待て」
【尾切り】のメントンの話を、【狼騎士】レネゲードが遮った。
同じ班のツワブキ、ディル、グラジオラスはすぐに臨戦態勢をとる。
「レネゲード、下か!?」
「全員下がれ!接近が早い!すぐに足元から―――――!」
言葉は間に合わない。素早くバックステップを取ったレネゲードの足元から、砂を突き破って急襲の魔物が姿を現した。
大きなムカデのような姿、頭の小さな鋏と、長い胴体に並んだ小さな足。
その頭が、既に両断されていた。
「砂漠百足か………やかましィ魔物が来たもんだ」
【用心棒】のエンドウが、居合刀を腰の鞘に納める。
いつ剣振ったと、オオバコどころかグラジオラスでさえも目を丸くしていた。
「ほれツワブキィ、ぼうっとすんな。指揮しろィ」
「あー、いやもう次から次へと何やらだぜ………。
取り合えず急襲も受けたし安全第一でいこう。メントンの意見を尊重する。
ここを包帯男観察の最前線にするぞ。
後でディフェンバキアのおっさんに拠点建築を頼んどく」
といっても、そこは包帯男から1キロは離れた地点だ。
探検家たちは渋い顔をする。そこからの観察で、何か得られるとは考えにくい。
「で、どうすんだツワブキさんよ。何かいい案はあるのか?」
「あぁ、ここまでくりゃあギリ射程範囲だろう。俺の案が1つある。
仕上がるまで、やりてぇ奴らで砂漠百足を調べといてくれ」
地下六階は、複合生態だ。ボスは恐らく、包帯男。
けれどそれ以外にも、このフロアには多様な生物が生息する。
亜蛇。
メドゥーサの配下として動いていた、蛇の魔物だ。
大蛇と比べ、大型化による肉弾戦強化ではなく、毒の強化によって殺傷率を高めた種
。
厄介な魔法魔物だが、毒の研究において近年注目されている。
大蠍。
両手から溢れるくらいの蠍の魔物。砂に埋もれて獲物を待つ待ち狩りの魔物で、踏んだ者の足を鋏で捕らえ、尾の毒を刺す天然のトラバサミだ。
近年は魔法魔物として成長し、刺された者は足が腫れ歩行不能となり、枯れた死体はゆっくりと大蠍に食されていく。
殺人蜂。
片手サイズの蜂の魔物、サイズは脅威だが毒の性質はなく、動きも鈍いため慣れれば箒で叩き落せる。
蜂には樹を齧るキバチ、花の蜜を集めるハナバチなどの種類があるが、殺人蜂は全て狩りバチと解明されている。
主に森、このフロアのように砂漠に適合した種もおり、処理しやすいことから彼らの巣駆除は探検家の基本的な主要産業の1つだ。
「で、砂漠百足ってのはどんな魔物なんだよ」
頭部を切断され、砂に横たわる大百足を見ながらオオバコが呟いた。
隣にいたキリとアシタバが、その死体を調べていく。
「ま、見ての通り砂漠に適応した大ムカデだよ。
頭の鋏で砂を掻き分けながら、側部の足で推進力を生みだして砂中を素早く進む。
この個体は全長十メートルってとこか、大ムカデにしては小さい方だ。
肉食、後でアセロラに捌いてもらうが、亜蛇とかが主食だろうな」
「さっきのは、俺らを食べるために?」
「砂漠百足のよくある行動だ。縄張り意識の強い魔物だから、それも併せてだな。
まぁ今のところ、不自然な点は見られないかな…………」
アシタバ達が振り返ると、周辺で一番小高い砂丘に、木の板が運び込まれ水平なステージが建設されていく。
そして一番最後に大人数に担がれてきたのは、魔導砲台だ。
魔力で光の矢を撃つ月の国の最新兵装、実にハルピュイア迎撃戦以来の蔵出しとなる。
設置されるとすぐに魔道士グラジオラス、ハイビスカス、マリーゴールドの三人が魔力を注入し始めた。
「超遠距離兵器だぁ?そんなもんあるならもっと使えばいいじゃねぇか」
【悪酔い】のハッカクの呆れ声に、いやいやとツワブキは応じる。
「超遠距離戦なんてハルピュイアの時以外なかったんだよ。
このフロアのサイズになって、ようやく使えそうかってところだ。
そして、近づけさせない魔物が相手なら好都合な武器ってわけだ」
「ツワブキさん、準備完了致しましたわ!」
「おし、仕留められそうか?」
「一度しか実戦経験がないのでなんとも……ただ、距離減衰はあると思いますわ」
「やってみなくちゃ、ってやつか。エミリア!砲台の角度は!」
「弓と一緒と思うなよ…………まぁいいだろう、合わせたぞ」
「おっしゃあ、放て!!」
ツワブキの号令と共に、魔導砲台から轟音と空色の光が放たれた。
砂漠の上を一直線、砂丘を舐めるように疾る砲撃は、【月落し】のエミリアの計算通り包帯男の一体に直撃する。
攻撃に成功したにも関わらず、ツワブキ達は度肝を抜かれる。三点にだ。
「おいおい、今着弾までに何秒かかった?」
【隻眼】のディルも、ツワブキも思わず顔を歪ませる。
矢よりも早く飛んでいく魔道弾の着弾時間が想定以上だった。
つまりそれは、彼らの感覚と、包帯男との実際の距離に差があるということだ。
つまりそれは。
「おい、キリン……あいつら、本当は体長何メートルなんだ」
【黒猫】のチョロギにも、茶々を入れる余裕は無いようだった。
その隣で、人差し指でサイズを測る【灰狼】は冷や汗を垂らす………着弾の爆煙が、魔物の大きさに比べて想像以上に小さい。
「……十五メートル」
距離と、サイズの誤認。そして彼らを驚かせたもう1つは。
「…………傷1つつかねぇのは予想外だったな」
着弾の煙が消えて露わになる、包帯男の傷一つない体。
魔導砲台の攻撃をものともしない防御力。
「どうやら何発打っても無駄みてぇだな…………」
その後も紐を付けた祝福兎を放ってみたり、パキラの鷹とパッシフローラの爆弾を合わせた、危険地帯への空爆などを試みたが成果は見られず。
手応えのない手探りに、探検家たちが疲れた顔色を隠さなくなって来た頃――――。
「キリ!キリはいるか!?」
地下六階に、慌しいその呼び声が割って入った。
振り返れば上へ昇る方の洞窟から、ディフェンバキア班のガジュマルがばたばたと走ってくる。
アシタバの隣にいたキリが、すくっと立った。
「ガジュマル。どうしたの?」
「来てくれ、キリ!大変なんだ!!」
「どこへ?」
「銀色学級だ!!」
思わずキリは、アシタバと顔を見合わせた。
「サクラちゃんが、問題を起こしたらしいんだ!」
十七章八話 『Day4 不可侵の魔物』