十六章十七話 『バノーヴェンの大災厄 vsローレライ・ケンタウロス』
バノーヴェン城東側の湖上に、宙に浮かぶ巨大な水の球があった。
その前に超常を纏った大魔導士メローネが立つ。
感情を絶った顔、かつて魔王軍と戦った勇者一行の姿がそこにあった。
対面するは、泡に包まれ浮上してきた人魚妃と賢人馬。
「いやぁ~、あそこまでの偏らせ方は凄いね。人間の最高クラスにはまだ届かないなぁ。
魔法の神秘はまだまだ深いんだね~」
「感心している場合じゃないだろう、アルカディア。応戦するぞ、泡を割ってくれ」
「んー」
人魚妃が指を鳴らすと、宙に浮いていた泡が割れる。
「風水闊歩、“七大天蹄”」
賢人馬が己が足先を撫でる―――泡から落ちた彼はそのまま、水面へと立った。
湖面から顔を出した人魚妃と、メローネに対峙する。
「シャングリラ、作戦は~?」
「絶対目標は奴の足止め。ついでにしたいのは陸の奴らの数減らし。
湖はお前の独壇場だ、思う存分やれ」
「んっふー、あいあいさー!!」
人魚妃が歌い出す。湖の水がざわつき、彼女の周囲から蛇のような水流が幾つも昇り、メローネへと向かっていく。
「喰らいつけぇー!!」
人魚妃。
人魚たちの上位種、より高度な魔法を扱う上半身が人、下半身が魚の知性魔物。
周囲の水は全て武器、水場は彼女の独壇場だ。
次の瞬間、水の刃が蛇たちの首を一閃していた。
メローネの水球から放たれた鋭く細い水流。
「…………んあ?」
独壇場じゃないの?と人魚妃が文句を言う暇はなかった。
帽子のつばの下の、メローネの瞳が彼女を穿つ。
「手加減はしませんよ」
彼女の背後の水球に、幾つもの渦が生じる。渦が尖る。水の矢になる。
次には水球から、幾百の水の矢が放たれていた。
「う、わ、あ!」
「――――成程、小さい竜巻で水を挟んで放つのか。
単純に魔法で動かすより遙かに速く放たれた水が刃となる……。
矢にするのも竜巻で圧縮して弾き出す」
水の矢を放つメローネと、それを必死で避ける人魚妃を見物しながら、賢人馬は遠巻きに湖を駆ける。
「風魔法を利用した水圧………自然を扱う魔法でも理論が根付いているのだな。
魔法の論理と物理の理論の滑らかな結合。あぁ、何とも奥ゆかしい。
そうだ、それこそが其方達が持ち得る智!!」
「シャングリラーー!!この理論オタク!!手伝って!!」
水中に潜り、水上を跳ね矢を躱しながら、人魚妃がぷりぷりと怒った。
肩をすくめると賢人馬は、弓を構えメローネへと狙いを定める。
「――――弾道再現、“七大天弓”」
真横から、一本の矢と七本の光の矢が迫ってくる。
目で人魚妃を捉えたままメローネは、旋毛風を纏った左手で振り払おうとし―――。
ガチャンと、左手が拘束されていることに気付いた。
さっき湖に引き摺られた時の光の腕輪。
(水中を伝わせて…………)
腕輪についた鎖の先を、賢人馬が強く引っ張る。
「――――捕縛鉄鎖、“七大天鎖”」
敵の体勢を崩し、矢を当てる。戦略の実行は完璧だ。
けれど規格外は依然、大魔導士メローネの方だった。
左手の旋毛風を瞬時に、自身を包む旋風へと遷移させる。
その過程、風圧で、自らの重心を僅かに動かした。
八本の矢は彼女の横を通り過ぎる。
通り過ぎ、旋風の回転に巻き取られ―――そして速度はそのままに、今度は賢人馬へと射出された。
「……………反射!!?」
七本の矢を避け、けれども残りの一本が彼の脇腹を霞める。
それは賢人馬の戦歴で初めてのことだった。
放った矢をそのまま返してくる相手など。
「何やってんのシャングリラぁ~!!」
水面から勢いよく跳ね上がった人魚妃が、右腕に伴わせた水の塊をメローネへ振り下ろす。
メローネが水流を逆向かせ、人魚妃の水塊と衝突させると、水のハンマーと水の盾の競り合いのような形になった。
勇者一行、大魔道士メローネ。
長い歴史を経て積み重なった魔法論理が結実した現代において、更に数世代先を行くような魔法を行使する、当代最高にて史上最高峰の魔道士。
大魔法を連続して繰り出せる魔法規模がその理由の1つ。
そしてもう1つの理由を、まさに人魚妃が目撃した。
鍔迫り合いのようにぶつかる水と水。
その、メローネ側の水が複雑な渦を巻いていく。
幾つもの水の突起になり、棘になって、螺旋を描いて人魚妃の水を裂いていく。
微に入り細を穿つ。大規模の魔力展開と、微細の魔力制御。
それを看破できた人魚妃が上体を反らすのと同時に、水の塊が引き裂かれ風の刃が空を切った。
「首飛んでたじゃーん、撤退撤退ぁーい!!」
脱兎の如く、人魚妃はメローネから距離を取ると、賢人馬の近くへと移動する。
メローネは少し息を整え、改めて二体の朱紋付きと対峙した。
「やばいよ、やばいじゃ~んシャングリラ!押されてるよー、二対一だよー?私たち」
「む………あの相手に対してならば上々とは思うが………恰好がつかないのは確かだな」
「なに呑気にしてんのさー、役立たずだよ、私たち、役立たず~」
「………………………」
まるで人間のような掛け合い。
下半身が馬と魚のそれがやっている様を見ると正直、メローネは気味悪さを覚えてしまう。
メローネは知っている。
“人型の魔物”が、生物の進化の偶然で生まれるわけがない。
「あなた達は、どうして攻め込んできたのですか?」
思わずメローネは問いかけてしまった。
この状況で、相手がどう反応するか予想も付かなかったが――――。
人魚妃は笑い、賢人馬は真顔で彼女に向き直った。
「どうして?どうして、ふふー、そりゃあ復讐戦ってやつだよー。
あなた達がエル・ドラードを殺したんじゃない」
エル・ドラード。蛇女神が、自身をそう名乗っていたと聞いている。
「復讐というなら、魔王がいなくなった時に暴れるべきだったのでは?」
「そりゃーそれができたら一番だったけどねぇー。
使命があったからねぇー、できなかったんだよねぇー」
「…………使命。人間を識るっていう」
「そう!よく知ってるね。エル・ドラードが喋ってたのかな?」
ここまでは、メドゥーサ撤退戦の報告書にあった記載と一致している。
ぺらぺらと喋る人魚妃を、真顔のまま諫めもしない賢人馬に、メローネは若干の違和感を覚えた。何故止めない?
「その使命は、本当に重要なの?」
ならばメローネも深く、相手へ踏み込んでいく。
「魔王はもういなくなったでしょう。いない主の命にいつまで従うのですか?
総出で王族会議を襲撃するような真似、する必要があった?」
「あったよ!エル・ドラードちゃんの仇は取らなきゃ~」
「この襲撃に、其方たちがどのような反応をするのか見たかった。観察の一種だ」
バラバラの返答をして、人魚妃と賢人馬は顔を見合わせる。
「メイン目的は仇討ちでしょ?じゃなきゃわざわざ王族会議狙わないよ~」
「いや、政治の中枢部にダメージを入れて、各国がどう動くか………。
政治の変動は未だサンプルが少ない。私としてはいいデータが見れる」
「ふーん、そ。ま、主の使命にいつまで、って話だけど。
終わりなんてないよ、それが私たちの生まれた意味なんだから」
「いや、答えを報告する相手がいなくなった今、使命の意味は薄れた。
ただ我々は、答えが本当に合っているかを知りたいのだ。
この知的欲求は抑えられない」
「何言ってんのシャングリラ!使命は使命だよ、遂行しなきゃ!」
「だから、相手がいなくなっただろう。
後は、身も蓋もない言い方をすれば我々の自己満足だ」
「おバカだねぇ、人間を識ることが目的じゃないでしょ?
あいつらの武器を識って、それを魔王軍に取り入れること!
それか、弱点を見出すこと!それが結局の目的だよ!
最後は人を殺すため、だからここでもいっぱい殺さないと!!」
「それはお前の過大解釈だ、そこまでの使命は受けていない」
と、仲間内で言い合いをする二体の魔物を、メローネは呆然と見てしまう。
二割は呆れ、三割は人型の魔物が言い合いをする奇妙さ。
そして五割は、彼らが真っ当な議論をしているという底知れない不気味さ。
(知性魔物…………ここまで……………)
「まぁ、われわれ門番はそこまで一枚岩の組織ではないということだ。
受けた使命は一緒だが、スタンスもアプローチも異なる。
だから解釈も、目的も、色々バラバラでな」
「今回はよく集まったよね~。やっぱりエル・ドラードの件が大きいと思うけど」
「後は、襲撃による人類へのダメージの大きさ」
「いい加減暴れたいってのも」
「使命の答えにある程度の見通しがついたとかな」
「……………成程」
何故、そこまでペラペラと喋るのだろう。
蛇女神の報告書でも、敵が事情をすんなりと話すのは不思議に思えたと記述があった。
魔物間での共通言語を持たず、戦術に乏しい魔王軍と、軍機密という単語もある人類との感覚の違いだろうか。
この局面で、喋っている間は時間稼ぎになると判断した?
いや、とメローネは推測する。彼らは楽しいのだ。
魔王から使命を託され、長い時の間観察を続けた人間との対話が。
その者が強き者であればある程、使命の答えを持つ可能性が高い。
観察と推論を続けた者達の実態へと触れていく。
言葉を重ねれば重ねる程、彼らの求める真理に近づくような気がするのだろう。
「―――――最後に1つ、答えて頂けるなら、質問を。
王族会議を襲撃して、あなた達はこれからどうするつもりなのですか?」
「んー、そういう計画は個人個人にあるだけだよー。
さっきも言った通り、今回はたまたま意見が一致しただけー」
やれやれポーズで人魚妃が答えると、真顔で賢人馬も追従した。
「人魚妃はエル・ドラードの敵討ち。
吸血鬼はただ暴れたいから。
蜘蛛女は人間への大いなるダメージを望んだ。
寄生獣は彼女自身の復讐が故。
首無し卿は普段通りの武者修行の一環。
淫夢はあいつに都合のいい政情を創るため。
そして私は、襲撃の後の其方らの揺れ方に興味があったのだ。
ただそれだけだ、人の子よ」
「そう、ですか」
挙がった名前の数が湖畔で遭遇した四体よりも多かった時点で、メローネは立ち話を打ち切ることに決めた。
瞬時に烈風が湖面を薙ぎ払う、賢人馬と人魚妃は既に走り出していた。
「うっはー、強烈ぅ!」
再び人魚妃は歌い、水流を立ち昇らせ、メローネへと向かわせる。
賢人馬も同じく、矢を一本、二本と放ち、それに光の矢を追従させていく。
「向こうも本気を出してきたな。私たちも本気を出さなければ――――」
言いかけて、賢人馬は絶句してしまう。
蛍の女王、の単語が浮かんだ。メローネの周りに、八十ほどの光が浮かぶ。
見覚えがない筈がない。賢人馬自身の魔法、光の矢。
「“七大天弓”、だったかしら」
「まさか」
言葉は続かない。
放たれた何十もの矢が湖面を叩き、乱立する水柱の合間を駆けるので精いっぱいだ。
「うひー、真似っこじゃん!!」
賢人馬の魔法も、そして人魚妃の魔法も。
彼らはそれを、誰かに習ったわけではない。独学だ。
人を真似てその知識を得、独自の魔法論理を構築した。
それをなんとなしに返して見せる相手。大魔導士、メローネ。
「いいじゃないか、アルカディア」
「う~ん、サイコー。まだ先があるなんてね」
光の矢の前に怯えるでもない、憤るでもない。
笑った二人の姿にメローネは悪寒を覚えた。
久しく忘れていた、魔王軍、朱紋付きの脅威。
知性魔物の危険性。
「ううん、こうだったかな――――“七大天盾”」
今度は、メローネの方が呆気に取られることになる。
発現した、浮遊する光の盾が、賢人馬の周囲をぐるりと回った。
円状に回転する盾は光の矢の幾つかを巻き込み、半回転をしてメローネの方へと返す。
先程のメローネと全く同じ。
「な―――――」
その、驚愕で反応が遅れたメローネが、紙一重で反射を躱す。
さっきの自分のやり方を、見ただけで真似てきた。
魔法の使い方も。戦いの中での駆け引きも。真似された。学習された。
「やぁっぱ相手のやり方で返すのが、隙を作るには一番いいよねぇ~」
声が思ったより近くで聞こえて、メローネを鳥肌が襲う。
人魚妃が、自らが立ち昇らせた水流の上を滑って彼女の上を取っていた。
繊細な風魔法の制御による波乗り。
これも、メローネが陸の戦いで見せた魔法行使。
「馬鹿な―――――」
再度、人魚妃の振り下ろした水塊とメローネの水流が激突する。
水飛沫が散る。メローネは瞬時に、先程と同じように水を操作する。
複数の渦、棘を生み、螺旋状に伸ばし―――。
全く同じ動作を、人魚妃側も繰り出していた。
「あはぁ~!」
驚愕で呆然自失となったのはいつぶりだっただろうか。
ここまでの敵、知性魔物は、メローネでも記憶にない。
魔法のやり方を見習い、真似し、その智を進化させてくる魔物。
「―――――弾道再現、“七大天弓”」
回避行動が遅れた。
賢人馬の放った矢がメローネの頬を霞め、七本の光の矢の一本が脇腹を、もう一本が腿を貫いた。
「んっひっひ、見抜いちゃったよ。接近戦に弱いよねあなた」
水の鍔迫り合いをする向こうで、人魚妃が笑った。
「殺った♪」
メローネがバランスを崩す。賢人馬が、止めの矢を構える――――。
その肩に、矢が突き刺さった。
「――――――—な!?」
賢人馬も、人魚妃も、そしてメローネも一瞬理解が出来ない。
放たれた方向、前邸の屋上――――――。
射手、【月落し】のエミリア。
「よく当てたなぁ、次は俺も当てる」
「話す前に矢を放てジンダイ、恐らくあの敵をやれれば大きいぞ」
屋上では既に、東側の戦線への援護体制が構築されていた。
アルストロメリアが造った氷壁で守られた場所に、【鷹の目】のジンダイと【月落し】のエミリアが並ぶ。
「レネゲード!あいつから目を離すな!」
【隻眼】のディルが叫ぶ。射手以外の者達は、彼女たちを守るべく展開していた。
「あぁ、まだ近づいていない………城の側壁に張り付いて機を伺っているみたいだ」
「ディル!やっぱこのまま攻めようぜ!逃しちゃマズいだろ!」
ラカンカの意見に、ディルは顔を振る。
「側壁に張り付く蜘蛛の魔物に戦いを挑むのは流石に自殺行為だ………。
俺たちのミッションは変わらん。ここから各戦線を援護。
ピコティ、正面側が大きく動いたらいつでも言え!!
………俺たちが十分な脅威を示せば、蜘蛛女も放ってはおけない。
他の戦線に行かなければそれでいい」
「つまり、俺たちへの期待はデカいってわけだ」
矢をつがえながら、【鷹の目】のジンダイが呟いた。
「うわぁ、あんな遠くから、的確ぅ~~!シャングリラより上手いんじゃないの!?」
「人の作った道具だ、順当さ」
「あんもー、いいところだったのに!アアルったら何やってんのー!!」
「二人がかりで結果を出せん私たちが言えることではないな」
矢を躱しながら、人魚妃と賢人馬が言葉を交わす。
「だがマズいな………最も意表をつける機会を失ったぞ」
始めは劣勢だった。一度きりの奇襲を使って僅かな間だけ凌駕した。
けれど敵に援護が入って、また二人は劣勢だ。
かつて、勇者一行の一人として在った感覚を取り戻してきた。
宙に浮いた大魔導士メローネが、二人の前に立つ。
「喰らいつくぞアルカディア。あいつを少しでも、ここに留めよう」
「うん、シャングリラ。やってやろう」
二体の魔物が、それに挑む。
十六章十七話 『バノーヴェンの大災厄 vsローレライ・ケンタウロス』