十六章三話 『サクラが見た王女』
「サクラ、あなたはもっと可愛くしなさい」
夜になると、母イブキはよく髪を梳いてくれた。
穏やかで優しく、いつも笑顔を向けてくれる母が、サクラは好きだった。
「おしゃれなんていーよ。
あたしは斑の一族の一人前になれれば、それで」
「ふふ、駄目よ。綺麗でいることも暗殺者には大事なんだから」
優しい母で。尊敬できる、暗殺者だった。
投げられた瞬間の母の顔が、脳裏に焼き付いている。
黒く赤い何かが、視界を横切り皆を切りつけていく。
里のみんなが。友達が。おばあちゃんが。おじさんが。
死んでいく。死んでいく。
母も、自分を抱きかかえて守って、満身創痍で。
戦わなきゃいけない。あたしも戦って、みんなや母を守らなきゃ。
「ごめんね、生きて」
浮遊感と、崖の下へと放り投げられる。
その母の微笑みが、記憶に焼き付いている。
「――――――目が覚めた?」
記憶から戻ると、そこは暗い宿の一室だった。
夜……ベッドの脇に一人の女性が座り、自分の胸に手を押し当てている。
見たことがある、治癒魔法だ。
「…………ここは?」
「斑の一族の里から、一番近い街よ。
一週間ぐらいあなたは眠っていたの。打ち所が悪かったのね」
「…………みんなは?」
「…………………………」
それだけでサクラは察してしまった。いや、分かっていたことだ。
「確かめに行く」
「駄目」
その答えも分かっていたサクラの行動は早い。
武器は取り上げられていると見切りをつけていた彼女は、躊躇なく女の首に手を伸ばす。
里に確かめに行く。この女が邪魔だ。だから殺す。斑の一族の価値観。
一瞬、腕を沼に突っ込んだのかと思った。
首へ伸ばしたはずの手が、纏わりついた黒い何かに止められていた。
暗闇で蠢くそれは、手のような…………異形。
「ちょっと物騒だね、やっぱり。
キリも疲れていたし、私が見張りを買って出て良かった」
蛇のような、腕のような何かが、女の周りに湧き始める。
その初対面は、サクラの記憶にずっと刻まれることとなる。
殺しも鮮血も慣れた彼女が気圧された………黒き呪い。
何より自分の殺意に全く動じない、相手の女の落ち着いた優しい表情。
「初めまして。私の名前はローレンティア。
ごめんね、里の様子気になるよね………でも、今は難しいんだ」
アシタバ達が斑の一族の里の惨劇に遭遇してから、一週間後。
ローレンティア達、銀の団からの一団が、アシタバ達と合流していた。
「しっかし、斑の一族が全滅だと…………。
お前らの話じゃなければ、チンケな噂扱いしているところだ」
【凱旋】のツワブキはしかめっ面をする。
バノーヴェン城、斑の一族の里から近い街の宿の一階には、王族会議に参加する銀の団の者全員が集い朝食を取っていた。
事態が事態だ。キリの斑の一族という出自は一同に共有され、一部は強さ故に納得し、残りは現実感が伴っていない、といった様子だった。
「何にせよだお姫さん。銀の団が最初に見つけたというわけにはいかねぇ。
なんで斑の一族の里に行ったんだっつー話になるからな」
「ちょっと待ちなさいよ。私は言うわ。
斑の一族の全滅なんて一大事、ここで祖国の耳に入れないでどうするのよ」
テーブルの端から砂の国代表シャルルアルバネルが口を挟むと、ツワブキは面倒臭そうな顔を隠さない。
「おいおいシャルルアルバネルさんよ。この際お前も銀の団の一員だぜ?
言っちゃ悪いが、お姫さんの側近であるキリが斑の一族ってのもあんまり知られたくねぇんだ。
それをだ、たまたま里帰りして発見しましたなんて事態とセットで公表してみるか?
あーあー、素敵な注目が我らが銀の団には集まるんだろうなぁ」
「ちょっとツワブキちゃん!あんまり大声出さないで!
この子が怯えちゃうでしょ!!」
むしろマダム・カンザシの声に、髪を整えられていた少女はびくっとする。
アシタバ達が保護した斑の一族の少女、サクラ。
その長い黒い髪をマダム・カンザシが梳いて、ツインテールにまとめていく。
斑の一族の例に漏れない美少女はむしろ、対面のローレンティアに怯えていた。
「ツワブキさん、言いましょう」
きっぱりとローレンティアは決断する。
団長らしくなったその姿に、ツワブキも、他の者達も閉口してしまった。
「今の状況で、異常事態は速やかに共有されるべきです。
それが私たちの不利益になったとしても。
勿論不必要に広めるべきでないという、ツワブキさんの懸念も分かります。
ですから王下舞踏会では伏せる。
王族会議に招聘された際に、私がそれを伝えます」
度胸……なのだろうか。ツワブキは少し納得のいかない風だったが、その辺りがいい落としどころと見ると矛を収める。
「しっかし、斑の一族ってキリレベルの奴らがごろごろいるんだろ?
誰がやったんだよ、実際」
米をかっ喰っていたトウガ班、傭兵ヤクモが疑問を呈すると、ライラック班の騎士、【革命家】コンフィダンスも同調する。
「実際のところ、五英雄とかその辺のレベルになってくるだろ。
戦闘集団で奴らに敵いそうなのは……せいぜい剣の国かぁ?
でもクラーケン討伐作戦に参加していた奴らが、一か月足らずでそう大きく動くとも思えねぇしなぁ………」
「できる、できないに関わらず、理由がある奴で絞ると?」
【黒騎士】ライラックの着眼点には、斑の一族であるキリが答えた。
「一番ありそうなのは、政界絡みね。
誰かにとっての不都合を知っていると見做されたからこその、口封じ。
実際には、依頼主の情報はあまり一族内で共有されないけど………」
「斑の一族によく依頼を持ってきていたのは~?」
ライラック班、魔道士アルストロメロアがおっとりとした声で尋ねる。
「………日の国、鉄の国、河の国」
白銀祭で暗殺者を遣わした三国、それが疑惑の強い相手ということになる。
ツワブキは若干の躊躇いを見せながら、マダム・カンザシに髪を整えられているサクラに目を移した。
「そのお嬢ちゃんは、やっぱり何も覚えてねぇのか。
犯人を見たのはお嬢ちゃんだけなんだぜ、結局よ」
嫌なことを思い出させる問いかけだということは、ツワブキも十分に理解をしていただろう。
しかし必要なことだ。サクラは惨劇の記憶を辿り……そしてふるふると首を振る。
「…………分からない。黒くて、赤い何かがみんなの間を過ぎっていたってだけ…………。
でも多分――――――人間だった、と思う」
謎は解けない。誰がも、どうしても、どうやっても、見当すらつかないままだ。
これ以上続けてもしょうがないと判断したローレンティアは、話を締める。
「……この件については、王族会議で報告する際に私が各国の反応を見ます。
それで見当がつけば。そうでなければ………一先ずは、ナギさんと情報交換ができれば、ですね。
サクラさんは犯人にまた狙われるかもしれません。
ナギさんに引き渡すのがいいと思いますが……それまでは私達で保護しましょう。
城外待機の世話係の一人として臨時登録……エリス、ナズナ、面倒を見てあげて?」
「ま、それしかねぇわな。しょうがねぇが、王族会議へ帯同だ」
ツワブキが伸びをしながら席を立つと、それが朝の話し合いの終わりになった。
各自、食べ終えた食器を食堂へ返しに動き始める。
サクラは正面に立つローレンティアをぼうっと眺めていた。意外だ。
若い女のこの人が、この集団のリーダーなのか。
サクラは、里より外に出た経験がなかった。
まだ修行中の身、暗殺者にはなっていない彼女だ。
組手をして、狩りをして、武器の使い方を学んで……殺しの技術を高めるための日々しか送ったことがない。
だから里の外の人に会うのも、殺しの修行以外の日を送ることも、馬車に乗ったのも初めてだった。
「結構揺れるでしょう?気持ち悪くなったら言ってね」
街を出発した銀の団の一同は、馬車で街道を行く。
ローレンティアの膝の上で抱きかかえられるサクラは、少し不服そうな表情だった。
言葉面ほど朗らかな対応でないと分かったからだ。
あの黒い呪いを有するローレンティアをサクラの傍に置くことが一番安全、という判断。
事実両腕で抱かれる格好なのと、初対面時の印象から、サクラは自由に動けないでいた。
「ごめんね、故郷の里、どうしても行きたい?」
母と同じような優しい声色で、ローレンティアは話しかけてくる。
「………もういい。諦めはついてるから」
母との、友達との日常がもう帰ってこないと、未だに信じられなかった。
でも記憶は残っている。里の人達が、血に沈んでいく光景。
「…………あたし、これからどうすればいいんだろ」
「ナギさんに聞いてみなきゃね。
でも、銀の団に来たかったらおいで。魔王城だけど、キリもいるし」
「キリ………」
サクラは隣でナイフの手入れをしていたキリを睨んだ。
「なに?」
「お前のせいで、お母さんは任務失敗組の一員になって大変だった。
ナギさんは庇ってたけど……後ろ指を指されて」
「でしょうね。でも、私も譲れなかっただけ」
掟を破ったのに悠々と生きている。それが少し、サクラには気に食わない。
「あ、ほら、サクラちゃん見えて来たよ~、お城!」
走りかけた緊張感を払拭しようとしたのだろう、ローレンティアが朗らかに馬車の前方を指差す。
生い茂る緑の向こう、乳白色の城壁が姿を現し始めていた。
バノーヴェン城。
王族会議、当日。
既に設営は終えており、参加者たちの受け入れが始まっていた。
「………あそこにみんな、何をしにいくの?」
「大きな、大きな話し合いがあるの。
色んな国の王達が、あそこに集まるんだよ」
「王?」
「ナギさんみたいな」
サクラは想像をして、身震いしてしまう。
族長ナギを彼女は怖いとは思わなかったが、彼のような人物が集まり話し合いをする場はきっと、穏やかではないのだろう。
「…………そこにお前も行くの?」
「うん」
「怖くないの?」
「うーん……………」
何か、言い淀むのを楽しむかのような雰囲気に、サクラは思わずローレンティアを見上げてしまった。
難関を前に笑うよう母のような、強かな顔がそこにあった。
「私も昔はね、怖かったんだ。
知らないもの。分からないもの。…………自分を認めてくれないもの。
でもね………今も怖いけど、昔より怖くはなくなったよ。
立ち向かわなくちゃいけないって思うんだ」
一年前のローレンティアは、サクラと似ていたのかもしれない。
祖国から切り捨てられて、魔王城へと独り放り棄てられた過去。
でもこの一年で、そこから這い上がってきた。
「立ち向かう?」
「うん………夢で、お母さんのこと見てたんだよね。
うなされていたの、聞いてたよ。
サクラちゃん、生きようよ。私たちは、生きるんだ」
第一印象は、理解の外の、底知れない怪物で。
馬車の中では、母のような柔らかさ、強さを持っていることを知った。
サクラは知らない。ローレンティアのことも。里の外の世界のことも。
その世界の在り方を決める話し合いが、これから開かれるのだということも。
“裏”の一大事件が斑の一族の壊滅なら、これから始まるのは“表”の一大事件だ。
後の歴史に名を大きく残すことになる、王族会議がいよいよ幕を開ける。
十六章三話 『サクラが見た王女』




