十五章十九話 『王弟の意図』
「お、坊ちゃんじゃないか。飲んでるゥ~~?」
宴の夜は続く。
サンゴとシンジュが出払い、ワトソニアが離れたテーブルに、べろんべろんに酔った【荒波】のベニシダが帰ってくる。
「………ベニシダさん」
「なんだい、シケてんねぇ。せっかくの宴なんだ、もう少し楽しんだらどうなんだい。
お、ニーレンベルギア、美味いもん沢山食えたかい」
ニーレンベルギアは満面の笑みでこくこくと頷いた。
サンゴとシンジュが置いて行った彼女のお守りのように留まっていたウォータコインと、彼の使用人デルフィイニウムとシーバックソーンの卓になる。
「宴はどうだったんですか?」
「どいつもコイツも酔って騒いでのどんちゃん騒ぎさ。
ま、剣の国や銀の団や、教会の副司祭さんとも飲めてきた。
戦友としての挨拶周りはできたかねぇ。
同じような宴はあたい達の船でもやってたから、なんだか懐かしくなっちまったよ」
もういない仲間を思い出したのだろう、ベニシダは目を細めた。
ウォーターコインも自分が船にいた時にあった、イワシパーティのことを思い出す。
「………あなた達が羨ましいと、今でも思ってしまいます」
酒の雰囲気だろうか。ウォーターコインは自嘲のように呟き、彼の使用人デルフィニウムが少し、顔を曇らせる。
「まぁたそんなこと。“誘拐事件”の時にも言ってたねぇ、それ。
全く、貴族ってのは難しい生き物なんかねえ」
「どうなのだろう。僕が駄目なだけかもしれない。
………夢が持てないんだ。心の底からは、あまり笑えないし。
自分のありったけを懸けるような何かを、見つけられない」
「ふぅん。あんたが私をどう見ているかは知らないけど………。
私には、そんなに変わらないと思えるねぇ」
「変わらない?」
意外そうにウォーターコインは顔を上げる。
【荒波】のベニシダは気だるげに視線を放っていた。
「ベニシダ海賊団が孤独に生きる女たちの居場所、って話はしたかね。
あたいは先代の船長にそう言って救ってもらったから、船長になってからは同じようなやつらを救っていったんだ。馬鹿だけど、楽しい奴らだった。
あいつらの居場所を、あの船を守るのがあたいの生きがいってやつだった」
ベニシダの目が沈む。理由はウォーターコインにも分かった。
ベニシダ海賊団、その最期。
「でももうみぃんな、死んじまった。あたいが守ろうとし続けた場所はもうない。
実際のところ宙ぶらりんさ。あたいはこれから、どうしようってね」
意外だった。ベニシダはウォーターコインにとって、絵画の向こうの人物だ。
それがそんな、現実じみた迷いを持っているなんて。
「まぁでも1つ、坊ちゃんに言えることは―――」
「あー、いましたいました!!」
突然の介入者に、ベニシダもウォーターコインも会話を中断して振り返ってしまう。
声の主は銀髪の美女……服装から、それなりの身分とすぐに分かる。
後ろには黒髪の青年、腰の剣の柄から伸びる鎖が、ベルトにつながっていた。
銀の団団長ローレンティア。そして探検家、【魔物喰い】のアシタバだ。
「ベニシダさん!探しましたよ!」
「おや、あたいかい。銀の団の団長さんが、珍しいこともあるもんだ」
「あんたんとこの、サンゴとシンジュだったか?
社交的なのは良いが、剣の国の男に声かけまくって困ってる。
修道女に剣闘士が言い寄って、教会と剣の国の険悪が始まったのは知っているだろう。その和解の場であれは正直マズい。
今オオバコってウチのが相手しているが、早めに回収してくれないか」
アシタバの説明に、ああ、とベニシダは納得する。
「そりゃあ悪いことをした。すぐに―――」
「なんともいい夜だな、諸君!!!!」
再度の介入者に、ウォーターコインもベニシダも、アシタバもローレンティアも困惑してしまう。
振り返れば従者を連れた、波の国王弟ガイラルディアが仁王立ちしていた。
「公務の遠征から帰ってみれば、これはどうしたことだ!!
我が国の騎士たち。剣の国の戦士たち。教会の修道女たち。銀の団の団員たち。それに、ベニシダ海賊団の者もいたな?
様々な所属の者が入り混じる、これを極上の宴と言わずしてなんというか!」
相も変わらずの劇団調、両手を広げる芝居じみた動きに、一同はぽかんとしてしまう。
「いつの間にこれほどの友好関係に………!して、ローレンティア王女よ。
この宴の主催者が誰か、ご存じかな?
【凱旋】のツワブキ殿?大司祭オラージュ殿だろうか。それとも、まさか貴女が?」
その熱量に上手く反応できず、ローレンティアは無言のまま自分の隣にいた主催者を指差してしまう。
探検家、【魔物喰い】のアシタバ。
「………ほぅ」
意外だったのだろう。少し熱量を落としたガイラルディアは、驚くより観察するような目つきをアシタバへ向ける。
「アシタバ殿、でしたな。貴殿がこの宴を?さぞや大変だっただろう。
勇者一行オラージュ殿と、五英雄のバルカロールの仲を取り持つなど……」
「まぁ、みんな話の分かる奴だったから、それほどは。これで認めてくれるか?
初日にあんたが言った、背中を預けられる盟友になるように、ってやつは」
「あぁ、勿論だ。これだけ酒を交わせるのなら問題あるまい。
後はクラーケンの出現を待つのみだ!」
「…………」
少し、ローレンティアは違和感を覚えた。
アシタバの間……ローレンティアを一瞥すると、再度ガイラルディアへ向き直る。
「俺も、あんたの言っていることは正しいと思ったんだ。
強大な敵と戦う前に、味方内のわだかまりは解消しておくべきだ。
だからこの宴が開かれるよう動いた。それ以上でも以下でもない。
つまり………俺はあんたの目的に協力したわけじゃない。
別に否定する権限も持ってないけどな」
それは、ガイラルディアの思慮の外だったのだろう。
少し目を丸くすると、アシタバへの観察をより深める雰囲気を見せる。
「目的?」と、聞いたのは身内のローレンティアの方だった。
「クラーケンの戦いに対してじゃない。
今回の面子の招集についての、王弟さんの目的だ」
「招集についての………」
オウムのようになるローレンティアは思い出す。
初めて剣の国の酒場に行った帰り、アシタバとワトソニアは口にしていた。
クラーケンを対峙するために、剣の国、教会、銀の団を集めた今回の作戦は、少しおかしいと。
その招集には、何か意図があると。
「ガイラルディア王弟、あんたは同盟相手を探していたんだろう。
白銀祭の鉄の国の暴走と、メドゥーサ撤退線での知性魔物の朱紋付き登場。
国家間のバランスってやつは不安定、今後どうなるか分からない。
じゃあどうするのか………選択肢の一つは、同盟を組んでおくことだ。
仲間を集め、何かが敵となった時に打ち払える戦力を固めておく」
宴の開催よりもよっぽどこちらの方がアシタバの本領だ。
大きな枠組みの物事を捉える視点。
「だからあんたは、今回の面子に目を付けたんだろう?
銀の団。剣の国。教会。どれも国未満じゃ最大級の組織だ。
まだどの国にも属していない戦力を、あんたは取り込んでおこうと思った。
そのための、見定めかパイプ作り………それが今回の目的だろう」
まさしく同刻、アシタバと同じ視野を見ていた男が、ワトソニアとバルカロールの卓に同席していた。
剣の国と銀の団の友好を加速させる一手の、きっかけを作ったのがツワブキだ。
アシタバの前に立つ王弟ガイラルディアは、にやりと笑う。
「成程……そこまで盤面が見えているなら、事情を知らない当事者を巻き込むような真似はアンフェアというものだ。
だから貴殿は、今回の宴が私に関係なく、当事者たちの交流を深めるのみに働くようにしたわけだ。
私の公務の遠征中を狙って宴を開いたと」
思わずローレンティアはアシタバの方を向いてしまった。
アシタバは表情を変えず、ガイラルディアに対峙し続ける。
「別に仲間外れにしたかったわけじゃない。
俺はあんたのことを、まだよく理解できていないからな。
プラスにも、マイナスにもしたくなかっただけだ。
一応は悪いと思っているから、こうして打ち明けている。
そして、繰り返すが俺に決定権がある話じゃない。
銀の団があんたの目的に対してどうするかは、円卓会議と団長が決めることだ」
急に話が振られたようで、ローレンティアとウォーターコインは背を伸ばす。
しばらく王弟ガイラルディアはアシタバを観察していたが、やがてふふ、と静かに笑いだす。
「ふふ………やはりそれなりのところには役者がいるな。
なに、今回の作戦中にそれほど踏み込むつもりはない。
ただ今後そう言った話を振るにせよ、きっかけは必要なのでな。
今回のメインは剣の国の国問題。
教会と銀の団は、顔見知りになればいい程度に思っていた」
笑う、笑う。
それは冒険馬鹿と揶揄される男とは程遠い智を垣間見させる。
ガイラルディアの本質―――計算高い彼の素顔だ。
「まあそこまでお見通しなのであれば、ローレンティア王女も今後は御一考頂きたい。
銀の団をどうするかについて。我々波の国はそれを手伝う準備がある。
そして、ウォーターコイン君」
「は、はいッ!」
王弟に声を掛けられ、思わずウォーターコインは起立してしまう。
「我らが国の貴族界が、何の戦略もなく貧乏くじで代表を決めたことには失望したが……。
私は決して、今君の着いている席が価値がないとは思わないよ。
今の世界の、最も気高き冒険を管理する一席だ。
どうかそのことをゆめゆめ忘れないように。
………ま、君たちはこのまま大いに宴を楽しんでくれ。
私はアシタバ君に敬意を払い、今宵は退散するとしよう」
海風のように颯爽と、ガイラルディアは去っていく。
ウォーターコインは上手く言葉を返せなかった。
でも、もしかしたらあるのかもしれない。
自分が立つこの場所から、描ける夢が。
前夜祭と言われたその宴から、一週間が過ぎた。
剣の国の男たちは場所を変えて素潜り漁を続け、港の鬼海胆を徹底的に駆除していく。
ベニシダ海賊団の、ニーレンベルギアは水中行動強化の唄で、サンゴとシンジュは泳ぎ方を教えて彼らをよく助けた。
素潜り漁で負傷があった時は、教会の修道女が治癒魔法をかける。
オオバコは宴で仲良くなった剣の国の戦士に、武術を教わり。
剣の国の戦士たちは、波の国の騎士たちから騎士道を学ぶ。
ローレンティアは教会で、引き続き魔法の修行に励んで。
河の国代表ワトソニアは、【豪鬼】バルカロールの元へ足を運び、作法を教えた。
「見つけたわよ、ストライガ」
バレンツ港の、あまり人が寄り付かない端の酒場。
カウンターに腰かけていた男の横にどかっと座ったのは、【紅兎】のプラムだ。
鎧とそこからはみ出る服に埋もれた男、【殲滅家】ストライガが気だるげな目を彼女に向ける。
「………プラムか」
「それだけ!?久々に会えたってのに随分連れないじゃない。
私たちの宿にも全然来ないし。あんたって本当一匹狼なのね」
「悪いが性分だ。再会したからって慣れ合うような間柄でもないだろう」
「ま、確かにねぇ」
プラムは店員を呼び寄せ酒を注文する。
その席に長居する気か、とストライガは顔をしかめた。
「なんの心変わりだ?お前から訪ねてくるなんて。
てっきり俺は、バルカロールさんの元を去ったことで嫌われていると思っていたぞ」
「嫌いなのは今でもよ。ったく、恩知らずの自分勝手」
プラムはため息をつく。けれど声色は嫌悪というより、面倒臭さといった雰囲気だ。
「………でも今、作戦参加者の間で色々交流が進んでてね。
ウチの奴らも色々社交的に頑張ってんのよ。
波の国の騎士に振る舞いを習いに行ったり。
バレンツの商人達に、世界の情勢を尋ねに行ったり。
親分も河の国の貴族に作法なんか習ってる」
「バルカロールさんが?」
「ええ、意外でしょう。だから私も、昔馴染みとくらい交流は開いとかなきゃと思ってね。
たーとーえー、気に食わない奴だったとしても」
横目でプラムは睨んでくる。気の強さは昔からだ。
「………俺もこの作戦の足を引っ張るのは本意じゃない。
バルカロールさんにこれ以上迷惑はかけたくはないからな。
お前がそう矛を収めてくれるなら助かる」
「なに、大分消極的ねえ。もっと噛みついてくるかと思ってた」
「お前の中で俺が、どういうイメージかは知らんがな」
小突き合いの関係。
剣の国と銀の団、所属を違えて離れていた距離も、戦時中のように戻った―――。
と。
ガラァンガラァンと、灯台の鐘の音が港中に響き渡った。
それは戦時中、魔物の接近を知らせる役割を負っていた鐘だ。
終戦と共に役目を終えたその鐘は、クラーケン討伐作戦中においては新たな役割と共に再び運用がなされていた。
「―――とうとう来たようね」
「ああ。そのようだな」
カウンターに銅貨を置き、二人は立ち上がる。
「クラーケンが見つかった」
十五章十九話 『王弟の意図』




