十五章四話 『【豪鬼】のバルカロール』
【豪鬼】のバルカロール。
名前だけならほとんどの者が知っているだろう。
魔王軍の戦いに貢献した、世界に知られる暗黒時代の五英雄。
魔王を打ち倒した人類史最高位の英雄、勇者リンゴ。
各地で魔物討伐の逸話を創った当代一の探検家、【凱旋】のツワブキ。
黒砦を守り抜いた、橋の国の至高の騎士、【黒騎士】ライラック。
トウガ平原の戦線を戦い抜いた、最強の傭兵団を率いる傭兵、【刻剣】のトウガ。
そして最後の一人こそが、【豪鬼】のバルカロールとなる。
「俺ぁ、やっぱ人類で一番強ええのはバルカロールだと思うんだよなぁ」
酒場でよくある最強議論。ある男は酒に溺れかけながら、その男を評する。
「元々が闘技場で無敗の、最強の剣闘士だぜ。
それが魔王軍と最前線で激戦を繰り広げる英雄になった。
今や独立を宣言し、河の国相手に睨みを効かせて手出しさせねえ。
俺ぁ、奴に一度会ったことがある。
あいつが人類最強に推される理由、一目見ただけで分かったぜ」
その、五英雄の最後の一人がアシタバ達の前にいた。
ガイラルディアに連れられ、彼所有の宿の会議室に踏み入った一行。
団長ローレンティア。波の国代表ウォーターコイン。河の国代表ワトソニア。【凱旋】のツワブキ。【荒波】のベニシダ、そして、【魔物喰い】のアシタバ。
彼を始めて見た者が例外なく陥るように、ツワブキ以外の五人は絶句してしまう。
天井まで届きそうな頭。丸太のような腕。
白髪の髪と髭に覆われた鬼のような強面と、熊を超す、巨人とも張りえるんじゃないかと思えるほどの、人間離れした巨体。
彼らのこれまでの人生経験から言って有り得るはずのない巨漢が、部屋の大半を埋めてしまっているかのようだった。
「ガイラルディアよ、遅かったな。ところで相談があるんだが………。
クラーケンが出没するまで待つ部屋は、ここより天井の高い宿にしてくれ。
俺には狭くてかなわねえ」
しゃがれた低い声、歳はツワブキに近く、恐らく全盛期を過ぎたぐらいの歳だろう。
けれどそうは思わせない覇気というものがあった。
「む、それは失礼したが……。
しかしここが、この街で一番天井の高い個室になる。これ以上は難しい」
「バカいえ、難しかろうが現実狭いんだから何とかしろォ」
「にしし、親分~、じゃあ取っ払っちゃえばいいじゃん」
その次に何が起こったのかを、正確に理解できた者は少ない。
アシタバは何とか、バルカロールの巨体の横にいる少女がそう呟いたのを見た。
ピンクの髪―――魔道士だとアシタバが思うより先に少女の脚から炎が噴き出、彼女自身が炎の槍のように部屋の天井を突き上げ、粉砕した。
「な―――」
「やるぅ」
驚くアシタバと呑気に感心するベニシダを、黒い帯状の腕が素早く包んだ。
振ってくる割れた天井を、ローレンティアの呪いが阻んだのだ。
「きゃはははは、やるじゃない!噂は間違っていないようねえ。
合格よ、あんたたちとやるの、面白そうじゃない!」
崩れた天井、繋がった一階上の部屋の床の割れ残りに立って、少女は全員を見下す。
ピンクのツインテール、ブーツは戦闘用なのだろう、ところどころ鉄細工で強化がされている。
そしてそこから羽のような炎が、彼女の下半身を飾るように揺らめき伸びていた。
アシタバ達は後で名前を知ることになる。【紅兎】のプラム。
【豪鬼】バルカロールの下で激戦を戦い抜いたといわれる、【殲滅家】ストライガと肩を並べる四将の一人だ。
そして【蒼剣】のグラジオラス、【黄金】のオラージュに続く、この時代において武術と魔法を組み合わせ戦う三人の、最後の一人。
誰が、何に驚けばいいのか分からない部屋となっていた。
【紅兎】のプラムが炎の蹴りで天井を割ったかと思えば、銀の団団長、ローレンティアの黒い呪いが部屋の半分ほどに展開され、追撃に備え蠢いている。
だがその呪いは守りの役目を果たすことはなかった。
降ってきた天井の瓦礫は、落ち切る前に空中で停止していたからだ。
「……全く、騒がしいガキがいたもんだ」
低い声の主は、部屋の奥にいた修道女姿の魔導士、【黄金】のオラージュ。
修道女らしからぬ眼光の鋭さは相変わらず。
彼女の加護魔法が瓦礫の1つ1つを捉えていた。
「はん、よくある初見時のマウントの取り合いかよ。
おい、ピンク髪の嬢ちゃんよ。これ以上は大人しておくこったな。
仲間内で殺し合いなんざ見たくもねーや」
銀の団側でこういった場への慣れがあるツワブキが面倒くさそうに忠告し、上の【紅兎】のプラムは眉を潜めた。
「はあ?殺し合い?」
「――イチョウ、やめろ」
場を貫くような、【黄金】のオラージュの言葉。
そしてようやくプラムは、彼女の首に刃が突き立てられているのに気付いた。
騒動の中で瓦礫を避け、気配を殺し、彼女の後ろに回り込んでいた者が一人。
黒いフードを目深に被る、明らかに諜報員の格好だ。
キリと同じ斑の一族が一人、今はオラージュの部下であるイチョウが、殺気を放ちナイフを構えていた。
「はぁん?やるじゃない。いつの間にそこにいたのね。居合勝負でもしてみる?」
その状況下でも、プラムは挑発的な言葉を投げかけ。
「プラム、もうよせぃ」
低いしゃがれ声、バルカロールの一声が場を鎮める。
「てめえら、手荒な真似になっちまったな。
こういった場には不慣れなんだ。作法は知らねえ、悪いな」
頭こそ下げはしなかったが、鬼のような男が粛々と謝るものだから、場はみるみるうちに静まった。
ローレンティアの呪いは引き、そして足元の炎を収めるプラムの顔は青い。
バルカロールに謝らせてしまった事が、彼女の中でどれだけ大きいのだろうか。
ばつが悪そうな顔をしながら下へ降りてくると、ぺこりと頭を下げる。
「改めて、剣の国からやってきたバルカロールとプラムだ。
他、48名の若い剣闘士の奴らも待機させている。
ま、今のゴタゴタでやれるってこたぁ分かっただろう。これからよろしく頼む」
ガハハと笑う声は大きく、部屋を揺らすんじゃないかと心配になるぐらいだった。
野性的……剣闘士、アシタバの感想で言うと、ローレンティア達より探検家の者たちに近い。
「ああ、随分と頼もしいみてえだな。俺ぁ【凱旋】のツワブキだ。
魔王城からやってきた銀の団を代表して挨拶させてもらうぜ。
こちらは団長ローレンティア殿に、波の国代表ウォーターコイン公子と河の国代表ワトソニア公子。
それから探検家アシタバ。戦闘員は他に8人を連れてきている」
五英雄の後を継げるのは同じく五英雄しかいない。
体格の差など感じさせない貫録を醸し出し、ツワブキはバルカロールの眼光を何でもないかのように受け止める。
その後ろで飄々と手を挙げたのは【荒波】のベニシダだ。
五英雄の場に何気なく入っていけるほど肝が据わっている。
「あー、あたいはベニシダ。ベニシダ海賊団の、ベニシダだ。
あたい含め頭数は四人になるが、ここらの海のことなら知っている。
クラーケンはあたい達にとって仇敵になるんだ。
やれることはやる。よろしく頼むよ」
はぁと、最後の一人が手を振るうと、空中で固定されていた天井の瓦礫が床に落ち着く。
部屋の最奥、刃のような眼光、【黄金】のオラージュ。
「この度、ガイラルディア殿下の依頼により貴殿らと戦線を共にすることになったオラージュだ。
詳細は知っているだろうから省くぞ。
そこにいる私の付き人のイチョウと、他に教会の魔導士を三十人連れてきている。
是非、仲良くしたいものだ」
前のいざこざに対する苛立ちが、言葉に棘となって表れていた。
五英雄に劣らない覇気が場を包み、ローレンティアなどは胃が痛くなり始める。
巨漢の威圧のまま、どしりと構える剣の国の【豪鬼】のバルカロール。
それに動じず仁王立ち、魔物相手は百戦錬磨、銀の団【凱旋】のツワブキ。
バチバチの空気など意に介さず、ベニシダ海賊団船長、【荒波】のベニシダ。
殺気の鋭さは一番、元勇者一行、教会を率いる【黄金】のオラージュ。
ようし、と呑気に声を上げるのは、王弟ガイラルディアだった。
「これで顔合わせは済んだな?
もう少し建設的な話をしようと思ったが、今日はこの辺にしておこうか。
諸君らには一先ず、本作戦のスケジュールを共有する。
しばらくは待機だ。作戦参加者はこの宿、本館と別館3棟全てを好きに使っていい。
飲食もこの国の王族である私がすべて保障しよう」
「ひょー、太っ腹ぁ!」と、ベニシダが三下じみた歓声を上げ。
「待機とはいつまでだ」と、オラージュは呆れ気味に尋ねる。
「クラーケンが近海に出現したとの情報が入るまで。
こればかりは闇雲に海に出ても仕方がないからな。
なに心配するな、銀の団のアシタバ殿と協力してクラーケンを誘き出すための策を展開する。
待機期間が無計画に長引くわけではないさ。なあ、アシタバ殿?」
まるで策を自分が準備し、内容を知っているかのように振る舞うガイラルディアにしかめっ面をしながらも、アシタバは振られた役割を全うする。
「王弟陛下には何隻か小舟を準備してもらう。そして教会には魔導士の協力を。
光を灯す魔法というのはあるのか?」
「……あるぞ。魔水晶に込めれば、大分長持ちする。
主に戦線のキャンプ維持用の魔法だが……何に使うつもりだ?」
「海面を照らしてもらう」
意味不明な回答に沈黙する一同、ははあ、と感心したのは【荒波】のベニシダだ。
「確かに、港の釣り好きのおっちゃんがランプの下なんかでイカが釣れやすいって言ってたねえ。
あんた、釣り好きなのかい?クラーケンも同じ理屈だろうって?」
「いや、釣りは好きじゃないが……プランクトン……。
とにかく、明るい場所には小魚が集まりやすい。クラーケンも生物だ。原理は変わらない。
小魚を追って大魚が。大魚を追って、大型の海中魔物が。
最終的にはクラーケンも寄ってきやすくなる、と思っている。
光る魔法を込めた魔水晶を取り付けた小舟を、定位置に置いて様子を見たい。
舟が沈められたところにクラーケンがいるか……。
クラーケンが餌とする、そこそこ大きい海の魔物が集まっている可能性が高い」
【魔物喰い】のアシタバ。
魔王城で水の確保に、食料生産に目途をつけ、以後も様々な成果を上げている。
銀の団の報告書をまともに読んでいる者であれば、記憶に残すには十分で。
知らずとも今の話をした者が、銀の団が魔物と対峙する前線においてのキーマンであるということは、容易に想像できただろう。
それぞれの立場の者が、観察の視線をアシタバに投げかけ。
ツワブキはにやにやと、背後でその姿を楽しそうに見物する。
しばらく経つと、同様に見守っていたガイラルディアが話の後を継いだ。
「ま、誘き出しの対策についてはそんなところだ。教会には後で協力をお願いする。
そして待機中には戦闘準備の他、もう1つ、大事な任務がある。チームワークの強化だ」
その言葉に、先ほどまでにらみ合ってた猛者達がはてなを浮かべ、ガイラルディアの方を振り返る。
「……チームワーク?」
「そう。諸君らはこれより、強大な敵に共に挑み、戦線で肩を並べることになる戦友だ!
先ほどの諍いなどは言語道断!人類みな仲良し!
クラーケンを発見し、同じ船に乗って討伐に出る際には……。
諸君らは、互いに背中を預けられる盟友であるように」
ローレンティアはようやく、冒険馬鹿と揶揄される王弟ガイラルディアの奔放さを実感し始めた。
虎たちがいがみ合うような空気感の中で、その提案は場違いにも程がある。
クラーケン討伐作戦は、後の史書にも載っている有名な出来事だ。
結果に関係なく、長年海を支配し続けた朱紋付きクラーケンに対する初めての大々的な作戦かつ、海の魔物に真っ向から挑んだ稀有な事例として、非常に資料的な価値があった。
ともかく、歩み月初旬。
彼らは波の国バレンツ港に集い。
そして、クラーケン討伐作戦が始動することとなる。
十五章四話 『【豪鬼】のバルカロール』