十四章二十二話 『点火』
「本当に、本当に生きててよかった。と言いてえところだが…………」
昔の話、俺が探検家組合に行きついて二か月後のことだ。
谷の国の調査からようやくツワブキが帰還し、クロサンドラの店で厨房手伝いとして働いていた俺と再会することになる。
「あー、なんだ、素直に喜べねえな。もう色々聞いてるぜ、お前の噂。
来ていきなりハッカクのやつを投げ飛ばしたんだって?」
「あの時のはあいつが悪い。でもその後仲直りしたよ。
俺の料理を美味いと言ってくれるんだ」
「ああ、はいはい。んで、なんだっけ?
お前、自分が【魔物喰い】って呼ばれてるの知ってんの?」
「ああ、いつの間にかな。オークの報告書書くために色々話聞いてて、教えてもらったお礼に美味い食べ方を教えていたら、そう呼ばれていた」
「……………えー、んー、なに、お前魔物喰うの?
あと、あの砥ぎ師ウルシをブチ切れさせたって各界隈で噂になってるぞ」
「ああ、竜殺しを砥げる唯一の人らしいから持っていったんだ。
俺がいつも使っている方は普通だったんだが、もう一本が刃ガタガタで剣としては終わっていたらしくてな。
竜殺しがどれだけ貴重かわかっとるんか、と怒鳴られた」
「……………んで?」
「かなり無理言って、ノコギリに加工してもらったよ。魔物の部位解体用に使うつもりだ」
一通り聞き終えたのか、ツワブキは改めて呆れたようなため息をつく。
「ったく、よくこの短期間でそこまで悪目立ちできたもんだな。
ここへ来る途中にお前の話を聞きまくったぜ。
スイカの弟子が現れたらしいって、各国の探検家たちに噂広がってるぞ」
スイカ。
ツワブキの口からその名前が出てきたことに、俺は固まってしまう。
「亡骸は俺が見つけた」
もうツワブキの口調は、真剣なそれに変わっていた。
秋空のような目が、濁りなく俺を映す。
「王の間でな。王城のあった山の頂上に埋めて、墓建てといた。
隣に王サマも埋めたから、まあ寂しくはねえだろう。
見晴らしもいいんだ。空を飛びまわったあいつにはいいところだろう」
優しさと憂いが同居している声色が、あの日から二か月以上たったはずの俺の泣きそうにさせる。
「………………ツワブキ、すまなかった」
「すまなかった?」
「スイカを、守れなくて」
自分が思うよりずっとか細い声が出たものだから、俺はびっくりしてしまう。
目尻が震えているのが分かった。
「アサツキに最後に言われたんだ。スイカをちゃんと連れ戻せって。
俺だけが一緒に行ったんだから、俺の役目だったのに。
何もできなかったんだ。むしろ邪魔になったんじゃないかって、今でも思ってる」
「バァカ、ガキが小難しいこと考えてんなよ。
スイカの行動はあいつの責任で、お前を帯同させたのもそうだ。
第一なあ、連れ戻せなかったってんなら……………俺にこそ責任があるってもんだ」
少し目を伏せる、ツワブキの顔が曇るのを俺は初めて見た。
何を言っているのかはわかる。俺が騎士になると誓った、ツワブキが王に直談判したあの日だ。
「俺はあの日にきっちり、スイカをあの国から連れ戻すべきだった。
やつが王族かどうかなんて、本当は関係なかったんだ。
何であっても誰であっても、国の認可が下りなくたって。
俺は力づくでも、あいつを連れていくべきだった」
後悔を、しているのだろう。
気持ちは痛いほどわかる、という俺の表情を読み切ったのだろうか。
ツワブキは改めて俺の前に立ち、真剣な顔で向き合ってくる。
「だからな、教えてくれねえか。
どうしてああなったかを。誰がやったかを。………………あいつの最期を」
魔王城、地下六階。
フロア一面に広がる砂漠の最奥に、縄張りを形成し陣取っている魔物たちの影がある。
包帯でグルグル巻きにされた人のような形、その布の切れ端が風ではためく。
包帯男。
「本当に、ぴくりとも動かないのね…………」
オペラグラスを覗き込みながら、ストライガ班シキミが鬱陶しそうに呟く。
地下七階への道をふさぐ正体不明の包帯男を見物しようと、魔物への知識がそれなりにある者が集結していた。
「せめて、動くなら正体のヒントも得られるんじゃが………。
これはちと、骨が折れそうじゃのう」
学者シキミの後ろで、探検家ディフェンバキアが顎鬚を撫でる。
その横では狩人のエミリアが右手の人差し指を目の前に掲げ、包帯男の全長を図ろうとしていた。
「やはり、人よりずっと大きい気がするな。
砂漠故に、遠近感が上手く掴めないが……………」
「うーむ、今のところは敵意を感じないな」
「…………魔法的な気配も感じない」
その隣、【狼騎士】レネゲードが呟き、横の魔導士ユーフォルビアも同意する。
ストライガ班、学者シキミ。
ディフェンバキア班、探検家【迷い家】のディフェンバキア。
ラカンカ班、狩人【月落し】のエミリア。
ツワブキ班、元騎士【狼騎士】のレネゲード。
トウガ班、泡沫の魔導士ユーフォルビア。
そして最後、【魔物喰い】のアシタバの六人だ。
「包帯男についてだが……そもそも、本当に動く魔物か、だな?
例えば、植物系の魔物である可能性は?」
アシタバが議題を提示する。
「ないことはないわね。サボテンの魔物。ありそうな答えの1つだわ。
樹人の亜種とか、ね」
学者シキミが、持ってきた魔物学の論文集に目を通しながら答えた。
「待ち狩りの魔物、っていうのは合っているように思う。
近づいた者は帰らないという話が、彼らの特徴にそのまま当てはまる」
泡沫のユーフォルビアが、彼女なりの考察を告げる。
「問題は、どこまでが狩りの範囲なのかという点じゃ。
待ち狩りの魔物の、反応領域に入るのはご法度。
しかし今の距離で観察しても謎は解けまい」
【迷い家】ディフェンバキアも、汗を拭きながら同調する。
「近づくのか」
「近づくなあ………」
エミリアとアシタバが心配そうな声を出し、そして一同が、銀の団一番の探知者である【狼騎士】レネゲードを見た。
「…………個人的意見で言えば有り得ないよ。
帰った者がいない魔物の巣に近づくなんて馬鹿げてる。
でも――――――。
今は冬休みだ。攻略は後になるとはいえ、それでも然るべき時には、リスクを負って正体に迫る必要はある。
魔王城以外のどこかの誰かが、僕たち以上に上手くはできないんだ。
危険でも………僕たちがやるしかない」
「なんか、逞しくなったな。いや、年下の俺が言うのも失礼だろうが」
地上へ向かう上り階段の途中で、アシタバはレネゲードに話しかける。
「はは、まあそうかもね。ツワブキ班で未知領域をこなし続けたっていうのもあるけど……。
ツワブキさんやディルさんの責任感、グラジオラスの勇敢さみたいなのを学んだのかも。
いや、もちろん安全第一、接敵即撤退だけどね!」
迷宮蜘蛛ではウォーウルフ達の迂回路を見つけ出し。
メドゥーサ撤退戦においては、メドゥーサの“第一の石化の魔眼”を破ったと聞いている。
照り月には頼りなく見えたこの男も、今や立派な探検家だった。
「ま、正直怖いことには変わりない。
僕の感覚が何か見逃せば全部持ってかれる。
でもね、思ったんだ。生きていくことは変わっていくことだと思わないかい」
「え?」
「子供のまま生き遂げる者はいない。誰もがその人生の中で変化を重ねていく。
この時代の、この場所なら尚更だ。
それが良いのか悪いのか、後からしかできない評価はともかくとして。
怖がりな僕でも、変化だけは恐れないようにしようって決めたんだ。
変わろうとすることは、きっと否定されないべきだと思うんだよね」
包帯男のことは一旦保留、と話がまとまった。
本格的な攻略は春以降……今は冬休み、とにかく監視と警戒に徹する。
その夜は、アシタバが屋上の見張り番だった。
夜に月を見ていると思い出す。
谷の国の谷底の河原で、全身が動かない中、夜は月を見続けるしかなかった。
師との死別。住んでいた場所の崩壊。体は痛み、孤独の夜は長い。
「あ、う………」
後にアセロラとなる少女が視界に入ってくれるだけが。
体に寄り添って眠ってくれるだけが、どれだけ救いだったかわからない。
だからこそ―――。
とんてんという、階段を上る足音を聞き取った。
もう慣れたものだ。振り返ればローレンティアが、屋上への階段を登り切ったところだった。
冬休み中、アシタバが屋上の見張りの時には、ローレンティアはよく足を運んだ。
ただ、過去話を話してからは初めてだ。
「こんばんは、アシタバ。寒いねえ」
「……こんばんは。冷えて体調崩すと悪いだろう。大丈夫か?」
「……大丈夫だよ。隣、座ってもいい?」
ローレンティアが、白銀祭でアシタバの死にたがりを知った時に分かったことだ。
アシタバは無意識に、人を遠ざける言葉を使う。
だからこそローレンティアは大股で近づき、アシタバの隣に腰かけた。
「地下六階の方は順調?」
「あー、被害出してないって点では万々歳かな。
実態については、近づけないからまだなんとも」
「ふーん、今回の魔物は難しいんだねえ」
ローレンティアは頰に手を当てる。
「なんで包帯巻いてるのかな」
「んー、砂漠への擬態に見えなくもないんだよな。
上から見たら、多分砂の白と同化する。
鳥の魔物に襲われるのを嫌ってるんじゃないか?」
「人の形をしているのは?」
「それは多分、獲物を呼び込む用。横から見れば、青空バックで目立つ外観だ。
砂漠の人なら合流しようとするかも知れないし、魔物なら襲おうとする。
包帯男は待ち狩りの魔物の可能性が高い。
地面に足をつける相手を狙う、ってとこだろうな」
「なるほど………」
ローレンティアが僅かに言い淀む。
目線を伏せて、次にはアシタバと目を合わせた。
「包帯男も残したい?」
それが今日、本当に話したかったことなのだろう。
今度はアシタバが視線を外した。
「私ね、ようやくわかったよ。 アシタバが魔物を残そうとする理由が。
勿論、命に敬意を払ってるっていうのも本当なんだろうけど……。
でも確かに、アセロラちゃんのことも考えていたんでしょう?」
否定も、反応も避けるアシタバを見て、ローレンティアは話を続ける。
「人と魔物の混種のあの子のことを思って、アシタバは人と魔物が共存する場所を作ろうとしていていたんだ」
ウォーウルフとの共存を、アシタバがどれだけ実現させたかったかが今ならわかる。
アセロラの正体が受け入れられる土台を作ろうと、必死になって。
そしてだからこそ、メドゥーサ撤退戦の結末がどれだけ最悪だったかも分かる。
アセロラの母親、サキュバスと同格に当たるメドゥーサが、和平を拒み人類に牙を剥き、そして英雄の一人を毒牙にかけた。
単に、和平交渉が潰えたという話にとどまらない。
人型の知性魔物の危険性を、はっきりと世界に広めてしまった。
今アセロラの正体が知られればどういう目に逢うかは想像に難くない。
だから。
だからこそアシタバはこのタイミングで、事実を打ち明けたのだろう。
「……あの話を打ち明けたのは、ティア達に選択権が必要だと思ったからなんだ」
「選択権?」
「分かるだろう。アセロラのことが知られたら、どういうことになるのか。
トウガをああした奴らと同類とみられても不思議じゃない。
嫌悪だけに留まらない可能性もあるって思ってる。
………でも、でも…………それでも」
そこでアシタバは顔を上げて、ローレンティアと目線が合い。
アシタバ、と彼女が微笑んだ。
「白銀祭の時………視察の前に、アシタバが言ったことを覚えている?」
「………“誰かに貼り付けられた符号や、放り込まれた分類なんか関係ない”?」
「そう。私はそれ、正しいって思ったんだ。
だから白銀祭で、“呪われた王女”から違う何かになれた。
アシタバ、きっとアセロラちゃんもおんなじだよ」
二人きりの夜は、初めて魔王城に来た日の、落とし穴に落ちた時のことを思い出させる。
「おんなじ」
「そう。人と魔物の混種だとしても。
生まれなんか関係ない。大切なのは、何になりたいと願うのか」
でも月明かりに照らされるその笑顔は、なんというか、綺麗で。
あの怯えていた姿はどこにもない――――いや、今怯えているのはアシタバだった。
ローレンティアの言うあの時の台詞は、アシタバ自身が確信を持って言えたわけではない。
それはこうあって欲しいという、アシタバの願いに過ぎなかった。
それでもアシタバは、白銀祭のローレンティアの姿を見てそれが現実になると知った。
メドゥーサ撤退戦では、妹のための動きを早めなければならないと悟った。
願いを願いのままにしてるわけにはいかない。
「ティア」
「うん」
何か決めたようなアシタバの顔を、ローレンティアは真剣に受け止める。
「人と魔物が共存できる世界を目指すことを、俺はこれからも止めないだろう。
ウォーウルフの件で言った通り、アセロラがどう言おうと関係ない。
これは俺のエゴだ。どんな者にでも、生きようという意思に応える世界であって欲しいという願いだ。
………だがきっとそれは、ティア達には迷惑をかける。
魔王城で魔物の敵にならない俺を、周りがどういう目で見るかは分からない。
でも、それでも―――――――。
オオバコや、キリや………ティアが味方でいてくれると、俺はすごく、嬉しいんだ」
自分が外れている方だと自覚していたから、自分の思う正義を最後まで訴え貫き通すことはなかった。
アセロラという、誰にも打ち明けられない秘密を抱えていたから、今まで誰にも本心を見せず生きてきた。
だからアシタバは一匹狼だった。
誰に迎合することもなく、己が正しさを掲げることもなかった。
逃げるのはやめにした。
自分が思う理想へと、歩み出す決意をした。
そして体の底から湧くエゴのまま――――巻き込む決意をした。
「うん、わかってる。
アシタバ、私はね、アシタバの思う理想は正しいって思う。
誰かの評価が、私の不利益になったって関係ない。
あなたは何も間違っていない。だから、味方をしたいんだ」
しんしんと、雪だけが降り積もる夜だった。
屋上で、アシタバとローレンティアは隣り合い座る。
それは昔、アーベキーナに存在を許された時のような安堵を与える。
いつでも、居場所がないように思えたんだ。
病院のベッドの上では、何かを打ち明けられる相手がいなくて。
アセロラを抱えてからは、ツワブキにさえ本心を話せなかった。
何の憂いもなく本心を伝えられたのは、もしかするとアシタバの人生で初めてだったかもしれない。
変わっていかなくてはいけない。
それは時に、激流に手を伸ばすような痛みを伴うだろう。
それでも逃げないと決めた。アシタバはもう、繋がりを捨てないことを選んだ。
そして世界へ己がエゴを掲げる決意をした。
背を向け続けていた、車輪のような、この世界の大きな流れに。
アシタバは、立ち向かっていくことを決めた。
十四章二十二話 『点火』




