十四章九話 『蟻が悪いとは思わない』
「アシタバぁ!!後ろだ!!」
怒号の前に、気配には気付いていた。
振り向く遠心力のまま剣を振るえば、飛びかかってくるゴブリンの顎が切り裂かれる。
飛び散る血に構う暇はない。味方のゴブリンごと潰さんと振り下ろされる大剣を、バックステップで避けた。
豚と人が混ざったような魔物――オークの暗い瞳が、こちらを射抜く。
「……………………」
潰れたゴブリン。オークからの殺気。舞う戦塵と響く怒号。
喉の渇き。生命の火花。掌の剣の感触。この谷底の日々。
慣れてしまった。
地面を蹴り、オークの首元へ剣を突き刺す。
春になった。
谷の国の戦線には蜥蜴兵が姿を見せ始めた。
彼らが猛威を振るい始める夏の手前、今は国王軍と魔王軍が拮抗している戦場模様だ。
「アシタバ、お疲れさん。今日は何匹倒せたのさ」
谷底の防衛砦の水場で顔を洗う俺に、アスナロが声をかけてくる。
「17、ぐらいかな」
「ほえー、やっるね!結構色んなとこでアシタバの話を聞くようになったよ。
期待されてるねえ」
戦いを終えたばかりだというのに、アスナロの声は軽やかだ。
【自由騎士】スイカと【大騎士】デュランタを除けば、谷の国の戦線でアスナロに敵うのはアサツキぐらいだろう。
無駄のない洗練された剣術故に、全く消耗がない。
「どうも、そういうアスナロは?」
「数?さー………50くらい?」
ここに来たばかりの時は分からなかったアスナロの強さが、肩を並べるとよく分かる。
それだけじゃない。谷の上の平和を守るために、谷の下の兵たちがどれだけ尽くしているのか。
「今日、ソヨゴのおじさんが腕を持ってかれた。
一命は取り留めたけど、戦線復帰は無理だな、あれは」
「………そう。また人が減っちゃうのは苦しいね」
「ああ、ほんとに―――――」
「弟たちよ!!!」
この半年で大きく変わったことが1つ。
振り返った先にいるアサツキ、その性格だ。
「今日も大活躍だったな!兄として誇らしいぞ。
怪我はないか?どれ、我慢せずに言ってごらん?」
「だー、自分で言うから!過保護!」
「馬鹿言え、もっと甘えていいんだぞ。今の五倍は甘えて欲しいぐらいだ」
アサツキはこの半年ですっかり弟バカになってしまった。
アスナロの分析では戦場の雰囲気を和らげようとしているとか、俺のことが純粋に心配でああなった、とか言っていたが、正直七面倒だ。
谷底の生活はこんな感じ……アサツキとアスナロと他愛無い会話をして、あとは魔物との戦闘に身を投じる。
スイカと会う回数は減った。アーベキーナには久しく会っていない。
ツワブキとディルとは、あの日別れたままだ。
「アシタバはよ、なんで騎士になったんだっけ?」
ベッドの上のソヨゴさんは、右肩から下がなくなっていた。
まだ痛むのだろう、皺の入り始めた顔は僅かに歪み、額には汗が滲んでいる。
「なんで………スイカの力になりたかったから」
「ああ、そうだ。恩返しだったな、お前は」
俺が騎士団に入ってしばらく所属していた、小隊の隊長を務めていた人だった。
それなりに戦線を潜り抜けてきたベテランだ。
でも隻腕のその姿は、もう戦えないことを物語っていた。
「俺ぁ愛国心ってやつだったな。生まれ育った故郷だ。
幸せなことに愛する女もいるし、ガキもいる。
まあこんな結果にはなったけど、死ぬよりはよかったなあ………。
後は後進の育成に従事しつつ、家族と暮らすよ」
「まあ、そうだな。あんたが生きていて何よりだ」
「全く。生きていて、何より…………」
同意しかけたソヨゴの口が止まる。瞳が暗く落ちていく。
「本当にそうなのか?」
「………………ソヨゴ?」
ベテラン、だったはずの彼が、急に迷子の子供のように見えた。
覇気も自信もなく、今更自分を探るように目は虚空を見つめる。
「俺は国を護りたいと思って騎士になったんだ。
同じ志を持つ奴は大勢いた。同期だって沢山いたさ。でも皆、死んじまった。
あいつらはこの国の平和を願って死んでいったんだ」
「…………………………」
「ガキと嫁さんと余生を送れて、まあ俺は幸せじゃねえわけじゃねえ。
国の為に、あいつらと一緒に死にたかったわけじゃねえ。でもなんつーかな………。
あいつらの死が支えてきたものを、俺が支えるのを止めるのは…………嫌なんだ。
俺はこんなになっても未だに、国に剣を捧げたくてたらまない。
国に押し寄せてくる魔物達に、少しでもこの手で抗いたい」
「それで、死ぬことになっても?」
「それでも――――――」
結局ソヨゴさんは、新兵の指導役に就くことになった。
戦線に出る危険もなく、家族と暮らすこれからを手に入れて。
それでも心の叫びは終わらないのだろう。
国の為に死線へ飛び出したいという衝動が、彼の中で渦巻き続けていく。
自らの死をも厭わず、国への貢献を望む。
国とは、人が集ってできた群れだ。
似ているのは、アリかペンギンだと思った。
アリ達は、先頭の個体が残すフェロモンを辿り列を成す。
先に死んでいった者たちと同じように剣を捧げたいといったソヨゴが、俺にはアリに見えた。
数多の死が折り重なって出来たフェロモンが、騎士達を滅私奉公の極地へと誘う。
騎士道は、自滅へと続くフェロモンの道だ。
群れに必要な機能を負わせるための道。
ファーストペンギン、という言葉がある。
シャチなどの天敵が潜んでいないか確かめるために、群れから離れ単体で海に飛び込むペンギンのことを指す。
何もなければそれでよし、シャチに喰われれば群れは海に飛び込むのをやめる。
群れは一匹の犠牲のみで、海の安全を測ることができる。
どっちなのか、ということだ。
群れに要求され、全体のために必要な役割を負ったのか。
それとも純粋に、自分の意志で飛び込んだのか。
いつの間にか、フェロモンに囚われているのかもしれない。
いつの間にか、群れに要求された役割を負ってしまっているかもしれない。
国という、巨大な怪物がいる。
いつしか、誰もが、呑まれてしまう。
(……………スイカも………………?)
探検家を続けるという、個の幸せを捨てて。
王家、王族というフェロモンに囚われた?
「…………………………………」
「アサツキやアスナロは、この先どうなろうとか決めているのか?」
アサツキとアスナロとは、前線砦で同じ部屋を割り当てられた。
夜の見回りが被らない時は、同じ天井を見上げて寝付くまで話をしたものだ。
夜にぽつりと零れた俺の呟きに、アサツキとアスナロはぽかんと間を返す。
「へぇ、アシタバも将来について考えるようになったのかい」
「真面目に」
見返りもなく答えを求めるのは、弟の特権だった。
今思えばアサツキとアスナロは、兄の務めをよく果たしていてくれたと思う。
「さあ、僕はそんなに具体的には考えていないな。ただ強さ、強さは欲しい」
「強さ?」
「どんな災いが振ってきても切り抜けられる力だよ。
この戦争の時代で生き抜く力だ。
スイカは、探検家として一人で生き抜いてきたんだろう?
僕が憧れるのは、騎士っていうよりそっちなんだよね」
アスナロがぽつぽつと呟く。
イメージではアスナロは、なんていうか囚われない。
水や風みたいに、一点に留まることに意味を見出さない。
「だからまあ、この戦線はいい修業場だと思っている。
けど骨を埋めようとまでは思えないな。
何をしたいかはまだ決めない。決める為に、世界を見てみたい。
世界を気ままに巡る為に、強さが欲しい。自由で居られる力が」
「……………アサツキは?」
「俺は出世だな」
「出世ぇ?」
思わず顔を向ける。月明かりに照らされたアサツキの顔は真面目だった。
「そう………。俺も一生をこの地の騎士として終える気はない。
どれだけ称賛されようと、どれだけ必要とされようと。
この世には2種類の人間がいる。支配する側とされる側だ」
「支配」
「字面にすると物騒だがな。上と下、使う者と使われる者………。
俺は下側のままはごめんだ。意味がない」
兄馬鹿の染みついたアサツキの、たまに見せる無機質さみたいなものを、俺もアスナロもいい加減気付いていたが真剣には取り合わなかった。
「意味がないから上を目指すのかい?出世したい?」
代わりにアスナロが茶化したように言葉を返す。
「上を目指すのに理由は要らないだろう。生まれたからには、だ。
スイカにはここまで育ててもらったからな、ここで騎士として戦う義理がないとは言わない。
けれどいつか見切りはつける。まずは貴族を目指して――――」
アサツキはそこで言葉を止めた。目指して、何なのか。
何故だか窓の外を眺めるアサツキの目線が、谷の上の、山の上の王城に向けられている気がした。
「…………アシタバ、お前はどうする気なんだ」
「俺は……………………」
何をしたいんだろう。
「蟻が悪いとは思わない」
え、というアスナロの声も遠くに感じた。
決して騎士道に共感したわけじゃない。
でもその異常性を、俺はまだ自覚できていなかった。
十四章九話 『蟻が悪いとは思わない』