十二章三十五話 『砂の国の少女たち』
「何の真似?」
とシャルルアルバネルが呟いたのは、メドゥーサ撤退戦、その翌日のことだ。
魔王城北、貴族区の彼女の館の玄関で、四人の男が彼女に跪いていた。
コンフィダンス。マルギナタ。ディスコロール。バルーンバイン。
シャルルアルバネルからすれば【革命家】の男達、親の仇にさえ当たる。
だが彼らの表情は真剣で、その姿は間違いなく王に跪く騎士の所作だ。
「我らが盟友との約束を果たしに参りました」
「盟友?」
「はい。父君、ローダンセ王に御座います」
久しぶりに耳にした父の名に、シャルルアルバネルは一瞬、威厳を忘れてしまう。
「お前も同期を持つと良いぞ」
と、父ローダンセが言ったのはいつのことだったか。
「ど、同期………ですか?」
「そうだ。シャルル。王は、国の全てを見なければいけない。
いや、国だけでは足りぬ。世界の情勢を俯瞰できなくては」
「は、そのように日々精進しております」
「うむ。だがな、所詮人の目は2つだ。
そして世界を視るのに、2つでは足りぬ」
父がにやりと笑う。
こういう時の父は大事なことを伝える気でいると、シャルルアルバネルは知っていた。
「では、どのようにすれば?」
「簡単なことさ。友をつくりなさい。その者の見たことを聞いて、知ればいい。
例えば、私はお前に色々な知恵を教えているだろう。
これは私が見てきたことだ。私の王としての視界を、お前に分け与えている。
いいか、シャルルアルバネル。これは王にとって重要なことだ。
多くを知ろうとするならば、お前は多くと繋がらなければならない。
騎士と友になれば騎士の。使用人と友になれば使用人の視界が見える。
多くの視界を知りなさい。多くの目が、お前の世界を広げていく」
「…………友」
心なしか、小さくなったような娘を見て、ローダンセははははと笑った。
「なんだ、作り方が分からんか」
「そ、そのようなことは!!」
「よい、よい。なに、そう難しいことではない。
お前も、向こうも、地に足をつけた人間だ。
同じ部分がきっとある。共通項を探してやればいい」
「共通項?」
「そうとも。何を正しいと思うのか。
何を許せないと思うのか。何を、美しいと思うのか」
「シャルルアルバネル王女。我等は確かに砂の革命に参加しました。
ですがそれは、ローダンセ国王の願いあってのことです」
「王の願いは革命軍の中心に近い席に座し、貴女を守るよう干渉すること。
王は最期まで、あなたの無事を願っておいででした」
「我等がここにやってきたのも、貴女を見守る為。
有事の際には貴女の盾となり、剣となる為」
「とはいえ、革命に加担した責は免れません。王殺しに加担したも同じです。
シャルルアルバネル様が望まれるのであれば、我等はこの地を去りましょう」
コンフィダンス達四人は、深々と頭を下げる。
騎士の中に同期がいると父は言っていた。
それが今、ようやくシャルルアルバネルの中で繋がる。
「……………………あなた達が」
確証はないが信用はできた。きっと彼らは本当に父の盟友で。
それでもシャルルアルバネルは、それ以上の言葉を返すことができなかった。
感情が上手く処理できない。
彼らの事情を理解できる一方で、友ならどうして助けてやらなかった、だとか。
約束よりも両親の命を最優先に動いて欲しかった、だとか。
それでも彼らがそうしなかったのは、きっと自分を最優先にしたからで。
仇を罵るべきか。娘として泣き叫ぶべきか。父の友に応えるべきか。
その時のシャルルアルバネルは、どれも選べなかった。
魔王城の堀の脇を、一人の少女がブラブラと歩いていた。
褐色肌にぐるぐると巻かれた包帯。魔道士、パッシフローラだ。
肌の所々には、包帯で隠しきれない火傷の跡が見える。
(大袈裟……)
全身に多くの火傷を負っていたが、幼少期から彼女に付いて回っていたことだ。
慣れているし、治ることも知っている。
パッシフローラは少し立ち止まり、深いため息をついた。
病室を抜けて歩いているのは、一人になりたかったからだ。
彼女が目覚めたのはアシタバより1日遅れになる。
起きてすぐに、トウガが蜃の霧に侵されたことを知った。
かつての仲間と、同じ末路。
そしてあの悪夢を仕組んだと言ったメドゥーサは、既に死亡が確認されていた。
「あまり気負うな、ツワブキ」
「うるせえ」
と、いう話し声で目が覚めたのはその日の夜だ。
暗闇の中で、呪いから意識を取り戻したディルとツワブキが会話をしていた。
きっと皆は眠っていると思ったのだろう。
パッシフローラは何故だか、寝たふりをしてしまう。
「想定外だらけの戦いだった。朱紋付きが出てくるなんて誰も予想できやしない。
お前は未知の魔物相手によく前線を守った。お前だって死ぬ寸前の状況だったじゃないか。
大体が、俺と二人ダンジョンに潜っていたばかりのお前に一人前の部隊指揮能力を求めるってのも、おかしい話だ」
「使える言い訳があるかどうかに興味はねえんだよ」
暗闇の中のツワブキの声は、なんというか小さくて、震えていた。
いつもの豪快で陽気な笑い声とは距離がある。
「何がどうだろうが、俺の役目だった。俺の責任だ。俺に権限があった。
トウガがああならなくてもいい道はきっとあったんだ。
アシタバ達が攫われた時の判断を間違えたか……。
ライラックにもっと前線に出てもらうべきだった?
タマモ達に積極的に前線に参加するよう言っとくべきだったか……。
いや、俺がメドゥーサをとっとと倒してりゃあ……早いうちに呪いの正体を見破れりゃあ……」
ディルはもう、何も言わなかった。
パッシフローラが同じ立場でもそうだったろう。
ツワブキの言葉の最後は、後悔と自己嫌悪でグチャグチャに潰れていった。
「気負うぜ、ディル。今回は正しく導かなかった。
でも次は必ず失敗しねえ。それが手向けってもんだろう。
この痛みは俺に要るんだ。勝手にもってくんじゃねえ」
ディルが諦めたのか、これ以上ここで話すべきではないと判断したのか、二人の会話はそこで終わった。
暗闇に静寂が戻っても、パッシフローラは眠れない。
考えていた。彼女が初めて触れる、率いる者の責任という類。
彼女が砂の革命に参加し、否定したかつての砂の国王家のことを。
蜃相手に、多くの兵達を失うことになる作戦を指揮した王家のことを、考えていた。
思えば寒いところにきたものだ。
砂の国出身のパッシフローラにしてみれば、魔王城の冬は寒い。
吐く息は白く、魔王城の日陰には雪が残り積もっていた。
堀の側で立ち止まっていたパッシフローラはまた歩き出す。
(体、まだあったかいぐらい………火傷の名残っすかねぇ)
彼女の中にずっと火が燻っていた。地平線に白い煙が立ち上ったあの日から。
仲間を遠くへ連れ去った魔物達を、それを招いた王家を国を。
あの終わりを招いたものを、壊したいと燻り続けた。
だから彼女は砂の国の前線で魔物と戦い続け。
砂の革命にも参加して、王家を終わらせた。
憎かった。許せなかった。復讐の火が、ずっと尽きない。
けれども、どこかに喪失があった。
それは、トウガが昔の仲間たちと同じ夢霧送りになったからなのか。
それとも、別個体であっても、あの巨大な貝の魔物が討伐されたことに安堵しているのか。
それとも、あの夢霧送りを招いたと言ったメドゥーサが、自分の関わらないところで死んでいったからなのか。
復讐の火を向ける相手がいなくなったからなのか。
自分のことが分からない。ふらふらと、パッシフローラは堀に沿って歩き続け、やがて自分の行く先に佇んでいた人影に気付き足を止める。
二人の少女が出会った。
魔王城をぐるりと囲む堀の脇、褐色肌の少女が二人向きあって、互いの顔を見つめている。
片や、ストライガ班の魔道士パッシフローラ。
そして、銀の団砂の国代表、シャルルアルバネル。
王家が招いた夢霧送りで仲間を失った傭兵の少女と、その後の砂の革命で両親を失った元王女の邂逅だった。
二人は黙り、しばらく互いを観察する。
「聞いたっすか?トウガさんが、夢霧送りになったって」
「…………ええ、聞いているわ」
「なーんか、くやしいっすね。もう誰も、あんな風にしないって思ったりもしたのに」
「そうね……………結局、何もできなかったわ」
少し時が経った後には、二人は並んで堀の水面を眺め言葉を交わしていた。
互いが互いの出自を知り、咲き月から認識しあっていたものの、互いの属するもの同士の確執から交流はなかった二人だ。
「…………まだ、私を憎んでいる?」
シャルルアルバネルが目を細めて訊ねる。
夢霧送りを引き起こした、王家の責任のことを言っている。
「どーすかねえ。夢霧送りはメドゥーサ達が仕組んだものだとわかったし。
色々なものが見えるようになった今じゃ、王家の苦難も分かる……と思うんす。
そもそも罪があるとしても、砂の革命で王家は十分すぎる贖罪を終えている。
メドゥーサはいなくなった。蜃もいない。王家の罪も帳消し。
少なくとも、俺の中にもう復讐心はない…………はずっすよ」
「……………そう」
「王女サンは?砂の革命のことは、どうなんす?」
「それこそ、今新しい国が動いていることで終わっている話よ。
最上ではなかったけれど、父の望んだ形に国は収まっている。
革命は………しょうがないわ。必要だったことよ」
あえて、シャルルアルバネルが王家処刑の要不要についての言及を控えたのを、パッシフローラは見抜き、しかし静観する。
「…………そうっすか」
「そうよ」
「そうっすねぇ」
二人、黙り堀の水面を見つめる。
これが初めての会話なのに、二人の間には幾多の戦場を共にしたような雰囲気が漂っていた。
「…………あなたに1つ、お願いがあるの」
「藪から棒に」
「不甲斐ない話だけどね、分からないのよ」
「何がっすか?」
「私は、昔は王宮暮らしで、その後は雲隠れして………ここでは、貴族区に住んでいるから。
傭兵の目線とか、魔王城で暮らす人達の内情とか、地下へ潜る人達の視界とか。
分からない。けど、知っていかなきゃいけないことだと思う。
………………もしあなたがその手伝いをしてくれたら、私は本当に嬉しい」
「手伝い?」
「つまり…………………そ、その……………。
わ、私と友達になってくれないかしら、ということなのだけれど………」
戸惑い、恥じらう。
砂の国元王女の、その珍妙な姿を見てパッシフローラは思わずプッと噴き出した。
「は、ひゃはははははははああは!!!」
「な、何を笑うのよ!!」
「いや、いやいや、ひひ、頼み方!!
ひゃはは、友達作ったことないんすか!!!」
「う、煩いわね!!!」
魔王城の堀の脇に、二人の少女の姿があった。
一人はツボに嵌ったのか、大いに笑い。
もう一人は照れて必死に、笑うのを止めさせようとする。
「はは、はー…………いっすよ、別に。友達になりましょうか」
笑い終えたパッシフローラはにかっと微笑み、シャルルアルバネルはぽかんとしてしまう。
「……………いいの?」
「いい、と思うっすよ。戦争も、惨劇も革命も、全部終わったんすよ。
難しいことは考えなくていいんじゃないっすか」
戦争は終わった。時代は変わっていく。人も変わらずにはいられない。
かつての王女と傭兵は、魔王城で新しい姿へと手を伸ばす。
「俺達は、仲良くしましょう」
二人は横並び、共に堀の水面を眺めていた。
いつから、夢を見てしまったのだろう。と、アシタバは疑問に思った。
ローレンティアに会おうとして、ベッドの並んだ部屋を抜け。
階段を降りて、一階を歩いていたはずだ。
「まだ、ゆめをみるんだね」
景色から、色が抜け落ちたかのような。
灰色の霧に包まれたかのような感覚。現実感の欠落。
アシタバは周囲を見回し、そして声の主を見つける。
「マオ」
白いワンピースの、透明感のある少女が立っていた。
その白い目が、アシタバを覗いている。
「夢?」
「あのこたちと、ともだちになるっていう」
あの子達。分かる。大蛇や、メドゥーサのことを言っている。
「ああ、諦めていない」
動じず返すアシタバを見て、少女は少し寂しそうに微笑んだ。
「あなたはつよいね。でも、せかいはそうはならなかった。
あのこたちは、いきようとしていたのに」
「………………………………」
「はながひらくこととおなじ。ヒナがカラをやぶるのとおなじ。
いばしょがあればよかったのに。でもせかいは、そうはならなかった」
アシタバはその言葉に、深く聞き入っていく。
「お前は――――――――」
「アシタバさん!!!!!!」
「…………………え?」
アシタバは思わず呟いた。景色はいつの間にか、元に戻っている。
現実への帰還。アシタバが振り返ると、怒った表情のエリスが立っていた。
「ようやく気付かれましたか。どうしたのです、ぼうっとして。
何度も声をお掛けしても返事をされないようなので、嫌われたのかと思いましたが」
ローレンティアの使用人にしては、鋭い皮肉を向けてくる。
「いや、少しあの子と話を――――――」
「あの子?」
そう訊ねられてアシタバは気付く。
前を振り返っても、そこには誰もいなかった。
「どなたとお話をされていたのです?」
「いや――――――」
アシタバはしばらく呆け、その様子に焦れたのか、エリスは少々乱暴にアシタバの首を自分に向けた。
「申し訳ありませんが、あなたのボケにお付き合いする暇はありません。
どこぞの娘より、今すぐ会って頂きたい淑女がいるのですが」
「……………ティアか」
言わずとも分かる。と、アシタバは思っていたが、それが自惚れであったことをすぐに思い知る。
「あのですね!!!ダンジョンと魔物の専門家のあなたが!!
ダンジョンの中で魔物の呪いにかけられて倒れられたので!!!
ローレンティア様が身を挺してお守りになったわけでして!!!
私はてっきり、ダンジョン内でのローレンティア様の至らなさを、あなたがフォローして下さると思っていたのですけどね!!」
う、とアシタバは呻いた。烈火のように怒るエリスは初めて見る。
だが怒りは正当だ。そして、自分の至らなさが情けない。
「事件後のローレンティア様の様子は、酷いものでした……!
魔力がなくなっていたのか……意識が混濁してまともに会話が成り立たなかった!!
息が荒く!焦点が合わない!顔色は蒼白で!熱が止まらなかった!!
正直魔法の習得も、ダンジョン探検も、させるべきじゃなかったとさえ思いましたよ!!!」
「…………も、申し訳な――――」
「そこまで身を削って、ローレンティア様はあなたやお仲間をお守りしたのに…………。
あなたは目覚めてものんびりと、どこぞの娘と世間話でもしていたのですか?」
「ほ、本当に申し訳ない」
アシタバへの責め立てに満足したのか、エリスはふう、と息を吐いた。
「……単なる嫌味ですよ。魔法や探検が、ローレンティア様にいい作用をしているのは理解しています。
ローレンティア様は、今は回復し元通りになりました。
身体的にはもう異常はありません。が………………」
「が……?」
「……………これ以上は、ご自分の目でお確かめ下さい。今からお時間、ありますよね。
ローレンティア様の下へご案内致します。ついて来て下さい」
有無を言わさずエリスが踵を返し、アシタバは文句なくそれに従う。
が、歩きだす前に、もう一度エリスが振り向いた。
その顔は今や怒りではなく、乞うような、縋るような表情だ。
「………分かっておいでですか?私は認めて、期待をしているんです。
今まで見てきて、私なりに判断をしたのです。これはあなたであるべきだと。
アシタバ様、今一度お願い致します。どうか……………。
どうか、ローレンティア様にお会いになって下さい」
貴族区、ローレンティアの館。
エリスに案内され、アシタバはその廊下を進んでいく。
アシタバがここを訪れるのは初めてだ。
「…………どうぞ」
二階奥、ローレンティアの部屋のドアの前でエリスは立ち止り、アシタバを見た。
視線に応え、ドアノブに手を掛け、慎重にドアを開けたアシタバは、言葉を失う。
室内は昼時なのに、カーテンが閉めきられている。
影で覆われた部屋の奥。天蓋付きのベッドの上に、毛布を頭から被った人影が一つ。
「………………ティア?」
ぽかんとした呟きで、毛布がずるずると落ちる。
崩れかけている、とアシタバは思った。
沈んだ目。ぼんやりとした表情。アシタバを見つけて、ようやく少しだけ光が戻る。
「…………………アシタバ」
十二章三十五話 『砂の国の少女たち』