十二章十八話 『未知なる殺意』
「この国はもうおしまいだ」
「おしまい?」
六年と半年前の砂の国。夢霧送り の後のこと。
あるベースキャンプの焚き火の傍らで、当時のコンフィダンスは戦線仲間のヒスピダから、その話を聞いていた。
「ああ。どこで聞いても王家への不満。例の蜃の件の失敗が痛かった。
俺達の仲間を死地に追いやった、事前準備が足りなかった、王国軍より傭兵の犠牲者が多すぎる、とかな」
「ヒスピダ、お前そりゃあ……」
「分かってるぜ。王家にとっても難しいものは難しい。
だがな、そういう流れになっちまったんだ。
そう憤るに足る理由もある。事情より時勢だ。
流れを押し返すには、もう大分厳しい」
コンフィダンスは唸り、黙る。どちらかと言えば彼は同情的だった。
だが現状はどうか、という話も分かる。
「コンフィダンス、俺は革命軍を立ち上げようかと思う」
「あぁ?」
怪訝な顔を向けるも、ヒスピダは真剣だ。
「余分なものは切って、全体を生き残らせるのが俺の用兵だ。
このご時世この砂の大地で、国民の信頼を集められん王家を置いておく余力はねぇぜ。
夢霧送りの傷跡も深い。分かるだろ?
国は早く次の姿へ生まれ変わらなきゃいけねぇ」
「………………………」
その合理を否定できる理屈を、コンフィダンスは持っていなかった。
「王家を降ろして新しい国を創る。
既に色んな奴に声をかけて、支持を貰ってる。
だがな、所詮傭兵の俺達が謀反を起こしたところで、国民の支持ってのはつきにくいところがある。
なあ、コンフィダンス。俺達と共に国を救おう。
国王軍騎士のお前が幹部の一人になってくれりゃ、俺達もやりやすい」
結論を先に言えば、【革命家】コンフィダンスはこの話を受けることになる。
砂の革命の顔と言えば、多くの国民は彼の名を挙げるだろう。
だが、そう返答するのはもう少し後の話になる。
現在、地下四階。
ツワブキ達の最前線、【狼騎士】レネゲードはその神経を張り巡らせていた。
銀の団で最優の感知者、敵の初動を視るのは彼の役目だ。
「揃っているようだな」
張る緊張感の中、落盤で巻き起こる砂煙の中から声が響く。
生きた蛇の髪。金色の瞳。
人型の魔物、メドゥーサが一同の前に姿を現す。
ツワブキやディルがメドゥーサへ意識を集中させるのを確認すると、レネゲードはメドゥーサの背後で構える五匹の大蛇の観察へと移った。
ツノつき。黄土色の、頭部に二本の角を持つ個体。
白色。真っ白な体が目立つ個体。
トゲトゲ。全身の黄色い鱗が尖り、山嵐のようになっている個体。
キミドリ。恐らく植物への擬態なのだろう、鮮やかな黄緑色の体を持つ個体。
コブラ。顔の下が皿のように広がった、コブラを模した紫色の個体。
あれを全部相手取るのか、とレネゲードは不安を憶える。
その横でツワブキが、メドゥーサへ語り始める。
「…………テメェがメドゥーサか。本当にいたとはな。
一応聞いとくぜ。平和的解決を望む気はあるのか?」
「平和的な解決……………?」
メドゥーサのその一言だけで、場の温度が下がっていく。
レネゲードの頭の中で、彼の危機意識がガンガンと鳴っていた。
この状況を招いたのは、彼の失態とも言えた。
敵の接近を感知するのは彼の役目だ。
地下四階最初の接敵、ローレンティアが誘拐された時に、レネゲードは大海蛇の接近を見抜くべきだった。
少なくともツワブキはそう計算していた。
では何故出来なかったのか。
要は、まだビビりが抜けていないのだ。
レネゲードの感知は防衛本能だ。それは場の最も危険な魔物に注がれる。
対峙する魔物が強大すぎる場合、レネゲードはその魔物に深く集中し、結果視野が狭くなる。
取りこぼしが出てくる。
大海蛇の時は蜃に集中し、そして今は―――――。
巨大な五匹の大蛇ではなく、人のサイズのメドゥーサに強く惹き付けられていた。
「――――感心するよ、人の子らよ。よくそう上から目線で語れるな」
静かな、よく通る声が響く。
怒りでもない。嘲笑でもない。冷たく黒い、殺意の声色。
「いつまで立場を勘違いしている」
倒れたのは、【隻眼】のディルだった。
「…………………あ?」
前線の全員が呆気に取られた。ディルが後ろ向きに、仰向きに倒れる。
体の力は抜け、目は虚ろに上を見たままだ。
メドゥーサの、石化の魔眼。
「或る黒き愛!!!!」
早く動いたのは、それを一度見ていたローレンティアだ。
彼女の足元から噴き出した黒い手達が、地を這う波のように、傘のように天地へと広がっていく。
その、呪いのおどろおどろしい様とは対照的に、ローレンティアの表情は蒼白だった。
肌に冷や汗が伝う。何をしたのか分からなかった。手段が見えない。
けれど、二撃目から仲間を守らなければならない。
冷気が蛇の形をして、彼女の項に牙を突き立てんとしているかのようだった。
守るべく彼女を囲む呪いの手の隙間から、メドゥーサの姿が見える。声が届く。
もはや共存はありえない。一匹の怪物がそこにいた。
「全員殺してやる」と、メドゥーサは呟く。
「あまり奢るな。楽園に見放された者達よ」
言葉と炸裂音は同時だった。
メドゥーサ達の足元が刹那煌き、次の瞬間には轟音と火炎がその場所に渦巻いている。
「C型:潜伏雷」
構えは崩さず、パッシフローラが呟いた。
洞窟出口周りに、彼女があらかじめ仕掛けておいた爆弾だ。
「バカ、パッシフローラ、早えぇ!!」
「攻撃はできる時に思いっきりっすよ」
睨む目線は、立ち上る爆煙に一直線に注がれていた。
彼女の後ろ、【竜殺し】レオノティスは地面に掌をあて、その振動に集中する。
「………地響きが聞こえる。
パッシフローラ、取り逃したな。デカい。跳ぶぞ」
声をまたず、煙の中から爆風に乗り、一匹の魔物が上空へ飛んだ。
その魔物に非常によく似た種は、アシタバの世界にもいる。
キリは以前アシタバに教えられた知識を思い出した。
それはトビヘビという、空を飛ぶヘビだ。
彼らは枝から跳ぶと、肋骨を開き、平たく伸ばした体を左右に振り、空気抵抗を得て空中を滑っていく。
百メートル以上滑空したという記録さえあるそのヘビの習性を、サイズを大きくした大蛇が模倣する。
流石のツワブキ達も、戦いの中ということを忘れ立ち尽くしてしまう。
「空を泳いでやがる…………」
鯨にも劣らぬ巨体を揺らし、頭上を滑っていく様は、彼らに非現実感と気味悪さを与える。
ツワブキは特に、感じ取っていた。
空を飛ぶ大きな蛇なんて魔物が戦線にいれば、とっくに噂になっていたはずだ。
それでも彼でさえ、そんな話は聞いたことがない。
この魔物はこれまで隠れていたのだ。
朱紋付きの側近として、目立たず、静観し、力を蓄え続けた。
一筋縄ではいかない。
「ライラック!ライラック!!大変だ!!」
現在、地下二階、底部に立ち並ぶ騎士達へと、またもや叫び声が投げかけられる。
名前を呼ばれたライラックが目線を上げると、地下三階に続く洞窟から、今度はディフェンバキア班のゴーツルーが慌ただしく走ってきている。
「ゴーツルー!!下の様子はどうなってる!アシタバ達は見つかったのか!?」
「そ、それがよ…………!大変なんだ!
今地下四階で、デッケー蛇の魔物が暴れているらしくって!」
「蛇の……?」
どよどよと、ライラック班の間にどよめきが走る。
元よりダンジョン探検に関わっていない彼らは、実戦経験に乏しいところがある。
「ツワブキ達はどうしているんだ」
と、隣の【鷹の目】のジンダイが落ち着いた声色で訊ねる。
「多分、戦ってて………。アシタバ達は戻ってきたって聞いてる。
けど、朱紋付きも一匹現れたらしくて…………」
【黒騎士】ライラックの顔が険しくなっていく。
鳥王ジズとの戦いを、彼とて忘れたわけではない。
今この瞬間、彼らの足の下では、血みどろの戦闘が行われているのかもしれない。
「とにかく、下に来てくれないか!
今は少しでも戦力が欲しい!逃げ道を確保してくれるだけでも構わない!」
「………………わかった。それじゃあ―――――――」
ライラックの言葉は途中で途切れた。
何か、犬のような叫び声が響き始めたからだ。
一同が頭上を見上げると、地下二階の螺旋階段の上の方で、銀色のウォーウルフがしきりに吠えている。
「クリンユキフデ?何を騒いでいる……」
「ライラック」
頭上へ向けられていた一同の目線は、今度は発言者の方に集中する。
【革命家】コンフィダンスがゆらりと、ライラックの前に立った。
「どうした?」
「ライラック。お前さんは黒砦を守った英雄かもしれねぇが、撤退や待機の命令をそうはしていねぇはずだ。
お前さんの武勇と、用兵の巧さは無関係。
このライラック班じゃ、最も指揮官としての慧眼を持ってるのは俺だ」
ライラックは、反論はしなかった。
そのかわり、あの渦巻く双眸が鋭くコンフィダンスを射抜き始める。
「………………それで?」
「ツワブキはお前さんに命じたはずだ。ここを守れと。ここが最後の防衛線だ。
俺達がここを抜ければ、後ろにいる女子供を守る盾はなくなる。
俺達は砦として、撤退路の最後として、ここに居続けるべきだ」
「だ、だがよぉコンフィダンスさん…………!!」
「1つ――――」
食って掛かるゴーツルーに、コンフィダンスは人差し指を突き付ける。
「ゴーツルー、1つ、確認をさせろ」
――――――1つ。俺から質問と、忠告をさせてくれ。
つい、数日前のことだ。
アシタバがコンフィダンス達の演奏会に顔を出した夜。
アシタバが、夢霧送りについて訊ねた時。
最後にアシタバは、そう話を切り出した。
「質問と忠告?」
演奏していた楽器を片づけながら、コンフィダンスはしかし、アシタバの真剣な表情が気にかかった。
「コンフィダンス。あんたは【革命家】だ」
「ああ、まぁな」
「砂の革命の立役者で、砂の国じゃ誰もが、あんたを革命のリーダーだと言う」
「んんー、それなぁ。どこからそういう話になったんだか…………」
「そう、それだよコンフィダンス。どこからそういう話になった?」
コンフィダンスは一瞬、質問の意図が分からずぽかんとしてしまう。
だがアシタバの顔は真剣だ。
「…………俺が把握、っつーか推測してんのは、目立ったから、さ。
砂の革命は国の騎士だった奴や、色んな傭兵団の奴や、砂漠の色んな部族が束になって行われた。
結束が必要だった。俺達は、旗の代わりに歌を使ったんだ。
傭兵達の間で受け継がれていた砂漠の歌、あれを軍歌みたいにしてな。
その演奏家が俺だった。軍の中心にいて、目立った。だからそういう扱いになったんだ。
【革命家】っての、俺は恥ずかしいから辞退したかったんだけどよ。
“傭兵じゃなく、元騎士であるお前に砂の革命の顔になってもらいたい”なんて、仲間に言われて、断れなくてな」
「…………なるほど」
アシタバの表情に、コンフィダンスは引っかりを憶える。
何か、確信を掴んだような……。
それでいて夜の闇を伴ったそれは、いつもより遠く感じられる。
「今の話が何か、気になったか?」
「質問だ、答えてくれコンフィダンス。
その言葉を言った男と、結束の旗に歌を使おうと言い出した男は同じ人物か?」
「………ああ?」
コンフィダンスは怪訝な顔を隠さなかったが、アシタバの動じない表情を前に、やがて諦める。
「ああ、そうだよ」
「そいつは今、砂の国の政治に関わる地位にいる。
それで、あまり目立たない地位に」
「副議長………ってのは目立たねぇのかな」
「その男が、革命をしようと言いだしたんだろう?」
「…………………………」
アシタバの言うことは当たっている。
ヒスパダ。コンフィダンスの戦線仲間で、傭兵で。
革命軍を起こそうと言いだし、砂漠の歌で結束を強めようと言いだし、自分を演奏家に指名して、革命後は【革命家】なんて二つ名を寄越してきた。
「アシタバ、お前何が言いたいんだ」
「忠告を、今から言う。俺達は二か月前、淫夢と会った。
人間に化け、人間を欺き、人間を唆す魔物だ。
そいつは鉄の国王子、レッドモラードの愛人として紛れ込んでいた。
分かるか?目立たず、そして政治に干渉できる位置だ。
コンフィダンス、おかしいとは思わないか。
ほとんどの奴らは、革命の始めから終りまであんたがやったと思っている。
たまたまそうなった、じゃない。偶然でもない。
そうなるように干渉されていたんだ」
コンフィダンスは、すぐには答えられなかった。
理解が追い付かない。アシタバの言葉を頭の中で繰り返す。
「淫夢は魔王城の地下へ消えてった。いいか、コンフィダンス。
その事実を、俺達は如何なる時も忘れちゃいけないんだ。
あんたは―――――――――」
確信が、あったわけではない。
コンフィダンスが感じた引っかかりは3つだ。
1、どうしてさっきと同じようにハイビスカス、もしくは若手のガジュマルではなく、ディフェンバキア班で中堅のゴーツルーが来たのか。
2、今の状況………ローレンティア達が攫われたという、戦略的な意図を持った敵を相手取っている状況下で、あらゆる可能性は考慮しておくべきだ。
3、どうしてクリンユキフデが吠えているのか。
「お前、本当にゴーツルーか?」
その質問の意味を、コンフィダンス以外の全員が掴みかねた。
否―――――――。
ゴーツルーの顔をした男の目に一瞬影が過ぎったのを、コンフィダンスは見逃さなかった。
瞬転、剣を抜く。
ライラック班の騎士達が息を呑むより早く、コンフィダンスはゴーツルーの首へ剣撃を放ち………。
そしてそれは、尾のような触手で防がれていた。
「――――――え?」
呆然とした、騎士達の呟き。
剣を弾きコンフィダンスは、姿を現した相手と距離を取る。
人間とは決定的に異なる部位、尾のようにしなる触手が一本、腰から伸びていた。
「…………お前、淫夢か」と、コンフィダンスが睨み。
「……にひひ、ばぁーれちゃったかぁ」
と、ゴーツルーの姿をした何かは顎の下に指を差し込んだ。
ベリベリと、皮が剥がれていく。
中年の男の顔の下から、人型の魔物の姿が現れる。
髪は桃色。ツインテールで小柄な少女の姿に、小悪魔じみた笑みが浮かぶ。
「正確には、あんた達が夢魔と呼ぶ魔物よ。
淫夢………お姉さまの可愛い可愛い妹分!
あんた達を、殺しに来たの」
朗らかでいて、殺気を伴った笑み。
地下四階でローレンティア・ツワブキ達とメドゥーサが対峙するのと同時刻。
地下二階、螺旋階段の下でもう1つ、戦いが始まることとなる。
十二章十八話 『未知なる殺意』