十二章十二話 『THE FAITH』
擬態とは。
ある生物が、他の生物に似た体色、形を有することを指す。
この特性は、生物界の様々なところで見られ、その目的も分かれている。
その中の1つに、ベイツ型擬態と呼ばれるものがある。
例えばスズメバチに擬態するアカウシアブ。
もしくはアシナガバチに擬態するトラカミキリ。
そもそもこの二匹はアブとカミキリムシ、ハチですらないのだが。
彼らはハチにそっくりな姿を有する。
危険で強いハチの外観を真似ることで、天敵から狙われにくくするのだ。
まさしく、虎の威を狩る狐と言える。
この、危険な生物の真似をして身を守る特性は他の生物にも見られる。
例を挙げればスズメガの幼虫。
いわゆる芋虫の、この生物の外見は擬態としても珍しい。
蛇の顔なのだ。
世の普通の虫の中には既に、蛇への擬態を選択した生物が存在している。
「擬態…………?」
呼んでみると、蛇女神はすぐに現れた。
火精霊の月明かりの中、四人と一体は再び尾喰いの蛇の前に立つ。
「そう。尾喰いの蛇は蛇に擬態した魔物だ。
あんたが声を聞けないのはそのせいじゃないのか?
蛇の魔物じゃないんだ、あいつは」
「蛇の魔物じゃない…………」
蛇女神はしばらくぽかんとしていた。
何か反論しようとするが、否定材料がないと判断したのだろう。
「じゃあ、何なんだい?」と、続きを促す。
「俺の仮説だが…………ミミズか、それに近い生物だ」
「ミミズぅ?」
蛇女神の目は布で覆われていたが、その上の眉が困惑の形に歪むのが見て取れる。
「ミミズってあの、うにょうにょしたやつだよねぇ?」
「そうだ。ミミズは土で、尾喰いの蛇は砂が住処って違いはあるんだが……。
多分だが、両方とも雌雄同体なんだ」
「雌雄同体?」
と呟いたのはオオバコの方だ。
アシタバ以外の全員が、その単語を理解できないでいる。
「つまり、オスやメスがないんだよ。
ミミズには、雄用と雌用の生殖器が両方備わっている。
頭の方に雄の生殖器を、尾の方に雌の生殖器を持つんだ。
ミミズの交尾を見たことがあるか?
二匹のミミズがお互い反対向きにくっつくんだよ」
「それってシックスナイ――――」
言いかけたオオバコの鳩尾を、キリがどつく。
「そして尾喰いの蛇は、二匹が互いの尾を噛み輪状になっていた目撃例もある。
つまり、ミミズの交尾の形と一致するわけだ。
俺が思うに、尾喰いの蛇の頭に見える部分か、牙の一部が雄の生殖器で、尻尾が雌の生殖器なんじゃないか?」
「ちょ、ちょっと待てよアシタバ。
その、雌雄同体?っつっても交尾は二匹で行うんだろ?」
と、オオバコが割って入るが、アシタバはその答えも持っている。
「いや、一匹で行う時もある。自家受精というんだ。
動物じゃ、イタヤガイくらいしか聞いたことないが…………。
植物界じゃ多い。自分の雌しべで、自分の花粉を受粉するんだ。
例えばツユクサ。普通は他の花からの花粉を受粉するんだが、それがなかった場合、自分の雄しべを丸めて雌しべにくっつける。
自分一個体で生殖を行うんだ」
まだ理解が追い付いていない様子ながら、メドゥーサが呟く。
「…………ってことはなんだい。こいつは――――」
「ああ、まとめよう。尾喰いの蛇は恐らく、蛇ではない。
この魔物は2つの珍しい特徴を持つ魔物だ。
1つ、蛇への擬態。恐らく蛇の脅威性を借り、捕食を逃れるための擬態だ。
2つ、自家受精。こいつは雌雄同体、両方の生殖器を持ち、番いに出会えない場合は自分だけで生殖を行える。
その場合は、自分で自分の尾を噛み、輪になるんだ」
全員が、その輪っかになっている尾喰いの蛇を改めて見る。
「こいつは今、恐らく妊娠している」
しばらくの間。
メドゥーサはぽかんと尾喰いの蛇を見ていた。
アシタバはその姿を、じっと観察する。
そして、やがて――――。
「ふ、ふふふ」
と、笑いだした。
「は、はははは!!なんだ、なんだいお前、おめでたなのかい!!
めでたいじゃないか!言ってくれりゃいいのに!!
ああ、言葉が通じないのか!ふふ!
成程ね。妊娠かぁ。それは分からなかったな。
コイツに代わって、というのも変だけど礼を言うよ!!」
心底、嬉しそうな声色だ。
そのはしゃぎっぷりに、今度はローレンティア達がぽかんとし。
だがアシタバは冷静に、その姿を観察していた。
その姿は、確かにアシタバには。隣人の懐妊を喜ぶ、人間の姿に映る。
「…………この前の続きだ。あんたに、俺からの質問をする」
喜ぶ、喜ぶメドゥーサに、その声は静かに通る。
メドゥーサは声をかけられたのに気付くと、はしゃぐのを止めアシタバに向き直り。
そしてオオバコ達も、真剣な口調のアシタバに、少し黙る。
「あんた、これからどうする気なんだ?」
「どうする?」
「これからの、魔王がいなくなった時代であんたは何をしたいのか聞きたい」
それは。
それは間違いなく、新たな時代の在り方に干渉する問いで。
それを大きく揺るがす答えに続いていた。
「あんたの言うとおり、魔王はいない。あんたの忠誠は行く先がない。
けれど大蛇や尾喰いの蛇みたいな魔物は生き続けている。
そして各地に残る魔物は、掃討されてばかりだ。
メドゥーサ。俺達はウォーウルフと共存することを決めた。
他の人間達がどうかは分からないが、俺は少なくとも、もっと多くの魔物と共存できればいいと思っている」
キリも、オオバコも、ローレンティアも。
アシタバのその歩み寄りを、静かに見守る。
メドゥーサは沈黙し、アシタバのその顔を見ているようだった。
「今、尾喰いの蛇の妊娠を自分のことのように喜んだあんたが、同じように多くの魔物を守りたいと思うなら。
………人間の掃討や侵略から助けたいと思うなら。
あんたが朱紋付きとして、魔物達の代表として、魔物をまとめてくれないか。
平和的な交渉を、人間達と取り持ってくれるなら、俺はそれを助ける。
魔物達の、自治と保護を。人間達に認めさせるよう、動く」
それがメドゥーサを観察してきた、アシタバの決意だ。
ウォーウルフの件を経て定まった、彼の願い。
「メドゥーサ。お前には、新たな魔物達の王になってもらいたい。
その上で、俺達との共存を、和平協定を結んでくれないか」
アシタバの瞳は動かない。
メドゥーサの目を覆う布の、目玉模様がそれに応えるかのようだ。
しばらくの間、二人の間に沈黙が漂い。
「アンタは、面白いやつだね」と、メドゥーサが笑う。
「敵のはずの、魔物の境遇を慮って。
尾喰いの蛇だって素直に調べて、私に教えてくれる。
ああ、面白い。面白い奴だ」
上を、仰ぎ見る。ここはダンジョンの中で、上は空ではなかったが。
彼女の眼にはそれが見えているかのようだった。
「我らが主がいなくなった後、私は何をすればいいか、ずっと考えていたんだ。
復讐に身を焦がして、どこかの国に攻め入ることも考えた。
あるいは生き残った魔物達と、新天地を探す旅に出ることも。
アンタの提示するそれは、私の発想の中にはなかったな。
――――私はね、結局、答え合わせがしたいと思ったんだ」
答え合わせ、とアシタバが呟く。その声がよく響いた。
静まった、緊張の局面だ。メドゥーサの顔は読めない。
「我らが主から賜った使命は、正確にはこうだ。
“人間が持つ、神をも殺し得る武器を探れ”。
私達はそれぞれ仮説を立てて、観察をして、その答えを探った。探り続けた。
私が思ったのは、“条理”だよ。人間達には何か、あるんだ。
全ての人間に共通して根付いているような、共通の理が。
それが社会を、集団を安定的に形成させ、人間の発展を助けた。
それがアンタらを律し、縛って、時に強く立たせる。
絶望的な状況でも、個体の利害を無視しても、辿るべき道をそれが敷くんだ。
その道が幾重にも束になってきっと、神へ到達する道になる。
私は、アンタらを観察してそう結論付けたんだ。
それで私は、それが果たして合っているかどうかを、知りたいんだ。
それだけなんだよ、アシタバ。
私が主のいないこの世界に願うことがあるとすれば、それだけだ」
反応は、間に合わなかった。
アシタバの脇腹に血が滲む。
砂中から飛び出してきた蛇の、その牙が喰い込んでいる。
「――――アシタバ!!!」
ローレンティアの叫びより早く。
キリが蛇の頭を断ち、アシタバを守るようにメドゥーサの前に立つ。
両手にナイフ。目は氷。射殺すように、メドゥーサを捉える。
バランスを崩し倒れるアシタバの頭を、ローレンティアとオオバコが支える。
「アシタバ!!おい!!」
腹部からの出血。だけなのだろうかか。
アシタバの顔は汗と苦痛と驚きと、そして失意に染まっていた。
決裂した。
彼の手にあったはずの、魔王軍との和平の可能性が、潰えた。
世界が魔物の生存を認めるという、生命を尊重するアシタバにとって、唯一最善といえる道が。
もはや。
もはや、ローレンティア達の前にいるのは友好的な魔物ではない。
魔王軍幹部、最高戦力、朱紋付きの一匹。
「メ、メドゥー………サ…………」
「それは、あんた達が勝手に私につけた名だろう」
拒絶の声が、場を凍てつかせる。
蛇女神の手が、彼女の頭の後ろに伸び。
ゆっくりと、目を覆う布を剥いでいく。
見る者を石にすると言われる、メドゥーサの魔眼。その右目は閉じられていた。
そしていつ失ったのか、左目は刀傷で潰されている。
「アシタバ……アンタは分かっていない。
魔物と人間の間に、共存なんてあり得ないんだよ。
それじゃ、私達の生まれた意味がない。
アンタらが滅ぶか、私達を退けるかだ」
その魔物は。
魔王からの勅命を受け、戦線から離れた場所で戦争を見続けた。
それでも、それでもずっと。
主へ忠義を捧げる機会を、ずっと待っていた。待ち焦がれていた。
眼が、開いていく。
生物離れした黄金の眼は、アシタバの目へ一直線に注がれる。
「敗残兵に手を差し伸べたつもりだったか?
舐めるなよ。囲われ飼われる生になんか興味はない。
生まれた時から今日までずっと、私の中にあるのは主よりの使命だけだ。
私は私のあらゆる全てを、この使命のために捧げる」
その殺意が、蟲の大群のようにローレンティア達に這い寄り、呑んでいく。
「…………おい、アシタバ?」
オオバコの声で、ローレンティアが我に帰った。
自分が頭を支える、アシタバの様子を見る。
力が抜けていた。
もはや仰向けの状態のアシタバの、手はだらんと砂の上に置かれ、口が半空きになったままだ。
そして何より、目が開いたまま………。
眼球が全く動いていない。
ローレンティアも、オオバコも理解した。
これが。
これが、メドゥーサの石化の魔眼。
「主より賜りし、我が真の名はエル・ドラード。
門番が一人、我は汝らの、条理を識る魔物」
ズルズルと、ローレンティア達をずっと観察していた大蛇が素早く動き、メドゥーサの後ろに構える。
その巨体。その威圧。その殺意。
「神をも殺し得る武器は、血みどろの死闘の中でこそ浮き上がる。
私に、答え合わせをさせてくれ。
余裕ぶって慈悲の手を差し伸べる姿じゃない。
死に肉薄し、全てを吐き出す、お前達の底を見せてくれ」
口元が、歪に笑う。
石になったように動かないアシタバ。
オオバコと、キリと、ローレンティアを、2つの異形が見下ろしていた。
人型の朱紋付きと、巨大な大蛇。
「さあ、殺し合おう」
十二章十二話 『THE FAITH』