十章三十七話 『三日目:先を見る者』
また夜に会おうと言って、ローレンティアとセトクレアセアは別れた。
「一緒に祭りを楽しんで仲良しと思われては意味がない。
セレスティアル殿とメローネ殿、オラージュ殿も交えて集まりを開こう。
それまでは私も、橋の国視察としての立場を全うする」
ナギとの邂逅の後だ。
ローレンティアも了承し、工房街の瓦礫から二手に分かれる。
「ああ、忘れていた。シャルルアルバネル殿にもよろしく言っておいてくれ」
「え?」
意図が理解できず、ローレンティアは固まる。
「………砂の国代表のですか?何故です?」
「何故って………いや、何でもない。今のは忘れてくれ」
少しの引っかかりを憶えたまま―――。
ローレンティアは祭りの喧騒へと、混じっていく。
祭りは盛況だ。
その中をローレンティアとアシタバ、ユズリハが行く。
【月落し】のエミリアと【鷹の目】のジンダイの的当て競争。
【凱旋】のツワブキの飲み比べ。職人達の屋台。
コンフィダンス達の演奏。魔道士達の賑やかし。
大工シラヒゲの教会一夜建て。歩くだけでも目に留まるものは多い。
すれ違う団員達が見つけては声を掛けてくるので、ローレンティアは手を振るのに大忙しだった。
職人達はこぞって自分の作品を見せたがり。
すぐに彼女は、マフラーやら食べ物やら陶器やら弓やらを溢れんばかりに抱えることになる。
「人気だな」
「そう………なのかな。有難いね」
困ったように笑いながらも、ローレンティアはアシタバの方を見る。
足元を見ていた。というよりは視野が狭く、何かずっと考え事をしている。
理由は見当がつく。昨日会ったあれだ。
「アシタバ。聞いてもいい、あの女性のこと」
「………」
淫夢、とアシタバは言った。
昨日の昼の会合で話題に上がった、現在も生きていると推測される朱紋付きの一人だ。
ツワブキは直に会った奴を知っていると言った。つまり、それがアシタバだったのだ。
「俺は、谷の国で育ったんだ。そこで一応、騎士団に所属していた。
アサツキとはその頃からの付き合いだ。俺達には師匠がいた。
【自由騎士】と呼ばれた探検家で、その時には国に仕える騎士、スイカさん。
俺の親代わりで、全てを教えてもらった」
悲しそうな、弱々しい顔をする。
アシタバの過去が順当じゃなかったことは、いい加減ローレンティアは気付いていた。
ようやく彼女は、その一部に触れることになる。
「淫夢は――あいつに、師匠は殺された。
そしてあいつは、谷の国を滅ぼしていったんだ」
沈黙が訪れる。祭りの喧騒は遠い。
ローレンティアはアシタバの顔を見て、アシタバは目線を反らし続けた。
「……アシタバ。昨日私が言ったこと憶えてる?」
「昨日言ったこと?」
「アシタバは死に急ぎ過ぎているって話」
ナラがローレンティアを堀に突き落す前の、あの二人の諍いだ。
「……あぁ」
「もしかしてあれって、そのスイカさんの事と何か関係あるの?」
ようやくアシタバはローレンティアを見た。
ローレンティアを、というよりは何かを探しているような……。
「俺にも分からない。これは隠しているわけじゃなく、俺にそういう傾向があるっていうことはティアに指摘されて知った。
…………ただ、強い影響を受けたのは確かだ」
そう言って、遠い空へと視線を移し。
その様子を、ローレンティアは静かに見届けていた。
魔王城の使われていない一角に、独房が立ち並ぶ区画がある。
今や、鉄の国レッドモラード王子が幽閉されている場所だ。
祭りの喧騒も遠いそこへ、六人が足を踏み入れる。
見張りをしていた【刻剣】のトウガと、妻レウイシア。
使用人ジャコウとナタネ、その主スノーフレークと……。
「質問に答えてもらう」
橋の国代表、アサツキ。
彼が牢越しに見下ろす先には、もはや覇気を失ったレッドモラードが床に座していた。
敗者の、魂の抜けたような眼差しがアサツキに向けられる。
「答えろレッドモラード。お前、あの女とはどういう関係だった」
刺激に鈍感な、廃人のような反応をレッドモラードは返してくる。
「女……?フローラのことか。ああ……彼女は今、どうしているんだ……。
会いたい。ああ、クソ……どうして俺はこんなところで……」
昨日とはあまりに違うその姿に、トウガも顔を歪めた。
「頼むフローラ……早く………早く俺を助け出してくれ……!
お前の顔が見たい……!!」
「来ないよ、あいつは」
切実でさえあったレッドモラードの呟きを、アサツキがつまらなそうに両断する。
廃人ではなく、侮辱に対する怒りの眼差しが彼に向けられた。
「……お前に何が分かる」
「来ない。あいつの今回の目的は、魔王城深部へと帰還することだ。
ま、王族に近い場所で人間界の動向を見るというものもあったのだろうが……。
目的は果たされた。お前はもう用済みなんだよ、レッドモラード」
「勝手なことを!!!!」
がしゃんと、レッドモラードが立ち上がり牢を強く叩きつける。
鉄格子の隙間からアサツキの喉を潰そうとする勢いだ。
「いい加減にしろ。勝手なことをしたのはお前だ。
そしてお前が何を知っている。あれは淫夢、魔物だぞ。
フローラという名前も使い捨て、人を籠絡するべく生まれた生物だ。
お前は利用されたんだよ、レッドモラード」
静かな、しかし強いアサツキの言葉は、レッドモラードに響きはしなかった。
彼を被うのは喪失、それだけだ。
「知っていた。魔物であることも。それでも一緒に生きたいと言ってくれたんだ。
あいつの幸せに繋がっていると思えば、俺はどんな戦道も進めたんだ。
だから俺は目指さなければ、手に入れなければならなかった。
魔物と人間が共に暮らせる、楽園を!!」
届かなかった掌を、レッドモラードは悲痛な顔で見つめる。
「あと少し。あと少しだったんだ!!俺はどうして、お前と共に行けなかった!!
頼む……フローラ。お願いだ………迎えに来てくれ………」
それが―――それが淫夢という魔物に使い捨てられたものの末路だ。
再び蹲り喚くレッドモラードを、アサツキは冷たく見下し牢を後にする。
他の者達も、戸惑いつつも従った。
鉄の国は淫夢と協力関係にあるわけではない。
その答えを握り、アサツキは魔王城の外へと出ていった。
「おう、アシタバじゃねぇか!どこほっつき歩いてたんだ!!」
ローレンティア達が歩いていると、魔王城正門近くで【狐目】のタマモが声を掛けてきた。
「どこって、ティアの護衛だよ。文句言われる筋合いはないぞ」
「いやいやー、こっちゃ探してたんだぜ。
お前みたいなゲテモノ喰いがいると事がスムーズでな」
「あー!!お兄!!」
タマモの背中から、ひょっこりとアセロラが顔を出した。
思わずアシタバ達が顔を歪めたのは、彼女の服から頬から血まみれだったからだ。
「……お前、血―――」
「まぁまぁ、アシタバ。【解体少女】アセロラ様は今、フル稼働で作業中なのよ。
お前、護衛があるなら作業はいいが、ちょっといける部分といけない部分を教えてくれよ」
「……?作業とか、言っている意味がよくわかんねぇ」
戸惑うばかりのアシタバに、タマモはにぃと笑う。
「お前、大鍋の間、知ってる?」
大鍋の間は、魔王城二階へ続く階段のある部屋だ。
その部屋の中央には、巨人が使っていたのか大きな鍋があり、魔王城一階の1つのモニュメントとして機能していた。
だが、それをいつか使えるように主婦会が手入れしていたことは、あまり知る者がいない。
「ツワブキな。張りきって飲み比べやりまくって、幾ら酒に強い奴と言えどいい加減やばいぜ。
とは言え、銀の団にゃ胃袋で楽しむ奴らが多すぎる。
飲み比べをやめさせたいんなら食べ比べだ」
タマモは説明をしながら、大鍋の間まで三人を案内する。
そこでは農耕部隊や、主婦会がせわしなく動き、作業をしていた。調理だ。
大鍋には下から火がかけられ、立てかけられた脚立から、主婦会会長トレニアが一人鍋の様子を伺っている。
「……まさかあれで鍋やろうってのか」
「ウチの故郷じゃ伝統行事だったんだぜ。
魔王軍のお古ってのは気に入らねぇが、寒くなるこれからに備えて、団で鍋囲むのは重要だ。
越冬にゃまず一体感ってこった」
「アセロラちゃ~ん」
太っ腹の、【狸腹】のタマモがどたどたと走ってくる。
「具材、溜まってきたからまた解体おねがーい!」
「はいはーい!!今いきます!!」
脇にあったノコギリを手に取り、アセロラが意気揚々と走っていく。
「………具材?」
「なーにが入ってると思う。団長様」
にやりと、タマモが笑う。
「わ、私ですか?でも多分、私が思うに…………白菜、ですよね?樹人畑産の」
「その通り!!お披露目としちゃ上出来の舞台だ。そして後3つ。アシタバ、分かるか~?」
アシタバは少し、面倒臭そうな顔だ。
「アセロラが作業してるってそういうことだろ。兎肉と鳥団子と蟹。
祝福兎と海怪鳥と戦車蟹だ」
「にひ、正解」
「そ、そんなに地下三階の魔物が……」
魔物の大盤振る舞い具合に、ユズリハは少し面喰った。
「お前らが昨日また空けた、地下三階への落とし穴がいい感じだぜ。
ディフェンバキアさんに地下三階で小分けにしてもらって、そこから引っ張り上げてる。
大鍋の修繕に工匠部隊の力を借りたことを加味すりゃ、まぁ三部隊の成果が一まとめになった鍋と言えるわけだ。
どうだ、白銀祭の締めに相応しいものだと思わねぇか」
思わずアシタバもローレンティアも、大鍋の方を見た。
「……タマモお前………やるな」
「最高ですタマモさん」
「だろう。俺はやる男なんだ。これでズミの上司って顔も立つってもんよ」
胸を張るタマモに、二人は不思議そうな顔を向ける。
「ズミの上司がどうかしたのか?」
「まぁまぁ、体裁ってやつよ。
そーだ、第一陣がそろそろ出来上がるからよ、ツワブキの奴に持って行ってくれねぇか。
大方、酔い潰れた奴らの近くにいるだろうからよ」
タマモの言うとおりツワブキは、酒に潰れ折り重なった男達の脇で机に突っ伏していた。
「おふぃ~アシタバ君と団長サンじゃねぇか。元気してた?」
とか、焦点の定まってない顔でいうものだから、アシタバはこいつもう駄目だな、なんて思う。
「だ、大丈夫ですか、ツワブキさん………」
「なーに言ってんだ。俺はいつでもダイジョーブイ!!」
「ああ、よかったいつも通りだ」
呆れながらアシタバは、タマモから受け取った皿を机に置く。
地下三階魔物と樹人畑産白菜のコラボ鍋だ。
「オイ………オイオイオイなんだぁこりゃ。えらいゴキゲンな一品がきたもんだなぁ!
農耕部隊の奴らの白菜かぁ?地下三階の戦車蟹!!?」
「あと、海怪鳥と祝福兎。タマモが主導でやったんだ」
「かー、あいつは分かってるねぇ。いい仕事をしやがる」
揺らぐ頭を持ち上げ、姿勢を正して目を閉じてバチンと手を合わせると、ツワブキは敬意を払いながらそのスープを流し込んでいく。
「うめぇ」
静かに目を開く。既に酔っ払いではなく、歴戦の年長者がそこにいた。
「いいねぇ。これからの季節、冷える体によく染みる。だが、所詮ゲテモノだな」
顔つきが戻ったツワブキが、こちらを向く。
「………昨日みたいなことがあるとよ、色々考えちまうんだ。
俺より情報量の少ない奴らはそれこそ、悪い方向にもな。
俺の祖国は鉄の国だ。昨日のあれは突然だったが、国じゃ珍しいことじゃねぇ。そういう価値観の奴らもいる。
考え方は千差万別だ。それが面白いんだがな。違いが向き合うと争いになる。
俺だって正直、魔物を食べるのは好きじゃないんだぜ?
団の食糧事情を鑑みて付き合っちゃいるが、お前やレネゲードの嗜好は理解できん」
酔いは冷めていないのか、話がとっ散らかり気味だ。
けれどツワブキはそのまま、話を続ける。
「アシタバ、俺がお前に言ったこと、憶えてるか?味方を作れと言ったよな。
昨日の件を経てあれは、少し性急度が増した。もうすぐ冬が来る。
そうなれば団員達は、お前がスライムシートや樹人畑で取り組んできたことがいかに重要だったか理解するだろうぜ。
お前に焦点が当たるんだ。足並み揃えなくて冬超えはありえねぇ。
俺が何を言いたいか、分かるか?」
「絶好機を逃すなって話だろ」
「それが団の未来を左右すると言っている。いいか、アシタバ、間違えるなよ。
前に仲間作る云々話したのはお前の今後のためを思ってだ。でも今は違う。必要なんだ。
お前の将来や冬超えのもっと先、新しい時代に入る前にそれは団に要る。
この冬は、その初動になる。主役はお前だ」
ツワブキに指を突き付けられ、流石にアシタバは困惑した。
「なんで俺が………」
「いや、お前になる。内向的になる冬は身内話が加速する。
生活に直結する樹人畑の動向はいい的だ。
その発案者以外でも、お前は色々やってるしな。
確かに勇者や英雄、呪われた王女、話題に事欠かない団だが、それらがマンネリ化し始めた時期でもある。
ま、スイカの復讐なんか考えてる暇じゃないってこった」
「それは関係ないだろ」
困惑しがちな空気が一転、氷の温度まで下がり、ローレンティアとユズリハは思わず固まる。
が、ツワブキは予想していたのか、そのアシタバを真正面から見ていた。
「熱くなっちまうのはまだまだってこった。
淫夢。会ったんだってな?また話は詳しく聞かせてくれ」
「あぁ、いたいた。ツワブキ」
少し空気の硬くなったところへ、タイミングよく【隻眼】のディルが割って入ってきた。
いや、雰囲気を読んだ上での介入だったのだろうか。
「ディルじゃねぇか。なんだ?」
「東側に集まって欲しいってよ。
シラヒゲさん達の一日で一家建てれるかっつー見世物が終わったらしい」
「あぁ?俺に出来でも見て欲しいって?」
「違う違う。完成したのは教会でな。そこでズミが結婚式挙げるってさ」
寝耳に水のアシタバとローレンティアは、思わず顔を見合わせた。
「……結婚、式ぃ?」
十章三十七話 『三日目:先を見る者』