十章三十五話 『三日目:大泥棒は終わり(前)』
狩人、【月落し】のエミリアは森の国の出身だ。
森の国の森深くには、幾つかの民族が掟と、自然と共に生きる。
「―――あの男はなんだ、エミリア」
ラハ族族長にしてエミリアの父、ザラストロは厳しい口調だった。
ラハ族の里、木々を組み合わせたような家、囲炉裏を挟んでザラストロとエミリアは向かい合う。
「【月夜】と呼ばれている盗賊です。森の外では有名な盗賊だそうで。
用心棒業をしているところ出くわしましたので、今は捕虜としておかせていただいています。
直、然るべきところに受け渡しを」
はぁ、とザラストロは重い溜息をつく。
「あれは厄介事を持ちこむぞ。何度も言っているだろう、外と関わってはいけない。族の掟だ。
そもそも用心棒などと称して、国の貴族の奴らと関わっているところから問題がある」
「私こそ、何度も申し上げています。
この閉鎖的な慣習のままいけば、私達はいずれ新しく現れる脅威に対してなんの対抗策も持てず滅びることになります。
魔物に対しても、里に知識を持つ者はおりません。
門戸を開くべきです。森の国王朝や他国と交流を持ちましょう」
「その必要はない。滅びるべき時は滅びる。エミリア、自然の流れに逆らうな。
あるがままであるべきだ。森の民は自然と共に生き、自然の流れの中で滅びる」
父の言い分は、理解ができないわけじゃない。
防具を作って武器を作って、森の外の国々は戦争を始めた。
エミリア達の祖先は、その発展を嫌って森に籠ることを選んだらしい。
だから森の中の生活は、静かで平穏だ。外はもっと慌ただしく、物騒なのだろう。
森の国の中でも、森の民は自然を何より尊重する。
彼らにとって自然は神に等しく、絶対的だ。それに人が手を加えようなど、おこがましい。
自然の恵みを享受し、森の様子を見て狩りを行い。そしてたとえ滅びであっても、全てを受け入れる。
エミリアに捕えられたラカンカは、里外れの牢に押し込められていた。
エミリアが牢によると、ラカンカは暇潰しの相手が現れたことが嬉しいのか、少しにやりとする。
「この里の奴らはみーんな無口だな。話しかけても何も返しやしねぇ」
「………お前を避けているんだ。外と関わってはならない、というのが掟だからな」
「お前はいいのか?」
「…………」
エミリアは少し黙り、牢にもたれかかりながら里の様子を観察する。
「国から、お前の譲渡要請がよく来るぞ。斬首刑にしたいそうだ。
何やら、色々なところで盗みに入っていたようじゃないか」
「へっへん、よっぽどお怒りらしいな。腹の大きさに対して器の小さい奴らだぜ。
んで、俺はいつ引き渡されるんだ?」
捕えられて後は死だけだと言うのに、ラカンカには何か、余裕のようなものがあった。
いや、それは安心、だろう。
エミリアには結局理由が分からなかったが、確かにラカンカは捕まったことに安心していた。
「殺すと分かっていて渡しなどしない。
だがだからこそ、困ったものでな。お前をどうしよう、と言うわけだ」
「捕まえておいて、随分無計画だな」
「………言うな」
この境遇で、ラカンカは楽しそうだ。エミリアは戸惑い、溜息をつく。
「ま、この中は暇だし、ただ飯喰らいもあれだろ。
縄綯うとか、内職くらいなら手伝うぜ。幸い手先は器用なんだ」
そこから三年余り。
ラカンカが捕まった【月夜】と【月落し】の出会いから、彼らが魔王城に行くことになるまで。
世間を騒がした大泥棒は、森の国のある里で軟禁生活をすることになる。
魔王城西側に、商人エゴノキと鍛冶師ゴジカが立っていた。
工匠部隊の隊長とまとめ役を務める二人は、揃って腕組みをして眼前の景色を眺めている。
焼け落ちた工房街が目の前に広がっていた。
「………焼けましたなぁ」
「ましたな」
「全壊やないですか」
「いや、まったく」
ローレンティア達と、ヒバ達斑の一族の戦いの跡だ。
二人はただ呆然と工房達の残骸を眺める。
大工達が丹精込めて、各職人のために作った工房街が無に帰した。
その喪失を思うと、現実逃避するしかない。
「………まぁハルピュイアの一件で、外に建物構えるのは危ないかも、とは思っとったがな。
人に焼かれるとは予想だにしとらんかったが」
「何か代案があるので?」
「なーんもない。とにかく今は祭りを楽しもうや。難しい事考えるんは後でええ」
エゴノキは1つ伸びをすると、魔王城の方へ、人だかりの方へと歩いていく。ゴジカもそれに従った。
「大工班はどんな様子で?シラヒゲさんなんか、落ちこんどったでしょう?」
「はは、まぁやけくそですわ。祭りじゃ一日で建物作るって見世物やってます」
「建物?何の?」
「確か、ナナミちゃんの提案で………教会だって言ってたような」
ナナミの父、エゴノキは解せんという顔をする。
「………なんでこのタイミングで教会?」
二人のその姿を、魔王城四階のテラスから見下ろす影が一つ。
「ラカンカ!ここにいたのか」
呼ばれて大泥棒、【月夜】のラカンカが振り返る。
階段を上がってきたのはジンダイとの的当てを終えた【月落し】のエミリアだ。
「………エミリアか」
三年余りと、更に半年。お目付役としてラカンカを見てきたエミリアには分かった。
人魂退治の時と同じ、静かな怒りに浸るラカンカの姿がそこにあった。
「………やはり高いところが好きなんだな、お前は。せっかくのお祭りには参加しないのか?」
「あの横暴王子を強引に連れ出すため、鉄の国の忠実な貴族が攻めてこないとも限らないだろう。
見張りは必要だ。俺は信じてねぇから、それを務める」
故郷が魔物の大群に滅ぼされ、それを貴族に見て見ぬふりされたのは知っていた。
その中で弟を失ってしまったことも。
「…………」
エミリアは1つ溜息をついて、テラスに座る。
泥棒と見張り役。二人が出会ってから、よく在った距離感だった。
「あー!!いたいた!!リンゴ!!お前どういうつもりだよ!!」
魔王城の南方に構える屋台で、少年ハコベラが声を張り上げた。
屋台でラーメンを啜っていた勇者リンゴは、怪訝な顔を隠さない。
「何が」
「何がじゃないぞ!お前、昨日のあれはどういうことだ!」
「昨日?―――ああ、俺が兵団をばったばったとなぎ倒していった奴か。
悪いな、お前の分を残してやれなくて」
「そんなことはいい」
ハコベラのその、真剣な睨みを見てリンゴも茶化す雰囲気を引っ込める。
「対応の話だ!お前は言っていたじゃないか!畑泥棒を見つけたら、皆に知らせろって!
どうしてお前は一人で立ち向かったんだ!俺に言ったことと違う!」
屋台の店主バンジロウは笑わず、勇者リンゴは笑った。
「違わないさ。お前に言ったことは間違っていない。俺は特別なんだよ」
魔王を倒した勇者で。世界を倒した大英雄だ。
王国軍が躊躇する中、魔物の群れに切りこむのはずっと自分の役目だった。
「お前の何が特別なんだよ」
にやつき顔ごと、リンゴを両断する。睨むハコベラに、リンゴは茶化す言葉を見つけられない。
バンジロウが小さく溜息をついた。勇者。その肩書きを背負ってからは向けられなかった目だ。
「あーらあーら。かのリンゴさんが子供に言い負かされているとはね」
膠着状態になった二人の元へ、無遠慮に声が割って入る。
リンゴが目を向ければそこにはかつての仲間、大司祭オラージュと、大魔道士メローネが立っていた。
「………いいの?あの子は」
「いーんだよ別に。息子ってわけじゃねぇんだし」
かつて勇者一行だった三人は、少し祭りの喧騒を離れ南方の荒れ地に来ていた。
「久しぶりだな」
「久しぶりだな、じゃないだろうが」
オラージュの突っ込みは鋭い。
「お前ねぇ、私の方はサプライズとはいえ、今回はかつての仲間、大魔道士メローネが魔王城に来るって言うんだ。
てっきりお前が対応すると思ってたよ。大英雄、勇者様。
迎賓にあたって格落ちなわけがない。縁もあるんだし」
「そうしたら、今回の件も含めて勇者リンゴは、銀の団の一切に関わらない、ですものねぇ。
多少は予想していましたが、まさかそこまで一匹狼でいらっしゃるとは」
「………悪かったな」
かつての仲間相手では、リンゴの皮肉節も歯切れが悪い。
「聞くところ、本当に団には関わっていないのですね。
最近は農耕部隊を手伝っているらしいですが、それ以前はハルピュイア迎撃戦に少し手を貸した程度ですか?」
「………元々そういう契約だ」
リンゴは不機嫌そうな声色を隠さないが、二人は慣れているのか、やれやれといった様子だ。
「俺はもう、役目を終えた」
リンゴが初めて、真面目な顔で語る。
メローネも、オラージュもその言葉を真摯に受け取る。
「少なくとも俺は前時代の存在だ。次の時代がどうなるのか、分からないが………。
それは俺がいなくても成り立つよう構築されるべきだ。
勇者という存在に委ねたり、依存するのは意味がない。
………いや、お前達は本当によくやっていると思う。
実際のところ俺は、関わりたくないだけなのかもしれない」
勇者リンゴがどういう人物であるかは、メローネやオラージュはよっぽど理解しているから、彼のその告白も見守り受け入れる。
「………未だ、答えが出せないでいるのですか?」
「そう………そうだな………」
他の英雄の例に漏れず。
勇者という称号を得たリンゴにも、終戦後、各権力者との顔合わせが多く要求される。
整えた身なり、綺麗な館、太った体格、脂ぎった肌…………。
会うたびにリンゴはうんざりし、失望していく。彼らがどれだけ着飾ろうと、事実は2つだ。
勇者一行の旅は、孤立無援だった。そしてその旅路の中で、仲間を一人失った。
だから。だから勇者リンゴはいつまでも、次の時代に迎合できないでいた。
「へらへら笑って俺は、お仲間なんかになれねぇんだ。
何もしなかった奴らの権威を守る道具になんか……」
沈黙が訪れる。彼らの旅の凄惨さは、彼らだからこそ知っている。
「…………でも、銀の団は何か違うと思ったから手を貸し始めたのでしょう?
樹人の農業利用………面白いではありませんか。
あなたは魔物を殺す事が好きというわけではありませんものね」
メローネの言葉に、リンゴは顔をしかめた。
「アシタバさん、でしたか。樹人畑を提案されたのは。
同じ考えの方がいるのは、私としても安心ですね」
「………そんなんじゃない。俺は団の奴らなんか全然信頼しちゃいねぇよ。
ただ………その可能性の先は見たいと思ったんだ」
「そりゃあ考えが同じってことじゃないのかい」
オラージュのからかいを、リンゴは子供じみた沈黙で対処する。
「まぁ…………リンゴ、何にせよ私達は、あなたに休む権利があると思っています。
ゆっくりと休みなさい。あなたの義務は、答えを出すことだけなのですから」
彼らだけは、リンゴに勇者としての姿を求めない。
だからリンゴも相応の苦笑で応えた。
「それにしても、意外でしたわね。アシタバさんは。
報告書や視察中の雰囲気では、生物学に詳しい方だと思ってましたのに。
手当たり次第試す、という感じなのでしょうか」
メローネが道脇の元畑を見る。
全ての枝が切り取られた幹樹人が、地面に乱雑に突き立てられていた。
「あーあれか。私も気になっていた。
根樹人と違って幹樹人は植物を育てる習性はないんだから、畑に突き刺しても意味がない。これは何を検証しているんだ?」
説明を求めるように、大司祭と大魔道士は勇者を見つめ。
「………これはアシタバのじゃねぇ。俺がやった」
リンゴが顔を赤くする。
それは舞い月初め、ハコベラと言い争いをする際にリンゴが突き立てていたものだ。
「っは!」
出来の悪い答案を隠すようなリンゴに、思わずオラージュが笑った。
「いいねぇ、らしいよ」
十章三十五話 『三日目:大泥棒は終わり(前)』




