十章二十二話 『二日目:応えられるべきものたち』
父が亡くなった。
物心ついた時から母がいなかったズミは、それで天涯孤独となる。
寂しい気持よりかは、父が最後に残した言葉が気にかかった。
リリィが何であっても味方であってくれ。と父は言った。
父を看取ってからズミは、よく館内の見回りを請け負う。
先輩達に当直を変わってもらい。機を伺い続けた。
「カイドウが死んだのは痛手だったな。あいつが一番徒花に精通していた」
夜。モントリオ卿が父の名を出すその会話を、ズミは隣室の壁に耳を当てて盗み聞きする。
「徒花を家内に持ったあいつならば、レインリリィの教育も安心して任せられたのに」
分かったのは、レインリリィが徒花という兵器であること。
モントリオ家が、代々その技術を継承し続けてきた一族であること。
その輸出がモントリオ家と河の国王家の間で取り決められていたこと。
兵器である徒花の寿命はあまり長くないこと。
モントリオ家の周りの人間で、魔法の素質を持つ者がその役に選ばれること。
レインリリィはその中で、集大成とも言える立ち位置にあること。
河の国の未来の女王として、かつ、国を守る最終手段としての道が用意されていること。
そして、ズミの母親も徒花の被験者だったこと。
「やべぇーやべぇ、下やべぇことになってるぞ!!」
片足を負傷したままのヤクモが、けんけんをしながら階段を上がってくる。
「ああ………こっから見えるぜ」
立ちすくむ、オオバコ。ヨウマ。ズミ。リリィ。
オラージュとの戦闘の後、屋上に取り残された五人は、魔王城を包む戦火を見下ろす。
正体の分からない騒乱に、彼らは戸惑うばかりだ。
「くそ………脚がよけりゃあ飛んでいくのに」
「熱くなるなヤクモ。今の俺達が行っても足手纏いなだけだ」
オラージュに片方の脚に穴を開けられたヤクモ、ヨウマ、オオバコ。
十分に立つのもままならない彼らは、戦闘に加われるような状態ではない。
蠢く、十四の思惑。
内5つは、銀の団側の中で動いていた思惑。
ローレンティア達の、斑の一族の迎撃。
ズミとリリィの、モントリオからの逃走。
ナナミノキの、銀の団の結束強化の視点。
内4つは、視察者其々が抱く思惑。
河の国モントリオのリリィ回収。
鉄の国レッドモラードの魔王城制圧戦。
月の国セレスティアルのローレンティアへの興味。
そして残り5つが、国家から持ち込まれた思惑。
団長ローレンティアを暗殺するべく、河の国、鉄の国、月の国、橋の国から雇われた、斑の一族が一人ずつ、計四人。
あと一人は?
「貴女がレインリリィ様で間違いないですね?」
その声は、屋上に鋭く通った。
五人が素早く振り返れば、主婦会所有リフトの滑車部分に一人の女性が立っている。
マフラーと黒い長髪、整った顔立ち………。
「お初にお目にかかります。
此度、河の国王家より、レインリリィ様の確保を依頼されたイブキと申します」
笑う、笑う。柔らかな、有無を言わさない圧。
「どうか、ご抵抗無きよう」
斑の一族、その五人目が、オオバコ達の前に姿を現した。
どっちの方向に逃げるか、という点でアシタバとローレンティアは少し争うことになる。
斑の一族ヒバをキリに預け、ナラから逃げる形になった彼女達だが、本来の目的と言えば工匠街の職人達の撤退支援だ。
ローレンティアとしてはこのままナラを引きつけて、西の鉄の国の兵団に突っ込み無理やり三つ巴の形にする。
アシタバとしては、西の戦線はメローネに任せて魔王城に撤退するべき。
決め手となったのはセレスティアルの存在だ。
ローレンティアは、魔王城へ退避することを呑む。
一方、魔王城北側。
仰向けのラカンカの上で、十数の刃の衝突が起こる。
片方、鉄の国王子レッドモラードとその側近三人。
対するは【凱旋】のツワブキと【黒騎士】ライラック。
競り合いで負けたのはレッドモラード側だ。
彼らが思わず後退すると、エミリアがラカンカを素早く回収する。
「ユズリハぁ!!来客サン方とラカンカ連れて城内に入れ!」
怒号に近いツワブキの叫び。
秘書ユズリハは真剣な顔で頷くと、橋の国王子セトクレアセア、河の国貴族モントリオ含む晩餐会参加者を城内へと収容していく。
「んで、俺はテメーの相手だ」
冷めた目で相手を射抜く。流石のレッドモラードも認めざるを得なかった。
勇者と並び称賛される五英雄の最長齢、この時代の人類の頂点の1つ。
数多の冒険と死線を潜り抜け鍛えられた、【凱旋】と呼ばれる探検家の気迫を。
「………やはり惜しいな。その風格。その雄姿。もはや部下になれなどとは言わん。
魔王城でのダンジョン探検も好きにするがいい。どうだツワブキ、俺と組む気はないか」
「お前と組んで何が楽しいんだ」
その言葉が、魔王城で初めてレッドモラードを呑んだ。
ツワブキの接待用の陽気さは遥か遠く、冷めた、見下げた目があった。
「俺は言ったよな?ドがつくほどの冒険馬鹿だと。
お前は言ったな?グリーンピースの奴をつまらんとは思わんかと。お前の何が面白いんだよ」
探検家界で最も政治的な人物、の看板はもはやない。
彼の本来の激情家気質、剥き出しの怒り。
「言ってみろ。てめぇの何が俺を楽しませると思ってる」
烈火。ツワブキが力に任せて斧を振るい、その猛攻にレッドモラード達は揺さぶられる。
英雄ツワブキの戦闘的な異人っぷりを挙げるなら、それは経験に基づく勘と、死線を見据えた上で呑みこむ度胸だ。
「……流石、だツワブキ。気迫だけでここまで俺達を押すとは」
一閃。ツワブキの右肩から血が吹き出る。
晩餐会が戦場に急転した際、最初に腕を切られたのがツワブキだった。
獲物も装飾品のナマクラだ。力は存分に振るえていない。
追撃の刃をライラックが素早く跳ねのけ、ツワブキに距離を取らせる。
片や、剣を構えるレッドモラードは既に王族たる威厳を取り戻していた。
「誉れ高き英雄達よ。個としてのそなたらの完成度は認めよう。
だが結局戦場とはどういう形を作るかだ」
魔王城の四方から進軍する鉄の国の兵団。この魔王城北側の戦局。
レッドモラードの張った戦線は広く、決壊をさせないためには戦力がいる。
「そりゃあ将の意見だな」
肩を押さえながらも、ツワブキはここにあって余裕だ。
そう、彼にとっては地下二階、迷宮蜘蛛相手に失態を犯したことと変わらない。
「対応力の高さが探検家の売りでね」
後の先を取ること。彼だけではない。
この魔王城で、彼と肩を並べ、背中を見続けてきた者達も。
「大人しくレインリリィ様を引き渡してください。
そうすれば、以降危害は加えません。刃向かうのなら殺します。
逃げるのなら脚を怪我している方達を殺します」
魔王城屋上。イブキの冷たい声がオオバコ達を呑む。
彼女が斑の一族ということを知らずとも、その殺気は全員が理解できた。
突き付けられる死の感触。重たい沈黙に沈む。
一人動き、リリィの前に立ったのはズミだった。
彼だけが今、屋上で戦える唯一の人物。
「………リリィ連れて逃げろよ、ズミ」
オオバコが諦めたように言う。分かる。ズミはそれをしない。
彼もどこか、アシタバと似た危うさを抱えていることをオオバコは理解していた。
だから一人で斑の一族へと立ち向かう。明らかな死地。無理だ。
世界最強の暗殺集団の一人、ローレンティアやキリ達が何とか相手取っているとはいえ、一般団員が巻き込まれれば死は逃れようがない。
だからこそツワブキは、それに対応するべく動いていた。
十四の思惑の内の一つ、【凱旋】のツワブキが見ていたものは、ローレンティアと斑の一族の戦いを助けることではなく、それが飛び火しないよう手を打っておくことだった。
ツワブキはローレンティア達を信じた。
だからこそ、彼女達が御しきれない余波の処理を二人の男に依頼した。
「―――ズミ、下がってろ。後衛めでフォローを頼む」
必要だったのは、戦場での対応力と斑の一族に匹敵する強さ。
イブキと反対側の階段からその声は響いた。
【刻剣】のトウガが、屋上に姿を現す。
「レインリリィ様、最近風邪気味なんだってよ」
「そうなんですか」
「お大事にして欲しいもんだぜ。モントリオ様の一人娘なんだし」
「そうですね」
「なんでぇ、冷たいじゃねぇか。ズミ、お前幼馴染なんだろ」
同じ門番係の先輩は、純粋に顔を覗きこんでくる。
冷たいのだろうか。思ったより感情は動かない。けれどズミの中で何かが燻っていた。
幼馴染だ。だからと言って思い入れがあるとは言えない。
俯瞰的に言うならば、この時のリリィは人形たる教育を施され終わった後で、遠い高嶺の花だ。
父は味方になってくれと言った。
その言葉を何度か、反芻するが。
それが、館で生まれ育ったズミが全てを投げ打つことを決心させるには至らない。
と、思っていた。
夜の見回り、モントリオの動向を伺った帰り。
ズミは館の曲がり角で、ひそひそという話し声を聞いた。
「お嬢様、いけません………」
「いいの」
思わず息を殺し、角から声の方を確認すると、リリィが彼女の侍女へ何か紙袋を渡していた。
「お母様、具合が悪いのでしょう?良い薬だと聞いたわ。使って?」
「しかし、これはお嬢様の分の………」
「いいの。本当は具合なんて悪くないの」
色素の薄い、儚い笑みだった。けれど。
けれどズミは決意する。
このままでは、彼女の先は兵器としてしかない。
人としての幸せは遠いかもしれないし、それは寿命を削っていくものかもしれない。
幼い頃に花畑で笑っていたリリィの顔を思い出したような気がする。
数日後の夜。
薬を受け取った侍女の手を借り、リリィの部屋の窓辺にズミは姿を現した。
「リリィ。ここから逃げよう」
鉄の国レッドモラードが仕掛けた魔王城征服戦。
【刻剣】のトウガとしても居所に困る局面だった。
四方から迫る鉄の国の兵団、魔王城北側の戦線。
ローレンティア達について斑の一族と戦うことも考えた。
だが結局、トウガのバランス感覚が判断したのは屋上だった。
斑の一族の集合からキリとイチョウの戦いまで見届け、彼らを観察していたトウガは、司令塔的立ち位置であるイブキをマークするべきだと判断した。
「いいんですか?英雄程の人物が、こんな状況でこんなところにいて」
イブキが笑う。屋上より下、各所で巻き起こる騒乱を背景に、彼女はするりとナイフを取りだした。
瞬きの合間にトウガとの距離は消え、首元に打ち込まれていた刃をトウガの大剣が受ける。
「いいさ。ここの奴らはそんなにやわじゃない」
トウガは戦場を俯瞰する。
最強の傭兵団を率いたその天啓に応える狼煙達を、トウガは確かに感じ取っていた。
―――――魔王城西。
鉄の国の兵団を迎え撃つのは、大魔道士メローネだ。
火の雷が終われば次は、竜巻を起こし敵兵を蹴散らしていく。
勇者一行において、真に魔王軍を相手取ったのは彼女と言える。
遠距離、広範囲型の自由自在の魔法が、兵団を完全に抑えていた。
―――――魔王城北。
「な、なんなのよアイツら!!」
と叫ぶのは、キリに縄で縛られた斑の一族イチョウだ。
彼女の横たわる枯れ木林、その向こうに鉄の国兵団が姿を見せていた。
「やれやれ、お前は銀の団ってわけじゃなさそうだが」
身動きの取れないイチョウの横に立つのは、鋭い眼光と笑う口元、勇者一行、大司祭オラージュ。
「放っておいても犯されるだけだしな。どれ、助けてはやろう」
は?とイチョウが言う前に、オラージュは強く前へ駆け出す。
オラージュと鉄の国兵団の戦いもまた、始まった。
―――――魔王城東。
かつて寄宿舎が建っていた平野に、数台の馬車が横倒しになっている。
車輪が両断され、もう進むこともままならない。
ラカンカ達の元へ突撃していったものと同じ、鉄の国の部隊。
切ったのは、【蒼剣】のグラジオラス。
状況的な判断としては最適だった。魔王城に向かう敵の部隊を、少しでも減らす。
だがそれが、グラジオラスにとって最善だったかどうかは別の話になる。
横転した馬車から20から30の、鉄の国の屈強な兵士達が湧き出てくる。
「……………………」
グラジオラスが静かに、剣を構える。
―――――魔王城南。
「ホラ、見てみろ!あの兵士達!!あの柄の悪そうな顔!!
きっと俺達の畑を荒らしに来たんだ!畑ドロボーだ!!!」
セリの弟ハコベラは、南方の方角を指差して叫ぶ。
開けた土地、かつて畑だった場所を踏み進軍する鉄の国の兵士達。
「よく教えてくれた。後は俺がやる」
ハコベラの頭をぽんと叩き、男が腰の剣を抜く。
「え?いや、人を呼んでくるよ――ー」
「俺一人でいい」
かつてそう在り続けたように、勇者リンゴはその敵軍へと歩を進めていく。
「これは俺の役目なんだよ」
「キリ、お前、どうしてこんなことをやっているんだ?」
工房街。炎により倒壊した工房の瓦礫の上で、斑の一族、ヒバとキリが素早く切り合う。
「お前は何だ、キリ。
王女の味方なんかして、騎士にでもなったつもりか」
キリは答えない。余裕がなかった。
ヒバは、斑の一族の若手の中では一番の手練れだ。
手合わせではキリも一度も勝ったことがない。
「イチョウは正しい。俺達は道具だ。
何かを考えたり、善悪に苛まれたり、ましてや何かを守ることなんかには向いていない。
殺しの道具としてあるべく育てられた。俺達はそのために生みだされたんだ」
「あなたはどうしてその子を庇うのです」
同刻、魔王城屋上。
トウガと切り合いながらイブキは同じように、リリィの前に立つズミに問いかける。
「徒花として、兵器として生まれた。兵器として育てられた。
自らの役目を果たす。それだけのことでしょう。何か不自然がありますか?」
それは殺しの道具として育てられたイブキの、本心からの純粋な意見だ。
「………我慢がならないからだよ」
イブキを睨む。ズミの静かな怒り。何に憤っているのか?
ズミはそれが、上手く纏められない。
病気の母を持つ侍女を思いやり薬を分ける、そんなリリィが兵器扱いされて。
兵器として生まれた、兵器として育てられた、だの。
彼女の未来の平穏を約束するものだと思っていた、河の国の王族との婚姻は兵器の輸出で。
自分を生んで間もなく死んだと聞かされている母親も、きっと同じような扱いを受けていて。
それでも父は、母を愛して。
きっと守るべき純粋が、容易く踏み躙られていて。
応えられるべき父の誠意は、密かに抱えていた葛藤は、ないがしろにされたままだ。
父がどんな思いで母を愛したのか。
父がどんな思いでモントリオに尽くしたのか。
父がどんな思いで、レインリリィを見ていたのか。
「報われるべきは報われる。そうじゃなきゃ僕は、許せない」
それが、タマモ班ズミの信じる条理だ。
きっかけは庇護欲に近い。正しき純粋を守るための行動。
けれど魔王城に来て、リリィが生きるという決意を固め、人形をやめてからは。
より強く護りたいと思った。惹かれたんだ。
「許せないから抗うんだ。自由を、純粋を、誠意を、尊厳を。
踏み躙ろうとするなら僕は、それを守るために戦う」
「私は道具として生まれたわけじゃない」
ナイフの鍔迫り合いをしながら、キリはヒバを否定する。
母を思い出す。斑の一族の里にあって、彼らの価値観に流されず正しきを訴え続けたあの姿を。
「そして私にもあなたにもあるのよ。自由な権利が」
だから選ぶ。だから戦う。自らの信じるものを掴むために。守るために。
「言うだけなら戯言だ」
「だから、あなたを倒すの」
キリとヒバの刃が一閃、激しくぶつかり合う。
十章二十二話 『二日目:応えられるべきものたち』