十章十八話 『二日目:加速する夜(前)』
森の国の深い森を、一人の盗賊が走っていた。
【月夜】のラカンカ。
その名は既に国を超えて知れ渡っており、今や旅の吟遊詩人の定番の1つにさえなっている。
月夜に音もなく貴族の館に忍び込み、食糧や宝石を鮮やかに盗んでは颯爽と夜の闇に溶けていく。
けれどその時ばかりは、逃げ惑うラカンカに華麗さなど微塵もなかった。
そう、逃げていた。
一息つこうと樹の幹に隠れれば、その頬のすぐそばを矢が掠めていく。
「こっわぁ!!」
ラカンカにとって初めての経験だった。
どれだけ逃げても見失わず、追ってくる。
どれだけ隠れても僅かな痕跡から、探しだしてくる。
何よりあの矢だ。とても避けにくい。
と言うよりは、次の行動が酷く限定される個所へ撃ってくる。詰めてくる。
幹の陰からそっと矢の飛んできた方を見たラカンカは、ようやくその追手の姿を目に捉えた。
少女。といってもラカンカと同い年くらい。
民族的な髪飾りと衣装、金の髪を後ろで束ねている。
追跡技術とその弓の扱いから、彼女は間違いなく狩人だった。
「………あんなのに俺がしてやられていたのかよ」
森の国の貴族の館に忍び込んで、盗んできた宝石を入れた革袋は、追いかけっこの中で落としてしまった。
矢を構え直した彼女がまた動きだし、息を整えたラカンカもまた逃走を再開する。
逃げ、逃げ、逃げ………彼は森の中にあった崖に追い込まれることとなる。
「この俺が、方向を誘導されていたぁ?」
それは彼女の鹿の追い込み方そのものだった。
ラカンカは逡巡する。ワイヤーを使えば崖を降りられなくもない。
下は急流だが、絶対死とは限らない。
が。
降りたり水流を流れる自分を、相手は的確に射ぬけるのだろうとラカンカは理解した。
狩人の彼女は追い込まれたラカンカの正面に立ち、ようやく初めて二人は向かい合ってお互いの顔を見合った。
「………ラハ族、ザラストロの子、エミリアだ。
大人しく投降すれば、貴殿に危害は加えない」
ラカンカは大人しく、両手を挙げる。
それが【月夜】のラカンカの物語の終わりであり……。
彼と、やがての【月落し】のエミリアの出会いになる。
現在。燃える馬車、燃える館…………。
そして南側の遠くから鉄の国の兵士達がやってくることを確認したラカンカは、静かに動き出した。
「待てラカンカ。どこへ行く」
お目付役のエミリアはその動きを逃さない。
ラカンカは歩みを止め、気だるそうにゆっくりと振り向きエミリアを睨んだ。
「この状況下で何もしねぇわけにはいかねぇだろう。
俺は、俺にできる形で銀の団に協力するまでだ」
「…………………」
聞こえはいい。が、その顔は仲間を心配するといった顔とは遠い。怒りと、復讐心。
「俺の愛しい故郷が迷惑かけてるみたいだからよ……。
身内の恥は、身内で正さなきゃなぁ……?」
睨む。暗きより刺すその眼差しを、エミリアは退かないよう、力を込めて受け止める。
「………ラカンカ。お前を捕まえてから、形はどうあれ私はお前を見てきた。
その私の言葉をどうか聞いて欲しい。お前はここにいるべきだ。
ここでの時間が、きっとお前を良い方へ導く。
だからどうか………ここにいられなくなるような事を、しないでくれ」
気まずい沈黙。
ラカンカは睨み続け。エミリアは、見守り続けた。
「ったく、今どうなってやがんだぁ!?」
燃える館を取り囲んでいた兵士達は、既に地面に倒れ切っていた。
戦闘を終えたツワブキ達は、改めて魔王城の方を見る。
暗い夜の中、魔王城の北側で火の手が上がっているのは確認できた。
「………東西南北から、鉄の国の小隊が進軍しているらしい」
魔王城四階のジンダイとハンドサインでやり取りをしていたライラックが報告する。
「なんだそりゃ。くっそ、一所じゃねぇのか」
「どうする、ツワブキ」
頭を掻くツワブキと、その顔を伺うライラック。
ローレンティアは二人を、無表情にじっと見ていた。
「………いいんですよ、ローレンティア様」
振り向く。ユズリハとアシタバに肩を貸された、弱々しいエリスの姿があった。
「私のことは、お気になさらず」
「でも…………」
「私なら、ユズリハやスターアニスが看てくれますから」
スターアニス、とローレンティアは、セトクレアセアの隣、こちらを心配そうに見ていた使用人に目を止める。
「………ローレンティア様がお許しになるのであればこのスターアニス、一命に代えてもエリスをお守り致します。
ツワブキ様やメローネ様や、証人資格のある第三者の前で誓っても構いません」
「………いえ。信じるわ」
無表情のままこちらを観察するセトクレアセアの視線には気付かず、ローレンティアはツワブキ達の方へ向き直る。
「団員を守ることを優先しましょう」
ローレンティアの割り込みに、ツワブキとライラックは言葉を止めた。
団に危機が迫った今、ハルピュイア迎撃戦で鐘に昇った時と同じ、あの澄んだ顔。
「要所は3つ。魔王城と、工匠街、貴族区。
今、団員達が集まっているのはその三点でしょう。
ツワブキさん、ライラックさん、視察の方々を警護しつつ魔王城へ向かい、中へ避難させて下さい。お願いします」
「………お姫さんはどうするんだ?」
「私は工房街へ向かいます。恐らく殿が必要になるでしょう。私が適任です」
改めてツワブキは感心する。
気取る気はないが、暗黒時代の五英雄と呼ばれた二人に、この異常事態でよくそこまで冷静にものが言える。
「では、私も向かいますわ」
立候補したのは月の国宰相、メローネだ。
「………メローネさん?」
「ツワブキさんは、団長様だけですと心配でしょう。敵の攻撃を防げても倒せはしないのですから。
でしたら私がその不足を補います。ただし警護上、セレスティアル様も一緒に行きますがね」
メローネの周りで風が渦巻く。勇者一行、当代最高峰の魔道士だ。文句はない。
セレスティアル王女も彼女なら守るだろう。
「それじゃあ私は一人で貴族区の方へ向かう」
オラージュもそれに続いた。
「それぞれの館内にいる円卓会議参加者とその使用人の心配だな?
屋内にいるかどうかは私の探知で洗っていった方が早い。
それよか、北から来る敵を蹴散らした方が効率的かもしれないが」
と、オラージュはその鋭い目をモントリオに向ける。
「正直、モントリオ卿には色々聞きたいこともあるし、閉じ込めてきた工房街の職人達も心配なのだがな。
その辺はメローネが何とかしてくれるだろう」
モントリオは彼の娘の秘密が露呈したことを察したのか、少し青い顔で俯く。
「決まりにしよう。事態が事態だ。残りのメンバーは俺についてこい。急ぐぞ」
こうして、メンバーは散る。
ローレンティア、アシタバと月の国のセレスティアル王女、メローネは魔王城西側、工房街へ。
大司祭オラージュは魔王城北側、貴族区へ。
そして使用人も含めた残りは【凱旋】のツワブキ、【黒騎士】ライラック、【蒼剣】のグラジオラスを先頭に魔王城へと向かう。
「ユズリハ!」
分かれる直前、アシタバはユズリハに声を掛けた。
「はい、何か!?」
「分かっていると思うが、魔王城についたらナツメさんかギボシさんを探してエリスさんを看てもらってくれ。工房街の方でも探してみる。
それからもう1つ………ラカンカかスズシロを探して、俺の頼みを伝えて欲しい」
馬車から鉄の国の兵士達が湧きでてきた、魔王城北側のその後はどうなったかと言えば………。
爆弾祭りだった。
「ホラ!ホラホラホラ!!タチバナさん、じゃんじゃん援護するっすよ!!
どんどん行っちゃってください!!」
「滅茶苦茶やりにくいんだが!!」
パッシフローラがぽいぽいと爆弾を投げ、それがそこら中で爆発する中で、タチバナは鉄の国の兵士達を相手していた。
正直なんでふざけた奴だ、とタチバナは思わずにはいられなかったが、この重爆撃は前衛の人数差をごまかす意味合いだけでなく。
「なんだ、どうしたタチバナ!!こりゃあ何の騒ぎだ!!」
と、騒ぎを聞きつけたタマモとモロコシが駆け付けてくる。
「無事か!タチバナ!!」
魔王城からは、一階を通り抜ける形で南からストライガと、レオノティスがやってきた。
敵攻撃、兼、救援要請、兼、避難警報。
「慣れてるな」
タチバナが褒め、パッシフローラはにやりと笑う。
「そろそろ爆弾の数は減らすんで、後はよろしくっす!」
「と、言われても」
タチバナは困る。
自分も兵二人を相手取るのがやっと、タマモやモロコシはもっと苦戦するだろう。
頭数は増えたが、劇的に状況が変わったわけではない。
「だーいじょうぶっすよ。ウチの班長は強いんで」
とパッシフローラが言った瞬間、鉄の国の兵士が二人、宙を舞う。
ストライガの持つ長刀、その一閃が二人共を吹き飛ばしたのだ。
流石、五英雄バルカロールの腹心………。
という理由であれは納得できるのか?とタチバナは首を捻ったが、ともかく。
魔王城北側の戦局は、何とか拮抗状態にまで持ち直した。
と、思った瞬間。
戦局の端、その重い剣は振り下ろされる。
それを受け止めたタマモの剣は真っ二つに割れ、肩と腿に浅い傷を負った。
「―――タマモ!!」
すかさずモロコシが助太刀に入り、相手に構える。
鉄の国王子、レッドモラード。
「気勢に欠けるな、同士諸君。
ここはとっとと終わらして城の方に取り掛かるぞ」
戦場において、カリスマと呼ばれるべきものを持っている。
武の国、鉄の国の王族が、タチバナ達を睨んでいた。
十章十八話 『二日目:加速する夜(前)』