第七話・猫人族のミミ
「……眩しい、知らない天井がない」
意識を取り戻した俺の眼に入ってきたのは、雲一つない青空だった
周りの様子を確認するために上体を起こそうとすると、全身に激痛が走る。
「痛っ!」
「あ! 気が付きましたか。無理して動いたらダメですよ」
顔だけ動かして見えたその先には、一人の少女が座っていた。
革のベストにショートパンツを着ている出で立ちは、軽装の女性冒険者といったところだろうか。そして彼女の茶色い癖のある髪の毛の間から、動物の様な耳が生えていた。
猫耳の獣人だ。しかも俺の待ち望んでいた猫人族。
ピコピコと頭の上で動く猫耳がとても愛くるしい。触りたい、撫でたい、もふもふしたい。
興奮して手を伸ばしそうになる自分を制して、まずは状況の確認をしないといけない事に気が付く。
「き、君が俺を助けてくれたのか」
痛みを我慢しながら体を起こして、彼女と向き合う。
崖から落ちた後の記憶はないが、こうして生きているという事は、彼女が助けてくれたのだろう。
「は、はい、そうです。薬草を集めるのに川の近くを歩いていたら、あなたが流れてきて……」
崖の下がたまたま川で、たまたま上手く流れついて、たまたま彼女が通りかかったのか。
我ながら幸運というか何というか。
「そうだったのか、助けてくれてありがとう。俺の名前はユート。本当なら何か礼をしたいところだが……あいにく一文無しでね」
しかし彼女が助けてくれたことは間違えないので、しっかりと礼をする。
本当であれば言葉だけではすませたくないが、オーガに追われている最中に食料や路銀の入った袋は落としてしまった。
命の危機だから仕方がないとはいえ、前途多難である。
「たまたま近くを通っただけなので、お礼なんて大丈夫ですよ。それに怪我の治療も満足にできなくて、逆に申し訳ないです。あっ、私の名前はミミって言います。宜しくお願いします」
わたわたと手を振りながらミミが答え、ぺこりとお辞儀をする。
自分の体を確認すると、右腕に添え木が当てられて包帯で巻かれている。
周囲にはビンが散乱しており、おそらく治癒のポ―ションを使って治療をしてくれたのだろう。
ポ―ションは怪我を治す薬だが、骨折の様な大けがの場合は中々治らない。
あくまでも自然治癒力を高めているだけの代物だ。
「いや、それでも助かったよ。それに怪我なら問題ない」
「それってどういう…」
「全ての生命の源たる光の精霊よ、癒しの力を与えたまえ。ハイヒール!」
彼女の疑問に答えるように俺は魔法を唱えた。
淡い光に包まれた右腕から、瞬く間に痛みが引いていく。
包帯と添え木を外して動かしてみたが、全く問題はない。
「ふぇ……ふぇえええ!それって上位の治癒魔法じゃないですか。もしかしてユートさんは神官様ですか」
神官とは光神教会に所属している聖職者の事だ。
治癒魔法の使い手は少なく、上位の治癒魔法の使い手ともなれば、教会での出世は約束されたようなもので、治癒魔法イコール神官というイメージがあるのだろう。
「いや、俺は神官じゃないよ。」
「ふえー、そしたら私と同じ冒険者ですか。実は有名な人だったりします?」
確かに勇者で魔王だからある意味有名だけど、そんな事は流石に言えない。
「冒険者でも……いや、冒険者はアリだな。うん、冒険者になろうと思っていてね。まだ無名だけど、いつかは有名になるかもね」
冒険者という選択肢は悪くない。先程はオーガに不覚を取ったけど、あれは俺の経験不足によるものだ。
もう少しランクの低い魔物で戦いに慣れていけば、何とでもなる……と思う。ついでにお金も稼げて、正に一石二鳥の選択と言えるだろう。
「へー、そんなに凄い治癒魔法の使い手なら、きっとパーティに引っ張りだこですね。羨ましいです!」
ミミが目を輝かせてこちらを見つめている。こうしてじっくりと観察していると、ミミはとても可愛い。
くりくりとした大きな瞳に、癖が強いのか所々跳ねている茶色いショートヘアー。頭の上にある猫耳も相まって、かなり保護欲をそそられる。
「ミミ、助けてもらってこんなお願いをするのも図々しいかもしれないが、俺が治癒魔法を使えることは、他に人に内緒にして欲しい。理由も聞かないでくれると助かる」
「は、はい、わかりました。人それぞれ理由がありますよね。ちょっともったいないと思いますけど、内緒にします。お口チャックです。」
口に手をあてながら、ミミはそう答えた。
治癒魔法は本来聖職者が身に着ける魔法で、大抵は神官だ。
俺はどう見ても神官には見えない。そんな奴が治癒魔法を使えるなんて、余計なトラブルを招くだけだろう。旅に出て早々、面倒に巻き込まれるのはごめんだ。
「後、お願いついでに近くの街の場所を教えてくれないかな。流されたせいで場所もわからなくて」
「あの……もし宜しければ私が案内しますよ。デパールの街という名前ですけど、そこでも大丈夫ですか?」
デパールの街、確かフランドール王国の西北端にある街だ。光の加護のおかげか、勉強して覚えたことはすぐに思い出せる。
「ああ、それで構わない、本当に重ね重ねありがとう」
俺はミミに向かって頭を下げる。見ず知らずの人間にここまで良くしてくれるなんて、ありがたい事だ。
裏がある場合も考えなくてはいけないが、ミミは俺の事は何も知らないのだから問題はない……と思う。
「いえいえ、頭を上げてください。そこまでお礼を言われるような事はしてないですにゃ」
にゃ?
「にゃ?」
思わず聞き返してしまった。猫耳に飽き足らず、まさか語尾までとは。
そんな古典的なキャラ、嫌いじゃないです。
「あぁ、これはにゃんでも、なんでもにゃいんですー」
そういうとミミは赤くなった顔を手で押さえて俯いてしまう。
「あの……私、ちょっと興奮したり慌てたりすると、言葉が変になっちゃって。恥ずかしいからなるべく……その……出さない様にしていますけど……やっぱりたまに出ちゃって……」
猫耳な時点でもしかしたらと思っていたけど、頑張って我慢していたのか。
「いや、変じゃないよ。俺は……可愛いと思うよ」
偽りのない本心だ。むしろ常にそうしてくれないかな。
「あ…あう。ありがとうございますにゃ……」
異世界で初めて会った獣人は、あざといくらいツボを押さえた猫耳娘だった。
そうして俺はミミを伴ってデパールの街に向かう事にしたのだが、所持金がゼロなのは問題だ。
街に入る場合、門を警備する兵士から入門許可証を受け取るのだが、その際にお金がかかる。
いわゆる入門税というやつで、そこまで高くは無いのだが今の俺に払う金はない。
また、街に入れたとしても宿屋にも泊まれないので、再びミミから助けてもらうしかない。
しかし、どうみても俺より年下で、まだ十二歳か十三歳くらいの幼気な少女にそこまでお世話になるのは、男としてとてもマズイ。
「お、ミミ。この草は薬草じゃないか」
俺はその場に生えている草を取り、ミミに見せる
「ユートさん……それは毒草です」
「あ、なんかスミマセン」
どうにかお金を工面しようと、ミミの薬草採取を手伝う事にしたのだが、草の見分けがかなり難しい。
数多くの小説の主人公たちは楽々こなしていたように思えたのだが、一口に薬草といっても種類は多いし、似ている草だらけで実にややこしい。
日本でも山菜取りをした人が、毒草や毒キノコを誤って食べて亡くなる事があるくらいだ。
素人が自生している物に手を出すのは、非常に危険なのだ。
「ユートさん、薬草は私が探しますから周囲の警戒を……」
少し呆れたようにミミが言いかけた時に、俺たちの目の前に小さな影が飛び出してきた。
「こいつらは……ゴブリンか!いち、にい、さん……全部で五匹だな」
俺は腰にさしていたダガーを構える。
身長八十センチほどのゴブリンは、魔物の中でも最下位クラスに弱い。
今回のように群れていると少々厄介だが、単独の場合は頑張れば簡単に倒すことが出来る……らしい。
「ゴ、ゴブリン……それくらいなら私だって……」
ゴブリンを警戒しながらチラリと横目で伺うと、ミミのショートソードを持つ手が震え、表情もどこか固い。
「ミミ、魔物と戦ったことはあるのか」
冒険者をしていてまさかとは思うが、念のため聞いてみる。
「にゃ、じ、実は、冒険者になったばかりで、魔物と戦うのは初めてで……ご、ごめんなさいですにゃ」
これはまずい。そう考えていられたのも束の間、ゴブリン達が躍りかかってきた。
「遅い!」
思わず口に出してしまうほど、ゴブリン達の動きは緩慢で、手に取るようにわかる。
前傾姿勢で突出しているゴブリンの懐に入り込み、その首元を一閃する。
そして突然の反撃に驚いたのか、わずかに足を止めたゴブリン達に狙いを定める。
「これで二匹目……三匹目」
二匹目も同じく首元を切り付け、三匹目はダガーを胸元に突きさす。
「アーススパイク!」
無詠唱での土魔法を放ち、残りの二匹を始末する。
モズの早贄の様に、地面から生えてきた棘に刺されたゴブリンは、僅かに痙攣してからその動きを止めた。
「……ふう、なんとかなったな」
やや緊張したとはいえ、オーガの後のゴブリンは全く問題がなかった。
強いてあげるならば、魔法に魔力を込めすぎた事くらいか。
それに、思っていたよりもすんなりと魔物を殺すことが出来た。
「す、す、凄いです!ユートさん凄すぎます!治癒魔法だけじゃなくて土魔法も……しかも無詠唱で魔法を打つにゃんて……。それに動きも全然見えなかったです。びゅーっと飛び出してばばーってゴブリンが倒れて。本当に凄いですにゃ」
「あ、うん、ありがとう。とりあえず少し落ち着こうか」
にゃーにゃー言いながら興奮しているミミを落ち着かせる。
尻尾を大きくゆっくりと振っているその姿は、本当に猫みたいだ。
「あぅ、ごめんなさい。つい興奮しちゃって」
猫耳がペタンと折り曲がり、尻尾がダランと下がる。
俺を萌え殺す気かと思える仕草だが、落ち着け、落ち着くんだ俺。
「いや、謝るほどじゃないから大丈夫だよ、それよりもこのゴブリン達はどうしようか。解体すればいいのかな」
死屍累々といった状態のゴブリン達。血の匂いが鼻にこびり付いてくる。
ミミを見て和んだ心が、一気にブルーになる。
「解体なら任せてください! 戦いは初めてだけど、解体なら何度かしたことがあるので、私が魔石を取り出します」
魔石とは魔物の中にある、魔力の塊のようなものだ。
人間で例えるならば心臓にあたり、魔道具を動かすための燃料の役割がある。
魔道具の技術の発展と共に人の生活は豊かになっていく。
いつしか、この世界の人間の生活に欠かせないものとなり、自然と魔石の価値も上がっていったらしい。
魔物を狩る冒険者という職業もそうした事情から生まれたのだ。
「それなら俺も手伝うよ、冒険者になるなら解体の仕方も覚えないといけないからな」
「では、お手伝いお願いします」
笑顔でミミが答えた。
異世界での初めての共同作業は、とても血なまぐさい内容だった。
「そういえばゴブリンの魔石の値段と、街の入門税ってどれくらいになるんだ」
解体を終えて川で血を落としながら、隣にいるミミに声をかけた。
「そうですね……ゴブリンの魔石は大きさも純度も低いので、銅貨五十枚くらいです。入門税は銀貨一枚ですね。」
五匹で銀貨二枚半か。とりあえず街には入れるな。
「ミミ、魔石は全部譲るから、入門税だけ払ってくれないか」
折半すると銀貨一枚と銅貨二十五枚、端数はお世話になったミミへのお礼だ。
「にゃ、それだとユートさんが損しますよ。それにゴブリンを倒したのはユートさんです。魔石を貰うなら銀貨二枚と銅貨五十枚をきちんとお渡しします」
「ミミは命の恩人だ。正直少なすぎて恥ずかしいくらいだが、俺のせいで薬草集めも中断させていたみたいだし、これくらいは受け取ってくれ」
俺の意識が戻るまでミミは近くで待っていた。その時間がなければ、もっと薬草を集められていただろう
「でもさっきのゴブリンは私ひとりじゃ倒せませんでした。ユートさんがいなかったら死んでいたかもしれません。私がユートさんの命の恩人なら、ユートさんは私の命の恩人です」
真っ直ぐとこちらを見つめて言い切られてしまった。このままじゃ平行線になりそうだ。
「わかった。そしたらお互いさまという事で、配分については街についてから決めよう。そろそろ日も落ちかけてきたことだし、まずは街に向かわないか」
話は後回しにして、とりあえず街に向かうべきだ。
夜になると、夜行性の魔物がうろつき始めてかなり厄介な事になるだろう。
「……そうですね、まずは街に向かいましょう。でも、魔石はユートさんのものですからね」
ミミは意外と頑固なようだ。