第四話・人間と魔族
王城を出てどれほどの時間が経っただろうか、俺たちは薄暗い森の中にいた。
いつの間にか天気が移り変わり、森の中には雨音が鳴り響いている。
こうやって周りの様子がわかるくらいまで、少しは俺の心も落ち着いたみたいだ。
「そろそろ降ろしてくれないか」
いつまでも抱えられているのは恥ずかしいので、俺は魔王に声をかけた。
魔王の着ているドレスが肌に張り付いて、脚線美がはっきりとわかるようになっている。
いくら落ち込んでいても男の性、ついつい目がいってしまうのは仕方がないだろう。正直エロい。
「ようやく我を取り戻しおったか。妾の肢体が魅力的過ぎて、正気に戻ったのか?」
からかう様な魔王の言葉は俺の心を幾分か軽くした。こういう時はくだらない冗談がありがたい。
「まぁそんなところだ、とにかく降ろしてくれ」
改めて言うと魔王はそっと俺を降ろしてくれた。
「まずは命を助けてくれた礼を言う。本当にありがとう、魔王」
俺は深く頭を下げる。魔王がいなければ、死ぬか奴隷になるところだった。
「例には及ばん。妾は妾の都合でお主を連れ出しただけじゃ。それと……妾の事はベアトでよい。名前で呼ばれる方が好きじゃ」
「それでも礼を言わせてくれ、ありがとうベアト」
魔王改めベアトにもう一度頭を下げる。
「ふむ……恩義を感じるのであれば、素直に礼を受け取っておこうかのう。ついでにお主が魔王になるのであれば言う事なしなんじゃが」
すっかり忘れていたけど、俺を魔王にするって言っていたよな。
「ベアト、なぜそこまで俺を魔王にしようとするんだ。人間で、しかも勇者の俺を」
「何故……か、一言で表すのは少々難しいのう。それでも敢えて言うのであれば、お前の為じゃ、勇者ユートよ」
俺の為……やはり意味がわからない。勇者である俺が魔王になるメリットがどこにある。
「その顔じゃと解せぬようじゃな。ふむ、例えばお主を召喚した王女共、あいつらの為にこれからも勇者として尽くすことはできるのか?」
「そんな事、出来る訳がないだろう。あいつらは俺を奴隷にしようとしたんだぞ。自分たちの都合で呼び出して、戦争の道具にしようとして……それにアンも止めてくれなかった……」
俺に見せていた顔は全くの別人だった。そう思うと胸が苦しくなる。
「そう、あのように人間と言うのはどこまでも利己的な生き物じゃ。勇者なんぞ、いいように使われるだけの存在じゃ。お主はそんな人間どもが憎くはないか? 復讐をしたいとは思わんか? 魔王の力を手にすれば、妾の様に魔眼で相手の自由を奪う事も出来るぞ。勇者の力と合わせれば、誰もお主には逆らえん」
復讐……俺を騙した奴らだ。確かに憎くないと言えば嘘になる。でも……。
「それでも、俺は復讐しようとは思わないよ。確かにアン達は俺を利用しようとしていた。でも、俺はこうして助かっている。ならそれでいいじゃないか」
「ふん、稀にみるお人好しか、寧ろ阿呆と言ってもよいくらいじゃ。まだあの王女に未練でもあるのか?」
お人好し、確かにそうだと思う。アンへの未練も当然ある。自分が好きになった相手をそう簡単に嫌いにはなれない。心のどこかで、まだ信じたいと思っている自分がいる。
理屈ではありえないとわかっている、でも気持ちがついてこない。
「どうやら図星のようじゃのう。ならばお主はそのまま勇者を続けて、妾達の敵に回るのか」
「それは……わからない」
「わからないとは解せぬのう、どういう事じゃ、」
理由は俺にもよくわからない。感情が心の中でぐちゃぐちゃになっていて、言葉にするのは難しい。
「俺は……たしかに勇者だ。でもベアトは魔族で魔王だけど俺の命を救ってくれた。恩人に剣を向けるような真似は、俺にはできない」
これだけは確かだ。勇者とか魔王とか、そんなものは関係ない。
「そうなるとお主はどっち付かずの存在と言うわけじゃ。勇者でありながら魔王とは戦わない半端者じゃ。さてユートよ、妾がそのような危険な存在をここで見逃すと思うか?」
「どういう……意味だ」
俺が危険だなんて意味がわからない。少なくともベアトを害するつもりはない。
「難しい話ではなかろう。お主は魔王である妾に命を救われたから妾に剣を向けぬと言った。仮に、今後お主に別の恩人が出来て、その人物が魔族に家族を殺されていたらどうじゃ? その魔族にお主は剣を向けるのか? それとも向けないのか?」
そんなの……その魔族が酷いやつなら剣を向けるかもしれない。
「それは……魔族の事がわからないと、どうする事もできない。何か理由があったのかもしれないし」
「魔族の理由は単純じゃ。ただ人間が憎いから殺したに過ぎん。そして他の人間も殺そうとしている」
「そんなの、止めるしかないだろう。勝手な理由で人を殺すなんて許されない」
そんな奴は放っておけるわけがない。人殺しをするような奴は危険じゃないか。
ベアトは何を言わんとしているのか解らない。俺が危険な存在という理由に繋がらない。
「その魔族の憎しみの理由が、人間に両親を殺されたから……だとしたらどうじゃ。お主はそれでも魔族に剣を向けることができるのか?」
俺は何も答えられなかった。どうする事もできない。どうしてもその魔族に同情してしまう。
「お主が危険な理由はそれじゃ。状況次第、理由次第で移り変わる心情。お人好しな事自体は、悪いわけではない。しかし、その人物が強大な力を持つ……勇者である事が問題なのじゃ」
お人好しの勇者、俺の事だ。ベアトの射抜くような視線に体が固まってしまう。声も出ない。体が震える。
「力をもつ者が、一時の感情でその振るう先を変えるなど、もっとも恐ろしい事じゃ。今はまだ人間寄りなのかもしれんが、本当にそうかのう? お主が未練を持っている王女や、恩人である妾が目の前で殺されたらどうする? 下手人が人間であるのなら、その力を人間に向けるのではないのか?」
違うとは言えない。そんな事が起きれば、俺はそいつを殺してしまうかもしれない。
そう思ったとき、俺は自分の危うさに気が付いた。俺は状況次第で魔族にも人間にも敵対するような、危険な存在なのだという事に。
「俺は……俺は……どうすればいい」
雨音が強くなる中、俺はベアトに問いかけた。いや縋っていた。
自分はこれからどうしたらいいのかわからない。道を……正解を指示してほしい。
「どうすればいいも何も、簡単じゃ。魔王となり人間どもに復讐するか、勇者として魔族を根絶やしにするか。決めてしまえばいい。そうすれば迷いはなくなるぞ」
人間か魔族、勇者か魔王、本当にどちらかしか選べないのか。もっと他の道もあるんじゃないのか。
「なあ、ベアト。人間と魔族はお互いに和解することはできないのかな」
「ほう、和解か。人間と魔族が和解する……と。小僧、本気で言っておるのか?」
決して無理な話ではないだろう。現にこうして勇者である俺と、魔王であるベアトは敵対していない。それならば、同じように人間と魔族が仲良くする事も出来る気がする。
「勿論だ。勇者とか魔王とか、そんなもの人間と魔族が仲良くできれば必要なくなる。だったら、お互いに……」
そこまで言いかけて、濡れた地面に尻餅をついてしまう。ベアトの顔を見上げると、その瞳は金色に輝き、俺のことを見下ろしている。
「仲良く、仲良くじゃと。そのような台詞、よくも妾の前で軽々しく言えたものじゃ! 貴様は何も知らぬからそのような戯言を吐けるのじゃ!」
目を見開き、その顔は怒りに満ちている。俺の言葉がベアトの心にある地雷を踏んでしまったらしい。
相手は魔王、人間とは比べ物にならない年月を生きる存在だ。きっと今までも様々な経験をして、傷ついてきたのだろう。そう思うと何も言い返すことが出来なかった。
「これ以上ふざけた事を抜かす前に、貴様をここで殺してやろうか」
ベアトの手のひらに魔力が集まり、やがて一本の氷槍となる。長さは俺の身長と同じくらいだろうか、その槍がベアトの手元から、眼前へと迫ってくる。
「問答は仕舞じゃ。選べ、貴様は魔族と人間、どちらの味方となる。一つ、魔族の味方をするならば生かしてやろう。その場合、貴様の覚悟を見せてもらう為に王城にいた人間は皆殺しにしてもらうがのう」
そう言って人差し指をあげる。
「二つ、人間の味方をするならば、それもまた見逃してやろう。その場合は王城に送り返してやる。人間の奴隷として一生過ごすが良い。愚かな貴様にはお似合いの人生じゃ」
続いて中指があがる。
「最後に、どちら付かずの答えを言う様ならば、この氷槍がお前の瞳を脳ごと貫くことになる。なに、せめてもの情けで一思いに殺してやるから安心するがよい。さあ選べ、声は出せるはずじゃ」
最後に薬指。
普通に考えれば魔族の味方をするべきだ。そうすれば命が助かるし、奴隷にもならない。長いものには巻かれるべきだ。
「それでも……俺は、どちらの味方にもなれない。命を助けてくれたお前に剣を向けることもできないし、人間を殺すこともできない」
「愚かな、実に愚かな。お前は自分がどういう状況かわかっておるのか、妾達の為に力を使うというのなら、生かしておいてやるのだぞ」
「わかっている。それでも俺は自分の命惜しさに人を殺すことは出来ない。そんな人間は自分が一番嫌いな奴だ」
勇者とか勇者じゃないとか関係ない。自分の事だけを考えて生きるような真似は絶対に嫌だ。
「そうか、何がお主をそこまで頑なにするのか妾には理解できん……が、こうなった以上はお主には死んでもらうぞ」
氷の槍は容赦なく俺の左眼を貫いていく。
「魔族と人間が仲良く……か、よもや五百年前の勇者と同じ台詞を聞くとは。全く勇者というのは愚か者ばかりじゃ……」
途切れかける意識の中、雨音に紛れて耳に届く魔王の声。それはとても悲しそうで、辛そうで、でも嬉しそうな、不思議な音色を響かせている。
そしてその瞳からは、雨粒と共に涙が零れ落ちているような気がした。