第三話・真実
――本当に周りには姿が見えないみたいだな。
城内を歩いていると、普段なら勇者様勇者様と声をかけてくる兵士や使用人が、誰一人として見向きもしない。
試しに声をかけてみたら驚いた顔をして、辺りをキョロキョロと見渡していた。
この道具、本当に覗きに使えそうだな……。そう考えたら頭の中に、魔王の嘲り笑う顔が浮かんだ。
いかん、これはきっと魔王の高度な罠に違いない。そんな益体もない事を考えていると、俺が召喚された部屋の前にたどり着いた。
ドアの前には見張りの騎士がいて、ばれないように入るにはどうすればいいかな。
「シモン様、お疲れ様です」
騎士が突然俺に向かって挨拶をする。
「うむ、ごくろう」
後ろから声がしたので振り向くと、禿散らかした気難しそうなオッサンが立っていた。
このオッサンは宰相のシモンさんだ。ごめんなさい禿散らかしているとか思って。
どうやら騎士は、俺の後ろに居たシモンさんに声をかけていたらしい。
心臓が止まるかと思ったよ。魔道具を落とさなくて本当に良かった。
「騎士団長殿と王女殿下は既にお着きです。どうぞお入りください」
そう言って騎士は部屋のドアを開ける。
これ幸いにと俺はシモンさんと共に部屋の中に入る事にした。
「お二人とも、待たせてしまい申し訳ない」
部屋に入るや否や、シモンさんが軽く頭を下げる。
「シモンが忙しいのはわかっているから平気よ。貴方がいてくれて助かるわ」
「うむ、国王陛下が病床に伏せている中、シモン殿が政務を取り仕切っておられるからこそ、どうにか国が回っているといっても過言ではないですからな」
アンとグレイ団長が笑顔で答える。
この部屋に集まった三人は俺が召喚された時に周りにいたのと同じ顔触れだ。
「もう少ししたら、アイツとのお茶会に行かなくてはならないの、さっそく本題に入りましょう」
アンが眉間に皺を寄せながら、二人に言葉をかける。
まるで今の言い方だと、俺と会うのが煩わしいみたいじゃないか。
「うむ、まずは剣の訓練の進捗についてだが、流石は勇者といったところか、一月で一端の騎士と同じくらいのレベルにはなっております。」
「あら、お世辞だと思っていたのだけれど、本当に腕が上がっていたのね」
見違えるほど上達したとか言っていたよね。適当に褒めていたのかよ。
それにしてもアンの態度が普段と全然違う。俺の事を慕ってくれていた面影が全くない。
「それは重畳ですな。講師役の宮廷魔導師の報告によると、魔法の訓練も順調そのもので、半年もすれば宮廷魔導師筆頭に及ぶ可能性もあるとか」
俺ってそんなに強くなっていたのか。こうやって他人から言われるのは悪くはない。
どうやらこの集まりは、勇者についての報告会の様だ。
国の命運がかかっているのだから当たり前だけど、それよりも気になるのが。
「随分と早く成長しているのね。根性無しの割にはなかなかと言うべきなのかしら。それにしても……まさか勇者ともあろう者が、一週間で根を上げた時は本当に焦りましたわ」
アンの様子だ。気のせいだと思いたかったけど、俺の知っているアンとは別人みたいだ。
後、サボっていた事はばれていたのか。羞恥で顔が熱くなってきた。
「聞くところによると、ユート殿の住んでいた国では成人が二十歳だそうです。その上、彼は学生で勉学を修めており、争いとは無縁だったとか。精神的、肉体的に未熟なのは致し方ないでしょう」
「ふむ、グレイ殿の言う通りですな。その代りと言ってはなんですが、座学面での知識の吸収はなかなか優秀ですぞ。特に数学の分野においては我々の世界よりもかなり進んでいるようです。」
これでも中学が同じ奴らが受からないような進学校にいたからな。むしろ三馬鹿がどうやって合格したのか知りたいくらいだ。
未熟なのは……痛いくらい自覚しています。
「ふーん、頭は悪くないのね。でも精神的に未熟なのに強くなられても危険じゃないかしら。私の胸を締まりのない顔でチラチラ見てくるエロバカなのよ、妙な気を起こされたら厄介だわ」
ば、ばれていた。俺の事そんな風に思っていたのか。今までの態度は全部演技で、両想いだと思っていたのは俺の勘違い。実は嫌われていたのか……。
「はっはっはっ、ユート殿は十六歳、そういった事に興味のある年頃ですからな。しかしあまり行き過ぎて問題を起こす前に対策する必要があるかもしれないですな。シモン殿、何か考えはありませぬか」
「ふむ……そうですな、一番確実なのは隷属の首輪を着ける事でしょう。古代遺跡から発掘されたものが王家の秘宝にありましてな。そこいらに出回っている物とは違い、とてつもない威力があるようで。宮廷魔導師たちに調整させ、勇者殿に取り付けるのがよろしいかと」
「隷属の首輪……ね。そこまでする必要はあるのかしら?アイツは私に惚れているみたいだし……最悪、私が身を差し出せば何とか……ね、抱かれるのは死ぬほど嫌だけど、国や民の為ならそれくらいの事はする覚悟よ」
「姫様の覚悟は大変ご立派です。しかし、その御身が傷つくような真似はいけません。それに彼は戦争のない平和な国から来たのです。異形の怪物である魔族ならまだしも、人間相手に戦う事は些か難しいかと。隷属の首輪を使うのが一番でしょう」
隷属の首輪……どう考えてもろくなものじゃない。おそらくは着けた相手を意のままに操れるような魔道具だろう。そんなものを着けられたら俺はいったいどうなる。
それに人間相手に戦うってどういう事だ。俺は魔王を倒すために呼ばれた勇者じゃないのか。
だめだ、頭の中がぐちゃぐちゃで考えがまとまらない。
「帝国の軍勢はいつ攻め込んできてもおかしくないですからな。ユート殿の精神的な成長を待っている時間はあまりないかと。無理やりにでも戦わせられるように、シモン殿の言う隷属の首輪を使うのはありかもしれませんな」
「そう……二人とも賛成なのね。あまり人の尊厳を奪うような行為はしたくないのだけれど」
そうだ、二人を止めてくれ、アン。俺の事は嫌いかもしれないけど、国や民を思ってないていた姿は本物のはずだ。
優しいアンならきっとそんな事は認めない、そう思っていたのだが。
「でも、こればかりは仕方がないわね。アイツ……ユート様には我が国の平和の為に犠牲になってもらいましょう。隷属の首輪については私が責任を持って着けさせるわ。シモン、首輪に装飾を施してちょうだい」
「なるほど……姫様からのプレゼントにして着けさせるということですな。力づくよりは知らぬ間に着けさせて、必要な時に命令できるようにしておいた方が、訓練に身も入りますからな。このシモン、感服致しました。」
「臣下にだけ汚い真似をさせるなんて、私のプライドが許さないわ。お父様に代わって国政を担うと決めた以上、この手を汚すのは覚悟の上よ」
「アン王女……強くなられましたな。このグレイ・ラファイエット、王国騎士団長としてお力にならせて頂きますぞ」
盛り上がるのは勝手だが、結局お前たちのする事は俺を戦争の道具にするということだろう。
どうして俺はこんなにも不幸な星の下に生まれてきたのか。頑張って勉強をして高校に入れば、待っているのは同じように馬鹿にされる毎日。
異世界に召喚されてみれば、訓練はきつく血反吐を吐く毎日。それでも頑張ったら次は奴隷にさせられる。
こんなのって……あんまりだ。
呆然とする俺の手の平から魔道具が零れ落ち、固い石造りの床から鈍い音が響く。
「なっ!勇者殿、なぜここに」
「ユート……様、どうして……」
「……姫様、シモン殿お下がりください」
突然現れた俺の姿に驚愕する二人と違い、グレイ団長は二人をかばう様にして前に出ると腰に佩いた剣を抜き、俺に向けて構えをとる。
「ユート殿、どうやってここに入れたかは知りませぬが、貴殿が全てを知ってしまった以上、口を噤んでもらいますぞ」
「ちょ、ちょっとグレイ、何も殺さなくてもいいじゃない。後で隷属の首輪を付ければ解決するでしょう。今までの努力が水の泡になりますわよ」
奴隷になるくらいなら殺された方がましだ。
「姫様の言う通りですぞ、グレイ殿。我々が勇者召喚にかけた費用は決して安くはない。かけた費用の分だけ、勇者殿には返していただかなくてはなりませぬ」
勝手なことを。俺が頼んだわけじゃないだろう。
「しかし、剣の腕だけなら兎も角、勇者殿の魔法の力は無視できかねます。入り口が勇者殿の背にある以上、抵抗された場合にお二人を守りながら生きて捕えるのは難しいかと」
そうだ、黙って奴隷になるくらいなら、こいつらに仕返しの一つでも。
「くっくっく、人間とは真に愚かで滑稽じゃのう。かける言葉も見つからん。小僧よ、お主の力はそんな奴らに使うにはもったいないぞ」
部屋の中央に突如として魔王ベアトリーチェが現れた。
「金色の角……貴様、魔王か」
「ど、どういう事ですの、なぜ魔王が王城に」
「し、城の警備隊は何をしておったのだ」
三人は魔王の登場に驚きを隠せない様子だ。
「ふん、妾にかかれば城の警備など在って無いようなものじゃ。それよりもこの小僧は妾のものじゃ、勝手に殺そうとするではない」
そう言って魔王は俺を担ぎ出す。その細腕のどこに力があるのか、まるで重さを感じていないかのようだ。
抵抗する気は起きない。今更自分がどうなろうと、どうでもいい。
「待てそう簡単に逃がすと―――」
「逃がすと……なんじゃ、その先が聞こえないのう」
グレイ団長が床に崩れ落ち、続いてアンとシモン宰相も同じように崩れ落ちる。
頭を上げてベアトリーチェの顔を見上げると、その双眸は金色に輝いている。
「意識はあるじゃろうから警告しておくが、お主らを殺そうと思えばいつでも殺せるのじゃ。しかし妾は寛容ゆえ、貴様ら人間を見逃してやるに過ぎん。それを努々忘れぬことじゃ、矮小なる人間どもよ」
まさに魔王の風格。俺はこんな奴と戦おうとしていたのか。
「妾達、魔族に対抗するための勇者召喚を私利私欲の為に使うとは、真に愚かなる者たちよ。貴様らに勇者は必要ない。妾が頂いてくれよう」
ベアトリーチェは冷たく言い放つと、悠々とドアから出て、王城内を闊歩する。
ゆったりと歩む魔王を誰も止めることが出来ず、気が付くと王城の門までたどり着き、その背中に生える漆黒の翼で大空へと飛び上がる。
俺はしばらくの間、言葉を発せずにただ脇に抱えられるだけだった。どんどんと小さくなっていく王都を、ただぼうっと眺めながら。