第二話・魔王ベアトリーチェ
冗談じゃない。
勇者と魔王の対峙は最終戦と相場が決まっている。
今の俺は勇者として訓練をしている最中で、例えるならレベル1……は言い過ぎだとしても、勇者としては新米だ。
当然、今の状態で叩けるわけがない。
「お前は……魔王なのか」
思わず震えた声が漏れてしまった。
二本の金色の角を見る限り間違いはないと思うが、魔王というにはあまりにも美しく、想像していたような禍々しさがない。
胸を強調するような黒いドレスを身に纏い、胸元から覗く豊満なバストは今にも零れ落ちそうだ。切れ長の瞳は紅く輝き、宝石といっても過言ではない。
角を取って、背中に生えた漆黒の羽を白くすれば、どこかの女神様といわれても信じてしまうと思う。
「正解じゃ小僧。妾は魔王ベアトリーチェ。魔族の王にして世界を総べる存在じゃ。頭を垂れてひれ伏すがよい」
尊大な物言いと共に魔王の眼が角と同じような金色に輝く。
俺は手足に力が入らなくなり、そのまま尻餅をついて魔王を見上げるような形になる。
文字通り手も足も出ない。
「……あ、……あ、あ……だ、……誰か……たす、……たすけ」
声が掠れる、相も変わらず四肢に力が入らない。
魔王を倒す存在が勇者と言われたが、今の俺にはそんな気概は無い。
怖い、怖い、嫌だ、死にたくない。
「助けを呼ぼう等と考えても無駄じゃ、静寂の魔法をかけておるからの。部屋の外に声は漏れんよ。それに逃げ出すことも敵うまい、妾の魔眼は四肢の自由を奪うからの」
魔眼、それは魔族が持つ能力だ。
俺は座学で学んだ事を思いだしていた。魔眼は、魔族によって個体差があり、強力なものは相手を支配する事も出来る……と。
唯一の弱点が、大人数には聞かない事だったが、ここには俺と魔王しかいない。
絶望だ。
「ふむ、少々脅かしすぎたかのう。一々抵抗されたら話が進まぬと思って支配をかけたのじゃが……どうやら逆効果の様じゃったな。小僧、もう楽にしてよいぞ」
四肢に自由が戻る。俺は思わず壁際まで後退りした。
「くくく、随分と怯えておるのう。そんなに妾が怖いか恐ろしいか。今代の勇者は臆病者じゃのう。そう怯えなくても取って食ったりはせんぞ」
そう言いながら、ベッドから立ち上がり、おもむろにこちらに向かって歩いてくる。
魔王は眼前まで迫ると、その白魚のような指先で俺の頬を撫でまわす。
「ところで勇者よ、お主の名前はなんと申すのじゃ。妾は名乗ったのだから、お主も名乗るのが礼儀であろう」
「……ユート、勇者ユートだ。」
紅い瞳を見上げながらそう答えると、魔王は妖艶な笑みを浮かべながら言葉を発っしてきた。
「ユート、勇者ユートか良い名じゃのう。ところで……妾が何故ここまで来たのか、お主にはわかるかえ」
「俺を……殺しに来たのか」
魔王の目的、おそらくは敵対する勇者の抹殺だろう。
脅威となる存在に育つ前に殺しておく、俺が魔王なら同じことを考える。
勇者の持つ光の加護は、成長を促進させる能力だ、どう考えても時間が経つほど厄介になるのだから。
「お主を殺す……くっくっく、あーはっはっは、笑わすでないユートよ。お主はなかなか冗談が上手いのう」
目尻を下げて腹に手を当てながら、何がそんなに面白いのかというくらい声を上げている。
美人は何をしても絵になるというが、確かにその通りだ。笑い転げている魔王というのもなかなか絵になっている。
「な、なにがおかしい! 他にわざわざ魔王が来る理由なんて何がある」
いつまでも見惚れているわけにはいかない俺は、慌てて魔王に反論する事にした。
大体、勇者の抹殺ですら魔王が来ることに少し違和感があるのに、他の目的があると言われても想像もつかない。
「ここにきた理由……のう。端的にいえばお主を魔王にしてやろうと思うてな。妾の後を継いで次代の魔王にならんか?」
「……は? まおう? 冗談……だよな」
あまりの予想外な発言に、間抜けた声になってしまう。
人間の味方の勇者が、人間の敵である魔王になる、全く持って意味が分からない。
「何を呆けておる。妾がこうして態々来たのだから、冗談で言っているわけがなかろう」
「申し訳ないけど……言っている事が理解できない。俺は人間の味方だぞ。それが魔王になるわけがないだろう」
「ふむ……そういえば、お主の認識ではそうじゃったな。少々酷な事かもしれんが、お主……騙されておるぞ」
騙されている? 一体誰が? 何のために?
「……どういう意味だ。まさかアン達がそうだとでも言うのか!」
「まぁ落ち着け小僧。ここで妾が教えても良いが、お主はそれを信じることができるかのう?」
信じられるわけがない。こいつは魔王だ。逆に俺を騙して罠にかけようとしていると思うくらいだ。
でも……、そんな回りくどい事をする必要があるのかとも思う。
こいつは俺を殺そうと思えば、簡単に殺せるはずだ。そう考えると、頭が混乱してくる。
「少々いきなりで困惑しているようじゃのう。そこでじゃ、お主にはこれを使わせてやろう」
そう言って魔王は豊満な胸元に手を入れて、何かを取り出した。
あまりの刺激的な光景に思わず食い入るように見てしまった。
「ん? なんじゃ、妾の胸に興味があるのか? そういえばお主、あの王女の胸もよく見ていたのう。どれ……こうすると気持ちよいかのう?」
「な、な、なな、何を、おま、む、胸が、胸が…」
からかう様な笑みを浮かべて近づいてきたかと思うと、俺の腕を取ってその巨大な双丘を押し当ててくる。
柔らかい。ドレスの布が薄くて感触が鮮明に伝わってくる。
「ん、んん、ぁん。そ、そんな激しくするでない」
俺が腕を離そうと身じろぎすると、魔王が色気のある声で制止してくる。
同時に腕を押さえつけられて、その魅惑的な谷間に挟まれてしまう。
まさかここは異世界じゃなくて天国だったのか、俺は昇天してしまったのか……ふぅ。
「すまないが、そろそろ話を戻さないか。このままだといつまで経っても進まない」
極めて冷静に務めて、魔王に提案した。
俺たちは魔王と勇者、なれ合いをしていい立場ではない。
それにあまり時間をかけていては、アンとのお茶の時間にも遅れてしまう。
「うん? 急に落ち着いたのう。まぁお主の言う通り本題を進めるが、これを使って召喚された時の部屋に行ってみるがよい」
「これは、ボール……ではないな。スイッチが付いているようだけど」
魔王から手渡されたのは、直径十センチくらいする球状の物体だ。
おそらく突起を押すことで使用できるみたいだが、用途はわからない。
「それは透明化の魔道具。発動させた者の姿が見えなくなる貴重な品じゃ」
「透明化……それが本当なら、とんでもない一品だな」
「その通り、魔王城にも一つしかない秘宝じゃ。特別にそれを使わせてやろう」
そんな希少な品を俺に使わせてまで、こいつは何を考えている。
戦う相手が透明になるとか、まるで悪夢だ。それを簡単に渡すなんて常識外れだろう。
「俺はこれを使ってこっそり移動して、あの部屋に向かう。そういうことだな?」
「うむ、それでよい。決して邪な事に使うでないぞ。寄り道をしている時間は無いからのう。」
これを使えばお風呂や着替えが覗き放題だ。いやそんな事全然考えてないけどね。本当だよ。
「そ、そんな事に使うわけがないだろ。ば、ば、馬鹿な事をいうな」
「くっくっく、お主は本当に愉快じゃのう。お主が真実を知ったとき、どういう反応をするのか楽しみじゃ。ではまた会おうユートよ」
そう言って屈託のない笑みで笑う魔王の姿は、霧のように消え去っていった。
あまりに一瞬の出来事で、白昼夢だったのかと思ったが、手の中に残る魔道具が決して夢ではないと告げてくる。
「あれが……魔王か、魔王ベアトリーチェ……」
俺の中での魔王像は、物語に出てくるような残虐非道で暴虐武人、まさに悪の中の悪といったイメージだった。
実際に会ってみると確かに物凄い力を秘めているのだろうが、とても美しく、艶やかで、なにより子供の様に無邪気だった。
そんな魔王が俺に教えたかった事……まさかな。
「着替えたらすぐに行くか、アンとのお茶会もあるしな」
俺は心に残る一抹の不安を誤魔化すようにつぶやき、魔道具を起動させて窓から飛び降りることにした。
もちろん、パンツとズボンを着替えてからだ。