第一話・アン王女
勇者として召喚されてから一週間、俺は宛がわれた王城内の自室で引きこもっていた。
訓練のキツさが想像以上で、仮病を使ってサボっているだけだ。
始めこそ勇者の能力はチートだと思っていたのだが、訓練が始まってからその考えが甘かったことを痛感させられる。
俺の右手に宿る光の加護は、成長を何十倍、何百倍にする能力――つまり、成長するまでの間は今まで通りの自分だ。
考えてもみてほしい、俺は元々帰宅部で運動もそんなに得意な方じゃない。その上小柄で、姫様と揶揄されるような体つきだ。
そんな俺が戦う為の訓練を受けているのだ、当然キツい、キツすぎる。
体力づくりという名のいつ終わるかわからない走り込み。剣術の訓練では何度も木剣で打ちつけられて、体中アザだらけになる。骨折だってした。血反吐もはいた。
治癒魔法とやらのおかげで怪我はすぐ治る、でもそれまでは痛みがある。
いくら成長チートといっても、メンタルは普通の高校生だ。俺からしたらほとんど拷問みたいな訓練を毎日こなして耐えられるわけがない。
「失礼いたしますユート様、お体の具合は大丈夫ですか」
ベッドの上で憂鬱な気分になっていると、部屋にアンが訪ねてきた。
今日の訓練を休んでいる事を聞いて、様子を見に来たのだろう。
「あまり気分がよくない。慣れない生活で少し疲れたみたいだ」
俺は顔を腕で覆いながら、気だるげに返事をする。
単純に厳しい訓練が辛くて嫌なだけだ。でも妙なプライドが邪魔をして本音を言えないでいる。
勇者でありながら訓練から逃げだすような軟弱者、とは思われたくない。
そんな俺の心が見透かされそうで、怖くて顔を見て話すことは出来なかった。
「心中お察しいたしますわ。いきなりの事ですもの、ユート様も大変でしょう」
ベッドがきしむ。
おそらくアンがベッドの縁に座ったのだろう。
「お前に……何がわかる。お前は勇者でもなんでもないだろ」
わかった様な口を。
優雅にお姫様をやっている奴に何がわかる、お前も血反吐を吐くまで訓練を受けてみろよ。
俺の心にどす黒い感情が芽生えてくる。
「確かに私は勇者ではありませんわ。でもユート様がお辛そうなのはみていてわかります。とても心配なのですわ」
きっとアンは本心から言っているのだろう。
でも今の俺には皮肉にしか聞こえない。
「心配……心配ねぇ、どの面下げてそんな事が言えるのやら」
「私、何かユート様を不快にさせるような事をしてしまったでしょうか」
「不快もなにも、お前の存在自体が不快だ! 何が心配だ、そもそもの原因はお前じゃないか! 」
俺はベッドから体を起こし、アンに向かって怒鳴りつける。
自分の気持ちが押さえつけられない。
「あ、あの……それはどういう……」
アンは怯えたような、悲しそうな、戸惑っているような、そんな表情をしている。
「どうもこうも、お前が俺を召喚したせいで毎日が地獄だ。毎日毎日、大怪我をしながら訓練をさせられて、あんなの拷問じゃないか。魔王を倒すためにとか都合の良い事を言って、俺の事は何も考えちゃあくれない。俺はもうこんな世界はごめんだ。俺を元の世界に返してくれ! あのつまらないけど平和な世界に! 元の世界に返して……家族に……会わせてくれ、ここじゃあ……俺は一人だ」
ぐちゃぐちゃになった感情が溢れだしてきて、支離滅裂になっている。
俺の両親はごく普通の人たちだ。父はサラリーマン、母はパートで俺は学生というごくごくありふれた家庭だ。
でも異世界にきてもう二度と会えないと思うと、普通が恋しくなる。
いつも通りの日常というものは、あんなにも幸せな事だったのかと思い知らされる。
「ユート様、申し訳ありません。私はユート様のお気持ちを何一つわかっておりませんでした」
アンが立ち上がり、深く頭を下げてきた。
王女付きのメイドが驚いた表情をして固まっているが当然の反応だ。俺も驚いて、少し頭が冷静になる。
そもそも封建国家における王族は国の象徴ともいれる存在であり、軽々しく頭を下げて良いものじゃない。
政治の舞台で王族が頭を下げようものなら、どんな要求をされるかわかったものじゃない……と、宰相のシモンさんが言っていたのを思い出す。
「私には言い訳をすることが出来ません。ユート様を元の世界にお返しする事を出来ないと知っていながら、召喚の儀を執り行いました。魔王から人類を救う……と言えば聞こえはいいです。しかしユート様の立場から考えれば、誘拐されて無理やり戦わされるのと同じことでしょう。そのお怒りはもっともです。私たちの身勝手でユート様を傷つけております――ですが」
アンが真っ直ぐこちらを見つめてくる。
その瞳はお気楽なお姫様ではなく、一人の為政者としての瞳だ。そう感じるほどの迫力があった。
「ですが、その上で敢えて申し上げます。私たちに残された方法はこれしかなかったのです。国王である父が病に倒れ、国が衰退していく今、勇者様に頼る以外なかったのです。罪のない民が苦しんでいるのを救う事ができるのは貴方だけなのです」
「そんな言い方はずるいじゃないか。結局はこの世界の人間の為に、俺を犠牲にしたいってことじゃないか」
俺にとっては元々関係のない事だ。
始めは勇者になって浮かれていたくせに、いざ辛くなるとこうやって理屈をこねてしまう。
「はい、おっしゃる通り私はずるい女です。民の為にユート様を犠牲にしております。しかしそれを覚悟の上でユート様を召喚いたしました。私の事はいくら恨んでくれても構いません、憎いのであれば憎んでください。もし贖罪にこの命が必要と言うならば、喜んで差し出しましょう」
アンの覚悟に思わず気圧される。本当にこの子は十五歳の女の子なのか、そう感じてしまう程に。
「そのかわり、どうかこの国を……この世界をお救いください。私が無力故にユート様に頼るしかないのです。お願いします……どうか……どうか……」
一転、アンは俺に縋りつくようにして涙を流し始める。
泣き脅しだ……と一蹴する事も出来るのだろうけど、泣いているアンの小さな背中は年相応の少女に見えた。
完全に納得したわけじゃない、流されているだけかもしれない。
それでもこの小さな少女がどれだけの覚悟の上こうしているのかを知ってしまうと、自分の矮小さを余計に思い知らされてしまう。
「わかった、わかったよ。わかったからもう泣かないでくれ」
「ユート様……」
俺は縋りつくアンの肩を押し出し、涙で充血した目を真っ直ぐ見つめる。
「アンの気持ちはわかったよ。まだ完全に納得をしたわけじゃない。でももう少し……頑張ってみるよ。俺は……勇者だからな」
任せろとは言えない。でもこのままでもいられない。
俺が妄想して憧れていた勇者というのは、ただチートな能力で無双するだけじゃない。
弱きを助け強きをくじく、それが勇者のはずだ。そんな事も忘れていたのだ。
「ユート様ありがとうございます、本当に……本当にありがとうございます」
そう言ってアンは俺の胸の中に飛び込み、再び涙を流し始める。
我ながら単純な男だと自分でも思う。
勇者になった事に浮かれて、訓練が辛くて逃げ出して当たり散らし、女の子に泣かれたらあっさり手のひらを返す。
それでも……それでも女の子の悲しい涙をうれし涙に変えられるのなら、悪くないかもしれない。
月日が過ぎていくのは早いもので、あれから三週間、異世界に召喚されてからは一か月が経過した。
この三週間、以前とは違い真剣に訓練に取り組んでいた。
「はっ! せやっ! とうっ! ユートどの、守ってばかりでは……敵は倒せませんぞ」
グレイ団長が何度も木剣を振り下ろしながら、檄を飛ばす、
今は剣術の訓練の最中だ。
騎士団長の名に恥じぬ腕前で、手加減されているとはいえ防戦一方になってしまう。
「くっ、これでどうだ!」
何とか形勢を立て直そうと、相手の剣を受け流す。
グレイ団長の体が前のめりになったところで左肩から薙ぐように袈裟切りを放つ――が、俺の視界が空を仰ぐ。
「どうやら、ここまでのようですな」
気が付くと喉元に剣が突きつけられていた。
どうやら、そのまま懐に入られて足払いで転ばされたようだ。
「お疲れ様です。ユート様、タオルをどうぞ」
訓練を見学していたアンが小走りで近づいてきて、いつもの様にタオルを手渡してくれた。
まるで運動系の部活のマネージャーみたいだ。こんなに可愛いマネージャーなら訓練のやる気もでる。
シルクのタオルの柔らかな肌触りが心地いい。
ほのかに香るのはアンの香水の匂いだ。
「アン、いつもありがとう。それにしても、まだまだ団長には遠く及ばないなぁ」
あれから真剣に取り組んでいるものの、グレイ団長から一本を取った事は未だにない。
「騎士団長のグレイは王国最強の騎士ですから仕方のない事ですわ。でもユート様の上達は目覚ましいもので、以前とは見違えるほどですわ」
「確かにユート殿の最近の上達は著しいですな。既にウチの騎士団の若手騎士達では相手にならんでしょう」
アンの言葉にグレイも同意の声をあげる。
騎士の多くは貴族出身で、幼い頃から剣を磨いているような連中だ。
若手と言え、10年は剣を握っているような猛者が殆どだろう。
「そう言ってもらえるならうれしいよ、アン、グレイ団長」
こうして誰かに認めてもらえるのは、とてもうれしいものだ。
王城の人たちも、俺が真剣に訓練に取り組み始めてからは、以前と明らかに態度が変わっていた。
以前は勇者として期待外れといった眼差しを向けられていたが、最近ではそんな事は一切ない。
その分期待しているといったような言葉を投げかけられて、少しプレッシャーを感じたりもするが、悪い気はしない。
「そうだアン、今日はこれで午後の訓練が終わりだから、庭園で一緒にお茶でも飲もうよ」
「もちろんご一緒しますわ、ユート様。私との時間を作って頂けてアンは幸せです」
アンが碧の眼を閏わせて答える。
王女であるアンとの距離も、この三週間でかなり縮まった。
始めは少し気まずくて上手く話すことが出来ずにいたけど、今ではこうして気軽にお茶に誘えるくらいになった。
「俺もアンと一緒に過ごせるなら幸せだよ」
「まあ、ユート様ったら。恥ずかしいですわ」
アンの恥ずかしがる姿は天使のように可愛い。
そう思う程、俺はすっかりアンに骨抜きにされてしまったようだ。
「わっはっはっはっ、これでは私はお邪魔虫のようですな。後は若いお二人でゆっくりと過ごしてくだされ」
グレイ団長が朗らかに笑いながら訓練場を後にする。
「もう、グレイったら変なことを言って」
アンが頬を膨らませて腕を組みながら、グレイ団長の後ろ姿を目で追っている。
組んだ腕の上で胸が強調されて、とても刺激的な姿だ。
「そ、それじゃあ俺は一旦部屋で着替えてくるね」
視線が胸に行くのを堪えるのは、なかなか大変だ。
「それでしたら私も一度お部屋に戻りますわ。一時間後に待ち合わせでいかがですか」
「うん、大丈夫だよ、そしたら一時間後に庭園で」
「よかったですわ。それではユートさま、後程お会いしましょう」
アンは優雅に礼をしてメイドを引き連れて去っていく。
ほどなくして俺も訓練場を後にし、お側付きのメイドと共に自室に戻る事にした。
何故メイドまでいるのかというと、俺は勇者という事で王族と同じような待遇を受けているからだ。
貴族や王族は着替えから何まで基本的には使用人にやらせることが殆どだ。
流石に着替えは断ったのだが、それ以外の様々な身の回りの事はメイドがやってくれている。
また、割り当てられた自室も、本来は王族クラスの来賓客が使う部屋だ。
天蓋付きの巨大なベッドに高級そうなテーブルやイス。
天井には金の装飾が施され、壁には絵画飾られていて、更には高そうな壺がいくつも部屋の片隅に置かれている。
始めは落ち着かなかったこの部屋だったが、一ヶ月も使っていると我が家のようなものだ。
そうして部屋に戻った俺は、体の汗を拭き着替えるのだが、そこは男の着替えだ。十分ほどで終わってしまい、時間を持て余してしまった。
部屋に備え付けてある大きな振り子時計を確認すると、待ち合わせの時刻までかなりの余裕がある。
この後、アンと会う事を考えると少し……いやかなり緊張してしまう。
あの日、アンと喧嘩――というよりは八つ当たりに近かったのだが――をして以来、彼女を妙に意識するようになった。
始めは気まずい関係にならない様に接していたのだが、いつしかアンに惹かれている自分に気がついた。
王族として気丈に振る舞う姿、民を思い、涙を流す姿。そして嬉しさに思わず顔が綻ぶ姿。
自然とアンを目で追う様になり、いつしか彼女を守りたい、力になりたい……そう思う様になっていった。
今日、俺はこの思いの丈を伝えるつもりだ。アンに告白をする。女の子に告白だなんて生まれて初めてだ。
部屋に居てもどうにも落ち着かなく、城内を散歩でもしよう。そう思った矢先、部屋の中に透き通る様な女性の声が響いた
「くっくっく、こうして間近で見てみると、今代の勇者は随分と可愛らしい顔をしているのう」
メイドは外で控えているし、部屋には誰もいないはずだ。
「どうした小僧、妾の美しさに声も出ぬか?」
慌てて声のした方へ振り返ると、黒いドレスを身に纏った女性がベッドに腰を掛けていた。
確かに絶世の美女であり、その妖艶さはどんな男でも虜にするだろう。
でも俺が声を出せなかったのはそんな理由であるわけでもなく
「な……なぜ」
鮮やかな銀色の髪から覗く、二本の角。
山羊のように捻じれた角は、金色の輝きを放っていた。
二本の角は魔族の証、そして金色の角をもつ魔族は――魔王。
勇者として召喚されて一ヶ月、俺は早くも魔王と対峙する事となった。