プロローグ
他人をいじって楽しんでいる奴は嫌いだ。
特に名前や容姿など、本人が努力しても変えられないような事を対象にするような奴は、人の気持ちがまるでわかってない。
自分たちはいじっているつもりでも、言われた本人の心はとても傷ついていく。
「おーい姫ちゃん、男装しちゃだめだよ、ちゃんとスカートをはかないと」
「おいおい田中、姫ちゃんは可哀想だろ、姫様って呼んであげなきゃ」
「ぎゃはは、お前それ何も変わらねーよ」
こいつらは同じクラスの田中と斉藤と鈴木。
休み時間……特に昼休みの度にこうして俺をいじってくる、通称、三馬鹿だ。
姫ちゃんというのは俺の事で、名前の「姫野 優斗」をいじりの対象にしている。
小学校・中学校と同じようにネタにされて、わざわざ遠くの高校を選んだのに、高校生になってまでこうなるとは予想外だ。
「ちょっとあんた達、止めなさいよ!姫野君が嫌がっているじゃない」
凛とした声で、クラス委員長の内藤さんが三馬鹿に向かって注意する
「ひえー、ナイト様がきたぞ」
「姫様に仕えるナイト様は今日もご立派ですね」
「姫の命令には忠実なナイト様、姫の言う通りだな」
小馬鹿にするような態度で、三馬鹿達は逃げていく。
こうしたやり取りはいつもの事だ。
三馬鹿が俺をからかい、内藤さんが追い払う。でもまた明日になれば同じことを繰り返す。
「全くもう、あの三馬鹿どもは……。姫野君、大丈夫?」
内藤さんが俺の顔をジッとのぞいてくる。
整った顔立ちをしていて性格も良くて頭もいい。
クラスの男子には密かな人気があるが、今のところ誰とも付き合う様子はない。
「俺なら平気だよ。ああいうのはいつもの事だからね」
本当は物凄く嫌だ。
あいつらはからかっているつもりかも知れないが、俺からしたらいじめられているようで惨めに感じてしまう。
でも内藤さんの前ではあまり弱気な部分は出したくない。
他の男子と同じように、俺も内藤さんに対して密かな思いを抱いているのだから。
「それならいいけど……もし、またちょっかいを出されたら私に言ってね。ガツンと言ってあげるから」
グッと握り拳を作って俺を励ましてから、自分の席に戻っていく。
ちょっとした気遣いでも俺は救われた気持ちになっていた。
内藤さんが居なかったら、学校に来ない様になっていたかもしれない。
「……ありがとう」
我ながら情けないと思う。自分が好きな女の子に守ってもらうなんて。
もっと、頼れる男になれたらなぁと常々思う。
身長も低めの百六十センチそこそこ、色白で顔も女顔。
女顔は中性的でモテそうと思う人もいるかもしれないが、俺の場合は全然だ。
むしろ、姫ちゃん扱いに拍車をかける要素になっているし、実際に文化祭で女装もさせられた。もちろん無理やりだ。
そういえば、あれから三馬鹿達のいじりが余計に酷くなった。
「あ、そろそろ次の授業だから、席にもどるね」
そう言って内藤さんが席に戻ると、ほどなくして予冷のチャイムが鳴り響いた。
チャイムと同時に教師が教室にやってきて、五限目の授業が始まる。
教師が板書する内容をノートに取りながら、俺は妄想に耽る事にした。
こうやって授業中に現実逃避で妄想するのはいつもの事だ。
内容は多少違うが、教室にテロリストが乱入してきたところを俺が華麗に解決をしたり、ある日勇者として異世界に召喚されて、世界を救う英雄となって王女様と結婚したり。
大抵は凄い力で敵を倒して、最後には女の子とくっつくというものだ。テロリストの場合は内藤さんがヒロインになる。
妄想をしていると時間が経つのは早い、気が付くと放課後になり、昇降口を歩いていると、ふと教室に忘れ物をしたことに気が付いた。
昨日買ったばかりのライトノベル、机の中に入れたままだ。
昼休みは三馬鹿達が来たせいで碌に読めなかったし、いいところで栞を挟んでいたので続きがとても気になる。
よし、教室に戻ろう。 気持ち早足になりながら歩を進めていく。
「それにしても委員長さー、姫野に構いすぎじゃない? 」
教室の前にたどり着いた俺の耳に、不意に届く声。
その声の主は教室内にいるようで、思わずドアを開けようとしていた手を引っ込めてしまう。
「いつも三馬鹿から庇ってあげているよねー」
「確かにー。もしかして内藤ちゃんって姫野の事を好きなんじゃないの」
どうやら話題は俺と三馬鹿についてのようだ。
あれだけいじられていれば話のネタとして出てくるのは仕方がないけど、気になったのはそこじゃない。
内藤さんが俺の事を好きかもしれない。
確かにああやっていつも庇ってくれているわけだし、もしかしたら好意があっての事かも……そう考えた事もある。
俺は思わず期待に胸を膨らませて、教室内の会話に耳を傾ける。
「いやいやー、別にそんなことないよー」
「またまたー、照れちゃってー」
「本当に違うってばー。何か姫野君って守ってあげたくなるというか……ほら、小動物みたいじゃない、色白で可愛いし」
「たしかにー、文化祭での女装すごかったよね。完全に女の子」
「それに私のタイプはもっと男らしくて、頼れる人だよ。姫野君は正反対だからそういう対象には見えないかな」
「あららー、姫ちゃんかわいそう。絶対に委員長の事好きだと思うよー」
「いやいやまさかー、それよりも優子はどうなのさ。二組の山下君から告白されたんでしょ」
教室内では、恋バナが盛り上がっていく。俺は踵を返してその場から立ち去る事にした。
告白する前から振られるし、そもそも男として見られていないし、正直散々だ。
憂鬱な足取りながらも家についた俺は、親におざなりな挨拶をしてから自室にこもる事にした。
「男らしく……なりたいなぁ」
制服のままベッドの上に倒れこんだ俺は、思わず独り言が漏らしてしまう。
男らしくない苗字、男らしくない見た目、男らしくない性格。
そういえば今日読んでいたライトノベルの主人公も似たようなタイプだった。
突然異世界に召喚されて、特別な能力を手に入れて無双をする、よくある内容だ。
でも主人公が自分と似通っていたためか、読んでいてかなりの爽快感があった。
「俺も異世界でもなんでもいいから、召喚されてみたいよ……」
そう呟きながら、俺は瞳を閉じて、妄想の世界に入り込む。
勇者として召喚される自分、綺麗な王女様、勇敢に魔物に立ち向かう自分。
あり得ないけどそう在りたい。そんな風に考えていると、少しずつ意識が遠のいていく。
できればこのまま異世界にでも行かないかな、あり得ないと思いながらも少し期待をして眠りについた。
「お待ちしておりましたわ、勇者様」
突然の事に、意識が覚醒する。
最初は夢の中の出来事かと思ってしまった。
「え? ……は? ここは……」
ベッドの上にいたはずの自分の体は、石畳の上に置かれていた。
「ここはフランドール王国の、王都フランにある王城です、勇者様」
俺は本当に夢でも見ていのではないか。
そう思わせるくらい目の前の人物は美しかった。
「勇者……勇者だって?」
どこかで聞いたような話しだ。
目の前の人物に目を奪われながらも、なんとか声を出すことが出来た。
「はい、僭越ながら私の召喚魔法によって、異世界から勇者様を呼び出させていただきました」
異世界。召喚魔法。勇者。ここまで来ると嫌でも想像がつく。
何度も何度も何度も妄想して、憧れた状況だ。
「もしかして……魔王か何かを倒すために俺は呼ばれたのか? 」
勇者といえば魔王、物語の基本だ。
「おっしゃる通りです、勇者様。我がフランドール家に伝わる召喚の儀式を行い、魔王を打ち倒す力のある勇者様を召喚させて頂きました」
「なるほど……他にもいくつか質問をしてもいいかな。後、俺の事はヒメ……ユートと呼んでくれ」
姫野を名乗るのは抵抗がある。
「何なりとご質問ください、ユート様。それと申し遅れましたが私の名前はアンリエッタ・フランドール、フランドール王国の第一王女になりますわ。気軽にアンと呼んでください。後ろに控えている二人が、騎士団長のグレンと宰相のシモンですわ」
金色でウェーブのかかったロングヘアー、煌びやかなドレスや装飾品を身に纏い、優雅にお辞儀をするその様は、王族の風格が漂っている。
歳は俺と同じくらいだろうか。その顔立ちは整っており綺麗な碧の眼をしている。
そして、アンにばかり目がいってしまい気が付かなかったが、後ろに二人の男が並んでいた。
鎧を着ている偉丈夫がグレイで、頭髪が薄くひょろりとしている文官風の男がシモンだろう。
二人は俺と目が合うと軽く会釈をして、そのままアンの後ろで控えている。
ひとまずはアンに気になる事を聞くのが先決だ。
「まず聞きたいのは、俺は勇者として召喚されたけど、そもそも戦う力は持ち合わせていない。元の世界では普通の学生だったけど、魔王と戦えるのか? 」
「はい、勿論戦えます。まず勇者召喚についてですが、五百年毎に行う事が出来る特別な魔法になります。五百年前も千年前も我がフランドール王家の人間が行い、召喚された勇者様には光の精霊の加護が授けられると文献には記されております。ユート様の右手にある紋様が光の加護の印となります」
チラリと右手を見ると、その甲に紋様が刻まれている。
中学生時代にノートに書いた、右手に秘められた力を持つ主人公を思い出す。あの時はどうかしていたが、まさか自分自身がこういう風になるとは。
「なるほど、それで光の加護とやらはどんな能力になるのかな。魔王と戦えるという事はそれなりに強力な能力だとは思うけど……」
寧ろそうじゃないと困る。
「光の加護は、加護をもつ者の成長を助けてくださいます。文献によると、過去の勇者様は初めこそ常人と同じような強さだったそうです。しかし訓練を重ねていくと何十倍、何百倍という速さで、魔法や剣術を身に着けて上達しております」
努力すればするほど、強くなるという事か。
もっと派手な能力を期待していたけどかなりのチート能力には違いない。
仮に五十倍くらいだとしても、人が一生をかけて上り詰めるような領域に一年足らずで到達できるという事だ。
百倍、二百倍になればもはや想像もつかない程だろう。
「つまり……俺はいきなり魔王と戦うわけじゃなくて、暫くは修行をするってことになるのか」
「おっしゃる通りですユート様。魔法や剣術、文字の読み書きなど、必要な内容は全てここにいる王国騎士団長のグレイを筆頭に、優秀な講師陣がお教えいたします。それと訓練ばかりでは大変でしょうから、望むものがありましたら何なりとおっしゃってください」
至れり尽くせりというわけか。
どちらにしてもこの状況で選ぶ選択肢は一つだ。
「わかった。正直、勇者としてどこまでやれるのかはまだ想像もつかないけど……魔王を倒すために協力するよ」
夢にまでみた異世界での生活だ。やらない訳がない。
「ありがとうございますユート様。この国を……そして世界を……どうか、どうか救ってください」
そういってアンは俺の両手をぎゅっと掴み、潤んだ表情で見つめてくる。
思わず顔が熱を帯びてしまうのは仕方のない事だろう。
今まで姫様と馬鹿にされていた俺は、異世界で勇者になった。