くまとちさ
「――千沙、あんた怖くないの?」
おしゃべりの合間に何気なく投げられた言葉。
「わかる。アイツとよく話せるよね。何考えてんのかわかんないし、千沙が話しかけても大して会話になってないし、超空気重いし」
もう飽きるほど聞かれたその質問に、飽きるほど言った答えを返す。
「何で? くま、優しいよ」
くまって言ってもあの大きくて黒い熊じゃない。
ううん、大きくて黒いのは間違ってないと思う。とにかくあの森で遭ったらまずい猛獣扱いされるあの熊じゃない。
「優しいって……どこが、何が」
「態度とか仕草とか気遣いとか」
「はぁ? あの超絶無口無愛想むっつり男のどこが」
大して知らないのに、よく言うなぁ。
一周回って感心しながらポッキーを少しずつ齧って短くしていく。
いつもお昼を一緒してる友達が休みだからって、何となく近くにいたグループとご飯を食べたのは失敗だったかもしれない。
ちょっと派手めなこの子たちは、そんなに悪い子じゃないんだけど結構人を見た目で判断する。
見た目で格付けっていうのか、そういうのをして盛り上がるのに忙しい。
ぼんやりとしたわたしは無害だと思われてて、たまに聞き役に抜擢される。でも正直、あんまり聞いていて楽しい話じゃない。だからって話題にされても、今みたいに困ることになるんだけど。
「わたしは、そう見えるんだけどなぁ」
のんびりと言って笑うと、その子たちは毒気を抜かれたようにくまの話をやめる。
代わりに隣のクラスのサッカー部のエースについて。顔はいいけどちゃらい、彼女がいるのに他校のマネージャーと連絡先交換してたらしい、それよりもその人のお兄さんの方がかっこいい。
よく飽きないなぁ。噂話って、好きな人は本当に好きだよね。
チョコのかかってないポッキーの先を噛んで飲み込んで、わたしは窓の外を見上げた。
澄んで青い空は、とても綺麗だった。
× × ×
制服が窮屈そうだなぁと思うくらい、大きな体。背が高くて体格もいいから尚更大きく見える。
顔は仏頂面。たまたま道でぶつかってきた小学生を受け止めた途端泣き出されたくらい怖いらしいけど、よく見れば実はちょっとかっこいい。
髪は短くて、坊主じゃないけど、ベリーショート……って男の子でも言うのかな。とりあえずそんな感じ。さっぱりしてて楽そう。
くま、尾熊剛は名は体を表すって言葉がすごく似合うくらい、強そうな見た目をしてる。
実際空手部の部長だし、小さい頃から空手をやってた有段者らしいから、きっと強い。そのうち見てみたいなぁとは思ってる。
「千沙」
艶のある声が好きな人からしたら、ひび割れた怖い声に聞こえるらしい。
心の中だけで“艶消し声”って呼んでるそれが、わたしは結構好きだ。
「お疲れ様」
言いながらちらっと腕時計を見てみる。
うちの空手部は強豪らしくて、いつも下校時間ぎりぎりまで部活をやってる。
今日はいつもよりだいぶ早い。まだ日が沈みきってないのに、どうしたんだろう。
図書委員のわたしは、今日は貸出当番。
もう貸出時間は終わって、一緒の当番だった後輩は先に返した。
ここからは図書委員の特権で、自分の趣味で選んだ本を読みながらゆっくり時間を潰そうと思ってたところだった。
「早いね。顧問の先生、用事でもあるの?」
コク、とくまが頷く。
それだけわかれば無理に話を続ける必要はないんだ。あの子たちが言ってたみたいに、くまは極度の無口……というか、普段必要なこと以外あんまり喋らないから。
「ちょっと待ってて。鍵閉めるから」
返却済みの本は片した。新しく入った本はバーコード貼った。カウンター周りは綺麗。うん、大丈夫だ。
自分用の本にリンゴのチャーム付きのブックマーカーを挟んで、鞄に入れる。
コートとマフラーを身に着けて鍵を片手にカウンターを出れば、くまはドアに寄りかかる様にしてこっちを見てた。
わたし以外の人が見たら睨み付けられてるって思うかもしれない。
みんな怖がってるけど、くまが目を細めてるのには理由がある。特別なものじゃなくて、本当によくある理由。
「もうそろそろ、コンタクトにしたら?」
「……黒板は見える」
「すっごく目を細めて、でしょ?」
からかうように言ってみれば、くまは黙ってしまう。
体が大きいからいっつも席が一番後ろなのに、どうしてそんなに意地を張るんだろう。眼鏡は顔周りが鬱陶しくて気になるから嫌だって言うし、くまはちょっと駄々っ子だ。
「次の試合終わったら眼科行って、相談してみなよ。お医者さんならきっと大丈夫だよ」
“何が大丈夫なんだ”って視線が来ても、わたしは笑うだけ。
無言でドアを開けたくまに続いて図書室を出て、鍵をかける。いつもならこれを職員室に返却して、武道館の近くにある自販で飲み物を買ってのんびりくまを待つところだった。
ちょっと予定が狂っちゃったけど、別にいいや。元々くまと帰るための暇つぶしだし。
「千沙」
「ん? あ、ありがと」
ぐるぐる巻いて首の後ろで留めてたマフラーの結び目が解けてたみたいで、さっと直される。
わたしの手が子どもの手に見えてしまうくらい大きな手なのに、くまは意外に器用だ。
くまと帰る時は、二人とも予定がなくて、くまの部活が終わった後。だからわたしとくまが並んで歩いてるのを見る人は、あんまりいない。
きっとあの子たちが見たらびっくりするだろうなぁ。
くまは優しいんだよ。こんなの、序の口なんだから。
「鍵返してくるね。向こうで待ってて」
少し考えたように間を開けて、くまが頷く。
別にくまと一緒にいるところを見られるのが嫌なわけじゃない。ただ、一度見回りの先生に会った時にすごくびっくりされて、次の日“何か嫌なことをされたら先生に言いなさい”なんてこっそり言われたから。
そう言われるのは心外だ。むしろそっちがすごく嫌だ。
だからなるべく先生には見られないように、わたしはくまと一緒に帰る。
「秘密の関係、なんてね」
別の方向に歩いてたくまが振り返って、首を傾げる。
わたしはそれに何でもないと声をかけて、ちょっと小走りに職員室へ向かった。
× × ×
「くま、後ろ乗っけて」
毎回のことなのにこうやって聞くわたしは、結構律儀なんじゃないかと思うんだ。
いつものようにくまが自転車にまたがる。くまが乗ると自転車が小さく見えて、ちょっとアンバランス。
荷台にまたがると肩ごしにくまが振り向いた。
「千沙」
近くを見てるのに、目が細くなる。
視線と声のトーンがわたしを叱ってるってすぐにわかる。
「大丈夫だよ。くまがいるから見えないって」
毎回同じ流れなのに、くまはいつも一度はわたしに横乗りを勧める。
横乗りするのは何だか体勢的に慣れなくてちょっと怖い。
だからわたしはいつも暗いからとか、スカート短くないからとか、そんな色んな理由で逃げてる。
今回も折れてくれるのはくまで、ため息ひとつで前に向き直ってくれた。
ペダルを踏み込めば、体が傾く。
背中に手を置いてそれをやり過ごして、駐輪場から一番近い裏門を抜ける。
図書館から出る前まではまだ少し明るかった空は、もう夕焼けも落ちる寸前。
綺麗な空だ。見上げるには首を目一杯上に傾けなくちゃいけなくて、ちょっと残念だと思う。
ただ、こうして真っ直ぐくまの背中を見るのが好きなのも確かなことで。
「くま、どっか寄ってく?」
少し間が空いてから、振り返ることもなく首が横に振られる。
いつもよりだいぶ早い時間なのに、直帰するのは変わらないらしい。わたしを駅近くの家まで送って行くから寄り道といえば寄り道だけど。
と、思ったらいつもと道が違う。
帰り道は学校から川を挟んで駅がある中心部に向かうルート。いつも通るのは入学してからできた大きな橋の方だけど、今日はそこを通り越した。
昔からある小さな橋の方を通るみたいだ。ちょっとだけ、遠回りの帰り道。
何とも言えない気持ちになって、大きな背中に頭を預ける。
それから腰に手を回して、ぎゅうっと。全然手が回り切らなくて、それでも暖かい。
「千沙」
キュ、と小さなブレーキ音。
肩越しに振り向いたくまの顔は薄暗い中でも顰められているのがわかる。
きっと他の人が見たらすっごく不機嫌そうに見えるんだろう。でもわたしは照れてるんだってわかる。
「なぁに?」
わざとらしく首を傾げれば、小さなため息。
嫌なんじゃないんだよね。ただ、どうしていいかわからないんだ。
「やめろ」
「くっついた方があったかいよ」
元から隙間なんてないのに、更にぐいぐい体を押し付ける。
そうすれば、くまはますます眉間に皺を寄せた。
「……千沙」
艶消し声が、ちょっと掠れる。
ああ、我慢してるんだなぁってわかる。何をどう我慢してるのか、具体的にも、何となく。
「だから、なぁに?」
でもわたしからは言わない。
こんなにも態度で表してるんだから、言ってあげない。
またひとつため息をついて、くまが自転車を漕ぎ始める。
くっついたままのわたしを気にしないように、少しだけ速度を上げて。
わたしの名前を、たくさんたくさん呼ぶくせに。あんなに感情をこめて呼ぶくせに。
どうして、その先の言葉が出てこないのかなぁ。
「わたしのこと、早く食べちゃえばいいのに」
口の中だけで消えるように、吐きだした思い。
聞こえちゃったら、きっと言葉もなく食べられちゃうから。
たった一言。わたしをどう思ってるのか。それだけ言ってくれたら全部あげちゃうのに。
わたしの好きなくまは、優しくて気遣いができるのに、とんでもなく奥手で女心をわかってなくて――そんなところも、大好きだ。
END
閲覧ありがとうございます。
現代恋愛ものが書きたくなって何気ない感じで書いてみました。
無口男子が好きです。強面大好きです。食べるって言うと狼系男子を想像しますがあえての熊系で。
千沙はふわふわした感じの子にしたかったのですがちょっと小悪魔系になってしまったかも……個人的に小悪魔大好きなのが全く隠せない。
ここまで読んでくださってありがとうございました!