7 領域へのトリガー
(やれるか、あれを)
冥は自問自答する。
無我の境地。
フロー状態。
ゾーン。
呼び方はさまざまだが、それが冥がかつて体感した『覇王の領域』の正体だ。
強敵メリーベルとの戦いでは、その領域に入ったことで勝利することができた。
エルシオンの能力を限界をはるかに超えて引き出し、さらに領域に入った状態での『龍心眼』で、相手の攻撃を普段よりもはるかに高精度で先読みして──。
「あいつに勝つには、おそらくそれしかない」
冥は懸命にエルシオンを操作した。
今まで戦ったどの機体よりも圧倒的な性能を誇る煉獄阿修羅の前では、わずかな操縦ミスも命取りになる。
ほんの少しでも回避が遅れたり、攻撃の見切りがズレただけでも、致命的なダメージを負いかねない。
一方の煉獄阿修羅は、エルシオンの斬撃が直撃したところで傷一つ負わない。
パワーやスピードだけでなく、装甲強度も桁違いなのだ。
「性能だけで押すようで、いささか気が引ける部分はある」
アッシュヴァルトが告げた。
「だが容赦はせん。これもまた戦いだ。戦場に身を置く以上、機体の性能差など言い訳にはならん」
「……言い訳にするつもりはないよ」
答えながら、冥は自機を後退させる。
一瞬前までエルシオンがいた場所を、六本の腕に寄る斬撃と衝撃波がえぐった。
小さなクレーターができるほどの攻撃だ。
「よく避けた。だがまだ終わらんぞ」
それすらも牽制に過ぎないといわんばかりに、煉獄阿修羅がさらに前に出た。
(このまま一方的に押されて──終わるのか)
冥は奥歯を噛みしめてうめいた。
斬撃と衝撃波。
淡々と積み重ねられる攻撃の嵐に、エルシオンは後退に次ぐ後退を余儀なくされる。
やがて、壁際まで追いこまれた。
回避にも防御にも、絶対的に不利な場所まで。
「終わりだな、勇者」
アッシュヴァルトが淡々と告げた。
「その位置では逃げる方向も、動き自体も限定される。煉獄阿修羅の六本腕による斬撃から逃れることは難しい」
「……どうかな」
「貴様ほどの乗り手なら分かっているのだろう? すでに詰んでいることを。無論、機体の性能差があってのことだ。仮に同じ性能の機体で戦っていたら──結果はまったく違っていただろう」
と、アッシュヴァルト。
「こうして相対して、あらためて知った。貴様の腕は素晴らしい。旧型のエルシオンで煉獄阿修羅を相手に、ここまで立ちまわれるだけでも驚嘆に値する。いや、神業と言ってもいい」
煉獄阿修羅が一歩踏み出す。
エルシオンが一歩下がる。
「だが、残念ながらその機体では限界がある。いかに貴様が稀代の乗り手とはいえ、最弱の機体で最強の機体を打ち倒すには限度がある。ここで幕引きだ」
六本の腕が、ゆっくりとその手にした剣を振りかぶった。
避けられない──。
冥は反射的に悟る。
いくら先読みしようとも、もはや避ける場所そのものがない。
(負ける……のか)
目の前が暗くなるような絶望感だった。
龍王機での戦いで、これほどまでに『敗北』を予感したことは初めてだった。
(僕が負ければ、ユナとシエラは──)
モニターに映る彼女たちの姿を見つめる。
かつての戦いでともに戦った凛々しい姫。
今回の召喚で初めて出会った可憐な女戦士。
ユナやシエラとキスを交わしたときの記憶がよみがえった。
彼女たちに対する想いが、恋なのか、友情なのか、仲間意識なのか。
未だ答えは出ていない。
だけど一つだけはっきりしていることがある。
冥にとって、二人の乙女はかけがえのない存在だということだ。
護りたい、という気持ちがあらためて込み上げる。
「……嫌だ」
うめいた。
心の奥から振り絞るような声で。
魂の底からほとばしるような声で。
「何?」
「負けるわけにはいかない。負けたくない。負けられない」
「決意は立派だが、現実は変わらん」
アッシュヴァルトが冷然と言い放った。
煉獄阿修羅の六本の剣が、閃光と化して振り下ろされる。
「さあ、散れ」
「だから──力を」
──力が、欲しい──
今までのどんな戦いよりも、強く願った。
敵に勝つためではなく。
二人の少女を守るために。
大切な存在を護るために。
そのための力を。
刹那。
エルシオンは、白い閃光と化した──。