10 夜の森で
コーデリア・エフィルは、機械工業が発展した世界──第四層の社長令嬢として育った。
蝶よ花よと育てられた温室育ちのお嬢様だ。
引っ込み思案でおとなしい性格とは裏腹に、彼女には戦士としての天分があった。
龍王機の操縦と射撃の腕前、その双方に天賦の才能を示したのである。
そして十年前、クレスティアに侵攻してきた先の魔王ヴァルザーガを討伐するために、わずか八歳にして龍王機の乗り手として選ばれた。
──どうして私が戦わなければいけないの?
争いを好まない彼女は渋々ながら、その役目を引き受ける。
同じように選ばれた三人の少女とともに勇者をサポートして戦った。
その戦いの中で、彼女は恋に落ちた。
勇者として異世界から召喚された少年に。
──私はこの人が好き。
生まれて初めての恋は、心の中に秘めたまま。
想いを伝えることは、最後まで叶わなかった。
勇者は魔王を倒すと、すぐに姿を消してしまったのだ。
コーデリアは彼の行方を追った。
十年間、追い続けた。
だが、ついにその行方をつかむことはできなかった。
積もり積もった恋心は少しずつ歪みを見せ始め、そして──。
遠くから鬨の声が聞こえる。
魔族バームトトが守る要塞を攻め落とした兵士たちの勝ち鬨だ。
そんな喧噪をよそに、コーデリアは夜の森を進んでいく。
待ち合わせの場所へと。
「よく来たな、コーデリア」
木々の影から一人の男が現れた。
「……定時連絡を欠かすわけにはいかないもの」
コーデリアが表情を険しくした。
「手短にお願いね。あまり長い間抜け出していては、冥くん──いえ、勇者たちに怪しまれてしまう」
と、目の前の男を見据える。
精悍な顔立ち。たくましい体躯にまとうのは重厚な鎧。
背には身の丈ほどの巨大剣を背負っている。
武人という言葉を体現したかのような巨漢だ。
そして、その背後には巨大な龍王機がたたずんでいた。
三つの顔と六本の腕。
黄金と漆黒に塗り分けられた鋭角的なボディ。
背中には巨大な日輪状のバインダー。
『煉獄阿修羅』。
半年前、魔王が侵攻してきた際、クレスティアを守る人類側の龍王機の約三分の二をたった一機で屠った魔界最強の龍王機。
そして、それを操る《不敗の豪将》アッシュヴァルト・リーギ。
「その勇者のことで聞きたいのだ、コーデリア・エフィルよ」
アッシュヴァルトの眼光は鋭い。
並の人間なら、いや魔族でさえも──その威圧感だけで失神してしまうほどに。
とはいえ、コーデリアとて四英雄と呼ばれた少女だ。
物理的な重圧すら感じるほどの強烈な視線を、真っ向から受け止めてみせた。
「貴様の任務は分かっているな? 勇者の懐に潜りこみ、油断をついて奴を倒す──それが一緒に戦って、このエリアを陥落させるとは。なぜだ?」
「私が勇者の仲間になったと信じさせるには、それが一番でしょう」
半分は事実、半分は嘘だった。
先ほどの戦いで、本当は冥を殺そうとしたのだ。
無防備なエルシオンの背後を狙い撃って。
だが、撃つ瞬間に迷いが生じ、冥の機体に致命傷を与えることができなかった。
(どうして私は、冥くんを撃てなかったの……?)
ここに来るまでに、何度も自問して──答えが得られなかった問いだった。
(必ず殺すと、誓ったはずなのに)
「よもや魔王軍を裏切り、本当に奴らの仲間になりはしないな」
案の定、アッシュヴァルトは疑わしそうにコーデリアを見据えていた。
「戯言を」
「では、なぜ勇者をさっさと殺さない?」
アッシュヴァルトが歩み寄る。
「任務を放棄するということは、魔王陛下のご意志に背くということ。そして陛下に従わぬものは──」
淡々と言いながら、背中の大剣を抜く。
幅広の刀身はほとんど鉄板だ。
鍔はなく武骨な作りの柄が、その鉄板状の刃から伸びているのみ。
余分な装飾がいっさいない巨大剣は、質実剛健を絵に描いたようなアッシュヴァルトを体現しているかのようだった。
「私が、斬る」
巨大な刀身が月明かりに反射し、鈍く光った。
「……!」
さすがにコーデリアも顔をこわばらせる。
エルナ・シファーと並んで魔界最強と称されるこの男の実力はよく知っている。
龍王機の乗り手としても、そして剣士としても──。
刃向えば、即座に殺される。
そんな重圧が、巨漢剣士の全身から吹きつけてくる。
「使命を忘れたわけじゃない。今はただ、好機を狙っているだけよ」
コーデリアはわずかに声のトーンを落とした。
「曲がりなりにも相手は勇者よ。軽々しく仕掛けられる相手ではないもの」
「……ふん」
鼻を鳴らすアッシュヴァルト。
ホオズキ色の瞳には、コーデリアへの不信感がありありと浮かんでいる。
もっとも、前の大戦では勇者とともに魔王を倒した彼女を、仲間として信用しろというほうが無理があるかもしれないが。
「期限はあと五日だ。それを過ぎた場合──」
──私が、斬る。
先ほどの言葉を思い出し、コーデリアは息を呑んだ。
「魔王陛下のご意志に背くつもりはないから安心して」
言いながら、背中にじわりと汗がにじむ。
「私は必ず……勇者を殺す」