5 無双勇者、ふたたび
ディーヴァの機体が両断されて転がっていた。
胴体部は異常なほど滑らかな切り口を見せ、剥き出しになった内部構造が確認できる。
「ああ……」
隣でユナががくりと膝をついた。
「私たちの希望が……」
勇者専用の最新鋭機。
魔王打倒の切り札。
人類最後の希望。
それが今──冥が乗りこむことさえなく、魔族によってあっけなく破壊されてしまった。
「龍王機の格納庫には厳重な警備態勢が敷かれていたはず……一体なぜ」
「さっきも言っただろう。我が愛機『銀閃の歌姫』には試作型のステルス機能である『迷彩魔甲』が搭載されている。こんな風に──」
冥たちの眼前で銀色の機体が陽炎のように揺らいだ。
足元から頭部に至るまでその色彩が薄らぎ、やがて完全な透明状態に変化する。
「警備の目をかいくぐったわけだ。もっとも大量の魔力を消費するから、乱発はできんがね」
笑い声とともに、ふたたび銀の機体が実体化する。
「それはそうと──貴様はユナ姫だな」
騎士の兜を思わせる頭部がこちらを向いた。
真紅の両眼に妖しい光が宿る。
「人類連合の指導者。我らが敵」
ゆっくりとセイレーンが近づいてきた。
「くっ」
冥たちは動けない。
仮に逃げたところで、人間と龍王機では歩幅が違いすぎる。
すぐに追いつかれるだろう。
一歩近づくたびに起きる地響きは、さながら死へのカウントダウンだ。
「魔王陛下の命は二つ。そのうちの一つ──勇者専用機ディーヴァの破壊は成し遂げた。残るは一つ。連合の指導者であるお前を始末すること」
セイレーンが剣を振り上げる。
湾曲した刃が爆炎の照り返しを受け、凶悪な輝きを放った。
「人類の希望は今、消え失せる。死ね──」
「ユナっ」
冥がとっさに彼女を押し倒した。
直後、巨大な刃が、先ほどまでユナが立っていた場所を通りすぎる。
そのまま地面にぶつかり、深い亀裂を刻んだ。
「大丈夫、怪我はない?」
「あ、ありがとう、勇者さま。助かりました……」
冥の腕の中でユナの体が震えていた。
かつての大戦で幼女だったころの彼女を思い出す。
あのときのユナも、震えながらも気丈に戦っていた。
「ほう、お前が勇者か。すでに召喚されていたとは」
セイレーンの中から魔族の声が響いた。
ユナを押し倒し、抱きすくめたまま、冥が顔を上げた。
「我が名はメリーベル・シファー。栄えある『純魔族』の一人。お前の名を聞いておこうか」
「……竜ヶ崎冥」
体を起こしながら、冥。
「ん? お前、似ているな」
メリーベルの声に怪訝そうな響きが加わる。
「魔王陛下に瓜二つだ。しかし勇者と魔王がなぜ──」
ごうんっ!
その言葉を途中で遮り、セイレーンを爆炎が包んだ。
「そこまでです」
冥の傍に、いつの間にか杖を構えたユナの姿があった。
すでに先ほどまでの震えはない。
完全に戦闘モードに切り替わったようだ。
「煉獄より来たれ、紅蓮の覇王」
呪文とともに、杖の先端に真紅の輝きが宿る。
(ユナの魔法か)
指向性を持った精神力を『魔力』と呼ぶ。
龍王機の動力源でもある強力無比なそのエネルギーを、物理現象として顕現できる者がまれに存在する。
それが『魔法使い』と呼ばれる異能者だ。
そしてユナは天才的な魔法の使い手だった。
かつての大戦ではまだその片鱗を見せていたにすぎなかった。
だが──こちらの時間軸では十年が経ち、ここまでの魔法使いに成長したようだ。
「『真紅皇炎弾』!」
呪文とともに、蓄えたエネルギーを一気に解き放つ。
ごうんっ! ごうんっ!
巨大な火球が連続して放たれ、セイレーンを襲った。
家屋くらいなら一撃で焼き尽くすほどの熱量。
(すごい……! これが、ユナの魔法!)
だが、その連撃を受けてなお、セイレーンは無傷だ。
たとえ天才的な魔法の実力を持つユナといえど、龍王機にダメージを与えることはかなわない。
「せめて、皆を逃がすための時間稼ぎを──私は騎士ではありませんが、それくらいはできます!」
だが、ユナもそんなことは百も承知なのだろう。
敵わないと知ってなお、立ち向かう姿勢を崩さない。
「冥もシエラも、今のうちに逃げて! 宴に残っている人たちを避難させてください!」
「ユナ、君は──」
命を懸けて、敵を引きつけるつもりなのだ。
(どうすればいいんだ)
ディーヴァが健在なら。
悔しさが胸をかきむしる。
龍王機さえあれば、皆を守るために戦えるのに──。
(ん、龍王機……? そうだ──)
瞬間、冥の頭にひらめくものがあった。
「この場は私たちの負け。ですが、勇者であるあなたさえ生き延びれば……」
ユナがこちらを見つめる。
「いつの日か、新たな機体とともに魔族に対抗できる日が来るはずです。私は、そのための礎となります」
「ユナ……」
「この命を賭して」
ユナが凛として告げる。
「だから──早く逃げなさい!」
「う、うん……」
迫力に気圧され、冥はその場から離れた。
※ ※ ※
吹きすさぶ爆風が、長い桃色の髪を揺らす。
ユナは緊張の面持ちで巨大な龍王機と対峙していた。
「やれやれ、本当に逃げ出すなんてね。あれが勇者か?」
メリーベルの嘲笑が響く。
「ただの腰抜けではないか」
「私たちの最後の希望です。彼はそれを汲んでくれただけ」
ユナが毅然と言い返す。
「それに、私とてただではやられません」
「ほう、勇敢だな。お飾りの姫君ではなさそうだ。それにその魔力──そこまで強大な力を持つ者は、魔族にも少ない。人間にしておくのが惜しいくらいだ」
セイレーンの装甲にはわずかな焦げ目がついていた。
ユナの魔法を連続して受け、できた焦げ目だ。
何層もの多重魔導反発装甲によって守られ、本来ならどれほど強大な魔法でも傷一つつけられないはずの、龍王機が。
「魔族に褒められても嬉しくなどありません」
ユナの表情が歪む。
「私の大切なものを奪ったお前たちを──絶対に許さない」
胸に去来するのは、炎に包まれる城。
切り裂かれ、焼き尽くされる、両親や臣民たちの悲鳴。
完膚なきまでに滅ぼされた故国──。
「ならば敵同士らしく、殺しあうか」
セイレーンが剣を振りかぶる。
剣先に魔力エネルギーが集中し、銀色の輝きを放った。
「お前に敬意を表し、全力の一撃で消し去ってやろう」
巨大な刃が風を切り、ユナを叩き潰そうと迫る。
魔法の詠唱は間に合わない。
もちろん、避けられるスピードでもない。
(駄目、防げない……!)
ユナは諦念とともに目を閉じる。
ガキンと重厚な金属音が上がった。
「──!?」
予想していた衝撃が来ないことに驚きながら、ゆっくりと目を開く。
「あ……」
セイレーンの剣が、ユナの眼前で止まっていた。
「誰が腰抜けだって?」
横合いから敵機の剣を受け止めたのは、もう一本の巨大な剣。
「勇者さま……?」
ユナが驚きの声を漏らした。
「やっぱり、ユナを置いて逃げるなんてできないよ」
冥が微笑みとともに告げた。
龍王機のコクピットの中で。
「……まさか、その機体は」
ユナが息を呑んだ。
先ほど、セイレーンの攻撃によって七機の量産機はすべて破壊された。
だが、その奥にある機体はまだ無事だったのだ。
今や使う者もいなくなった旧型の骨董品。
「エルシオン──」
メリーベルがうめいた。
「先代の魔王陛下を討ったという伝説の機体か」