4 宴の炎、戦いの始まり
「今、この世界に攻め入っている魔王──その正体こそ、かつての勇者なのですから」
冥はその言葉を呆然と聞いていた。
(えっ、今なんて言った? かつての勇者って……僕のことだよね)
三年前──この世界の時間軸でいえば十年前、最初の召喚を受けた冥は魔王を討ち、世界に平和をもたらした。
「えっと、つまり……」
まだ混乱している頭の中を必死で整理する。
「先代の勇者は魔王を倒した後、新しい魔王になった……ってこと?」
「ええ、それが一ヶ月前の出来事です」
ユナがうなずく。
「異世界からふたたびやって来た勇者は魔族の軍団を従え、このクレスティアに侵攻しました。かつての魔王をはるかに上回る規模の軍勢に、私たち人類もなすすべなく──わずか一ヶ月で人類圏の九十九パーセントが魔族の手に落ちました」
沈痛な表情で語るユナ。
「先の大戦で勇者とともに戦った『四英雄』も魔王に立ち向かいましたが……敵いませんでした」
(あの四人が……)
かつての仲間の現状を知り、冥もまた沈痛な気持ちでうつむく。
「私は人類圏の奪還にすべてを捧げました。生き残った人類を組織し、私自身も魔族と戦うために魔法の修業を重ねてきました」
ユナの顔つきは悲壮だった。
天真爛漫な幼女の面影は見当たらない。
それが冥には悲しかった。
「あの男は世界を救った勇者という栄光を捨て、人々からの信頼を踏みにじり、裏切りました。多くの人を苦しめ、傷つけ、殺しました。絶対に許さない。だから、魔王は私の手で討ちます。父と母の、そして臣民たちの仇を、この手で──」
「んー、ちょっと肩に力が入りすぎかな」
「きゃあっ!?」
いきなり背後からユナに抱きついてきたのは、シエラだった。
その手がユナの胸元を妖しく揉みしだく。
「な、な、何をするのですか、シエラっ」
「姫さまが思いつめてるから、ほぐしてあげようかと」
ドレスの生地を通してシエラの指がユナの胸に軽く食いこむ。
シエラのように大きくはないが、形よく整った美しい胸だった。
ぐに、ぐに、とマッサージのように揉みほぐすと、生地越しにお椀のような流麗なフォルムが浮き出す。
(うわわっ)
思わず視線を吸い寄せられた。
健全な男子なら、見つめずにはいられない見事なバスト。
「きゃああっ、ゆ、勇者さまも、見ないでぇぇ……ふぁぁ」
先ほどまでの怒気もどこへやら、すっかり腰砕けになるユナ。
へなへなと力が抜けたように、その場にへたり込んでしまった。
「姫さまって、おっぱいが弱点なんだよねー」
「そ、そのような破廉恥なほぐし方は結構です」
慌てたようにシエラの手を振りほどくユナ。
顔が真っ赤だ。
「えへへー。姫さまのおっぱいって弾力あって気持ちいいから、つい揉んじゃうんだよねー」
「シエラ、ちょっと……ふあぁぁ」
「すごーい、ぷにぷにぷるぷるー」
冗談めかして笑っているが、シエラの顔にはどこか安堵したような色がある。
彼女なりにユナを心配しての行動だったのかもしれない。
釣られて冥も微笑んだ。
「……何を笑っているのですか、勇者さま」
立ち上がったユナがじろりとにらむ。
「いや、ユナはいい友だちを持ってるな、って思って」
「……私には友などいません。ただ司令官として皆を率い──きゃあんっ!?」
「だから、思いつめちゃダメだってば~」
ふたたびシエラがユナの胸を揉みしだいた。
「姫さまのおっぱい、柔らかくてホントに気持ちいい~♪」
「や、やめてぇ……」
(……もしかしてこの子、単にユナの胸を触りたかっただけでは)
汗ジトになったそのとき、突然の轟音が響いた。
「なんだ!?」
冥はユナとシエラを伴い、会場の外に出た。
遠くの方で火の手が上がっている。
「あれは──格納庫のほうですわ!」
ユナが青ざめた顔で叫んだ。
「まさか、敵襲……!?」
たちまちざわめく兵士たち。
「慌てるな! 各員、迎撃態勢を取れ!」
一瞬にして指導者モードに入るユナ。
兵士たちはすぐに兵器庫へと向かった。
冥もユナたちともに急ぐ。
(一体、何が──)
兵器庫に到着すると、そこは炎に包まれていた。
燃え盛る炎の照り返しを受けているのは、銀色の機体。
魔族の、龍王機だ。
格納庫内には、八機の龍王機が左右に並んでいる。
そのうちの一機はシエラの愛機サラマンドラだった。
そして残りの七機はいずれもグレーのカラーリングで統一されている。
通称を『エッジ』と呼ばれる、一般兵用の『妖精の剣士』。
希少品である龍王機は、この連合に八機だけ配備されている。
これが連合の主戦力であり、魔族に対抗する要だった。
その要が──。
銀の敵機によって次々と頭部を切り裂かれ、両手足を寸断される。
あっという間に解体され、残骸となって転がる。
操縦者が乗っていない龍王機はただの鉄の塊にすぎなかった。
一方的に壊されていく。
「こいつ、一体どこから侵入した──」
「なぜ、気づかなかったんだ……!?」
ざわめく兵士たち。
操縦者のいない龍王機が一機、また一機とむなしく破壊されていく。
「他愛もない。こうも易々と侵入できるとは──人類圏最後の砦が聞いてあきれる」
銀色の機体から嘲笑の声が響いた。
「セイレーンのステルス機能がそれだけ優れていた、という証かもしれんがな。くくく」
敵機──セイレーンがさらに奥へと進んでいく。
エッジたちの向こうには、きらびやかな装飾のなされた龍王機が鎮座していた。
「後はこいつを壊せば、人間たちの希望は消える。個人的には、こいつと戦ってみたかったが──魔王陛下の命令は絶対だ」
「いけない! 皆でディーヴァを守りなさい!」
ユナが血相を変えて叫んだ。
人類最後の希望ともいえる勇者専用の龍王機。
それを破壊されてしまっては、もはや魔王軍に対抗する手段はなくなる。
「兵たちよ、人間どもを足止めせよ」
セイレーンから魔族の声が響いた。
銀の機体の足元に控えていた黒い鎧の兵士たちが、こちらへ向かってきた。
手に手に剣を携えた彼らは、魔族の兵士だ。
「ちいっ」
シエラが、舌打ち混じりに剣を抜いた。
しなやかに地を蹴り、突進する。
閃く銀の槍が、殺到する兵士たちを次々と斬り伏せていく。
人間をはるかに超える身体能力や魔力を持つ魔族に対し、まさしく人間離れした戦いぶりだった。
「……安心して。峰打ちだから」
倒れ伏した魔族兵を見下ろすシエラは悲しげだった。
魔族の大半は、元は人間である。
魔王軍の力で、魔界の眷属へと『悪堕ち』させられているだけなのだ。
そして、それを救う手だては──。
「下がっていて、勇者さま」
迫りくる魔界兵たちを牽制しながら、シエラが告げる。
「あ、ありがとう……」
龍王機の操縦ならともかく、直接的な戦闘では冥は役立たずだ。
とはいうものの、卓越した剣士らしい彼女も、さすがに多勢に無勢のようだった。
峰打ちで次々と兵士たちを倒しているが、数十人単位の敵がまだ控えている。
その間にも、セイレーンは一歩、また一歩とディーヴァへ向かっていく。
「お前たちの最後の希望は、たった今──このメリーベル・シファーが破壊する!」
セイレーンが剣を振りかぶる。
「ああっ……!」
呆然と叫ぶ冥の眼前で──。
ディーヴァの壮麗な機体は真っ二つに両断された。