10 冥の戦い
虚空に、白い光と黒い闇が交差する。
冥と魔王ヴァルザーガが互いに攻撃を放ち、そのたびに空間そのものが爆光で揺らいだ。
「ふたたび余を討つつもりか、勇者。だが今度こそ──そうはいかんぞ」
ヴァルザーガが吠えた。
ローブの裾から無数の触手が飛び出す。
先端に剣や槍、斧など多種多様な武器を備えた、凶悪な触手の群れだ。
「くっ、この……」
冥は剣を振るい、それらを次々に斬り飛ばした。
世界を守りたいという強い『意志』が込もった斬撃の威力は、魔王の触手ですらも寄せ付けない。
刀身がまばゆいばかりの輝きを放ち、無数の触手は触れるそばから斬り散らされる。
だが、斬っても斬っても、次々に触手が生まれては襲ってきた。
「きりがない……」
「これらすべてが──負の想念でできている」
魔王がふいに語った。
「人間の負の感情は無限に湧いてくる。きりがないのも当然だ」
語りながらも、触手の襲撃は止まらない。
四方から冥に殺到する。
おかげで話を聞いている余裕など、ほとんどなかった。
「何の話だよ……くっ」
言い返しながら、冥は剣を振るい続けた。
とにかく動きが止まれば、あっという間に触手に取り囲まれる。
「……グロいんだよね、これ」
斬り飛ばした触手はしばらくの間、その場でのた打ち回り、鼻が曲がりそうな腐臭を放ち、臓物に似た肉片をまき散らしながら、やがて消滅する。
それを何十回、何百回と繰り返していると、いいかげんに辟易する。
「醜いか? おぞましいか?」
魔王がたずねる。
「だが、それは貴様の内にもあるのだぞ」
「だから、さっきから何の話を──」
「すべての人間が持つ、負の想念。憎悪、嫉妬、憤怒……それらが余を生んだ」
──魔王っていうのは、そもそも『星天世界』からやって来た存在なんだよ。ここは、いってみれば僕の生まれ故郷だね。
冥と同じ顔をした魔王の言葉を思い出す。
「余は貴様だ。貴様の中に同じものが眠っている。無限に生まれる触手は、この世界の怨念の量そのもの」
「…………」
「余は貴様らの心が具現化した存在に過ぎぬ。過去から今に至るまでくすぶり続け、存在し続ける。その余を断罪することなど、いかなる人間にもできん」
「だからって、おとなしく滅ばされるのを待てっていうのか。それに──」
冥の振るう剣がまた一つ、触手を斬り飛ばす。
「負の心だけが、人間のすべてじゃない」
あの女の子の不安げな顔を思い浮かべる。
かつて異世界で一緒に戦った少女の、仲間たちの、笑顔を思い出す。
守りたいという気持ち。
慈しむ思い。
それらは、確かに冥の中に在る。
その思いを背負い、叶えるために剣を振り、龍王機に乗る。
それ冥の、勇者としての戦い。
「負の心も、正の心も──それぞれが人間の一面だ」
振り下ろした剣が、残る触手をすべて斬り払った。
「一方だけを押しつけるなっ」
「馬鹿な!? なぜだ!?」
ヴァルザーガの声には明らかな焦りがあった。
「一太刀ごとに、貴様の剣が力を増していく──」
冥が振るう勇者の剣が、魔王のまとうローブを切り裂く。
血のような黒い飛沫が吹きだした。
(いける! もう魔王からプレッシャーを感じない!)
冥はさらに踏みこんだ。
剣の心得などない。
見様見真似で打ちおろし、薙ぎ払うだけだ。
立ちふさがる触手を次々と切り裂き、少しずつヴァルザーガとの距離を詰めていく。
「ぐおおお、おのれっ」
反撃の消滅魔法は、勇者の剣であっさりと吹き散らした。
「なぜだ……あのときより力を増した余が……」
「力を増した? むしろ前より弱くなってるんじゃないのか」
冥は半分強がり、半分疑問の気持ちで言い放つ。
けっして油断はしない。
今のところは互角以上の勝負とはいえ、相手は大陸を消し去るほどの力の持ち主だ。
「いや、貴様も……力を増しているのか……想念が濃くなっている……人の持つ、意志の力……希望の光……」
魔王が冥を見て、うめく。
ここまで一方的に押しこめるとは、冥も思っていなかった。
いや、そもそも勝てるという気持ちすらなかった。
ただ、何もしないで座して死を待つことができなかった。
おびえる女の子を前にして、放っておくことができなかった。
だから、せめて立ち向かおうと思った。
ただ、それだけのことだ。
「人が、人を守ろうとする想い……優しさと思いやり……それこそが、貴様の力の根源というわけか……忌々しい……余にもっともダメージを与える、力を……」
魔王は冥から大きく距離を取った。
「生身の勝負では分が悪いようだ……心と心の勝負で、貴様は余をしのぐほどの存在になっている……ならば」
ローブをまとった体から黒い霧が広がる。
消滅魔法か、と警戒するが、違った。
「これでどうだ」
広がった霧はいったん霧散し、中空で凝縮する。
現れたのは、巨大な人型だ。
「あれは……」
冥は驚きに目を開いた。
「まさか──」
息を呑む。
「今度こそ貴様を倒す。我が龍王機──この『堕天の魔導王』でな!」
かつての愛機に乗りこみ、魔王が吠えた。
二十メートル近くある巨体は、通常の龍王機の約二倍を誇る。
ねじくれた角が突き出した兜のような頭部。
黒と金の装甲。背中に背負った長大な剣。
エルシオンが天使を思わせる翼を生やした白い騎士なら、コキュートスは悪魔を連想させる禍々しい鎧をまとった漆黒の狂戦士だ。
「終わりだ、勇者よ!」
コキュートスの大剣が冥の頭上に振り下ろされる──。