8 ユナの決意
「勇者がふたたび現れたそうだね。第一層の各エリアはあらかた奪い返されたとか」
エルナが表情を引き締めて、言った。
(ああ、凛々しいお顔……)
メリーベルはそんな姉の美貌に見とれてしまう。
「特にシフォンみたいな猛者に、旧型のエルシオンで勝ったのはすごいね。勇者の実力は本物だ。だからボクが、魔王陛下から様子を見てくるように言われた」
「姉さまが、直々に?」
メリーベルはごくりと息を呑んだ。
身内のひいき目なしに、エルナは魔族最強の騎士だ。
龍王機を扱わせて姉の右に出る者はいない。
その姉がわざわざ派遣されてきたということは、魔王は勇者に対して最大限の警戒をしている──ということだろう。
「先手はメルに譲るけどね。勇者にリベンジしたいんでしょ? 存分にやるといい。万が一のときの備えさ、ボクは」
「メルに、先に戦わせてくれるのですか」
「当然、メルの気持ちを尊重するよ。この世で一番大切な妹なんだから」
エルナが今度はメリーベルの両頬にキスをした。
「ふわぁぁぁん、姉さまぁ……」
こらえきれずにメリーベルはその場に崩れ落ちた。
全身が興奮で粟立っている。
「じゃあね、メル。ボクは『金翼の魔姫』の整備をしてくるよ。第八層からここまで飛びっぱなしだったからね」
にっこりと微笑み、姉は去っていった。
「ああ、姉さま……姉さまぁ……」
その後ろ姿を見送りながら、メリーベルはうわごとのようにつぶやく。
久しぶりに会った姉は、どこまでも凛として美しかった。
気が付けば、下腹部に不思議な熱が宿っている。
甘くて蕩けるような、どこか官能的な熱。
「ふう」
メリーベルは小さく息をついた。
疼く胸を、高まる闘志で押さえつける。
エルナとの再会は嬉しいが、今は気を引き締めなければならない。
「そうだ、姉さまの手はわずらわせない」
あの勇者を今度こそ打ち倒し、エルナに報告するのだ。
そのとき姉はどんな顔をするだろうか。
褒めてくれるだろうか。
抱きしめて、祝福のキスをしてくれるかもしれない。
かつてメリーベルが魔王からこのセイレーンを下賜されたときのように──。
「姉さまに認めてもらうんだ、この私が」
トロンと潤んだ瞳で虚空を見すえるメリーベル。
考えただけで、体中に甘酸っぱい愉悦感が広がった。
※ ※ ※
ユナは、冥が落ちていった崖下を無言で見下ろしていた。
月明かりに逆巻く海流と切り立った岩場が淡く照らし出されている。
この高さから落ちれば助からないだろう。
「討ったのね……私の手で、冥を……」
深いため息が漏れた。
かつて憧れ、恋し、そして裏切られた相手──。
それがふたたび彼女の前に現れ、そして今、自分の手で葬った。
「私は……」
込み上げる思いが怒りなのか、悲しみなのか、それとも別の何かなのか──ユナ自身にも分からない。
目頭が熱くなる。
「どうして、私……泣いているの……」
自分で自分の感情が良く分からなかった。
「あれ、姫さま。こんなところにいたんだ?」
元気よく駆け寄ってきたのは、シエラだ。
「ねー、勇者さま知らない? あたし、龍王機の操縦とか教わろうと思って」
「冥は……」
ユナが振り返る。
慌てて目元をぬぐった。
無意識に握りしめた拳が震える。
「……姫さま?」
キョトンと首をかしげるシエラ。
明るく朗らかなその表情を見るのが、今のユナには辛い。
(だめだ、言えない──)
ユナは唇を噛みしめた。
冥は先代の勇者と同一人物──憎むべき魔王だった。
勇者に憧れているシエラに、その真実を告げるなんて。
しかもシエラは冥に好意を抱いていたようだ。
乙女の純情を傷つけたくはなかった。
友として──。
「勇者……さまは……」
握りしめた拳が震える。
だけど伝えなければならない。
姫として。連合の指導者として。
今や人類に残された最後の希望の戦士である、彼女に。
真実を──。
「いえ、あの男は……魔王軍に恐れをなして逃亡しました」
ユナはため息混じりに告げた。
これくらいの嘘は、きっと許されるはずだ。
罪は自分一人で背負う。
シエラには、前だけを向いていてもらうために。
「えっ? もう、姫さまってば、冗談やめてよ~」
「冗談ではありません」
ユナがゆっくりと首を左右に振った。
「……嘘」
シエラの顔から笑みが消える。
「そんな! あたしより強い人が、逃げるなんて思えないよ」
「事実です、シエラ」
ユナがぴしゃりと言い放つ。
「受け入れてください。そして覚悟を決めて。現状、私たちの陣営で戦う力を持っているのは、もはやあなた一人──」
「……!」
シエラがごくりと息を呑んだ。
「戦いましょう。私は龍王機に乗る資質はありませんが、この命を賭してあなたを援護します」
勇者なき世界で。
人類の存亡をかけた戦いが、いよいよ始まる──。