7 覚醒のメリーベル
舞台は変わって階層世界クレスティア、その第一層──。
「次は右から行くぞ、シフォン。剣で薙ぎ払う。狙いはファングの左肩だ」
メリーベルが淡々と告げた。
「……来い」
対するシフォンは静かに答える。
現在、二人は模擬戦の最中だ。
勇者と戦うための特訓である。
メリーベルは愛機である『銀閃の歌姫』に、そしてシフォンは量産型の龍王機である『魔龍の牙』に搭乗していた。
(相手は格下の機体だ。勇者と戦ったときと、同じ状況。スペックなら私のほうが圧倒的に有利……)
メリーベルは心の中で状況を整理する。
ファングは第五世代の龍王機である。
勇者が乗るエルシオンよりは高性能だが、第六世代のセイレーンに比べれば格段に性能が劣る。
(だが、私はハンデを負っている)
事前に自分の行動を宣言してから、メリーベルは動くのだ。
すべては、以前に勇者と戦ったときの再現だった。
──相手の機体は、愛機よりも性能が劣る旧型。
──そして相手は自分の動きをことごとく先読みする。
もちろん、シフォンにはそんな先読み能力はないが、メリーベルが事前に行動宣言することで、疑似的に勇者との戦いを再現しようという試みだった。
そして──その状態でなおかつ、相手を上回ることができれば、実際に勇者と再戦しても勝てるかもしれない。
(だが、すでに五十七回シフォンに挑み、すべての攻撃を防がれている)
シフォンとメリーベルはほぼ同等の技量である。
まして、こちらの動きをすべて事前に知らせている状況では、相手に圧倒的なアドバンテージがあった。
フェイントをいくつも重ねたり、ひたすら連続攻撃をしかけたり、ステルス機能である『迷彩魔甲』を併用したり──。
しかし、小手先の攻めはいずれもシフォンに通用せず、返り討ちにあった。
(私は勝つ。この条件で勝てなければ、勇者にリベンジするなど夢のまた夢だ)
メリーベルは自分を奮い立たせる。
「いくぞ」
五十八回目の対峙が、始まった。
狙いは宣言した通りだ。
回りこむように突進し、そのまま全力の打ちおろし。
シンプルきわまりない攻撃だった。
(どのみち、小手先の技は通用しない)
ならば、最速最強の剣でもって敵を打ち砕くのみ──。
「へっ、来る方向も、攻撃の狙いも分かってるなら──」
右側から回りこんだセイレーンをシフォンのファングが迎え撃つ。
何しろこちらの動くコースが事前に分かっているのだ。
まるで未来が見えるかのように、敵機は前もって迎撃態勢に入っている。
(ならば私は、その未来をも超える!)
メリーベルが瞳を見開いた。
ふいに、全身の血が熱く沸騰するような感覚が訪れる。
それでいて頭の芯はやけに冷たく、澄んでいる。
体の内に、炎と氷が同居するような不思議な感覚。
敵機のナイフがカウンターとなって突きこまれるのが──まるでスローモーション映像のように見えた。
(これは──この感覚は──)
迫りくる攻撃を刹那の瞬間に見極め、レバーを、ペダルを、操作する。
「……なんだと!?」
シフォンが驚愕の声を上げた。
突き出されたナイフの先に、セイレーンの姿はない。
神速ともいえる回避反応。
最小限の動きでナイフを避けたセイレーンは、すれ違いざまにファングの右腕を斬り落とした。
まさしく会心の一撃だ。
「なるほど、これなら──」
コクピットの中でメリーベルがうなずく。
興奮と喜びで心臓が激しく鼓動を打っていた。
「勇者に勝てる」
「テメェ……」
シフォンがうめいた。
「攻撃の方向も、狙いも、全部分かってたのに……」
「お前に、何度も何度も叩きのめされたおかげだ」
メリーベルがふうっと息をつく。
極限まで集中したせいか、わずかな時間の戦いだというのに全身が鉛のように重い。
「やっと、たどり着けた。ずっと目指していた──あの領域に」
疲れはあるが、それ以上に爽快感があった。
そして、達成感があった。
「『覇王の領域』か。噂には聞いていたが、まさか、マジで体現できる奴がいるなんてな……」
シフォンが呆れたようにつぶやく。
「礼を言うぞ、シフォン。お前がいなければ、習得できなかった」
「ちっ、テメェに礼なんて言われると背中がむず痒くなるぜ」
シフォンは不快げだった。
「必ず勇者を倒せよ。そして、勇者を倒したテメェを──いつか、あたしが倒す」
「ああ」
メリーベルは好敵手のエールに、微笑を浮かべて答えた。
「受けて立とう」
かつ、かつ、と石の回廊に硬質の足音が響く。
「後は勇者を迎え撃つだけだ。早く来い」
メリーベルは魔城の回廊を進んでいた。
「私に屈辱を与えたあの男……今度こそ、この手で討つ」
生粋の魔族であるメリーベルにとって、人間など下等生物に過ぎない。
その人間相手に──しかもスペックの劣る旧型の機体を相手に遅れを取ったなど、これ以上の屈辱はなかった。
だがシフォンとの特訓で、ようやく勝てる見込みができた。
後は戦いのときを待つのみだ。
そしてそのときは、もう間近に迫っているはずだった。
城内の最奥にある部屋──今は彼女が私室として使っている──に戻ると、ドアの前に長身の少女が立っていた。
「久しぶりだね、メリーベル」
にこやかな笑みとともに、豪奢な金色の髪を軽くかき上げる彼女。
花の香りがふわりと一面に広がった。
「ね、ね、姉さまっ!? どうしてここに!?」
メリーベルが声をうわずらせる。
たちまち心臓の鼓動が早鐘を討った。
「遊びに来たよ♪」
最愛の姉、エルナ・シファーがにっこりと微笑んだ。
「ふわぁ……姉さまだぁ」
たちまちメリーベルの怜悧な顔が、これ以上ないほど弛緩する。
闘志に満ちた切れ長の瞳は、目尻がすうっと下がり、口元もだらしなく緩む。
いわゆるデレ顔だ。
おそらくシフォンあたりが見れば、腰を抜かすのではないだろうか。
いや、メリーベルを知るすべての人間が呆然となるだろう。
それほどの、すさまじい落差。
「姉さまぁ~!」
メリーベルは、部下や他の誰にも出さないような甘えた声でエルナに駆け寄った。
そのまま飛びつくようにして抱きつく。
「姉さま……大好きな姉さまぁ……」
夢中でむしゃぶりついた。
柔らかくしなやかな姉の体。
豊かな胸に顔を埋め、メリーベルは至福の吐息を漏らした。
「半年ぶりだね、メル。元気にしてた?」
「は、はい、メルは……メルは、姉さまのことを思わない日はありませんでした。ああ、愛しいお姉さまぁ……」
「ボクもだよ、メル」
彼女のことを『メル』と愛称で呼びながら、エルナが愛おしげに囁く。
「ふわぁぁぁぁ……」
額に軽くキスをされ、メリーベルはそれだけで腰砕けになりそうだった。





