5 勇者の選択
「──って、その子は?」
魔王が怪訝そうに冥の傍にいる幼女を見る。
「…………」
幼女はおびえたように冥の後ろに隠れた。
「公園で一人ぼっちだったし、保護者もいないそうだから、とりあえず家に連れてきたんだ。お腹もすいてたみたいだし……」
冥がため息混じりに説明する。
「そう言えば、前の戦いでも、君って小さい女の子に懐かれてたよね。ユナちゃんっていったっけ? あのお姫さま、君の花嫁になるって嬉しそうに──」
「……その話はいいだろ」
胸の奥がズキンと痛んだ。
異世界での最後の記憶──ユナに魔法で攻撃されたときのことを思い出す。
「ふーん……? 君だってまんざらじゃなさそうだったけどね。それとも今の同い年のお姫さまより、幼女バージョンのほうが好みとか?」
「やめろ、って言ってるんだ」
からかうような魔王に、冥が怒りの視線を返す。
「怖いなぁ。冗談だってば」
魔王が手をひらひらとさせた。
どこまでも人を食ったような態度が、癇に障った。
「そのひと、いやなかんじがする」
幼女が冥の足にギュッとしがみつく。
「きらい」
「う、容赦ないね」
魔王がたじろいだようだ。
「おにーちゃんは、すき」
「あ、ありがと」
まっすぐな好意に、思わず照れる冥。
空気がフッと和らぐ感じがした。
「同じ顔なのに君には懐いて、僕のことは嫌うんだね……」
一方の魔王は拗ねたような顔だ。
冥が軽く苦笑する。
「魔王が人間から好かれてもしょうがないでしょ」
「まあ、そうなんだけどさ。あからさまに嫌いって言われると、やっぱり傷つくじゃないか」
「魔王らしさの欠片もないコメントだね……」
先代魔王のヴァルザーガとはえらい違いだった。
「それはともかく、本題だよ」
ふうっと息を吐き出し、気を取り直した魔王が冥を見つめる。
「どうする? 戦う? それとも諦めて世界が滅びるのを待つ?」
「僕は……」
口ごもる冥。
「ヴァルザーガはたぶん今日のうちに日本を消し去るだろうね。もしかしたら、こうして話している間にも世界は滅びるかもしれない。決断するなら早いほうがいいよ」
「僕、は……」
今、冥の心を支配しているのは諦念だ。
勝ち目がない相手なら何もせずに、諦めて静かに最期を待つというのも選択肢の一つだろう。
「決めるのは君だ。勇者として戦うのか。平凡な高校生として座して死を待つか」
魔王が冥を見つめる。
冥そっくりの顔で。
「なんのために戦うのか。あるいは戦わないのか。全部、自分の意志で決めるんだ」
黒いゴーグルに隠れて、その表情はよく分からない。
楽しんでいるのか。
悲しんでいるのか。
怒っているのか。
蔑んでいるのか。
「僕は──」
言いかけところで、ギュッと足を引っ張られた。
幼女が不安げにこちらを見上げている。
「大丈夫だよ」
冥は優しく彼女の頭を撫でた。
「この子は、公園で一人ぼっちだったんだ」
誰に言うでもなく、つぶやく。
「異世界で出会った女の子にちょっと似ていて。ほんの一週間くらい前まで向こうにいたのに……なんだかすごく懐かしくて、すごく切ない気持ちになった」
「ま、あんな別れ方をしたからね」
魔王は微笑みを浮かべて、冥の話を聞いている。
「異世界で僕を頼ってきた女の子がいて、この世界にも僕にすがる女の子がいて。僕がどうしたいのか──答えはずっと傍らにあったんだって、思い出せた」
冥は一息に言って、魔王を見据える。
まっすぐに。
「呆れるくらいに単純なことだった。助けを求めている人がいるなら、その力になりたい。三年前も、今も。僕はその気持ちだけで勇者になったんだ、って」
「もう異世界の人間は君を勇者として認めていないのに?」
「ユナたちがどう思うかじゃない。誰にどう思われるかじゃない」
皮肉げに言う魔王を、冥はまっすぐに見返した。
「僕がそうしたいから──彼女たちの力になりたいから、戦うんだ」
熱を込めた声で告げる。
「誤解されたままじゃ終わりたくない。この世界でヴァルザーガを倒して、なんとか方法を見つけてもう一度異世界に行きたい。行って、誤解を解いて、勇者としてクレスティアを救いたい」
「へえ、吹っ切れたみたいだね」
魔王が笑う。
「正直、君が立ち直るかどうかは五分五分だと思っていた」
喜んでいるのか、嘲っているのか、その笑みからは読み取れなかった。
「君の答えは分かった。じゃあ、約束通り僕はヴァルザーガと戦う力を与えるよ。一週間準備してきた術式だから大丈夫だと思うけど──失敗したらごめんね、えへへ」
「なんか、軽いね……」
本当に大丈夫だろうか。
思わず心の中でツッコむ冥。
「まあ、僕だって万能じゃないからね。それじゃ──いくよ」
言って、魔王は冥に指先を向けた。
「光輝の刃、龍鱗の鎧、祝福の翼、勇猛なる意志──」
呪文とともに、指先に淡い白光が灯る。
「顕現せよ、勇者の衣」
そして、強烈な光が弾けた。